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66   資質は疑いの根拠足り得ない(前)

「――作戦内容が漏れているだと!?」

 ベーグル王国騎士団長ユリアン・アルトゥル・ザクパネがそう声を荒げたのは、フルザキ公爵軍をはじめとする反乱軍や、フォカッチャ王国軍と、ケルツェ平原で衝突してから三日目の夜のことでした。

 その夜は、二度目の奇襲失敗を受け、作戦を練り直すために会議が開かれていました。

「東の森の伏兵も、西の川沿いの強行突破も、どちらも早々に阻止された。間者を疑うなという方が無理だと思うが?」

 騎士団長相手に何のためらいもなく痛い指摘をしたのは、ザインザード・ブラッドハイドという男です。

 自分は、内戦中、この男の補佐をするという名目で、監視するよう命じられました。

 ジェシェフ伯爵が連れてきた素性の知れない男――クラネス公爵やカスペル王子が何と言おうとも、それが騎士団全体の認識だからです。

 しかし、正直なところを言えば、自分もこの男と同意見でした。

 間違いなく、ベーグル王国軍内に間者がいます。

 二度の奇襲失敗――偶然と言われればそんな気もしましたし、敵がこちらの考えを読んでいたと言われれば、やはりそんな気もしました。

 しかし、どちらにも「緋色の戦士団」が関わっていたと聞けば、偶然で片付けてはならないと脳裏が囁き、敵は本当にこちらの考えを読んでいたのか? と心が否定します。

 その上でもう一度よく考えてみれば、東の森の伏兵を阻止するには、具体的なルートが事前にわかっていなければならないのです。単なる遠見では、ここまでのことはできません。

「……確かにその可能性は我輩も考えていた。だが今回は内戦だ。逆賊の仲間が紛れ込んでいても――」

 そう言った時の騎士団長の目は自分を見ていました。

「――判別のしようがない」

「では、間者がいるという前提で作戦を立ててみてはどうだ?」

「いいや……まずは本当に間者がいるかどうか確かめてからだ。そして、疑わしき者が――」

 また、騎士団長が自分を……。

「――間者かどうか確かめてから、だ」

「ふむ……では俺も行こう」

「……何だと?」

「貴殿らから見れば、俺は外からやってきた素性の知れん男だ。騎士団長殿の言う『疑わしき者』に入っている。故に、俺も行こう」

「…………勝手にしろ」

 吐き捨てるようにそう言って、騎士団長は男に背を向けました。

 もしかして、庇われたのでしょうか……?

 疑われても仕方のない自分のために……?

 思わずその横顔をジッと見ていたら、鋭く光る金色の瞳と目が合ってしまいました。相変わらず、何もかも見透かしているような瞳です。

「……いや、実はこのあとも約束があってな。この内戦は早々に終わらせたい。その機会が目の前に転がってきたから拾ったまでだ」

「…………」

 自分のためではないということですか? という問いは、発する直前、唾とともに呑みこまれてしまいました。

 つまりこの内戦はもうすぐ終わる、と言われたも同然だと気付いたからです。

 そしてそれは現実のものとなりました。

 翌日に騎士団長が立てた作戦は、東の森を抜けて夜襲をすると言って準備をさせた上で、決行直前に隊を二つに割り、西の川沿いからも夜襲を仕掛けるというものでした。

「なるほど、さすがは一国の騎士団長、よく考えられている」

「そうなのですか?」

「夜襲の準備というものは、遠見では夜営の準備や休憩にも見え、そうだと判別しにくいものだ。故に、夜襲が阻止された時点で間者がいることは明白。そして、決行直前に隊を二つに割り、西の川沿いからも夜襲を仕掛けるという部分は、軍の上層部でなければ知りようがない。故に、東側だけが阻止されれば、間者は軍の中でも下の方にいて、両方が阻止されれば、間者は軍の上層部にいることになる」

「……しかし、間者が軍の上層部にいた場合、西の川沿いからも夜襲を仕掛けることをわざと伝えないということもあり得るのではないですか?」

「それはないな。保身のために情報を出し渋る間者など信用に値せん。あり得るとすれば、『間者であることがバレそうだから、西側は慌てて対処したように見せかけてくれ』とでもいったところだろう」

「それは判別できるものなのですか……? その、本当に慌てて対処したものと、そのように見せかけたものというのは」

「できるんだろう、そういう作戦を立てた以上は」

「ちなみにですが……ザインザード殿であればどこを見ますか?」

「そうだな……逃げた敵の数、殺した敵の数、敵の増援が来るまでの時間、敵の増援の最初の攻撃方法、敵が退却を指示するか否か――まあ、この辺りか」

「敵の増援の最初の攻撃方法とは……?」

「例えば貴殿が夜襲の報せを受けたとして、敵に突っ込めと命令するか?」

「……いいえ、しません」

「なぜだ?」

「敵の数がわからないからです」

「そうだ、数がわからん敵に突っ込めと命令する将はおらん。まして夜襲ならなおさらだ。故に、将としては、灯りも欲しいが、まず弓矢を使って大体の数を把握したい。だが、そこには多くの味方がまだいるかもしれん。どうする?」

「自分なら防御を固めつつ、前線に退却の指示を――なるほど……」

 矢が飛ばせるのは、そこに味方がいないとわかっているから。いきなり矢が飛んでくるようなら、夜襲はバレていたということになり、敵が防御を固めているようなら、夜襲はバレていなかったということになります。

 そして、自分とザインザード殿が向かった東の森では矢が飛んできました。いえ、敵がご丁寧にも「これから矢を飛ばすぞ」と教えてくれたので、いきなりではないのですが……。

 それでも、それは夜襲がバレていたという証拠であり、間者がいることは確信となりました。

 これで今回の作戦の目的は果たされ、自分への疑いも少しは晴れるだろうと、胸をなでおろしたその時――とんでもないことが起きたのです。

 隊を任されたゾンフ子爵は、混乱する兵達に退却を指示していました。

 当然です。

 しかし、そんな中、黒い鎧を纏った者が単身、あろうことか敵がいると思われる方向に突っ込んでいってしまったのです。

 自分はそれをただポカンと口を開けて眺めていることしかできませんでした。

「え――……ざ……ザインザード殿っ!??」

 そう、その黒い鎧を纏っていたのはザインザード殿でした。

 自分が監視を命じられた対象です。

 もちろん、すぐにゾンフ子爵に報告しましたが、

「監視対象が単身突っ込んだぁ? 知らんわ、そんなこと。どうせ死んだに決まっている! ……だがまあ、命令を完遂したいというなら、生死くらいは確認してきたらどうだ?」

 と、まあ、相手にされず……。「監視対象」ではなく「ザインザード殿」だと訂正する暇すら与えてくれませんでした。

 仕方なく、ゾンフ子爵の言うように、ザインザード殿の生死を確認するためその跡を追い――その姿を発見した直後、自分は急いで引き返すことになりました。

 何とかゾンフ子爵を見つけて事情を説明し、兵を率いて再びザインザード殿の姿を発見した場所へ。多少、時間はかかってしまいましたが、無事に合流することができました。

 そこには、もちろん、無事なザインザード殿と――そして、無数の黒い壁に捕らわれた敵兵達の姿がありました。

「これは……間違いない、ベアトリーチェ・ディ・フォカッチャ第一王女……。ということは、こいつらは本当に『緋色の戦士団』なのか……」

 敵兵の一人を見た瞬間、先ほどまで横柄だったゾンフ子爵の態度は百八十度変わりました。

 そう、ザインザード殿はたった一人で、フォカッチャ王国最強と名高いベアトリーチェ王女と、彼女が率いる「緋色の戦士団」を全て捕らえてしまったのです。確かにそれは、早々にこの内戦を終わらせかねない大戦果でした。

 ただ、どうやらそれ以外の者達も混ざっていたようで、ザインザード殿はその者達と「三十秒」だの何だの、よくわからないことを話していましたが……。

 ともかく、その日の夜は快挙続きだったのです。

 自分達が陣地へ戻った時もそうでしたが、何よりも兵達を湧かせたのは、西の川沿いから仕掛けた夜襲が大成功だったという報せでした。

 ザインザード殿は、フルザキ公爵子飼いの密偵だという若い男を、いつの間にか捕らえていて、彼が東の森にいたことも併せて、間者は軍の中でも下の方にいると判断されました。

「――ところで、そちらのお嬢さんは?」

「『緋色の戦士団』と一緒にいた連中の一人だ。あの密偵はこいつが捕らえてきた。ベーグル王国側――というか、俺に寝返りたいと言ってな。騎士団長殿には報告済みだ。こいつと一緒にいた者達が首輪代わりになるのであれば、別に構わんだろう、とのことだ」

「そうですか……」

「エリオと言います」

「ああ、それから……こいつは男だ」

「え……? えっ!?」

「よろしくお願いしますね」

 どう見ても女性にしか見えない笑顔を前に、自分は困惑するしかありませんでした。




「――尋問、ですか……?」

 ベーグル王国軍内において、凄腕の魔法師として認識されつつあるザインザード殿が、フルザキ公爵子飼いの密偵を尋問したいと言ったのは、夜襲に成功した翌朝のことでした。

「あの密偵は俺が捕らえたようなものだ。多少は融通が利くと思うんだがな」

「か、確認して参ります」

 正確には、ザインザード殿が捕らえた者達の仲間が捕らえてきたわけですが……まあ、ザインザード殿の言い分にも一理あることは確かでした。

 自分が戸惑ったのは、最も大きな戦功である「緋色の戦士団」団長にしてフォカッチャ王国第一王女のベアトリーチェ・ディ・フォカッチャの処遇に関することではなかったからです。

 騎士団長からは、「あの王女に関してザインザード殿が何か言ったらすぐに報告しろ」という命令を追加で受けていました。おそらく、人質として何かしらの交渉に使うつもりだと思いますが、さすがに捕らえた者の意見を無下にはできないのでしょう。

 ところが、ザインザード殿は、王女ではなく、ただの密偵に注目しているようでした。

 無事に許可を得ることはできましたが、騎士団長にはまたしても疑いの目を向けられました。自分が嘘をついてもすぐにわかると思うのですが……。

 密偵の若い男は、拷問官の天幕に捕らえられていました。

「……………………」

「ザインザード・ブラッドハイドだ」

「…………ヴァルトウォミェイ。…………」

「ふぇ、フェリクス・ルッチです……」

 天幕の前には、当然と言えば当然ですが、拷問官のヴァルトウォミェイ殿がいました。

 どうにもこの人は苦手です……。

 ヴァルトウォミェイ殿は、ベーグル王国で最もベテランの拷問官です。つまり、それだけ多くの拷問を経験しているということでして……。いえ、もちろん、される方ではなく、する方なのですが、拷問官には付き物の噂というものが、なぜかこの人だけ全く無いのです。

 内戦が起きる以前から、騎士団上層部ではこの人の話はタブー視されているようでした。

 それだけ恐れられているということなのか、それとも何か触れたくないことでもあるのか……。

 上層部がそんな感じなので、若い騎士達の間でも、ヴァルトウォミェイ殿の名が出ることはありませんでした。

 その人が目の前にいるのです。

 緊張するなという方が無理でしょう。

 実際に会ってみると、頭に髪が無く、厳つい顔でこちらをジッと見てくる無口な壮年の男性でしたので、緊張は増すばかりでした。

 自然に名乗り合っているザインザード殿は純粋にすごいと思います。

「……?」

「密偵として捕らえられた男がいるだろう? そいつの尋問をさせてほしくてな。騎士団長殿の許可は取ってある」

「…………」

「は、はい、間違いありません」

「ふむ……ヴァルトウォミェイ殿、ぜひ、貴殿にも協力してほしいんだが、どうだろうか?」

「……???」

「相手は若くとも密偵だ。ただ痛めつけただけでは何も吐かんだろう」

「…………」

 ヴァルトウォミェイ殿は、ザインザード殿に対し、片眉を上げたり、自分を見たり、首を傾げたり、頷いたりするだけでしたが、不思議と何が言いたいかは伝わってきました。「無口だが雄弁である」というのは、こういう人のことを言うのでしょう。

 面と向かい合うだけでなく、しっかりとヴァルトウォミェイ殿を見て話さなければわからなかったことです。

「故に、心を折らなければならん」

「…………」

 ザインザード殿はそう嗤って、ヴァルトウォミェイ殿の耳に何事か囁き、ヴァルトウォミェイ殿はただ静かに頷き続けました。

 ……ザインザード殿がベーグル王国に滞在した期間は、実質、まだ二か月ほどだと聞きます。内部のいざこざやしがらみをあまり知らないからこそ、ヴァルトウォミェイ殿にも偏見なく接することができたのだと思います。

 …………この人なら、あるいは……。

 自分がそう思った最初の瞬間は、間違いなくこの時でした。

 天幕の中には木造の建物があり、さらにその中に牢屋がありました。建物には屋根と呼べるものがなく、代わりに鉄格子が嵌められています。天幕は、中央に空いた穴から明かりを取る設計のため、こうしなければ建物の中が真っ暗になってしまうのだそうです。

 かといって、天幕を無くしてしまっては、ここに敵を捕らえていると教えているようなものです。敵から情報を得るためとはいえ、ここまで考えて造った建物を、戦争が終われば燃やしてしまうというのは、何とももったいない気がします。

 ……まあ、敵の血で汚れた資材を使いたくないという気持ちは、自分にもよくわかるのですが。

 牢屋の中で、密偵の若い男は、実に太々しい態度で寝っ転がっていました。

「…………ようやく尋問の時間かー?」

 自分達が天幕に入っても男は体勢を変えず、

「すまんな、退屈させたか?」

 ザインザード殿がそう返して、ようやくこちらに目を向けたほどです。

「…………。誰だ、あんた?」

「ザインザード・ブラッドハイド――と名乗ってもわからんか」

「いや……その名前は聞いたことあるね。要は客将だろ?」

「ああ、その認識で構わん」

「で? その客将様が尋問にまで出張ってきたのか?」

「貴様を捕らえた者は俺の手駒でな。人手が足りんから、ついでに尋問もしてくれと頼まれたんだ」

「へえ……」

 ザインザード殿がさらりとついた嘘を男は信じたようでした。

 なるほど……。どんな相手に対しても自然に話せるというのは、嘘を信じ込ませるのに役立つ技術なのでしょう。ともすれば詐欺師ですが、今回は尋問ですので。

 とはいえ、その嘘にどういう意味があるのかまでは――

「――だが、尋問など、どうにもやる気が出なくてな……」

 は……?

 思わず出そうになった声を必死に押し殺しました。

 良かったです……記録係としてついてきていて本当に良かったです。

 そうでなければ、自分の表情からザインザード殿の嘘がバレていたかもしれません。

「そこで、だ。先ほど知り合った者が、ぜひ手伝いたいと言うんでな。手伝ってもらうことにした」

「……………………」

 そこでようやく、ヴァルトウォミェイ殿が牢屋の前に姿を現しました。

「いやいやいやいや……待てよ! そのおっさんは拷問官だろ!? 普通は先に尋問じゃねえのか!?」

「ん? そうなのか?」

「え、ええ……まあ、通常であればそうですね……」

「そうか。では、尋問に対して何も答えなかったとでも書いておいてくれ」

「「は?」」

「…………」

「……どうやら準備ができたようだ」

 自分が呆けている間に、ザインザード殿とヴァルトウォミェイ殿は、「おいおい冗談だろ!? 冗談だよな!?」と喚きながら必死に抵抗する男を二人がかりで取り押さえ、有無を言わさず拷問用の椅子に縛り付けてしまったのです。

 確かに、自分がこの記録にザインザード殿の言う通り書けば何も問題はありません。そもそも、密偵が尋問程度で口を割るとは誰も思っていないのですから、訴えたところで信じる者はいないでしょう。

 しかし……しかし、それでも――

「待て待て待て待て! あんたら間者を探してるんだろ!?  言う! 言うから!!」

「ふむ……まあ、正直に言うなら痛めつける必要はないな」

 ザインザード殿がそう言った瞬間、男はホッとしたような表情で脱力し、

「で、貴様が知る間者とは誰だ?」

「へへへ――……」

 そして、ニヤリと笑って、

「――フェリクスだ!! ルッチ子爵家の三男フェリクスが間者だ!!!」

 あろうことか、自分の名を出したのです。

「「「……………………」」」

「んだよ、信じられねえってか? だが事実だぜ。ベーグル王国軍に潜入させた間者は間違いなくフェギャアアアアアアアアァァァァァァ!??」

 沈黙の意味を勘違いした男が得意げに同じ名を出そうとした瞬間、ザインザード殿はヴァルトウォミェイ殿に頷き、彼はペンチのような拷問器具で左の親指の生爪を剥がしました。

「な、何でアアアアアアアアァァァァァァ!!?」

 続いて、人差し指の生爪を剥がし、さらに中指の生爪を剥がしたところで、男はようやく静かになりました。

「……。一応、訊くが、フェリクス? 貴殿は間者か?」

「まさか……。自分はずっとあなたと一緒にいましたよ、ザインザード殿」

「だな。密偵に情報を渡す暇があったとは思えん」

「えっ??? え……???」

「まして、こいつが持っていたのは、西の川沿いからも夜襲を仕掛ける旨が書かれた紙だ。ますますあり得ん」

「……まさか……あんたが、フェリクス・ルッチ???」

「そうですが。ああ……あなたは自分の顔を知らなかったのですね。まあ、仮に知っていたとしても、自分はベーグル王国ではありふれた顔つきですから、わからなくても無理はありませんが」

「なん……クソッ……!!!」

「ふむ……フェリクス、具体的な話はしなくていいが――」

「ありますよ、心当たりなら」

「――そうか」

 大方、裏切り者である自分の名を出せば、ベーグル王国軍が混乱するとでも考えたのでしょう。しかし、幸運にも(敵にとっては不運なことに)自分はザインザード殿の監視を命じられ、それを忠実に遂行していました。自分が間者でないことは、ザインザード殿が証明してくれます。

 …………いえ……それはあまりにも、偶然が過ぎるような……?

「……ザインザード殿」

「何だ?」

「もしかして、逆だったのでしょうか?」

「ん……? 何がだ?」

「つまり、自分があなたの補佐をするよう命じられたのは、あなたを監視するためではなく――」

 ――ザインザード殿が、自分を監視するためだったのでは?

「両方だ」

「…………」

「疑わしき者は相互に監視させろ――まあ、カスペル王子にそう言ったのは俺だが、まさか巡り巡って返ってくるとはな。くはは」

 楽しそうに笑うザインザード殿に、自分は黙って頭を下げることしかできませんでした。

 結果的に助けられたのは確かですが、お礼を言うのは何か違うと思いますので。

 ちなみに、自分に下された命令の内容は初日から見抜かれています。

「さて……では、続けるとしようか」

「ええ、そうですね。騎士団長には『尋問したが何も答えなかったので拷問を行った』とでも報告しておきます」

「……………………」

「ふむ……今度はだんまりか」

 先ほどまで饒舌だったはずの男は、打って変わって黙したままジッとザインザード殿を睨みつけていました。

 しかし、ザインザード殿の態度はいささかも変わりません。

「まあ、訊きたいことは変わらん。貴様が情報を受け取ってい――」

 ベリッ、と、その瞬間、ヴァルトウォミェイ殿は薬指の生爪を剥がし、さすがに不意の痛みはこたえたのか、男のまなじりがピクリと動きました。

「――…………。ヴァルトウォミェイ殿、まだ質問している途中なんだが」

「…………」

「恨みがあるのはわかるが、手順くらいは守ってくれ。先ほども、俺は親指だけのつもりだったんだ」

「…………」

「やれやれ……。いや、すまんな。実はこちらの拷問官殿は、貴様が持ち帰った情報のせいで甥御を亡くされていてな。貴様を傷めつけたくて仕方がないらしい」

「………………」

「東の森の伏兵の情報――あれは、貴様が間者から受け取ったものだろう?」

「………………」

「申し訳なく思う気持ちが少しでもあるなら、間者の名前を教えてくれ」

「………………」

「いくら戦争とはいえ、身近な者を亡くすのはこたえるものだ。それくらい、貴様にもわかるだろう?」

「…………わからねえなー。戦争で人が死ぬのは当たり前のことだ。それがたまたま拷問官殿の甥だったってだけだろ」

「ふむ……確かにその通りだな」

 肯定された途端、男はニヤリとした笑みを浮かべ、

「戦争とは大勢の命が失われるものだ。敵も味方もそれは変わらん。『隣で笑っていた者が、ある日、突然、死に――次は自分の番かと、恐怖する日々だけが続く。殺戮者の英雄譚で救いなど来ない絶望を誤魔化し、唯一の解決策を唱える者達を「非国民」と貶し排除する。いつか敗北するその日まで。あるいは、敗北し何もかもを失ってなお』――」

 それは、どこか他人の言葉をそらんじるようなザインザード殿の口調に、若干の戸惑いへと変わり、

「――ならば、密偵と目される者が残虐非道な拷問を受けるのもまた、戦争においては当たり前のこと。貴様が自分で言ったことだ、甘んじて受け入れるな?」

「……!!」

 ニヤリとした嗤いを返されて、ようやく目の前にいるのが嘘つきだと理解したようでした。

 ベリッ、と、小指の生爪が剥がされ、ペンチのような拷問器具は男の右手へ――

「実は他にも用があってな。貴様だけに構っている暇はあまりないんだ。と、いうわけで、ヴァルトウォミェイ殿」

「…………」

「故に、口さえ利ければあとはどうでもいい。気が済むまで痛めつけろ。――貴様は俺が戻るまでに答えを用意しておけ」

 最後に、この拷問がいつ終わるかわからないということを男にしっかりと認識させた上で、ザインザード殿は拷問官の天幕から出ていきました。

 自分もそれを追い、建物の入り口でふと振り返った時、男はただ微かに震えているだけでした。




「…………」

「いろいろ言いたそうな顔だな」

「ええ、まあ……。ですが、何から言えばいいのか迷っていまして……」

「ふむ……そういう時はな、まず、仕事の話からするといい」

「仕事の話……ですか。……何やら他にも用があると言っていましたが、このあとはどちらへ?」

「ベアトリーチェ王女のところだ」

「……!」

 予想外の名を出されて、自分は思わず立ち止まってしまいました。

 ザインザード殿はベアトリーチェ王女には興味がないものと思い込んでいたからです。

「……なぜ……?」

「ん? 呼ばれたからだ。まあ、それだけが理由ではないがな……」

「呼ばれたとは……ベアトリーチェ王女に、ですか?」

「それ以外に誰がいる?」

 なるほど……。

 そう言われて腑に落ちました。

 やはり、ザインザード殿はベアトリーチェ王女には興味がないのです。

 この場合は、逆に、ベアトリーチェ王女がザインザード殿に興味があると言うべきでしょう。

 でなければ、仮にも一国の王女に会いに行く理由が「呼ばれたから」などというものになるはずがありません。

「……わかりました。では、ヴァルトウォミェイ殿の甥御がこの内戦で亡くなられたというのは……?」

「事実だ。東の森での伏兵作戦に参加していたらしい」

「そんな情報をどなたから?」

「さあな。だが、情報を持ってきたのはエリオだし、ヴァルトウォミェイ殿も肯定していた」

「ああ……あの子が……」

 女性としか思えない笑顔を思い出し、どうにも「彼」と呼ぶことができず、「あの子」という妙な呼び方になってしまいました。

「『緋色の戦士団』と一緒にいたとのことですが、結局、あの子はどのような素性の者なのですか?」

「……暗殺者だな」

「暗殺者!? そ、そのような者をそばに置いて大丈夫なのですか!?」

「いや、ベーグル王国軍の誰かを殺しに来たわけではない。あってないような因縁が俺との間にあっただけだ。それも解消済みだしな」

「は、はあ……」

 よくわかりませんでしたが、本人に大丈夫だと言われてしまっては。それ以上の口出しは自分にはできません。実際、役には立っている様子でしたし。

 ただ……あの子の仲間は他にもいるのに、なぜあの子だけを使うのかは疑問でしたが。

「………………」

「………………」

 その後、しばらくの間、自分もザインザード殿も何も話さずに歩きました。

 自分は周囲に人影のあることが気になり、ザインザード殿はそんな自分の心情を知ってか知らずか、辛抱強く待ってくれたのではないでしょうか。

「――……それで……」

「…………」

 しかし、自分はついに言い出すことができず、ザインザード殿が立ち止まり振り返った時、そこはもうベアトリーチェ王女を軟禁している天幕の前でした。

「……他に訊きたいことはあるか?」

「…………ありません」

「そうか」

 ここを逃せば、おそらく自分はもはや誰にも自身の事情を打ち明けることができないだろうと、そうわかっているはずなのに、言葉は喉の奥から出てきてくれません。

 迷っている間に、ザインザード殿は見張りの兵に名を告げ、ベアトリーチェ王女から呼ばれた旨を伝えてしまいました。これでもうあとは、本人に確認が取れ次第、天幕の中へ入ることになります。

 そうなればそこは外交の場も同然。一介の騎士の個人的な話をしていい場ではなくなります。

 大丈夫……見張りの兵は騎士団の者達ではありません。今、この場には、自分を間者呼ばわりする者も、裏切り者と呼ぶ者もいないのです。

 だから……だから――

「では――俺に聞いてほしいことはあるか?」

「――……!!!」

 その言葉が聞こえたのは、天幕の入口を塞ぐ布が払われた直後のことでした。

 つまりそれは、ザインザード殿からの念押しだったのです。

 本当にこのまま天幕の中へ入ってもいいのか? という。

 しかし、それは同時に、自分には救いの手のようにも思えました。

 迷い続けていた自分を、あと一歩が踏み出せなかった自分を、そっと引っ張ってくれるような。

 だから、そこでようやく自分は、

「自分は――……自分は、浅ましい人間なのです……!」

 何よりも誰かに言いたかった言葉を、ようやく吐き出すことができたのです。

 細かい話は活動報告にて。

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