47 信用は人を動かす絶対条件(前)
――ザインザード・ブラッドハイドなる人物が何者かに刺された。
その凶報がエリカの耳に飛び込んできたのは、都市王会議の開会まであと四日に迫った昼前のことだった。
凶報を伝えた学術都市トトの衛兵が言うには、犯行は白昼堂々と行われたらしい。場所は人通りの多い主要な通りで、すれ違いざまの不意打ちだった。つまりは暗殺だ。時間帯を考えれば、犯人には逃げおおせる自信があったのだろう。
その日、二人はフェリエライトを学院の門前まで送り、しばらくは自由行動(という名の情報収集)にしよう、といつも通り別れている。エリカのもとに衛兵が駆けてきたのはそのしばらくあと、菓子店巡りをしていた最中のことだった。
(ようやく動きましたか……。しかし、なぜお嬢様ではなく彼を……?)
その狙いがわからず、エリカが内心で首を傾げた。
ザインの名は、メビウス法国で起こったクーデターの首謀者として、権力者達の間ではそれなりに知られているが、誰もがそれを鵜吞みにしているわけではない。何か裏があると疑う者もいれば、はなから全く信じていない者もいる。もちろん、ザインを危険視して排除しようとした者もいるが、遺跡都市アメン側として立ち位置が明確になった今、敵対的行為には慎重にならざるを得ないはずだ。下手をすれば都市国家連合を割りかねない。何かしらの事を起こすには開戦派としてある程度の総意が必要だろう。
故に、「フェリエライトを狙う」という局面を終わらせられる一手を取らなかったことは非常に不可解であった。
「……それで、彼は?」
「医者の話では、幸い、傷はさほど深くなく、命に別状はありません」
「そうですか。無事ならば結構です。ただちに向かいます」
エリカの反応を衛兵は冷淡なように感じたらしい。彼女を非難するような――被害者に同情するような――そんな複雑な心持ちが表情に現れていた。だが、エリカも決して彼を心配していないわけではない。彼女は元来、表情の変化が皆無で、そういった印象を与えがちなだけだ。
とはいえ、強いて挙げられる理由もある。実のところ、刺されたのはザインではなく、その影武者をしていたマックスなのだ。
「おっ、わざわざ悪いな、エリカの嬢ちゃん。いやー、見事に刺されちまったわ」
「………………」
エリカが思わず頭痛をこらえるように額を押さえてしまったのも無理はない。暗殺されかけたというのに、当の本人はのほほんとしているのだから。
「……存外、平気そうですね」
「そうでもねえさ。鎧の隙間を完璧に突かれた。しばらく左足はまともに動かせねえな」
傷を負ったのは左足の付け根。間違いなく手痛い負傷のはずだが、さほど堪えているようには見えない。
「いや、ホント、ザインに警告されてなけりゃ、もっとザックリやられて今頃生死の境だったろうぜ」
「……警告されていたのですか?」
「ああ、『念のため暗殺も警戒しておけ』ってな。あとはまあ、鎧を着ている奴を暗殺しようっていうなら隙間を狙うだろうからな、革やら何やらで埋めておいたのさ。気持ち程度だが」
「それで負傷が浅くなったというわけですね」
(しかし、ブラッドハイド様はいったいどこから自身が暗殺される可能性を……?)
しかもマックスに警告したということは、そのタイミングまである程度は予測していたということになる。これまでに集まった情報は、剣闘都市モントゥ、芸術都市ベス、工業都市プタハ、そしてトトに関するものしかない。その中で「暗殺」と結びつきそうなのはモントゥだけだろう。
エリカは自身の持つ知識とマックスが報告した内容を精査し、
(…………やはりわかりませんね)
早々に、ザインの思考を辿るのを諦めた。今はそれどころではない、というのもあるが。
「……それで、マックス様を襲った者は捕らえられたのですか?」
「あー……いや、それなんだがな……」
「……?」
どうにも歯切れが悪い。
明後日の方向に目を逸らすばかりで続きを口にしようとしないマックスを見限り、案内してくれた衛兵に目を向けると、
「それが……襲撃犯は苦も無く捕らえられたのですが、非常に動揺しておりまして……」
「はい……?」
暗殺されかけた側はのほほんとしているのに、暗殺しかけた側が動揺しているとはいったいどういうことか?
衛兵の返答に首を傾げ、つまり言い淀んだのは何か事情があるからだと気付き、エリカはとりあえずマックスを締め上げることにした。
「ちょ、え、何何何!?」
「さあさっさと吐いてください。何を隠しているのですか?」
「別に何も――いや待て怖い怖い! 何でその細腕でオレを持ち上げられるんだよ!? わかった話す! 話すから離せ!!」
「話したら下ろして差し上げます」
空中でジタバタともがくマックスが白状したところによると、襲撃者は彼の知人で、しかも長年の彼のファンであり、なおかつ将来有望な剣闘士だった。
なるほど言い淀むのも無理はない――などと言うとでも思ったか! という思いを込めてマックスを放り出し、ボケっとした顔になっていた衛兵に頼んで、エリカは鉄格子越しに捕らえられた襲撃犯と面会した。
勝手に男を想像していたが、鉄格子の中に囚われていたのは小柄な女だった。小さく縮こまるように頭を抱えていて、後ろで束ねられた赤みがかった茶髪しか見えない。
「――っス……嘘っス……マックス様が扇動屋の鎧を着てるわけないっス……。あれは見間違いっス……何かの間違いっス……。でも声は確かに――……違うっス……嘘っス……」
耳をすませば自己暗示じみた呟きが聞こえるばかり。
「とまあ、終始この様子でして……。幸い、大した怪我でもありませんでしたし、どうやら何かしらの勘違いもあったようで。当人同士も知り合いですし、そう重くない処罰になると思いますので、さっさと調書を取りたいんですがね……」
(そう重くない処罰になる、ですか……)
連合を組んでいる国同士とはいえ他国のこと、と割り切ることもできただろう。だが、生憎とエリカはこういった粗雑な対応が許せない質であった。
「……どうやら怪我の程度で判断しているようですが、行われたのは紛れもなく殺人未遂です」
鎧の隙間を通して刃物を突き立てた時点で害意は明確。さらに負傷部位が急所に近い足の付け根であることを考慮すれば殺意があったことも間違いない。
そもそも怪我の程度が軽いのはマックスが備えていたおかげで、ひいてはザインが警告していたおかげ。
被害者がマックスになったのは偶然にも影武者をしていたからだ。つまり当人同士が知り合いなのも偶然。
事実のみを見れば、襲撃犯は何の手心も加えていない。だからこそ、この襲撃犯は現実逃避しているわけだが。
――などなどを滔々と指摘したところ、青い顔になった衛兵は逃げ、代わりに上司だという衛兵隊長が来たがこれも逃げ、最終的にトップの衛兵司令が来たので、
「フェリエライト・アメン・フランベルク殿下の護衛が狙われたというのに、怪我の程度が軽いからと不当な扱いをされるのですか?」
と詰め寄ったところでようやく謝罪の言葉が聞けた。
まあ、その謝罪も、
「申し訳ありません! アメンの姫君の護衛の方だったとは露知らず、とんだご無礼を! もちろん、法にのっとり厳正に対処させていただきます!」
などというふざけた内容だったので、
「おや、学術都市トトの衛兵隊は相手によって対応を変えるのでしょうか? 今のご発言は『フェリエライト殿下の護衛だから』厳正に対処すると聞こえたのですが」
「いえ、相手がどなたであっても法にのっとり厳正に対処させていただきます!」
エリカはきっちりと正しておいた。
(全く……『トト王は政治に興味がない』と言われるゆえんはこの辺りにあるのでしょうね……)
民は役人を通して王を見る。役人が横暴であれば民は王に不信感を抱く。先ほどの衛兵はまだマシな方とはいえ、対応が粗雑なのは否めない。
ザインは「娘を愛しているなら戦争に反対する」と言っていたが、少しうがった見方をすれば、それは家族だけを見て民を見ていないとも言える。
(……少々、危ういですね)
結論を言えば、襲撃犯の女はアメン王家預かりの軽犯罪奴隷となった。
本来、殺人未遂は重犯罪に相当するが、重犯罪奴隷では学術都市トト預かりとなり、どのような扱いをされるかわからない。襲撃犯とはいえ、マックスの知人であることは間違いなく、あまり酷な刑を科されるとマックスとの関係性にひびが入る可能性があった。さらに言えば、彼女は剣闘士――確保しておけば、あとで剣闘都市モントゥが高く買ってくれるかもしれない。
以上のような考えから、被害者より格別の配慮を希望する旨が出されたとして、エリカは長期間の軽犯罪奴隷化を主張した。なお、狙われたのがフェリエライトだった場合は、誰が何と言おうと極刑である。この主張ができるのも、あくまでただの護衛役が狙われたからだ。
法にのっとった厳正な対処を求めた一方で、このような主張をするのは矛盾しているように感じるかもしれないが、情状酌量というのは、法にのっとった厳正な対処をした上で行うべきものである。最初から自身の感情で判断しようとしたあの衛兵はその点をはき違えていたのだ。
諸々の手続きがあるため引き渡しは明日になる、との説明を受け、エリカは松葉杖を突くマックスとともに衛兵所をあとにした。
「現行犯でしたので、手続きが早く済むのは幸いですね」
「いや、それにしたって早すぎじゃね?」
「……少々、思うところがありましたので、軽くせっついただけですよ」
これくらいは王族の特権を行使しても構わないだろう、というのがエリカの判断だった。実際、内容に問題があるわけでもない。
「今日明日のことを考えますと、戦力は多いに越したことはありませんので」
「おいおい、それで軽犯罪奴隷化を主張したのかよ……」
「ブラッドハイド様があえて警告にとどめた理由もそこにあると思われませんか?」
「あん……? あー……ありそう」
未だ短い間だが、ザインと過ごしてエリカは一つわかったことがあった――目的を達成するためならば、ザインはギャンブルじみたことも平気で実行する。
エリカがそれを確信したのは、工業都市プタハとの秘密交渉のあらましを聞いた時だ。
実を言えば、ザインがプタハを寝返らせるために潜入した時点では、森林都市ソプデトからネフェルテム大森林に新たな街道を造る案への返答は「保留」であった。
理由は、「実現性の保障がないから」。ちなみに、ソプデト王家に、ザインがラプラスの使徒であると明かすことも検討したが、「ラプラス皇国の介入を疑われかねない」として却下されていた。
さらに言えば、ボルト獣帝国側への打診の返答もまだ届いていなかった。
にもかかわらず、ザインはプタハ王との秘密交渉において、さもソプデトが全面的に賛同しているかのように振舞ったのだ。確かに嘘はついていないし、プタハが協力を約束したと伝えれば、ソプデトも賛同に転じる可能性は非常に高かった。
だが、順序をあべこべにするのはいかがなものか――とは報告を聞いたエリカの心情である。確信をもって実行したのは理解しているし、これはエリカ自身のきっちりかっちりした気質に根差した考えであるため、結果が出ている以上、苦言を呈するのは控えたが。
今回も同じだ。
おそらくザインは、マックスの知人だという襲撃犯――剣闘士のシャハドが自身を暗殺しに来るだろうことをほぼ確信していたに違いない。
故に警告した。ただし、マックスのみに。
暗殺を防ぐのであれば、たとえ可能性が低くとも、エリカやパンドラ、カロンにも警戒するように告げた方が良いはずだ。にもかかわらず、マックスのみに警告した点――しかも「念のため」とわざわざ「可能性の低さ」を印象付けた点――に、「暗殺されかけろ」という思惑を感じずにはいられない。
もちろん、マックスへの信頼があったからこその一手なのだろうが。
「……その辺り、どのように思われているのですか?」
「どうって言われてもな……。ザインの奴がいろいろ言わねえのは出会った時からだし、そういうことを考えるのはとっくにやめちまったよ」
「手のひらの上で転がされているかのような現状に不満はないということでしょうか?」
「オレは盤上の駒みたいだって思うがな。で、不満か……不満ねえ……。あるって言えばある。だがそれはザインの思考についていけないからこそのものだ。たぶん根本的に知識の厚さが違うんだろ。単なる説明不足ならその不満をぶつけるが、実力不足を棚に上げてまであらわにする不満なんかねえさ」
「そうですか……」
不満はあってもついていく――それはエリカも理解できる心情だった。
(……それでも――期待される役割を果たすだけ、というのは、時折どうしようもなくもどかしくなります)
「それに、ザインは、オレやカロンの嬢ちゃんが理解しきれないってわかっていても説明を放棄したりしねえしな」
「そう、なのですか……?」
マックスのその言葉は、どうにも今回の件と矛盾するように感じ、より詳細な説明を視線で求めれば、
「単純な話さ。ザインは最初に目的と手段を明確にする。そこで納得されれば説明を端折るし、訊けばいくらでも説明してくれるんだ。オレが今回の件で深く訊かなかったのは、暗殺を警戒するなんざ当たり前っていう面もあるが、それと同時に、あえてオレだけに警告したってことに、何かしらの意図があるんじゃねえかって思ったからさ」
「…………つまり、信用しているから、どのような思惑も受け入れるとおっしゃられるのですか?」
「さすがにそこまで盲目的じゃねえよ……。そういうのは聖女の嬢ちゃんに任せる。オレはただ、信頼されているって感じるから、それに応えたいだけさ」
「なるほど……少し、あなたのことがわかりました」
(似ていますね――どこかの元奴隷と)
闇に慣れてしまった者は、唐突に差し込んだ光を素直に受け入れられないものだ。大抵の場合は時間が解決してくれるが、それでもきっかけというのは存在する。そして、それを得るのに、「信用」と「信頼」は必要不可欠な要素だろう。
「――ところで、衛兵所を出てからずっと兜を脱いだままですが、よろしいのですか?」
そう、衛兵の詰め所を出てからというもの、マックスは素顔を晒し続けていた。
ザインの影武者としての自覚があるのか、と非難する気持ちもあるにはあったが、マックスが決して考えなしではないことは、エリカもとっくに理解している。
「あー……それなんだがな、ザインの狙いってシャハドをこっち側に引き込むだけじゃねえって思うんだわ」
「とおっしゃいますと?」
「そもそも、シャハドに襲撃された時点で、オレはシャハドを止めるために兜を脱いだ。ってか、脱がざるを得なかった。じゃねえと勘違いしてるシャハドは止まらねえからな」
「つまり、その時点でブラッドハイド様が偽物であると露見しているわけですか」
「もしもザインがシャハドの襲撃を予想してたんなら、オレが兜を脱ぐことも予想してたはずだ。そこまでも狙いなら――開戦派を油断させるためじゃねえかってな」
開戦派はザインを強く警戒しているはず。そこで黒い鎧の中身が実はマックスだとわかれば、油断や動揺、迷いを誘えるだろう。
(もしや、シャハドによる襲撃のタイミングも予想の範囲内なのでしょうか……?)
トトから都市王会議が開催されるネイトまで、乗合馬車なら四日、早馬なら三日ほどかかる。だからこそ、エリカ達は今日明日が最も拉致の危険性が高いと警戒していた。
(…………いえ、だからこそ予想できたのですね……)
逆に言えば、エリカ達の警戒がフェリエライト達の拉致阻止に集中している時こそ、開戦派にとっては暗殺の絶好のタイミングだろう。
エリカの口から思わずため息がこぼれていた。
「あん? どうした、お疲れかい?」
「そうですね……少々疲れました」
気疲れだが。
ともかく、フェリエライト達が帰る時間帯になるまでは警戒していても仕方がない。少しでも集中力を持続させるために、疲れを感じたのなら休むべきだろう。
ちなみに、学院内での拉致はあり得ないと最初から切り捨てている。トトの学院というのは、都市国家連合全体にとって非常に重要な機関だ。そこでの不祥事は連合全体の名誉に関わる。つまり、学院は双方にとって安全地帯なのだ。
二人がアメン王家所有の家に戻ると、玄関前でパンドラとカロンが待っていた。建前上、王族といえども学院生に付けられる使用人は二人までのため、パンドラとカロンはメビウス教関連の施設で寝泊まりしている。
「おや、この時間に来られるとは珍しいですね」
「開戦派による拉致を阻止する件で、少々報告がありましたので」
報告とは、交渉と説得を続けてきた結果、犯罪防止の名目でメビウス教徒達の協力を得られたというものであった。
「一般市民を巻き込むのは危険ではありませんか?」
「あくまで監視と通報のみお願いしました。それに、拉致が目的ならば、目撃者を都度殺害するほどの余裕はないはずですから」
パンドラの推測を一考し、確かに命に関わる危険は少ないだろう、とエリカは判断した。
「……わかりました。確かに当方らにはトトやベスの王族まで気にかける余力はありません。目の数は必要でしょう」
これで、備えられるだけ備えたことになるだろうか。
ザインが最後の一手のためにいない今、現状を維持するにはエリカ達が奮闘するしかない。
もちろん、起こらないに越したことはないが、開戦派が拉致を企てるのはほぼ確実だ。今日明日だけは――オベリスク都市国家連合の未来がエリカ達の肩にかかっている。
だが、警戒し続けるエリカ達を嘲笑うかのように、陽が沈んでも開戦派に動きは何ら見られなかった。
都市王会議の開会まであと四日――動くならこのタイミングだと予想していたが、妙な気配や兆候すら感じられないのはなぜなのか。
(まさか拉致する気がない……? いえ、それはあり得ません。その有効性はブラッドハイド様も陛下も認めています)
開戦派は決して考えなしではない。むしろアメン側の一手二手先を行ってもおかしくはない。特にネイト王は間違いなく傑物だ。
黒い鎧の中身がマックスだったことが想像以上に影響を与えたのか?
動揺しているのか、迷っているのか――それとも、この静寂こそが予定通りなのか?
「――エリカの嬢ちゃんよ、相手の動きがわからなくて考え込むのは仕方ねえが、こっちが迷っちゃいけねえよ。オレ達の役割はフェリエの姫さんを守ることだろ?」
「…………そうですね。何事もなければそれで良いのです。……少々、頭を冷やして参ります」
エリカはそう言い置いて外に出た。
すでに街は静寂と暗闇に包まれている。
トトは研究機関としての側面が強い都市だ。学生はとっくに帰宅しているし、研究者はそれ以上に早く自室にこもっている。
そもそも、トトにはいわゆる夜の遊び場というものがほとんどない。学業には不要――というよりも害悪であることはもちろんのこと、研究者が身を持ち崩しては元も子もないというのが理由だ。
食堂はあるが酒場はなく、遊技場はあるが賭場はない。トトの民は、酒が飲みたくなれば酒屋で買い、自宅で飲む。仮にこの人物が研究者であるとすれば、大切な研究資料がある自宅で泥酔など言語道断、と自制できて然るべき――というのがトトの民の考え方である。実際にどうかはわからないが。
つまり、頭を冷やそうと思い立ったとしても、外に出たところで、「さて、どちらに行きましょうか……?」となってしまうわけだ。
とはいえ、今はフェリエライトからあまり離れるわけにはいかない。エリカはひとまず、家があるブロックをぐるりと歩くことにした。
そうして一つ目の角を曲がったところで、エリカは珍妙な人物に出会った。
「珍妙とは失礼ですねー。ルイザほどの美少女はなかなかいないですよー?」
「美少女と自称している時点で珍妙一択です」
ゆるふわっとしたピンク色の長い髪を左右で束ね、悪戯っぽく目を細めながらも、その奥の黒い瞳は微塵も笑っていない。
ルイザ・エスプレッソ――パンドラ曰く「かつて友人だったはずの他人」、ザイン曰く「寂しがりやの天邪鬼」。そして、エリカがフェリエライトに近づけたくない人類ランキング第一位の「邪悪」。
「なーんか、また失礼なこと考えてないですかー?」
「いえ、全く」
(正当な評価ですので)
ルイザの恐ろしいところは、パンドラやザインから話を聞いていなければ、エリカではその異常さに全く気付けなかった可能性が非常に高い点だろう。自称されても素直に頷けてしまえるほど確かに美しく、会話をしても全く違和感はなく、所作や表情は間違いなく令嬢のそれ。異常さを指摘された上で注意深く観察すれば、瞳が微塵も笑っていないことには気付けるだろうが、狂気は片鱗すら感じ取れない。
実際、こうして軽口を言い合っただけでエリカは揺れかけている。それでも踏みとどまれるのは、エリカの中に確固たるルイザへの評価があるからだ。コフィー大司教が事実を暴露するまでザインすら騙された、エリカには太刀打ちできない人類という名の邪悪――この評価が堅持される限り、ルイザをフェリエライトに近づけることはあり得ない。
「……それで、なぜこのような時間に、このような場所におられるのですか?」
「ただのお散歩ですよー」
「ベスからトトまでですか?」
「そうですよー。聖女様たってのお願いで、一昨日からトトへお散歩に来てるんですー」
「…………」
ため息しか出なかった。
つまり、ルイザはパンドラが呼んだ応援らしい。当然、エリカは全く何も聞いていない。
パンドラが要請したのか、ザインが要請したのかはわからないが、せめて一言くらいあっても良いと思うのだが。
「では、お散歩中のルイザ様、何か妙なことはありませんでしたか?」
「妙なことですかー? また大雑把な訊き方ですねー」
「何もなければこれで――」
「――どこかのメイドさんが切羽詰まった様子で走ってたくらいですかねー」
「……!」
「主人に無茶な要求をされたのか、主人が突然いなくなったのかは知らないですけどねー」
(切羽詰まった様子で走るメイド……すでに誰かが拉致されたということでしょうか……? しかし、誰が……?)
「……ああ、あと、変な衛兵の人達ともすれ違いましたねー。やたらキョロキョロしてて何かを探してる感じでしたよー」
「変な衛兵、ですか……。わかりました、情報提供に――」
(感謝したくありませんね……)
「――労いの言葉でも送りましょう。ドウモゴクロウサマデシタ」
「えへへ、全く気持ちのこもってない労いをもらえましたー」
じゃあお役目は果たしたのでこれでー、とくるりと反転してルイザは去っていった。
衛兵も動いているということは、拉致されたのはおそらくドロシー・トトだろう。
ザインはエリカ達に助けを求める可能性を示唆していたが、すでに衛兵まで動かしている段階、今更助けを求められるか疑問である。
「……とはいえ、状況が動いたことは事実ですし、いったん戻りま――」
(――そうではありません! 何を他人事のように考えているのですかエリカ・セビーチェ! 大きな騒ぎもなくドロシー殿下が拉致されたかもしれないというのに――!! なぜ! 何事もなくお嬢様は無事だと思い込んでいるのですかっ!)
「――お嬢様! いらっしゃいますかお嬢様!!」
「おいおいおい!? いったいどうしたってんだよ!?」
マックスが面食らったのも無理はない。跳び込むようにエリカが戻ってきたと思えば、そのままフェリエライトの部屋の扉をせわしなく叩き始めたのだから。
説明している余裕などエリカにはなかった。
扉に耳を当てるが、中からは声も音もしない。
「失礼します、お嬢様」
とにかく無事を確認するまでは、わずかたりとも安心できない、と扉を開け――
「……お、じょうさ、ま…………」
――しかし、そこにあるべき姿はなかった。
細かい話は活動報告にて。




