32 想う強さの証明を(中)
マガツと名乗った鬼と対峙したまま、ザインは左手の親指で背後を指した。
「行けるか?」
「ええ、もう大丈夫」
それを見て、ソレイユとヒバリは分かれて駆け出す。だが、どちらも内心は歯がゆい思いだった。
他を優先しろというザインの指示は、別の意味でも確かに的確だ。
あのマガツという鬼は、二人のことを確かに見た。見た上で、ザインの方が優先だと視線を移したのだ。ザインより弱いと思われたのは別にいい。いや、良くはないが、事実は事実である。それは受け入れるしかない。
だが、だからといって興味すら持たれなかったのは腹立たしかった。無視しても問題ない程度の存在だとみなされたということだからだ。それは正しい判断なのかもしれないが、正しいかもしれないからこそ腹立たしかった。
もしも他に敵がいなかったら、二人は何かしら無謀な行動をしかねなかっただろう。その自覚はある。あってもしかねなかったのだから、どうしようもない。
影の巨人が門に背を向け、二人と入れ替わるように一歩踏み出した。同時に、拳が再生していく。
「何や、またそれかいな。黒いお兄はお人形遊びが好きなん?」
「それだけだと思われるのは心外だな。――迷宮壁」
「アハッ♪ 今度は迷路やなんて、ほんまに遊んでるみたいやわ」
そんなやり取りのあと、黒い鎧と銀の鬼の姿は無数の黒い壁の向こうに消えた。
これで実質二対三――先ほどのマガツを思うに、鬼主の力は呼び出すことに特化しており、本人にはさほど戦闘能力はない可能性が高い――だが、あとどれだけの鬼を呼び出せるかは未知数だ。
現状であれば数的不利は無視できる。
「光武創製――アロー」
つまり、ソレイユとヒバリの最適解は鬼主を狙い続けること。
新たな鬼を呼び出す隙を与えてはならない。
光輝く矢が空を駆ける。その射線は紅い鬼と蒼い鬼の間だったが、またしても蒼い鬼が棍棒で叩き落とした。
「守るものがある戦いというのは新鮮ですが、少々面倒ですわね」
「しゃーねえだろ。じゃなきゃ鬼主様の願いは叶えらんねえ」
「わたくしは攻めに攻める戦いの方が好みですわ。というわけで、さっさとお戻りくださいな、ヨミさん。守るのはあなたの役目でしょう?」
「――鬼主様、守る」
「ま、アタシもそっちの方が好みだけどよ!」
紅い鬼が炎腕を振るい、炎の塊が飛ぶ。両腕をそれぞれ二回。さらに一拍置いて大きく一回。ソレイユとヒバリがどう動くかも考えた軌道だった。
当然、二人は回避を選択し、回避した先に再び迫る炎塊。ヒバリは後退しながら跳び避け、
(わざわざ遮蔽物を用意してくれるとは、ありがたいな)
ソレイユはその陰で矢筒に残っていた矢をつがえる。だが、光輝く矢は当然目立つ。一度創るところを見せているとはいえ、そのまま射ても不意は突けないだろう。
だからソレイユは炎塊が着弾する直前にそれごと射た。
力と力が拮抗し、光輝く矢と炎塊が弾け――鈍く輝く矢が鬼主に突き刺さる直前、体を張った屍鬼によって止められた。
「鬼主様、傷付けさせない」
「マジかよ、何かあるとは思ってたが、武器の中に武器を仕込むとか、器用過ぎんだろ……!」
「やはりわたくしが叩き落して正解でしたわね」
(他の二体はともかく、あの屍鬼の反応速度は厄介だな……)
手の内を一つ晒し、不意打ちも防がれたが、ソレイユはさほど気にしていなかった。光で創製した武具の中に魔力の武具が入っていることなど、いずれ必ずバレる。いや、そもそも、光などという質感も重さもないものでどうやって武具を形成しているのか、という疑問を抱かれれば、別の何かで形を作ったあとに重ねていることは容易に看破されるだろう。
つまり、最初からこの程度は見せ札だと割り切るしかない。
その上で、ソレイユが考えたことは、ハンス・コーラとの戦いを鬼主と屍鬼はいつから見ていたのか、だった。仮に最初からだとすれば、ソレイユの手札はほぼ把握されていると考えていい。逆に全く見ていなかったのであれば、手札はまだ何枚も残っている。
手札は多ければ多いほどいい――とは、ザインとのいさかいでソレイユ自身が言ったことだ。
(そして、なるべく隠しておくもの――だったか)
ソレイユが創る武具の構造を利用して、影の壁の裏からハンスを不意撃ちしたのは記憶に新しい。となれば、先の反応から見て――なぜかは疑問だが――どうやら後者らしいと推測できる。
(ならば全力で――押し通すまで!)
「光武創製――」
使徒の力を発動させながら、全力で地を蹴る。
弓矢による攻撃が頭にあった鬼達は、想定外のソレイユの動きに戸惑った。
「――ランス・ギガント!」
膨大な光が集束し、巨大な突撃槍を形創る。
「うは、やっべえ……! やっべえ、けど――」
「――鬼将たるわたくし達がそれで屈すると思われるのは業腹ですわ」
だが、二体の鬼は嗤ってみせた。
紅い鬼の左腕の先が消えた。右腕を覆う外骨格に紅い亀裂が走り、その先の炎腕が太く大きく変わっていく。
蒼い鬼の右腕から生えていた氷の棘が消えた。左腕を覆う外骨格に蒼い亀裂が走り、分厚い氷で何重にも覆われていく。
炎塊を飛ばしたり、氷棍を振るったりといった、これまでの動き方とは明らかに異なる。だが、どちらも理屈は同じだった。鬼とは、どのような戦い方をしていても、辿りつく先は一つなのだと言わんばかりに。
すなわち、純粋たるパワー。
光輝く巨大な槍と、炎の巨腕、氷の巨腕が激突し――轟音とともにそれらが砕け散った瞬間、生じた空間に屍鬼が飛び込んだ。
当然、ソレイユに新たな武具を創製している余裕はない。
吹き飛ばされながらも、紅い鬼と蒼い鬼が笑っている。してやったり、とでも言いたいのだろうか。
――だが、笑っていたのはソレイユも同じだった。
その背後から複数のチャクラムが現れ、今まさに拳を振るわんとしていた屍鬼の右肩、下腹、左太もも、左胸に次々と刺さり、それでもなおもう一歩踏み出そうという額を弾いた。
「――お姉さんを忘れられちゃ困るわね」
確かに、ヒバリのチャクラムは、明王の力が混ざっているとはいえ、本質的にはただの魔力の塊である。数こそ圧倒的だが、強度はソレイユの武具に比べれば劣る。鬼達からすると、無視しようと思えばできなくもない程度の障害物だ。
だが、だからといって、ヒバリを脅威ではないと判断するのは間違っている。そんな生温い実力なら、彼女はS級冒険者の高みに立てていない。冒険者の頂点とはどういうことなのか――彼女を侮った鬼達は、その身をもって知ることになる。
「光武創製――」
鬼達にその行動はどう見えただろうか。敵の間合いに入っているにもかかわらず、ソレイユは光の鎖を創り出し、無防備にも頭上に片端をぶん投げた。
その間にも、横を無数のチャクラムが駆け抜ける。
それがどうした、と紅い鬼が嗤う。三体の鬼は余裕で届くと思っていた。その手が、一秒と経たず、ソレイユの細い首に。
だが、進めない。
「何だこれ……!? 何で尽きねえんだ!?」
「潰しても潰しても湧いてきますわ!」
「――――!!」
尽きるわけがない。
ヒバリが魔力を全て使って生成可能なチャクラムの数は六十四。もちろん、これだけでは三体の鬼を阻むことはできない。尽きれば、当然、魔力回復ポーションを飲む必要がある。そして、ヒバリの総魔力量はおおよそで上級魔力回復ポーション一本分に値する。
では、何本も空けながらチャクラムを分裂させ続けているのかというと、それは違う。魔力が尽きるたびにポーションを空けていては、波と波の間隔が広くなり過ぎる。鬼達の迎撃速度が追い付いていない現状を説明できない。
ならば答えは一つである――より強力な魔力回復ポーションを用いればいい。
ヒバリの左手に一本のポーションがあった。
頭上のチャクラムが十六に分裂し、分裂した端から三体の鬼へ向かって飛んでいく。それを繰り返すこと四回――ヒバリはポーションに口をつけ、その中身を一口だけ飲んだ。
そして再びチャクラムが分裂を開始する。
(結構、切実に痛い出費だけれど……こんなところで負けるわけにはいかないもの!)
超級魔力回復ポーションの市場価格は一本で金貨百枚ほどである。まあ、総回復量も上級魔力回復ポーション二十本分に匹敵するのだが。
もちろん、これは所詮、金で買える代物だ、S級冒険者の実力を示すにはやや物足りない。
特筆すべき点は別にあった。ヒバリがチャクラムの生成に要している時間である。
例えば、ソレイユが一本の魔力の矢を生成するのにかかる時間は、おおよそで一秒半といったところ。魔力の流れが非常にスムーズで、また武器の生成に熟練しているソレイユですら、一秒の壁を越えることはできていない。
だが、ヒバリが十六のチャクラムを生成するのにかかる時間は一秒を切っている。生成に時間がかかるという壁を、ネズミ算式に分裂させることで克服したのだ。ドーナツ状というシンプルな形の武器――チャクラムを選んだからこそ実現した神業と言える。
ヒバリが時間を稼いでいる間に、ソレイユの準備は整っていた。光の鎖はすでに充分な高度まで届いている。
目標は鬼主――その後ろ。
門。
力がそこに集中しているのは明らかだった。門を壊せたところで鬼達が消える保証はないが――むしろその可能性は非常に低いが――これ以上の戦力供給を断つことはできるだろう。
そして、チャクラムの波にかかりっきりの今、鬼達に防ぐすべはない。
「――モーニングスター・ソレイユ!!」
もはや光の筋となった鎖の先、そこに膨大な光が集まり、巨大な棘付き鉄球を創り出す。
両手でつかんだ柄をソレイユは全力で振るった。
太陽が落ちる。
「ははぁ……けったいな感触やなぁ……」
一方、ザインによって黒い迷路の中に閉じ込められたマガツは、特に慌てることもなく、自身を囲む黒い壁を撫でながら、楽しそうにそれを観察していた。
紙のように薄くありながら、巨樹のように揺るぎない。影であることは明白なのに、自らの足元にあるそれよりなお暗く黒い。しかして手に返る触感はなく、だがあるということだけは確信できる。
(さて、どうするか……)
無論、やろうと思えば、ザインはそこから杭を生やすことができる。だが、マガツがどうやって黒い巨人の拳を奪ったかわからない現状では、それは軽率というものだろう。戦闘の開始も意味するのだから。まあ、攻撃として有効とは思えなかったのもあるが。
そのため、マガツの背後、わずか数メートルのところに立ちながら、ザインはジッと絶鬼神を名乗った少女を観察するにとどめていた。
つまり、奇しくもザインとマガツは全く同じことをしていたのだ。
敵の力の考察である。
「――で、黒いお兄は見てるだけで、遊んでくれへんの?」
「……巨人」
答えの代わりに巨拳が振り下ろされた。黒い壁に囲まれた一角を土埃が覆う。
「……? っ!」
一瞬、目を細めたザインは、突然、左へ裏拳を振るった。
何もないはずの虚空に。
少なくとも、はた目からはそう見えた。
「――っと、さすがにバレバレやったか」
だというのに、ザインの腕が空を切った次の瞬間には、その下で銀色の鬼が身を屈めていた。
「杭!」
間髪入れずに影の杭が飛び出るが、マガツはそれすら悠々と躱す。
ザインは内心で舌打ちした。
考察を進めるために最も必要なのは情報である。そして情報を集めるために最も有効なのは敵に能力を使わせること。先からのわずかな攻防で、ザインは壁と杭を使わされたが、マガツの方は巨人の拳という同じ攻撃に対してすら、ただ身体能力の高さを見せただけだった。敵の手札を明らかにするという点では、ザインはかなり出遅れた形になる。
「ほな、次はこっちから行くで」
(速い!)
攻撃を宣言された、とザインが認識した時には、もうマガツの手は半歩先まで迫っていた。敵の能力が未知数である恐怖――反射的に後ろへ飛び退いていなければ、目と鼻の先にあったかもしれない。
飛び退いたザインは背後の影の壁を消し、勢いそのままそこを通過した直後、再び壁を出現させた。
だが、マガツは止まらない。標的がいなくなってなお、手を伸ばし続け――壁に触れる。
ギィンッ! という音を聞いた瞬間、ザインは本能の命じるままに右へと跳んだ。直後、壁の上半分が吹っ飛び、向かいの壁に激突。消滅した。
(全くもってゾッとする……!!)
その場に留まっていたら自身に激突していたこと――ではない。最初に巨人の拳を奪われた時から確信があったが、あの銀色の鬼は「異端の影」を容易に打ち破ってくることだ。
今しがた吹っ飛ばされた壁は、四角い形を綺麗に保ったままだった。それはすなわち、強引に引き裂いたのではなく、一気呵成に斬り裂いたということ。まるで、剣をもって紙を斬るかのように。
もしも壁ではなく自身に使われていたならば――さて、この身に纏う鎧は意味を為し得るだろうか。
「いやはや、ええ勘してるなぁ……。そやけど、逃げてばっかりはおもんないわ。黒いお兄が遊んでくれへんのやったら、さっきの子らで遊ぶしかあらへんなぁ……」
林立する黒い壁の向こうを見るように、マガツはこれ見よがしに視線を逸らした。
「…………なるほど、空間切断か」
「……へぇ」
煽りに返された言葉に笑う。
わざと逸らしていた視線を戻す。
「厳密には異なるのかもしれんが、それに類する力であることは間違いない」
「ちなみに、何でそう思うん?」
「巨人の一部を奪い、壁を半ばから切り取っただろう? たとえ貴様の力が俺の力より上だったとしても、あれほど容易く行うのはいくら何でもおかしい。だが、そういう力だと考えれば得心が行く」
「なるほどなぁ……。そう言うあんたの力は、あまり攻撃には向いてへんようやな。壁もそうやし、その鎧もそうや。防御……いや、どっちかいうたら妨害に偏ってるように思える」
「ふむ……。さらに言えば、強力な力には条件が付き物だ。貴様が自称する通り、本当に鬼神であったとして、だが空間切断ほどの力を何の制限もなく振るえるはずもない。仮にそうなら、この首はとっくに斬り落とされている」
「うちの力を見極めるためとはいえ、あんたは何でいっぺん失敗した攻撃を繰り返したん? 再び失敗することはわかっとったのに。――簡単や。それ以上の攻撃があらへんからや。つまり、その巨人こそが最大出力」
「例えば距離、例えば特殊な行動、例えば特定の物質――あるいはそれらの複合。そのうち、距離は明白だ。そして貴様の行動を考慮すれば――触れる、それも手のひらで。それが条件だな?」
「それに加えて、全身を覆う鎧、壁もぎょうさん――あんたのキャパシティはもう限界なんと違うか?」
互いに、敵の動揺を誘うため、その力への考察を明らかにし、
「「――それで?」」
互いにそれを一笑に付した。
敵に手札がバレている――だからどうしたというのか?
その程度で臆する者は、「神に選ばれし者」同士の戦場になど出てこない。
黒い鎧と銀色の鬼は同時に一歩踏み出した。
爆散。
「――で? その程度で鬼門を壊せるとでも思ったのかよ?」
だが、健在。
「鬼門は鬼主様に与えられた明王の力のカナメ――いえ、全てと言っても過言ではありませんわ」
門はヒビが入るどころか、わずかに揺らぎもしていない。
「壊す、無理」
(これはさすがに予想外だな……)
ソレイユもヒバリも内心で歯噛みするしかない。
今の攻撃はソレイユが持ち得る最高のものだった。それでわずかに揺らぎもしないとなれば、屍鬼の言う通り、破壊は不可能に近いだろう。
あるいはザインとソレイユが力を合わせれば可能かもしれないが、
「――アハハッ♪ ええわ、ええわ! かったいし、すぐ元に戻るし、ほんまおもろいわ!」
「よくもまあ本当に軽々と斬り裂いてくれるものだな!」
ザインはマガツの動きを封じるのにかかりっきりだ。
(次善の策は鬼主の殺害だけれど……ソレイユと二人だけじゃ手数が足りないわね。なら、お姉さんが一体ずつ確実に仕留めていくしか――)
「つっても、てめえらが個として強えのはよくわかった。ああ、よくわかったよ」
「ですが、わたくし達は戦士ではなく将。本来の戦い方であれば遅れはとりませんわ」
鬼達が突然、動きを止めたのは、ヒバリが次手を考えている最中のことだった。
「だからヨミ、覚悟を決めろ。――開門だ」
「……ヨミ、鬼主様、願い、叶える」
「わたくし達も思いは一緒ですわ」
チャクラムの波から屍鬼が離れた。炎の壁と氷の壁が形成され、チャクラムの波を阻む。
何かを狙っているのは明白である。
「光武創製――アロー」
一拍も遅れず、ソレイユは光輝く矢をつがえた。
「ヒバリ!」
「空けるわ!」
無数のチャクラムが動きを変え、ソレイユの前に道ができる。
(どちらかといえば氷の方がいいか……?)
半歩左に。
車椅子の男がいた地点を想起し、狙いをつけ、放つ。
予想通り、光の矢は氷の壁を貫通した。直後、氷の壁が砕け散る。「異端の影」に比べればずいぶんと脆い。
矢は屍鬼の背中に突き刺さっていた。だが、気にするそぶりがない。
((……?))
眼前の光景に、二人は内心首を捻った。
三体の鬼は鬼主の周りに集まっていた。紅い鬼はその左肩に手を添え、蒼い鬼はその右肩に手を添え、屍鬼は――彼と口づけを交わしている。
「いったい、どういう……?」
ソレイユの口から思わず疑問がこぼれた。
なぜ肩に手を添えているのか? なぜ口づけを交わしているのか? それらは戦闘中に行うほどの価値があることなのか? そこに何かしらの意味があるのか? ――二人の脳裏にいくつかの疑問が浮かび、言葉にされることなく消えていく。
ただ、手を止めるなという強迫観念だけがあった。ここで手を止めれば、致命的な何かが起こる予感があった。
ソレイユは再び光の矢をつがえ、ヒバリはポーションを一口飲む。
「――鬼軍招集」
そこへ、不思議な響きをもって声が木霊する。
わずかに開いていた奇妙な色合いの門がさらに開いていく。
「出し惜しみは無しだ。全軍で行く」
「もちろんですわ」
「「……!?」」
紅い鬼の言葉に蒼い鬼が頷いた次の瞬間、車椅子の男の左腕が燃え上がり、右腕が凍り付いていく。
意味が分からない。
分かりたくない。
鬼達はいったい、何の覚悟を決めたのか。
鬼主と呼ばれる明王はその心の内で何を考えているのか。
「まさか……両足の無いその体を、さらにすり減らしてまで――犠牲にしてまで、お姉さん達を阻もうというの!?」
「――『門は開かれた』、鬼主様、仰せ」
屍鬼が離れ、茶色い瞳がソレイユとヒバリを見つめる。
片方しかない。
その時初めて、あの銀色の鬼を呼ぶために彼が何を犠牲にしたのか、二人は理解したのである。
「…………名を聞いていなかったな、鬼主とやら」
「――『メビウス第六明王――地獄道』、鬼主様、仰せ」
屍鬼に代弁させ、語る名は無いとばかりに、鬼主――地獄道は微笑んだ。
その左腕が燃え尽きる。
凍り付いた右腕が砕け散る。
鼻と両耳が腐り落ち、その口から黒い何かがしたたり落ちた。
門の向こうから足音が響く。一糸乱れぬ無数の足音――何が来るかは明白だ。
「――メビウス・リンク・チャクラム」
ヒバリが指を鳴らす。
周囲のチャクラムが全て消え、また増える。
そして再び指の鳴る音。
間に合わなかった、などと後悔している時間すら惜しい。
軍が来る。
鬼の軍が。
「聞かれちゃいねえが、勝手に名乗るぜ。炎鬼将ホムラだ」
「では、わたくしも。氷鬼将フブキと申します」
「屍鬼将ヨミ」
三体の鬼の将。ならば、軍もそれに見合った数となるのは自明だろう。
門から無数の鬼が出でて、将の後ろに整然と並ぶ。
体の一部で骨が露出しているのは屍鬼だとして、全体的に紅いのを仮に炎鬼と呼称すれば、全体的に蒼いのは氷鬼と呼称すべきか。
「で、対軍戦の用意はいいか?」
「屍鬼軍八百、炎鬼軍六百、氷鬼軍六百――計二千と三であなた方のお相手を致します」
「ちなみに鬼は人の五倍強えからな。てめえらの前にゃ万の軍がいると思え」
万。
ケインの街での戦いの二倍。
しかも相手は訓練された軍。
「……今更だが、礼儀として名乗り返そう。私はA級冒険者『武芸百般』のソレイユ。またの名を、ラプラス第一使徒――創製の光アインス」
「ソレイユ……。そうよね、こういうのはちゃんとしなくちゃね。S級冒険者にしてS級冒険者パーティー『天輪』のリーダー、『時を翔る翼』ヒバリ・マニ。あるいは、メビウス第一明王――天道よ」
「「さあ――」」
「――圧殺される覚悟はいいか!」
「――この先を死地と知りなさい!」
「――ん、間に合った」
その少しあと、焼け野原に一人の少女が足を踏み入れた。
視線の先では、巨大な紅蓮の四肢を持つ紅い人型が、巨大な光輝く剣を受け止めている。だが、彼女が真に見ていたのはそれではない。その周囲に渦巻く無数のチャクラムこそ、彼女が望んでいた光景だった。
そことは別の場所からも戦闘音がしている。見れば、林立する黒い壁と屹立する黒い巨人――間違いなくザインザード・ブラッドハイドだ。
(ん……あっちは行かない方が良さそう)
明らかに何かを閉じ込める戦い方をしている。中にはよほど厄介な存在がいるのだろう。下手に加勢すれば、逆に邪魔となりかねない。
ならば介入すべきはやはりこちらだ、と少女は視線を戻した。
紅い人型と巨剣の勝負は、若干後者が押しているようだ。よく見れば、前者の後ろ――渦巻くチャクラムの周りに無数の人型が蠢いている。紅い人型と巨剣のどちらが敵かはわからないが、少なくともチャクラムの渦の外にいるのは敵とみなしていいはずだ。
無数の人型へ向けるように大きな戦斧を掲げ、静かに目を閉じ、力を発動するためキーワードを紡ぐ。
「――我は将なり」
「――将とは常在戦場なり」
「――戦場には軍在り」
「――故、将ある処に軍は在り!」
「――汝らの将はここに在り!」
「――臨む兵、闘う者、皆、陣列して前を行け!」
その効果はまさしく劇的だった。
瞬間、にじみ出るようにして莫大な数の人影が出現し、いっせいに灰色の大戦斧で地を叩く。
虚軍一万。
これが、メビウス第二明王――人間道の全力。
その全てに顔は無く、その全てが灰色の曖昧な存在で、しかしてその全てが風狼族の戦士を完全再現している。
寺院兵団筆頭軍師の一番弟子――カペラ・バートルが戦場に介入する。
細かい話は活動報告にて。




