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31   想う強さの証明を(前)



「――――餓鬼道、修羅道、畜生道が逝ったか……」

 いつになってもこの感覚には慣れないな、とメビウスは奥院で息を吐く。

 とはいえ思惑通りではあった。ただ一つ惜しむらくは、この状況を生み出したのがラプラスの使徒の行動によることか。

(自ら選んだとはいえ、こうも偏っていると呆れざるを得んな……)

 今更言うまでもなく、メビウスの明王は最大で六枠である。そのうち、天道、修羅道、人間道を「表三道」と呼称し、餓鬼道、畜生道、地獄道を「悪三道」と呼称する。メビウスは前者に先導者を、後者に狂信者を据えるようにしていた。

 だが、結果はこのざまである。

 己が宿命に叛逆せよ――教義のどこにも「聖職者に逆らってはならない」などと書かれていないにもかかわらず、あの根っからの善人達は、ラプラスの使徒が行動を起こすまで、自らの役回りを果たすのみだった。

 あまりにもつまらない。

 なるほど、あの女が停滞を嫌う気持ちが少しはわかるというものだ。

「さて……次はどうなるか」

 先導者達は知っているだろうか。

 何かを想う強さとは――あるいは、凡人すらも英雄に変え、地獄へと引きずり込む狂気であることを。




 目を覚ました瞬間、ソレイユは全身を襲う痛みに悶えた。転げ回ることすらできず、ギュッと縮こまり、我慢する心構えができるまで待つ。

 意識してゆっくりと深く呼吸する。その間、頭の中を占めたのは、なぜこんなことになっているのかという疑問だった。

 覚えている限り最後の記憶を必死に思い出す。

(私は確か――ヒバリと共にコーラ枢機卿をひきつける囮になり、奥院へ向かって走って――――そのあとの記憶がない……)

 だが、そこで何かが起こったのは確実だった。

 陽は傾いているが、まだ沈みかけてはいない。それほど長い間気絶していたわけではなさそうだ。

 長く息を吐き切って体の力を抜く。まだ痛むが、ソレイユはそれを押してゆっくりと全身を伸ばし強張りをほぐすと、のそりと立ち上がった。

「――――。な……んだ……、これは……!」

 そこで、視界の端に無視できないものが映った。

 ここは焼け野原だったはずだ。一部抉れてしまった部分もあったが、それ以外は間違いなく焼け野原と呼ぶべき平たい場所だったはずだ。

 だが、ソレイユの視界には、巨大な黒い窪地がある。

「っ! ヒバリっ!? どこだ、ヒバリ!?」

 何が起こったかを察し、ソレイユは親友の姿を探す。

 ヒバリはソレイユの少し前を飛んでいた。だとすればそう遠くない場所にいるはずだった。無事――かどうかは考えたくもない。

 すぐに緑がかった金髪を見つけ、ソレイユは痛みも忘れて駆けた。

「――ヒバリっ!」

「……大丈夫……生きてるわよ……」

 弱々しく腕を上げるヒバリ。

 見る限り五体は無事だった。だが、翼の損傷が酷い。ほとんどの羽が焦げ落ちている。

「これは……」

「……見た目ほど痛みはないわ。けれど…………しばらくは、起き上がれそうにないわね……。頭の中をかき混ぜられてるみたいで……」

「頭を強く打ったのかもしれないな」

 何か冷やせるものはあっただろうか、とウエストポーチを探り、ソレイユは結局、魔力回復ポーションを選んだ。服の裾を裂いてそれを浸し、ヒバリの額に乗せた。

「それで……ザイン君とスコッチさんは……?」

「無事かどうかはわからないが、ザインザードはまあ、生きてはいるだろうな」

 陽が照らしているにもかわらず、巨大な窪地は異様なまでに黒かった。明らかに「異端の影」の影響である。それが消えていないということは、ザインが生きていることの証左でもあった。

「スコッチは…………わからない」

 迷ったあげく、ソレイユは言葉を濁す。

 だが、これは正直な思いでもある。

 あの巨大な窪地を見れば、何があったかは明白だ。生存は絶望的だろう――そう思うと同時に、スコッチの異様な頑強さを思えば、案外、ケロッとしているかもしれないという思いもある。

 その判断はソレイユには下せない。

(ヒバリはこのまま安静にしていれば大丈夫だろう。ザインザードとスコッチを探しに行くか……)

 いずれにしても、もうすでに二人とも疲れていた。いや、肉体的疲労はまだ何とかなる。だが、精神的疲弊はどうにも誤魔化せない。「神に選ばれし者」同士の戦いというのは、当然、ヒバリは初めての経験だったし、まともな戦いという点ではザインも初めてで、ソレイユも正面からは二度目だった。そういう意味では、どこぞの皇帝と何度も戦ってきたスコッチが最も経験豊富だったと言えるだろう。

「――――。……ソレイユ」

「ああ……わかっている」

 だが、そんなことを考慮してくれるのは味方だけだ。

 いつの間にか、二人から二十メートルほど離れたところに二つの人影があった。

 一つは灰色のローブを着てフードを深く被った者。

 もう一つは車輪が付いた椅子に座る男。

 灰色ローブは車椅子を押している。フードを深く被っていて顔が見えないのもそうだが、ローブが全身を覆っていて中身が全く見えず、男なのか女なのかはわからない。そもそも中身があるか否かすら。

 一方、車椅子の男の方は実にありふれた容姿を晒していた。茶色の髪に、茶色の瞳。顔立ちは整っているわけではないが、かといって悪いと断言するほどでもない。だが、よく見れば、本来ならば足を乗せるべきはずの場所には何もなかった。タオルで隠されてはいるもの、男に両足が無いのは明らかだった。

「どう思う?」

「うぅん……お姉さんは後ろの灰色ローブの人が気になるわね」

 ソレイユもヒバリと同意見だった。侮るつもりも油断するつもりもないが、車椅子の男からは何も感じないのだ。覇気もなく得体の知れなさもなく、ただニコニコと笑っている。

 凡人。

 そう評するのに、いささかの躊躇もいらないような。

 加えて、強者らしき気配は灰色ローブの方にあった。

「おちおち寝てもいられないわね……」

 ため息混じりにこぼし、ヒバリが体を起こす。

「大丈夫か?」

「……肩を貸してくれるかしら?」

 ソレイユはすぐさまそれに応えた。

(さて、どう出てくるか……)

 問題は、二人とも明王なのか、それとも片方だけなのか。

 後者だとすれば、もう一方は何者で、なぜこの場に現れたのか。

 いずれにしても、ヒバリを回復させるため、ソレイユは何としても拮抗状態に持ち込む気だった。少なくとも、ハンス・コーラより弱いということはあり得ない者(達)を相手に。

「…………」「…………」

「「…………」」

 だが、数舜の睨み合いの末、車椅子の男と灰色ローブはクルリと背を向けた。そして山林の入り口に向かって歩き始める。

 あまりにも無防備に。

「……今のうちに仕留めるか?」

「通じるとは思えないけれど……」

 そう言いつつも、ヒバリは魔力のチャクラムをいくつかに分裂させる。

 さて、肩を貸したまま離れた相手を攻撃するには――と考え、

「光武創製――ジャベリン」

 ソレイユは投げ槍を創り出した。

 その背の矢筒を見れば、気絶していたにもかかわらず、光の矢がまだ二本ほど残っている。当然、ソレイユも気付いているが、この体勢から弓を引くのは無理があった。だが、相手はそのことを知らない。何度か「創製の光」を見せれば、ヒバリが充分に回復したあと、不意を突くことができるだろう。

「……その前に、ソレイユ、一応一つだけ確認させて」

「ああ」

 ヒバリの言葉に頷くソレイユ。

「――ねえ、そこのあなた達。黙って通してくれる気は――あるかしら?」

 灰色ローブはピタリと足を止め、車椅子の男の口元に頭部を近づける。

「『通さない』、鬼主様、仰せ」

 そして単語のみをつなげたような喋り方で灰色ローブが答えた。声の高さからして女性のようだ。そしてまたクルリと背を向け、車椅子を押して歩き始める。

「(オニヌシ……まあ、名前じゃないだろうな。果たしてどんな意味があるのか……)」

「(匿名性を設けることで主従をハッキリさせてるのかしら? 受け答えの感じからしても、車椅子の彼の方が上みたいだけれど……)」

 明確な答えは出ないが、いずれにしても、

「――敵だな」

「――敵ね……」

 光輝く投げ槍を構え、タイミングを計る。

 魔力のチャクラムが空を裂き、左右から挟み込むようにして敵に迫る。

 車椅子から手を離し、灰色ローブは一歩下がった。その手に武器はない。

「――――!」

 時に拳で、時に手刀で。

 軽やかなフットワークでことごとくチャクラムを壊し、その隙を突くように飛来した投げ槍すら難なく片手でつかんでへし折った。

 その激しい動きに耐えきれず、フードがめくれ、その顔があらわになる。

「「……!?」」

 だが、あまりにも予想外なその容貌に、次の攻撃手段を用意したまま、二人は固まってしまった。

 一言で言えば、異様である。

 濡れたような黒い髪。血のように真っ赤な瞳。整った顔立ち。貼り付けたような無表情。しかし、万人に問えば万人が間違いなく、一つの特徴を上げるだろう。

 彼女には――左の顔面が無かった。

 正確に言えば、額から頬の辺りまで左側半分は骨が見えていた。

 二人が固まっているのを見て、攻撃を続行する意思がないと判断したのか、彼女はフードを深く被り直し、また車椅子を押し始める。

「…………あ、れは……生きているのか……?」

「……動いてる以上は……生きてると思いたいけれど……」

「――屍鬼だな」

「「っ!?」」

 突然、背後から声が聞こえ、二人はそれぞれ構えながら振り向き――そこに黒い鎧がいたことで胸を撫で下ろした。

「……ザインザードか……脅かすな」

「ん……? ……どうやら二人とも無事なようだな」

「そっちもね」

「……それで、『シキ』とは何だ?」

「端的に言えば鬼の一種だな」

 鬼。

 その存在を明確に説明するのは難しい。

 ある者は「欲に満ちた人の成れの果てだ」と言い、別のある者は「人の悪しき心が集まり生み出されたモンスターだ」と言う。一方で、「未だ人類と認識されていないだけの人類の一種族だ」と言う者もいれば、「人と似た姿を持つ、しかし人ともモンスターとも違う何かだ」と言う者もいる。他にも、「鬼と鬼人は元々同じ種族だったが、何かしらの原因で分かたれたのだ」とか、「友好的な鬼を鬼人と言っているだけだ」とか言う者もいるのだとか。……ちなみに最後の説を唱えた者は何者かにリンチされて死んでいる。

 もちろん、先ほどの彼女を思い出せば、鬼が人類の一種族だという説には賛同しかねるだろう。顔面の半分の骨が露出した状態で生きていられるはずはないからだ。

「しかし、角は無かったぞ?」

「屍の鬼と書くし、鬼の一種であることは間違いないんだが、屍鬼は鬼の中でも特殊でな。死後、鬼にされた者をそう呼ぶんだ。細かいことは省くが、元が人故に屍鬼に角は無い」

 屍鬼についても、その見解は分かれているが、元は人だったという点だけは一致している。

 根拠としては、いくつかの証言がある。まあ、その多くは「二十年前に行方不明になった兄と瓜二つだ」とか、「十五年前に死んだ娘とそっくりだ」とか、そういう証言だが、いくつかの証言は王族や貴族からも出ていて、中には肖像画が残されている例もあり、屍鬼が元は人だったという説は定説となっている。

 では、どうして人が屍鬼になったのかというと、この点については見解がわかれているのだ。

 とはいえ、大別すれば二つである。

 一つは、「鬼が何かしらの方法で人を屍鬼にしている」という説。

 もう一つは、「鬼とは無関係な何かしらの原因で人が屍鬼になっている」という説。

 どんな方法でどんな原因なのかという部分については、それこそ無数の説がある。

「いずれにしても、非常に珍しい存在だ。というか、そもそも鬼自体が珍しいんだが……。まあ、いずれにしても、光の槍をへし折った以上、間違いなく明王の力と関わりがあるな」

「やはりそうか……」

「うぅん……ねえ、ザイン君、その屍鬼って強いの?」

「……ピンキリ、らしい。いや、俺も人づてに聞いただけだが」

「三人でかかって勝てると思う?」

「それは間違いなく勝てる」

 ザインは即答で断言した。

 先ほどの動きを見る限り、あの屍鬼は近接戦闘型である。対してザインは近中距離型、ソレイユは万能型、ヒバリは遠距離型。たとえ車椅子の男が何かしらの力を持っていたとしても、ザインが妨害し分断すれば容易に囲んで叩けるだろう。

「強いて言えば、もう一人、囮役がいればより万全だが……」

 確かに先ほどまでいたはずの、誰もいないそこを見て、三人は一瞬、押し黙る。

「…………ところで、スコッチさんは……?」

 ザインは黙って首を横に振った。

 それは、つまり――




 悲しむ暇すら与えてくれず、時も事態も動き続ける。

 ハンス・コーラを再現するかのように、灰色ローブは山林の入り口で止まり、車椅子ごと正面を向く。

 それはやはり、「通さない」という意思を表しての行為なのだろう、とザイン達は認識した。だが、だとすれば、なぜ――灰色ローブはザイン達に背を向けてひざまずくのか。

 答えはすぐに、目の前に現れた。

「鬼門解放――」

 不思議な響きをもって声が木霊する。

 一陣の風が吹き抜け、三人が思わずまばたきをした瞬間、

「「「……!?」」」

 車椅子の男の背後に、面妖な色合いの門があった。

 さほど大きくはない。横幅は人が四人並べる程度で、高さも平屋ほどしかない。

「鬼将招来――」

 またしても不思議な響きをもって声が木霊した。車椅子の男とは、かなり離れているにもかかわらず。

 門がわずかに開く。

「――屍鬼将ヨミ、ここに」

「――炎鬼将ホムラ、推参」

「――氷鬼将フブキ、参上しましたわ」

 いつの間にか、屍鬼の両隣にもひざまずく影があった。

 当然、鬼である。

 一つは全体的に紅く、もう一つは全体的に蒼い。

「――な、に……!?」

 ザインが苦々しげな声を発したのは、その直後だった。

「? ザイ――」

領域(ゾーン)――」

 その意味を二人が問う間すらなく、足下を影が覆う。

 続いて、妙な悪寒。

 影に覆われた地面が隆起し、巨大な人型を形作っていく。

「――巨人(タイタン)!」

 影の巨人はすぐさま一歩を踏み出した。

 もはや一刻の猶予もないとザインの表情が物語っている。

 だが、いきなりの大技にソレイユとヒバリは困惑を浮かべたままだった。

「とにかく攻撃しろ!!」

 言葉の途中でもうザインは駆け出していた。その焦りに満ちた言葉に、二人は疑問を一旦脇に置くことにした。

(油断があったのは否めんな……!)

 いや、それはザインのみに言えたことだが。ソレイユとヒバリは屍鬼の異様な姿を見て慎重になり過ぎた、と言うべきだろう。とはいえ、確かにこの明王の力は想像の埒外もいいところかもしれない。

 自戒しつつ駆けるザインを複数のチャクラムが追い抜いた。続いて、拳を振りかぶった巨人の股下を光の槍が抜けた。

「うっぜえな!」

「無駄ですわ」

 だが、炎の塊が前者をことごとく撃ち壊し、氷の棍棒が後者を叩き落とす。

 紅い鬼は、まず最大の特徴として、手足の半ばから先や髪が炎でできている。その手足を振るうと炎の塊が飛んだ。全身が女性的なシルエットの鎧――というより外骨格のようなもので覆われ、その額には焼けた鉄のような色の大きな角が二本生えていた。

 蒼い鬼は、同じく全身が女性的なシルエットの外骨格のようなもので覆われ、その額には氷柱のような色の大きな角が一本生えていた。だが、手足の半ばから先や髪が氷でできているというようなことはない。その代わり、体中の節々から氷の棘が生えていて、蒼白い棍棒はそれが大きくなった結果作り出されたものだった。そしてその跡には当たり前のように氷の棘が新しく生える。

「鬼主様、守る」

 一方、灰色ローブ改め屍鬼はというと、影の巨人の拳を受け止め――きれずに吹っ飛ばされた。それでも軌道を逸らしただけ賞賛すべきか。

(なるほど、確かにそこまで強くはないようだな)

 勝てる、という思いをソレイユが抱いたのも無理からぬことだろう。実際、この三人の鬼は、「神に選ばれし者」と比べれば見劣りする。

 だから、見誤ったとすれば、それはたった一つだけだった。

 力の本質。

 ザイン達は、この明王が持つ力の本質を見誤った。鬼を呼び出す――というのは正解だが、正鵠を射ていない。

 最も重要なのは――どんな鬼を呼び出すのか、という点である。

 この時、ザインは「全力で突貫しろ」と言うべきだった。

「鬼神招(へい)――」

 影の巨人がもう片方の拳を鬼主に叩き込もうとした直前、不思議な響きをもって声が木霊し――ギィンッ! という音とともに忽然と拳が消えた。

「っ!?」

「――何やの、これ……中身あらへんやないの」

 その声はあり得ない場所から聞こえた。

 ゆっくりとザインは振り返る。

「おっきな獲物や思て張り切ったのに、肩透かしやわ」

 そうボヤキながら影の巨人の片手を弄ぶ少女がいた。

 当然、これも鬼である。額には確かに大きな一本と小さな二本の黒い角があった。

 だが、その容姿は、鬼人の少女だと言われれば納得してしまうほど人に近かった。白い肌。銀色の髪。彼女が煌びやかな衣装を着ていたのも大きかった。

 ――ただし、ソレイユとヒバリをチラリと見た瞳の白目が黒くなければ、だが。

 よく見れば、紅い鬼も蒼い鬼も同じように白目が黒い。

 彼女は興味なさげに二人から視線を移すと、その銀色に輝く瞳にザインを写した。

 黒い兜から覗く金色の双眸と互いを見つめ合う。

「ほな、黒いお兄は、うちと遊ぼか。何かさっきはびっくりして止まってもうたみたいだけど、あんたはもっとできるやろ?」

 歌うように――あるいは愛をささやくように、鬼の少女はザインに笑いかける。

「ああ……そやけど、先にこれだけは言うとかへんとね」

 ――絶鬼神マガツ、降臨。




 死闘が始まる。

 細かい話は活動報告にて。

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