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27   項垂れる者にこそ声をかけろ

「虚仮にしているのか、あの男は……!!」

 当然、ソレイユは激怒した。

 理由は一通の手紙である。

 宛て名にはヒバリ・マニの文字。内容はただ「法都リスティングで待つ」とだけ。そして送り主の欄には――ザインザード・ブラッドハイドと書かれている。

 つまり、コーラ枢機卿領の街ケインでは逃げておきながら、自身の都合で再び接触しようというのだ。

 気に食わない。

 実に気に食わない。

 これを虚仮にしていると言わずして何と言うのか、とソレイユは怒髪天を衝く思いだった。

「あら、そこなの? 宛て名がお姉さんだけで、自分の名前がなかったことじゃなくて?」

「そんなわけがあるか! ヒバリだって私とあの男の確執は知っているだろう!? むしろ私の名前まであったら気味が悪い!」

 ヒバリのからかいに戦慄するソレイユ。

「……っつか、その前に二人とも、手紙の内容が嘘って可能性は考えねえんだな……」

「妙な信頼感」

 マヒワとセッカの冷静な指摘に、ソレイユとヒバリは揃って目を逸らしたという。

 ちなみにだが、ザインの手紙が届いたことに不思議はない。

 高ランク冒険者というのはどこに行っても貴重な戦力だ。だから、大抵の者は自分がどこに行く予定か、どれくらい滞在する予定かをその都度ギルドに報告している(ギルド側がどのように情報を共有しているかは不明)。

 もちろん、情報開示に制限はあるが、B級冒険者の肩書きを持つザインであれば、手紙を出すくらいは可能だ。

 一方、ラッシー枢機卿領の町ミーティーで周辺のモンスターを間引きしていたはずのソレイユとセッカもいるのは、ミルク司教領の領都ジャージーがモンスターパレードに襲撃されたという凶報を聞き、救援に駆け付けたからだ。もっとも、そのモンスターパレードは小規模なもので、二人が着いた時にはヒバリとマヒワがほぼ殲滅したあとだったのだが。

 その後、四人でモンスターの間引きを行っていたところに、冒険者ギルド本部経由で手紙が送られてきた、とこういうわけである。

 気恥ずかしさを誤魔化すための咳払いが二つ。

「ま、まあ、とにかく、当初の目的は果たせそうだしな。あの男が何を企んでいるかはわからないが、一旦、法都リスティングへ戻ろう」

「そ、そうね。この辺のモンスターもあらかた間引いたし、離れても問題ないわよね」

「ま、そこはアタイも同意だが……。で、手紙の内容が嘘じゃねえって根拠は?」

「いや、その…………あの男は意味のない嘘をつく奴じゃないというか何というか……」

「やっぱり妙な信頼感」

「ぐぬぅ……」




 万雷の拍手と歓声が広場の外までをも呑み込む。

 法都リスティングで最も大きな広場は、すでに万を超える聴衆で溢れていた。その視線の全てが一点に注がれている。

 広場の北には何十人もが並んで上がれそうな大階段が続き、その先には宮殿のようにも神殿のようにも見える石造りの巨大な建物がある。それこそが大寺院――メビウス法国における政治の中心である。だが、人々の視線を集めているのはそれではない。

 本来ないはずの舞台が広場の東にあった。その中央に細長い棒状のものが立っている。足は三本。上の方が首を傾げるように途中で折れ曲がり、先端は人の頭のような形をしている。これは音を増幅する魔術道具である。スピーカーは不要なため、厳密には異なるのだが、便宜上「マイク」と呼ばれている。

 そして、その前に赤毛で褐色肌の両目を白い布で覆った女性――すなわち聖女パンドラがいた。つまり、これより始まるは「心眼の聖女」初の演説。興味がないメビウス教徒などいるはずもない。

 前日に突然告知された歴史的演説を前に、人々は我先にと広場へ押し寄せ、交通整理及びトラブル防止のために寺院兵団やリスティング兵団が駆り出されていた。

「――必要なのは変革です。今、わたし達の国は存亡の危機にあります」

 放たれた第一声に、聴衆達がざわつく。

 「獣帝国が本格的に攻めてきたのか?」「だったら法王が演説するはずだ」「じゃあ財政的な危機か?」「それは財務大臣が演説しないとおかしい」「ってなると大規模な不作か?」「そんな話を聖女様がするわけないだろ」

 雑多な意見が飛び交う広場は、パンドラの口から「モンスターパレード」という単語が出た瞬間、一気に静まりかえった。

 聴衆達はその時、この三ヶ月の間に起きたことを思い出していた。

 最初は中央部のコーラ枢機卿領の街ケインだった。近隣にあった一つの村が滅び、だがヒバリ達冒険者の活躍でそれ以上の被害は抑えられた。

 だがその一ヶ月後、今度は北西部のラッシー枢機卿領の町ミーティーが襲われた。ミーティー兵団や冒険者は協力して抵抗したが、奮戦むなしく町はモンスターに占領された。ラッシー枢機卿は、領都ナムキーンの兵団や多くの冒険者を派兵してこれに対処し、すぐさまミーティーを奪還したが、その被害はあまりにも大きかった。

 そしてこれはまだ始まりに過ぎない。

 ミーティーから半月後には中央北部のミルク司教領で、さらに半月後には南東部のラテ司祭領でモンスターパレードが起こり――三週間前、ついに一つの領地がまるごと呑まれた。エスプレッソ大司祭領――その領都ベゼラといえば、多くの冒険者が集まることで有名な街だった。そこがあっという間に呑まれたという報せは、法国中に衝撃を与えた。

 当然、それはザインの言う「横暴勝手な権力者」達――つまり、高位聖職者達にとっても同じだった。普段は大寺院やそれぞれの領地で政務や神事に勤しんでいる彼らは今、ほぼ全員が集まって緊急会合を開いている。議題はもちろん、モンスターパレードの続発についてだ。サイダー大司教が進言した当初は乗り気ではなかった彼らも、エスプレッソ大司祭領の凶報を聞いて態度を百八十度変えた。

 とはいえ、では彼らは心を入れ替えて真剣に対策を考えているのかというと、それはあり得なかった。ザインの予想では、冒険者ギルドに丸投げすると決めて終わりだ。良ければわずかばかりの補助金を出すだろうが、悪ければ冒険者ギルドに責任をなすりつける。

 もちろん、横暴勝手な権力者達もバカではない。バカではないからこそ、そんなことをしても民衆は言いなりのままで、自分達の地位や財産は脅かされないとわかっている。

 だからそれを崩さなければならない。

 そのためにパンドラは言葉を尽くす。

 まずは、この間のモンスターパレードの続発について、その原因と今後もその危険が続くことを。

 当然、聴衆達からは不安と怒りの声が上がった。そしてその矛先は冒険者達に向かう。冒険者の怠慢じゃないか、という意見に賛同する声が二つ三つと響く。

 それが聴衆達の心を呑み込みかけた時、

「――皆さん、どうか冒険者を責めないでください。根本的な問題は、冒険者の責任ではないのです。それは領地を持つ高位聖職者達にあります」

 パンドラは端的に否定し、人々が無意識に避けていた存在に言及した。

 隣国、ボルト獣帝国との依頼料の格差。それに伴う冒険者の減少。そして兵団――軍隊の普段の取り組みの違い。

 一つ一つを紐解くたびに、聴衆達の顔が曇っていく。

 その内では、高位聖職者達に対する怒りと保身的な考えとがせめぎ合っていることだろう。

「――必要なのは変革なのです。冒険者達への報酬を増やしましょう。兵団の在り方を変えましょう。緊急にモンスターの間引きを行いましょう。せめて獣帝国と同じくらいに。法国は大陸二位の大国です。獣帝国にできることが、法国にできないはずはありません」

 言葉を尽くした訴えがどこまで人々の心に届いたか、パンドラにはわからなかった。少なくとも表面上は盛り上がっているように感じるが、万雷の拍手があろうとも、いくつもの声援が聞こえようとも、人が権威や権力を前に本心を隠す生き物である以上、そこに嘘偽りがないと断ずることはできない。彼女もまた、権威や権力に守られている者なのだから。

(……ここから――ですね、ザイン様)

 だから全てはここから始まる。

 人の言葉とは、権威や権力に立ち向かった時、初めてその真価を見せるのだから。

 再び口を開いた時、パンドラが発したのは、人々の期待通り、決意の言葉だった。

 だが、それは人々が想像していたような言葉ではなかった。

 決意の方向性が異なっていた。

 きっと誰もが思ったことだろう――飛び出た言葉は何かの間違いだと。

「――――そのために法王を討ちます」

 音が消えた。




 舞台脇にはザインの姿があった。当然、隣にはカロンがいる。

 二人は今、パンドラの付き人達に紛れていた。聴衆達の目には、聖女の専属護衛のようにでも見えていたことだろう。今日の主役がパンドラである以上、近くにいる者は近くにいても不思議ではない者のように見えるからだ。無論、狙ってのことである。

 見慣れない二人を咎める付き人はいない。そのあたりは聖女の鶴の一声でうやむやになった。まあ、無警戒かと問われれば、そんなこともないのだが。

 マックスは別行動だった。彼には彼にしかできない役回りがある。

「それで、まだ話す気にはならんか?」

「………………」

 ザインの問いにカペラは沈黙で答えた。フードを目深に被ったまま、身じろぎすらしない。

 妙に間延びする口調の付き人が言うには、あの日、カリモーチョ村跡地でひと悶着あってから、パンドラに対しても終始こんな感じだったらしい。要するに何も訊くなということだろう。

 だが、ザインは彼女が明王の一人だと確信していた。その素性については、見た目からある程度の予想はついていたものの――そこに言及しようとすると、ものすごい目つきで睨まれるのだ。視線の動きから察するに、どうやらパンドラに知られたくないようだった。

 ならばと他の付き人に尋ねたところで、道徳心の高い彼女らは本人が語らないことには沈黙を貫くだろう。そもそも、素性をパンドラに隠し通すには周囲の協力が不可欠だ。拘束されたティピカ・コフィーですら「知らね」の一言だけなのだから。

 逆に言えば、パンドラに知られることのないタイミングであれば、何かしら話す可能性は高い。

 例えば――演説中とか。

「……まあ、確かに、これから始めることに関しては、貴様の力は特に必要ではない。貴様の素性から考えれば、妨害する可能性が低いことも理解している。だが、それでも『神に選ばれし者』の力は強大だ。せめて、口約束だけでも――」

「――動くな」

「――……!」

 突如として背中に突き付けられた硬い感触に、ザインは全身を強張らせる。

 だが、聞き覚えのある声だったことを思い出し、ゆっくりと息を吐いて力を抜いた。

「……想定よりも遅かったな」

「どこかのバカが法都リスティング以外の情報を書かなかったのでな! 冒険者ギルド本部に言伝でも残しているかと思えば何もないし、聖女様の演説を聞くような奴じゃないと思えばこんなところにいるし……! (しかも大事な遠見の鏡が壊れてしまうし……!!)」

「ホントに困ったのよ、ザイン君?」

 言うまでもなく、ソレイユとヒバリである。

 手紙を出したのはヒバリだけであるにもかかわらず、ソレイユもいることについてザインは特に疑問に思っていない。この二人は常に共に行動しているものと思い込んでいるからだ。

 だが、モンスターの間引きをしていた当初、二人は別行動を取っていた。自身の会話を偶然にも聞いていた者がいて、それが巡り巡ってそんなことになっていたと言われたならば、ザインとしてはまさかという思いだろう。もしもラッシー枢機卿領やミルク司教領でモンスターパレードが起こっていなければ――ソレイユ達が法都リスティングに現れるのは、数日遅れていたはずだからだ。

 本人に自覚はないが、ザインの計画の上では、ここが最も一か八かの賭けだったと言えるだろう。

「あ、主様……!」

 事態に気付いたカロンが慌てた声を上げた。

「大丈夫だ、カロン。敵意はあるが害意はない」

「別に腕の一本くらいはもらってもいいのだが?」

「腕を一本失う程度で俺が弱くなると本気で思っているのか?」

「…………」

 舌打ち一つ、ソレイユは剣を鞘に納めた。

「久しぶりだな、カロンちゃん」

「お久しぶりね、カロンちゃん」

 ホッとしつつ、ペコリと頭を下げるカロン。

(マックスは……いないな)

「……それで、お前はこんなところで何をしている? まさか聖女様の演説を聞きに来たとか言わないだろうな」

「いや、その通りだが」

「…………」

 どこからツッコめば、と額を押さえるソレイユ。

「へえ……こいつがザインザードか」

「何か普通」

 その間に、興味津々な二人がザインを挟んでジロジロと観察していた。

「ん……? ……もしやヒバリのパーティーメンバーか?」

「お、正解。ま、この翼を見りゃわかるか」

「セッカ。こっちがマヒワ」

「ふむ……しかも双子か」

「またまた正解」

「一目瞭然だから賞品は無し」

「あまり近づかない方がいいぞ。そいつは私の髪を切った上に持ち歩いていた変態だからな」

「「…………」」

 無言で離れる二人を一瞥し、ザインは改めてソレイユに向き合う。

「……さて。それで、貴様は聖女様の演説についてどう考える?」

「どう、と言われてもな……」

 それは、ちょうどパンドラの演説が法国の抱える問題に言及したところだった。

「……私の本業は冒険者だ。当然、この国でも多少は依頼を請けた。法国の依頼料が低いのも、高難易度討伐依頼の消化具合が悪いのも知っている。だが、だからといってどうする? 高難易度依頼の報酬を決めるのは領主だ。金が無いと領主が言う以上、無理矢理上げさせたところで財政破綻するだけだろう」

「ふむ、金が無い、か。その領主はどんな理由で金が無いと言っていたんだ?」

「確か、開拓に多くの金がかかるからとか――」

「法国の全てが発展途上なわけではないのに、か?」

「――!!! そう、だな……言われてみればおかしな話だ」

「つまり、その領主が言っていることは本当かもしれんが、それが全てではないということだ」

「…………」

「そもそも、だな。基本的に、開拓途中の領地に対しては、いろいろと優遇措置を取るものだ。国に納める税を免除したり――開拓資金を貸したり、な」

「ならば、なぜ……」

「理由など決まっているだろう? 私腹を肥やすためだ。民の命を見捨てることでな」

「…………各地の冒険者達は……懸命に戦ってきたはずだ。彼らの戦いは……無駄だったのか……?」

「無駄――と切り捨てていいものではないだろうな。だが、誰かがやらなければ皆が困る仕事を、誰もがやりたがらない仕事にしていたのは領主だ。冒険者達は戦うべき相手を間違えていたと言わざるを得んな」

「………………」

(その結果、マックスは奴隷にされたぞ……)

 そう言えば簡単に反論できるというのに、なぜかソレイユはそれを口に出せなかった。何となく、ザインが言外に、マックスも間違えていたと言っているような気がしたからだ。

 ザインとソレイユがそんなやり取りをしていた横で、もう一つの再会が起きていた。

「カペラちゃん……よね? 久しぶり。元気にしてたかしら?」

「ん…………ヒバリ姉……」

「あらあら、顔色悪いわね。何かあったの? ザイン君にいろいろ言われてたみたいだけれど……」

「……ヒバリ姉……!」

 胸に飛び込むカペラと、それを優しく抱き止めるヒバリ。

 その勢いでフードがめくれ、灰色の髪とピンっと立った獣耳があらわになった。

 もちろん、この二人は姉妹などではない。カペラがまだ一介の冒険者だった頃、ヒバリにいろいろと助けてもらい、以来、姉と慕っているだけだ。

「もう……相変わらず、甘えん坊さんね」

「ん……」

「――いやあ、ホントいつもすみませんねえ」

 突然、現れた第三者に、マヒワとセッカが武器を突き付ける。せっかく微笑ましい光景を見守っていたのに、お前のせいで汚されたと言わんばかりに。

「大丈夫よ、二人とも、その人はカペラちゃんの親戚だから。武器を下ろして」

「いやいや、それ以前に、ボク、これでもそれなりのお偉いさんですから」

「「知ってる」」

 その上で、邪魔をするなと警告しているのだ。

 そんな意思を感じ取りつつも、アルデバラン・バートルは退かない。

「やれやれ……。カペラ」

「っ」

「もう逃げ続けるわけにはいかなくなったというだけですよ。何も変わりません。それに、聖女様がそんなことを気にしないのはとっくにわかってるはずでしょう。実際、ボクも特に何も言われませんでしたからねえ」

「ん……聖女様に、話した……?」

「いいえ。もちろん、カペラのことは何も言ってません」

「…………」

「だから明かすなら自分の口で、ですよ?」

 この二か月、カペラが大いに不安で、大いに迷ったであろうことを察しているアルデバランは、言うべきことだけを言うと、返事を待たずに去っていった。

 聖女が法王への叛逆を明言したのは、その直後のことだった。




「まさか……ザインザード、お前……!?」

「くはは、さて、出番だ、コフィー大司教。民衆が貴様の実験記録を聞きたいそうだ。全て嘘偽りなく喋るといい」

「おや、もう吾輩の出番かね? こんなことをしたら吾輩の首が飛ぶが、まあブラッドハイド卿が言うなら仕方がないかな」

 ソレイユが混乱している間に、事態は刻一刻と様相を変貌させていく。

 馬車の中から現れたベロワ・コフィーは、手枷足枷をはめられているにもかかわらず、まるで散歩に行くような気軽さで舞台に上がった。屋敷に残されていたはずの左腕もある。

 広場が一気に騒がしくなる。コフィー大司教と言えば、現法王の三男にして、現枢機卿の弟だ。それがまるで罪人のように扱われている。混乱もひとしおだろう。

 つまり、これから行われるのはおぞましき人体実験の暴露。息子の所業を暴き立て、その親を糾弾する。知っていて黙っていた者もまた同罪だ、と。

 ベロワに続いて、髪に白いものが混じった細身で身長の低い中年の男が舞台に近づいていく。

「……では、行ってくるとしようかな」

「つらい役目を与えてすまんな、シトロン殿」

「構わないさ。もうとっくに覚悟はできているからね」

 シトロン・レモネードはこの間、持てるパイプの全てを使って、高位聖職者達と会談を続けていた。だが、今、この場にいるのは彼だけである、

 それでもシトロンは舞台に立つ。ベロワの実験記録を読み上げるために。

 法王への叛逆を明言した聖女の味方がいると民衆に示すために。

 十五年間の実験記録を司祭が一つ読み上げるたびに、ざわつきが小さくなっていく。妊婦を実験体にした最も残虐な記録が読み上げられる頃には、青い顔で耳を塞ぐ者が珍しくなくなっていた。

「…………」

「あぅ……。あ、主様……???」

 ザインはこれをカロンに聞かせるつもりはなかった。今も頭を撫でるふりをしてずっと耳を塞いでいる。

「――そこまでにしましょう。これ以上はショックで倒れる者が出かねません」

 耳の中にこだまする地獄は、パンドラの制止でようやく終わった。耳を塞いで震えていた者達も、恐る恐る手を降ろし始める。

 だが本番はここからだ。

 コフィー大司教への詰問が始まった。

 この記録を知っているか? いつのものか? 実験を命令したのは誰か? 実験の犠牲者達をどう集めたのか?

「あなた以外にこの実験が行われていることを知っている者はいますか?」

「うん、いるとも」

「ではその者の名を挙げてください」

「まあ、まずは吾輩の父――グランドラ・ココアだね」

 現法王の名は真っ先に告げられた。

 次いで告げられたのは、ココア枢機卿、その妻、その息子三人、ベロワの妻、ベロワの息子、そして――

「それから吾輩の娘――ティピカ・コフィー」

 ――雑草の命なんていくら摘もうが些末なことだろ! 化け物のくせに偽善を振りかざしてんじゃねえよ!!――

 その名を聞いたパンドラの心の内に、あの日の罵倒が蘇る。

 ただの護衛役と呼ぶには躊躇するほどの親しみを持っていた。間違いなく友人の一人だと、そう思っていた。

 だが、それはパンドラの方だけだった。

 ティピカは現在、寺院兵団によって拘束されている。問答の末、彼女はパンドラに刃を向けた。パンドラが最後に聞いた彼女の言葉は、あまりにも下劣なものだった。

 パンドラの覚悟は強く、悲愴なものだ。家族も、友人も、最も近しい親戚も、民の命のために売らなければならない。まるで悪夢の中にいるかのようだろう。

 だが、それでもしっかりと現実として見つめなければならない。自分にはその責任があると、「聖女」と呼ばれる彼女は心を燃やしている。

「……法王は終わりだな。しかも一族丸ごと」

「枢機卿家と大司教家が同時に無くなるなんて、前代未聞ね……」

 ソレイユとヒバリがそう話す横で、だがザインは眉をひそめていた。

(それから……? 最後に、ではなく……?)

 ベロワはまだ口を閉じていない。

「――そうそう、吾輩の友、カプチーノ司教を忘れてはいけないな」

 想定外の名に、人々は時が一瞬止まったように錯覚した。

 驚愕が広がっていく。

「それと――大事な友を忘れるところだった――エスプレッソ大司祭」

 その名が告げられた瞬間、ザインは周囲を素早く確認した。

(いない……!)

「彼女も、その娘夫婦も――そして孫娘も、吾輩の実験の協力者だよ」

 いったい、いつの間にいなくなったのか。ルイザ・エスプレッソ――あの妙に間延びした口調のピンク髪の付き人の姿はどこにもなかった。ザインにとってもパンドラにとっても、今朝も普通に話した相手だったのだが。

(ちっ、完全にミスだな……。法王のことばかりで関係者の確認を怠っていた……!)

「……まあ、少々予定外ではあるが、許容範囲内か」

 こちらを見るシトロンに頷き、計画の続行をパンドラに伝えさせる。

 動揺している暇などない。

 今更、止まることなどできないのだから。




「さあて、そろそろ出番かねえ?」

 一方のマックスは、広場の隅も隅、聴衆達の後ろにいた。

 ちょうど、広場へと続く大通りとの境あたりだ。

 大通りの先に目を向ければ、二つの集団が睨み合っていた。背中を見せている方が寺院兵団で、顔が見える方がリスティング兵団だ。寺院兵団の中には筆頭軍師アルデバラン・バートルの姿も見える。

(さすがは精鋭部隊、いきなりクーデターに協力しろって言われても動揺無しか)

 舞台の上では、一度深呼吸して動揺を抑え込んだパンドラが、再び聴衆に向かって呼びかけていた。

 法王は民の命など何とも思っていない、と。

 民の声など聞く気はない、と。

「必要なのは変革です。そして変革を成すには、法王を変えなければなりません。命を慈しむ法王に。民の声を聞く法王に。さあ、法国民達よ、共に立ち上がりましょう! 残虐無慈悲な法王を討つために!!」

 その呼びかけに、聴衆の二割ほどが腕を振り上げ歓声で応えた。

 少ない。

 だが、わかっていたことだ。

『パンドラの権威は、あくまで法王ありきのものだ。たとえ法王の権威を多少貶めたとしても、単独で法王に対抗できるわけではない。最初の呼びかけに応えるのは二割か三割といったところだろう。ましてパンドラには権力が無い。賛同する民衆を暴力から守ることはできん。最初に応えた民衆も、それに気付けば徐々に離れていく』

 以前、ザインがそう言った時、じゃあどうしたらいい? とマックスは問うた。

『必要なのは時間とタイミングだ。人間の感情には上限がある。そして人間というものは、プラスにプラスを重ねるよりも、マイナスからプラスになった方がより増えたと錯覚しがちだ。心が離れかけた者を、一人でも多くその場に留めろ。「もう少しだけ聞いていかないか? 面白いものが見られるぞ」――それくらいの説得で構わん』

 とはいえ、心が離れかけた者というのをどう見分けるかなどマックスにはわからない。

 だからこう訊いたのだ。

 何かコツとかあるか? と。

『そうだな……最もわかりやすいのは失望だ。故に――項垂れる者にこそ声をかけろ』

 その言葉を、周囲に集う者達に伝える。

 彼らは、この二か月の間に声をかけまくった結果、サクラを引き受けてくれた冒険者達だ。

 依頼内容は単純。広場から出ていこうとする者に声をかけ、「もう少しだけ聞いていかないか?」と誘うだけだ。

 なぜそうするのかは何も伝えていない。パンドラの演説内容についても、「冒険者のためになることだ」としか言っていなかった。

 それでも集まって、かつ残ってくれた冒険者達に「よろしく頼む!」と頭を下げ、自身も声をかけに歩き回る。

 いつだって項垂れるのは諦めかけた者達だ。聖女の言葉に希望を見て、何の力もない自分を見て、聖女にも力が無いことに気付き、どうせ何も変えられないと目を逸らした者達である。

(だが違う、そうじゃない……!!)

 心の内で、マックスは吠え続ける。

 力が無ければ何も変えられないなんて幻想だ。

 目を逸らすな。自分だけを見るな。聖女だけを見るな。

 項垂れていては、自分がどれだけ大きな力の中にいるかわからなくなる。

 周りを見ろ。周りにいる者達の数を見ろ。

 それでもわかりやすい力を示してほしいなら、あと少しだけそこにいてくれ――と。

(一人でも多くその場に留めろ……! それが未来の冒険者達のためになる!)

 確かに、ザインは悪辣だ。

 だが、そんな悪辣な智謀を――確かに信じた者達がいる。




 その日、大寺院前の広場を呑み込んだ最も大きな歓声は、間違いなく、寺院兵団総長スコッチ・チャンクが舞台の上に現れたその瞬間だった。

 細かい話は活動報告にて。

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