港湾労働者
女王個体の飼い主であろうと、生活費は必要だ。
寝ずに考えた。フェイリスが寝相で大股開きになっても考えた。
気分を変えるため、明け方は外に出た。張り紙を見つける。
『港湾労働者募集。学歴履歴書不要。未経験者歓迎。即日給与支給』
これだ。働けばいい。簡単なことだった。
「おい新入り! もっとキビキビ運べねえのか!」
「あい、さーせん!」
現場監督に怒鳴られながら石を運ぶ。堤防を作るためだ。世のため人のために働くって楽しいなあ。
「はじめてにしちゃあ上出来だ、新入り。ほら今日の給料だ」
「あざーす!」
雀の涙だった。
仕事量に対して割に合わない。どんだけ天引きしてんだ。トマトも買えねえぞこれ。
食わなきゃ三日くらいは持つかな。そんな計算をしながら夕刻の通りを歩いていると、男女の言い争う声が聞こえた。大柄な男二人が、か弱い少女に因縁をつけている。
「目が合ったよな。遊ぼうぜ」
「やめてください、人を呼びますよ」
見て見ぬ振りはできない。一人を立てないくらい殴ったら、もう一人は逃げていった。
「危ない所をありがとうございました……」
少女は身なりを直して俺に頭を下げた。
「気にせんでください。ムシャクシャしてたので。それじゃ」
「待って下さい! 牛乳屋さん……、ですよね?」
「いや、港湾労働者……」
よく見ると助けたのは、あの令嬢であった。俺に格差を教えてくれたにっくき少女だ。高そうなハンドバッグとノースリーブのニット、ロングスカートを履いていた。
「こんな時間に一人で歩くのは危ない。早く帰れ」
「す、すみません、あの、今はこの街で働いてるんですか?」
喘ぎ喘ぎ言うものだから、こっちも疲れる。
近くのベンチに座らせ、飲み物を買った(俺の日給の三分の一!)。倒れられて俺のせいにされても困るからな。
令嬢は小さな喉を動かして飲んでいる。水源! と言って、川に顔を突っ込んだフェイリスとは大違いだ。
「ありがとうございます。落ち着きました。お金……」
そう言って令嬢は金貨を渡そうとしてきた。こいつも物価に疎いらしい。金貨は今日の稼ぎの十倍である。
「いいよそんなの。他の誰かに施しでもしてください」
「そんな言い方……! 私は感謝を示したいだけなのに」
令嬢が眉を逆立て怒っている。俺は女の扱いに向いていない。改めて思い知った。
「すみません。やっぱりイライラしてました。でかい猫飼ってて餌代もかかるし」
ぐーっと、俺のお腹がなった。
「ではお食事に付き合ってくださいませんか。父にも紹介したいですし」
やはり令嬢に常識が通用しない。汗だくの男がどの面下げて行けと。そういう上流階級の遊びが流行ってるのか。
「あんたとは住む世界が違う。そういうことだから」
令嬢は面倒だ。話すと疲れる。
俺が歩くと、足音がついてくる。令嬢だ。頬を膨らませ、早足で。俺が止まると令嬢も止まる。
「なんでついてくるんだよ」
「だって貴方が、無視するから」
自分の思い通りにならないと許せないタイプか。金貨受け取っておけば良かった。
「このまま帰ったら、貴方の顔を思い出して眠れないから」
ズキュウウン。これは俺の左上腕にある三角筋が悲鳴を上げた音に過ぎない。よく働いたからな。令嬢にときめいたわけではない。
「わかりました。日を改めてなら」
俺が折れると、令嬢の顔が満ち足りたように和らいだ。
「私わたくしはアリシア・ハートネット。楽しみにしてますわ、コウワンさん」
「ジョン・スミスです」
宿に帰ると、でかい猫が抱きついてきた。目立つため一人で外出させないようにしている。
「おかえりなさーい、スミス。とりあえずわたしにします?」
「汗かいてるから離れろ」
「むしろ好物です!」
「変態か。疲れてるんだ。寝る」
押し退けてベッドに倒れ込む。フェイリスがすんすん鼻を鳴らしている。
「スミス、戦ってきました?」
「現場は常に戦場だよ」
「女~の匂いがしたから、心配しましたよ。こんな街中にもいるんですね」
よく聞き取れない。左三角筋の痺れはいつの間にかなくなっていた。