モテ期
明くる日は仕事を休んだ。
シャツの上にベストを着て髪を整え、靴を磨く。
これなら令嬢のお父さんにご挨拶しても大丈夫だろう。鏡の前で髭を剃っていると、フェイリスが退屈そうな声を発した。
「スミスはおデートですか。いいですね、楽しそうで」
ベッドにうつ伏せになり、尻尾はだらりとたれ下がる。
「おみやげもらってくるから、大人しくしてろ」
「なんで他の子とデートするんですか? わたしとはしてくれないのに」
女子願望が強い上、連日部屋にこもって不満も溜まっているらしかった。
「この間、食事したろ」
「全然足りません!」
枕が飛んできて足に当たった。こいつのご機嫌取りをしている暇はないが、ついてこられても困る。
「なにが望みだ」
「触ってください」
ベッドに座るフェイリスが後ろに手をつき、顎を反らす。きらめく髪が鎖骨にかかり、細く色白の喉が露わになった。
「獣はスキンシップが大事です。毛づくろいしたり、舐め合ったり、絆を深めないと」
「俺は獣じゃない」
「でも飼い主じゃないですか。喉を撫でてください。そうしたらデート行ってもいいです」
それぐらいならと、手を伸ばした。軽く掻いてやったり、顎の下を撫でた。フェイリスの首筋に汗がにじんできて、甘い匂いが濃くなった。
桜色の唇から漏れる途切れがちな吐息と、上下する豊乳、むずがるような肩の動き。耳が立ったまま震えている。
「んっ、初めてにしてはまあまあじゃないですか」
現場監督より厳しい評価。
「スミスぅ、やっぱりデート行かないでわたしと遊びましょうよ。人間の女の子じゃできないこと一杯できますから♡」
尻尾がうねうねと俺の足に絡みついてくる。腿を締め付けるような動きにゾクッとする。食われる! 反射的に左手を伸ばしていた。
「待て!」
フェイリスは仰向けでぱたりと倒れた。獣王の証の命令がこいつを縛る。
「スミスの指すき。おあずけやらあ……」
涙目で舌を垂らすフェイリスに、いたたまれなくなり、俺は逃げ出した。
宿を飛び出し、壁に頭をぶつける。
「あいつはドラ猫ドラ猫……、ドラドラドラドラドラドラアッ!」
頭がガンガンする。ふらふらで何度か人にぶつかった。
あいつが俺に向ける好意は獣王の証のせいだ。あいつの意志は別なんだ。
そうじゃなければ、俺のせいであの街が襲われたってことになりかねない。今はまだ受け止めきれなかった。
走ったおかげで約束の時間に間に合う。目印がレストランの前にいたからすぐわかった。
令嬢は白のレース付きドレスに赤い靴を履いていた。デコルテが繊細な印象を強める。
「スミスさん、どうされたんですの? 頭」
心優しい令嬢は俺の頭の心配をしてくれた。
「なあに、ドラ猫の世話をしていたもので」
「ドラちゃん、私も会ってみたいですわ。今度スミスさんの宿へ……、いえ、なんでも」
令嬢は誤魔化すように笑って、レストランの扉に手をかけた。金の取っ手が動くとベルが涼しげに鳴る。
海辺を見下ろす富裕層向けレストラン。中庭と噴水もある。
令嬢が受付で話す間、俺は入り口に飾られた花をいじって遊んだ。
「なにか気になることでも?」
令嬢が前のめりに首を突っ込んでくる。
「形が気になって。俺の母、お花の先生だったんですよ」
嘘みたいな本当の話。
親父は酔うと、亡くなった母の話をよくした。
あいつはお花の師匠だったんだ。天子様に呼ばれるくらいすごかったんだってね。天子様が何か知らないが、なんとなくすごいのはわかった。
物心つくと、猟師の親父とお花の師匠が釣り合わないとわかり、真に受けなくなった。でも命日だけでなく、親父は花を飾ったから、全くの嘘だとも言い切れない。
「お母様の血がスミスさんに流れていますのね。素敵ですわ」
いちいち大げさな令嬢に苦笑していると、絨毯を颯爽と歩く女性が目に入った。
「お嬢様、こちらにおいででしたか。お料理が冷めてしまいますよ」
パンツスーツに眼鏡をかけた知的な美人だった。俺と同年代くらいか。目は細く輪郭が尖り、冷たい印象を受けた。
「あ、メディナさん。こちらが牛乳屋さんにして港湾労働者にしてドラちゃん飼い主、お花の先生のスミスさんですわ」
令嬢の説明は、微を入り細を穿つ。メディナは令嬢父の秘書だという。
「えーと、お花屋さん?」
秘書は令嬢を先に個室に行かせた。尋問が始まる。
「港湾労働者です。怪しい者ではありません」
「まあなんでもいいけれど」
探るように俺の周りを歩いて回る。目つきも険しい。
「あの子、お姫様願望があるのよ。見知らぬ人種が珍しいんだと思うわ」
「わかってますよ。深入りはしません」
「やけに素直ね。お金目当てなら消えてもらおうかと思ったけど」
なかなか辛辣な対応だが、想定してなかったわけではない。どこの馬の骨とも知れぬ男を警戒するのは当然だろう。
「目的は何? 尻の青い小娘狙いにも見えないし、気になるわ」
口悪いなこいつ。令嬢のこと嫌いなのかもしれない。
「いっそのこと、あたしと遊んでみる? 満足できるわよ、あんなうぶな娘より」
秘書の赤い舌が俺の耳たぶを這い回る。先端が蛇のように割れ、それぞれが別種の快楽をもたらす。背骨が跳ねた。
「お、お姉さんと付き合ったらライバル多そうだなあ……、遠慮しときますよ」
「ふうん、つれないんだ。硝煙と血の匂いのする男、好みだったのに」
モテ期到来か俺。でもなんか引っかかるんだよな、この秘書。




