08 戦士・多々良
これまでにない不思議な高揚感が、多々良の全身を包んでいた。
(ふむ、なかなかによいものだな)
美しい巫女に勝利を祈られ、戦いに臨む。
ただそれだけのことがこんなにも気持ちを高ぶらせるとは、多々良も意外だった。
(なるほど、出陣前の戦勝祈願、わざわざ巫女に頼むわけだ)
ひりり、と多々良のうなじが熱くなった。
瞬時に気を引き締めた多々良の目の前で、座り込んでいた村長が崩れるように倒れた。その目から生気が失われていき、美しかった容姿がみるみる衰え、老いていった。
用済み、ということらしい。
多々良の心に火が付いた。
半身になって剣を構え、五感を総動員して、うごめく神の気配を追う。
まるで数百の敵に囲まれたかのような気配。だが多々良は不思議と負ける気がしなかった。
静かで、緊迫した空気が張り詰めていき。
腰を落とし、巌のようにどっしりと構えた多々良めがけて。
神が、全方位から襲い掛かった。
「ぬううんっ!」
多々良の気合が爆発した。
押し包むように神が襲い掛かってくる。それを多々良は、独楽のように回転して次々と叩き落とした。
『@|%&$!』
神が声を上げる。意味は分からないが、苛立ち、怒り狂っているのは伝わった。
りん、と鈴の音が聞こえた。
聞いた瞬間、多々良は無意識に大地を蹴っていた。地面の下から迫っていた神が、ぱくりと口を開けて多々良を飲み込もうとして空振り、憎々しげな声を上げた。
「ちぃっ!」
だが、宙に浮いて動きが止まった。
それを見逃すほど神も甘くない。ねとり、とした塊が横殴りに叩きつけられ、多々良はもんどりうって弾き飛ばされた。
「多々良殿!」
叩きつけられた小屋が崩れ、がれきの下敷きとなった。
さすがの多々良も意識が飛びそうになった。だが、玲の声がかろうじて意識をつなぎ、多々良はがれきを跳ね飛ばして立ち上がった。
「いやはや……伊達に神は名乗っておらんな」
立ち上がった多々良に、間髪入れず神が襲い掛かった。
「どぉぉぉりゃぁぁぁっ!」
それを剣で力任せに叩き落とした。じゅっ、と神の一部が音を立てて消え、神がひるんだすきに横っ飛びで避けた。
なおも襲い掛かってくる神を、今度は回し蹴りで弾き飛ばし、地面から飛び出たものは渾身の力で踏みつぶした。
「どうしたどうしたぁ! 神とはこの程度かぁ!」
怒涛のような神の攻撃。
だがそのすべてを多々良は防ぎ、退ける。負け戦に慣れているのがこんなところで役に立つとはと、何やらおかしい気分になってきた。
『!$’”#$=』
何やら雄たけびを上げ、神が退いた。予想外の多々良の善戦に苛立っているらしい。
それに、瓢箪の中身がかけられた鞘や服は、触れるのも嫌っているようだ。あれが何かはわからないが、神に効き目があるという直感は正しかったようだ。
(だが……長引けば不利、か)
多々良は乱れた呼吸を整えた。
善戦とはいえ、多々良はほぼ防御のみで反撃らしい反撃はできていない。神とぶつかるたびに、鞘にしみ込んだ瓢箪の中身も少しずつ失われている。これが完全に失われたら、多々良は神の波状攻撃に押し切られてしまうだろう。
さてどうしたものか、と多々良が神を見据えた時。
りん、と鈴が鳴った。
(巫女殿?)
見ると、玲が扇を手に舞っていた。静かに、緩やかに扇をひらめかせ、とん、とん、と軽やかに大地を踏みしめる。そのたびに神の力とは違う温かい力が大地を流れ、多々良の周りに集まってきた。
すると不思議なことが起こった。
それまで気配しか感じなかった神が、おぼろげながらに見えたのだ。
(なんと)
まるで土くれのような、どろりとした姿だった。
確かにこれは剣では切れぬな、と多々良が思うと。
──核を潰すといい。
不意に、どこからか声が聞こえた。
少女のような、少年のような、そんな若い声だ。
(誰だ? ……いや、今はどうでもよい)
多々良は目を凝らし、神の姿をようく見た。
(あれ……か?)
うぞうぞと形を変えてうごめく神。その中で常に形を保っている部分が見えた。
とん、と玲が舞い。
りん、と鈴が鳴る。
玲が舞うと、温かな力が大地を伝わってくる。
その力が、多々良を励ますように包んでくれる。
(右腕が痛むだろうに)
玲の右腕はかなりの重症だ。緩やかな舞とはいえ、動けば痛むはずだ。
その痛みを押して舞う玲に、多々良の心は奮い立った。
(次で、決める!)
すぅ、と呼吸を整え、多々良は腰を落とした。
神がうごめき、這いまわる。
それを見据えて、多々良は両足でしっかりと大地をつかむ。
『&=!”)$!』
神が叫び、四方から津波のように押し寄せた。
「せいやあぁぁぁぁぁっ!」
その瞬間、多々良もまた、裂帛の気合とともに大地を蹴った。
神の津波を、多々良は力強い足取りで突っ切った。
形を変えてうごめく部分を剣で薙ぎ払い、神の「核」に肉薄した。
多々良の意図を見抜いたか、神の力が多々良の剣にまとわりついた。
ならばと、多々良は剣を手放し、渾身の力を込めて拳を「核」に叩きつけた。
──おのれぇぇぇっ!
神の核に触れた瞬間、多々良の頭の中に絶叫が響いた。
──神に仕える、水の乙女でありながら!
──神に逆らうとは、何事かぁ!
──不敬なりぃぃっ!
「実に……不愉快!」
神の絶叫に、多々良は怒りの声を上げた。
「己の悪行を棚に上げ、偉そうに語るでないわぁっ!」
がしり、と神の核をつかんだ。
そのまま腰を落とし、素早く神の下に体を滑り込ませると、渾身の力で神を背負いあげた。
「せいやあぁぁぁぁぁっ!」
再びの気合とともに、神がメリメリと大地から引きはがされ、宙に舞った。
ずしり、とのしかかる神の重さ。
しかし多々良は意に介さず、勢いのままに神を投げた。
──ギャァァァァッ!
轟音と共に大地に叩きつけられた神が、断末魔の叫びをあげて飛び散った。
「消え去れぃ!」
そして、握り締めて離さなかった神の核を、多々良は渾身の力で大地に叩きつけると。
その足で容赦なく踏みつぶし、跡形もなく霧散させた。