07 巫女の祈り
自分を抱きかかえて笑う多々良を見て、玲はあっけにとられた。
多々良もまた、神の力に飲み込まれたはずだった。玲と同じように拘束され、身動きなどできる状態ではないはずだった。
「お、おぬし……どうやって……?」
「ん、何がだ?」
「神に、捕らわれたの、だぞ?」
一体どうしたら、こうもあっさり逃れられるのか。
目を丸くしている玲に、多々良はキョトンとした顔をした。
「どうって。力任せに動いたら、逃れられたが」
「力……任せ?」
信じられない、という顔をした玲をふわりと下ろし、多々良はにかっと笑った。
「まあよいではないか。無事脱出できたのだから」
「いや……そうじゃがな……」
「さて、と」
ゴキリ、と首を鳴らし、多々良は剣を手に前に出た。
「神というからどれほどのものかと思えば。女にフラれて逆恨みとは、情けなくも滑稽な存在であったか!」
多々良が怒鳴るように神を罵倒した。
ブワッ、と神の気配が膨れ上がり、うぞうぞとうごめき始めた。だが多々良はお構い無しで大笑いした。
「なんだ、図星を指されて逆上か? まこと心の狭い神だな! フラれて当然ではないか!」
「おぬし! これ以上怒らせてどうする気だ!」
「知れたこと。たたっ斬る」
「剣でどうこうできる相手ではない、と言ったであろう」
「おう、そうだったな」
多々良は玲の言葉にうなずくと、しばし考えた後、剣を鞘に収めた。
「では、鞘でぶん殴るとしよう」
「いや、おぬしな……」
「ほれ」
すっ、と多々良が鞘に収めた剣を玲の前に差し出した。
「……なんじゃ?」
「瓢箪の中身、かけてくれ。効き目がありそうだ」
「本気か? 相手は……神ぞ?」
「それがどうした」
「どうした、て……」
「約束したではないか。危害を加えようとする者あらば、俺が守ると」
気負いもなく、恐れもなく、だが力強く多々良は笑った。
玲はあっけにとられた。
神と戦う。
それがどういう意味か、この男はわかっていないのだと思った。
相手は人の力が遠く及ばぬ存在、下手に逆らえば祟りを受け、残りの人生を責め苦の中で生きねばならなくなる。
ゆえに神が怒ったときは、許しを請うて祈り、その御霊を鎮め、祟らぬよう祭るしかないというのに。
この男は、平気で「たたっ斬る」と言うのだ。
「ま、水浴びをのぞいた件、これでなかったことにしてくれという下心はあるがな」
「お、おぬしのう……」
玲がほおを染めつつあきれると、多々良が「はっはっは」と豪快に笑った。
りんりん、と鈴が鳴った。
その音に、玲はハッとした。
瓢箪に紐つけた鈴が、楽しげに揺れていた。そんな風に揺れるのを見たのは、初めてのことだった。
「なあ、その鈴はどういう理屈で鳴るのだ?」
「いや、それは……」
「ふむ、言えぬか」
玲の戸惑った表情に、多々良は肩をすくめた。
「ならばよい。ほれ巫女殿、早くかけてくれ」
「そなた……神と戦うというのがどういうことか、わかっておるのじゃろうな?」
「ん?」
「怒り触れ、その場で殺されるやもしれぬ。祟られ、死ぬまで責め苦を負わされるかもしれぬ……この村の村長のようにな」
うぞうぞと這い回る神の中で、村長は呆けた顔で座り込んでいた。
もはや、壊れてしまったようだ。
例え神を退けたとしても、もう村長を助けることはできないだろう。
「その覚悟、おぬしにあるのか?」
「ないな」
多々良は即答し、不敵に笑った。
「俺は死なんし、負けるつもりもない。そもそも俺は、神と戦っているつもりはない」
「……は?」
「フラれた逆恨みで女をひどい目に遭わせている、胸クソ悪いやつを叩きのめしてやるだけだ」
多々良にかかれば、神の祟りもただの逆恨みになるらしい。
なんなのだこの男は、と玲はあっけにとられるばかりだ。
「恋をあきらめるほどの魅力が、この神にはなかった。それだけではないか」
「そう……なるのか、の?」
「では逆に聞こう。巫女殿には、アレを庇う理由があるのか?」
問われて、しばし玲は考え。
「ない、のう……ふふ……確かに多々良殿の言う通りじゃ」
思わず、笑ってしまった。
「だろう?」
「うむ。逆恨みして巫女を壊した上に、妾にまでちょっかいをかけてきおったしの」
「それが人の男であったなら、巫女殿はなんと言う?」
「……女の敵、じゃな」
玲の答えに、多々良がにぃっ、と笑った。
玲は小さくうなずき、多々良の剣にそっと瓢箪の中身をかけた。
神に祈り鎮めるべき巫女が。
神と戦い倒せと人に願う。
これは巫女として許されることだろうか。いずれ報いがあるのだろうか。
今はわからない。
だが、不思議とためらう気持ちは、沸いてこなかった。
「戦士、多々良殿。そなたの勝利をお祈り申し上げる」
たっぷりと瓢箪の中身を鞘にかけると、玲は微笑んだ。
「女の敵を……叩きのめしておくれ」
「おうさ!」
多々良は、玲の祈りと笑顔を受けて、力強くうなずき。
剣を手に、神と対峙した。