06 罪
ねとり、とした気味の悪い感触に包まれたかと思うと、玲はあっという間に引きずり込まれた。
(うぬっ……)
いきなりのことで、扇を振るうことも、瓢箪を傾けることもできなかった。
足元がおぼつかず、祓いの舞も踏めない。なすすべもないまま、玲は神の力に押し包まれていく。
──ゆる……して
どうにかしないと、ともがく玲に、神の力に交じって何者かの声が流れ込んできた。
(村長殿……か?)
許して、許して、とひたすらに謝り続ける村長の声。
その声をあざ笑うかのように、神はうごめき村長の心を弄ぶ。
何があったのか、と玲は問うと。
──私は、村を、捨てた。
──神の妻となるのを拒み、恋した男を、追った。
村長の声が、そう答えた。
※ ※ ※
私は、才に恵まれ、やがて神に嫁いでこの地を守る巫女となるべく育てられました。
ですが十七の時、村の外から来た若者と出会い、心通わせ、恋に落ちました。
何もかもを捨てて、私は彼と共に行くことを選びました。
そんな私を、そして私を逃した村の人々を、神は許しませんでした。
私の身代わりとなって嫁いだ妹を、さんざんに嬲って悪霊に堕とし。
悪霊と化した妹が村を襲うのを放置し。
助けてほしくば、我が巫女を探し出して連れて来い、と村人に迫ったのです。
私は、追って来た村の者に捕らえられ、無理矢理連れ戻されました。
共に連れてこられた夫と生まれたばかりの娘は、目の前で神に食い殺されました。
──そなたの身を通して、村の男に神の力を授けるがよい。
嘆き悲しむ私に、神は無慈悲な命を下しました。
──神を捨て男を選んだお前だ、好きなだけ男に抱かれるがいい。
私を抱くことで、村の男は神の力を分け与えられました。その力で、村を襲う悪霊を──私の妹を退けたのです。
ですが、悪霊を倒すことはできず、時が経てば力を取り戻し、また襲ってきました。
そこからは、終わりのない責苦でした。
悪霊と戦う力を授けるため、私は村中の男たちと体を重ねました。年を重ねても衰えることのない美貌を与えられ、心に反して男を誘い続けました。
それゆえ、男たちの妻や恋人から恨まれ、憎まれ、遠ざけられました。
神の呪いに縛られ、この村から逃げることもできず。
悪霊と化した妹を鎮めることもできず。
私は身も心もボロボロになっていきました。
それでも、神は許してくれませんでした。
幾度も悪霊と戦ううちに、多くの者が村を捨てました。
私とともに残ったのは、行くあてのない者たちだけ。
この村は、とうに滅んでいるのです。
※ ※ ※
(そうか……おぬし、悪霊の核とされた娘の、姉であったか)
多々良と出会ったあの山中の泉には、悪霊が住み着いていた。
それは多くのよくないものが集まってできた悪霊で、その核となっていたのは、まだ十一だった少女だった。
巫女となる使命を捨てた姉に代わり、人身御供として差し出されたものの、神に受け入れてもらえず、責め苦を受けて命を落とし。
よくないものに焚きつけられて姉を恨み、神を憎み、悪霊となって生まれた村を滅ぼしたと言っていた。
(なんと……むごい……)
悲しみとともに怒りを感じ、玲が村長に手を差し伸べようとした時。
神が嗤った。
当然の報いだ、と。
まだまだ責め苦を与えてやろうと思っていた、と。
そして神は怒った。
村長を嬲るための悪霊を、玲が鎮めてしまった、と。
勝手なことをしてくれおって、と。
どうしてくれようか、この巫女を、と。
怒り荒ぶる神は、引きずり込んだ玲を蝕もうと押し包んでいく。
(くっ……瓢箪、を……)
少しでいい、中身を注ぎかけてやれば、神を退けられるはずだった。
だが、全身を締め付けられ、玲は指先一つ動かすことができなかった。
りりん、と鈴が鳴る。
その音に玲は焦った。
玲の危機を感じ、玲が背負う神が出てこようとしている。
(だめじゃ……今、出てこられたら……押さえられん)
玲はなんとか逃れようともがいた。
だが、強大な力に締め付けられ、ピクリとも動けなかった。
──逃がさぬ。
玲を捕らえた神の意志が、言葉となって流れ込んできた。
──ようも我が怒りを邪魔してくれた。
──どうしてくれようか。
──貴様も同じ怒りを授けてくれようか。
神が玲の中に入り込もうとうごめいた。
冗談ではない、と玲は歯を食いしばり、どうにか逃れようと必死でもがいた。
──無駄なあがき。
──逃がさぬ、逃がさぬ。
──我を捨てて男に走ったあの巫女のように。
──責めて責めて責め抜いてくれるわ。
だが、どうあっても逃れられなかった。いよいよここまでか、と玲が半ば覚悟を決めたとき。
「くははははっ!」
神が紡ぐ呪いを、豪快な笑い声が吹き飛ばした。
「なんとまあ、情けない神だな! 女にフラれた腹いせに、ネチネチ復讐とは。滑稽にもほどがある!」
(多々良殿⁉)
がしっ、と玲の体をたくましい腕が抱きすくめた。
玲を逃すまいと、神の力がまとわりつくが、多々良の手が強引にむしり取った。
バリリ、バリリ、と皮でも剥くようにはぎ取られ、玲を締め付ける力が消えていく。そして、ふわりと体が浮いたところで、一気に引き上げられた。
りん、と鈴が鳴り。
「おう、巫女殿。無事か」
気が付けば、玲は多々良のたくましい両腕に、抱きかかえられていた。