03 村長
多々良が玲とともに村に戻ったのは、昼を過ぎ太陽が西へ傾き始めた頃だった。
「おや、多々良殿。妻となる女性を見つけてこられたのか?」
玲を見て、村長は冗談ともつかぬ口調でそんなことを言った。
すでに齢は五十を超えているというが、とてもそうは見えぬ若々しさだった。見た目だけなら、玲とさほど変わらない年頃だ。
しかも妖艶で肉感的。この点では玲をはるかに上回る。言い方は悪いが、神に仕える巫女というより、神に侍る側女と言った方がしっくりくる、そんな女だった。
「おからかいめされるな。俺が山へ入ったところ、悪霊の気配が消えてしまいましてな。山中で出会ったこちらの巫女殿が祓われたというので、連れ帰った次第です」
「……あの悪霊を、ですか」
村長が静かな視線を玲に向けた。
多々良に促されて前に出た玲は、村長に一礼し、口を開いた。
山中で道に迷い、たまたま社のある泉に出た。
何やらよくない気配がしたので、一晩祈りを捧げたところ、気配が晴れた。
玲の説明は、そんなそっけないものだった。
「そうですか」
村長が、玲を見る目を細めた。
「それにしては、衣服も汚れ、ケガをしておられるようですが?」
村長に報告へ来る前に、村の女性に玲の旅の服を洗濯するようお願いしてきたが、それがすでに耳に入っているらしい。
「道に迷うているとき、社の上の方から、滑り落ちての」
「それは難儀でしたね」
村長が艶やかに笑った。
村長の笑みとは対照的に、玲の表情からは感情が消えていた。お互いに、探り合うような視線を向けている。なかなかに緊迫した状況だった。
「……お礼を申し上げねばなりませんね、旅の巫女」
しばらくして、村長が視線を緩めた。
「あの悪霊には、長年苦しめられておりました。村を上げて歓待したいところですが……ごらんのとおり貧しい村です。ろくなもてなしもできません」
「礼をいただくためにしたのではない。お気持ちだけで、十分じゃよ」
「ありがとうございます。せめて今宵はこの村でお休みください。ケガの治療もありましょう」
「……そうさせていただこう」
「多々良殿も」
村長が多々良に視線を移し、声をかけた。
「ありがとうございました」
「なに、俺は何もしておらんよ」
「多々良殿が見に行ってくださったから、こうして確認できたのです。でなくば、いったい何が起こったのかと不安でたまらなかったでしょう」
ふふ、と村長が艶やかに笑った。
「お礼と申してはなんですが。今宵は私におもてなしさせていただけませんか?」
「……いや、けっこう」
「まあ、つれないご返事」
「受けた恩義を返したまでです。これ以上は過分かと」
「無欲なこと。まあ、そうでございましょうね。私よりも若く美しい方が、お隣にいらっしゃいますものね」
そういうことではないのだがな、と思いつつも、多々良は無言で一礼するにとどめた。
◇ ◇ ◇
報告を終え、村長の家を出たときにはすでに日が暮れかけていた。
「うーむ、肩が凝った」
「ちと、よいか」
バリボリと肩を鳴らしていた多々良に、玲が囁くような声で尋ねた。
「おぬし、この村にずっとおったのか?」
「うん? まあ三日ほどだな」
「そうか……これといって何事もなく、か?」
ふうん、と多々良はかすかに笑った。
「……至って平穏だったな、この三日は」
「そうか」
玲は左手に持つ瓢箪に目をやった。
多々良もつられて瓢箪を見る。赤い紐に付けられた小さな鈴が、ゆらゆらと音もたてず揺れていた。
「瓢箪が、どうかしたのか?」
「いや……よい」
案内役の村の老人が近づいてきたのを見て、玲は口を閉じた。
二人は一軒の家に案内された。多々良が借りていた家の隣にあった、少し大きめの家だった。
「……そなたと、同じ家で寝泊まりか」
すっ、と玲が多々良と距離を取った。さりげない動作であったが、それゆえに多々良は少々傷ついた。
「いやいや巫女殿。そうあからさまに警戒せずともよいではないか」
「これまでのところ、信頼できる要素は皆無なのじゃが?」
「山中でのことは、あくまで事故ではないか」
多々良は頭をかきつつ、ため息をついた。
「力づくで女を手籠めにするほど、渇してはおらん。村長の誘いとて断ったではないか」
「むしろ応じてくれていれば、妾は一人で安心して寝られたのじゃがな」
「俺とて選ぶ権利はあると思うのだが?」
「ふむ。確かに見境がない、というわけではなさそうじゃが……さてどうかのう」
なおも疑わしげな玲の視線に、多々良は「とほほ」と声を上げて頭を抱えたくなった。
「先刻も言ったではないか。俺は旅の巫女に恩義があると。恩を仇で返すような真似はせん」
「そなたを助けた旅の巫女は、妾ではなかろう」
「いやまあ、そうだが……」
何せもう十年以上も前のことだ。あのときの旅の巫女が、どこで何をしているかなど知る由もない。せめて名を聞いておくべきだったと後悔しているが、後の祭りだ。
「当人に会えぬ以上、せめて同じ旅の巫女に恩返ししようという純粋な気持ちなのだ。信じてくれないか?」
「ではこれまでにも、旅の巫女を助けてきた、ということかの?」
「そうだ」
「なるほどのう」
玲は、ふうむ、と腕を組み、多々良をじっと見つめた。
「……何だ?」
「そなた、なかなかの色男じゃのう。女にはもてるのではないか?」
意外な言葉に、多々良は「はあ」と間の抜けた声を返した。
確かに多々良は、武骨ではあるが色男の部類だ。腕っぷしも強く、女性にもてるかもてないかと問われれば、もてる方だという自覚はある。
だが、それが何だというのか。
「一つ、聞いてもよいかの?」
「ん、何だ?」
「おぬし、助けた旅の巫女の、何人と懇ろになったのかの?」
うっ、と多々良は言葉に詰まった。
旅の巫女は、総じて若く器量よしが多い。
そして多々良は、健康な成人男子であり、木石ではない。
旅の巫女を助ける気持ちに下心はない。断じてない。だが「どうかお礼を」と美しい女に迫られて、すげなく断れるほど悟っているわけでもない。
「ようわかった」
玲の笑顔がすうっと消えた。
玲は多々良の手から行李をもぎ取ると、板間に上がり右端へ向かった。そして「どかん」と音を立てて、行李を板間の中央に置いた。
「この行李からこちらへ、入るでないぞ?」
「……わかったよ」
お堅いことだ、という嘆息は心の中にとどめ、多々良は板間の左端へと腰を下ろした。