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02 旅の巫女

 土下座。

 正座し、両手をついて、額を地につけて平伏することである。高貴な身分の者への恭順を示すものでもあり、また、相手に対し心からの謝罪を示すものでもある。


 多々良が土下座をしているのは、もちろん後者、心からの謝罪のためだった。


 「……もうよいぞ」


 ふう、とため息とともに女の声が聞こえた。

 多々良は静かに頭を上げて「ほう」と感嘆の声を上げた。


 「巫女殿であったか」

 「まあ、の」


 巫女服を身に着けた女は、静かな表情で多々良を見下ろした。

 長い黒髪を一つに束ね、色白で細面。多々良を見下ろす切れ長の目に感情は見えないが、まあ怒っているのだろう、と多々良は頭をかいた。


 「いや、悪かった。まさかこんな山中で、女性が水浴びしているとは思わなかったからな」

 「それは……もうよい」


 女の年は二十代半ばほど。子供の一人や二人いてもおかしくない年頃だが、その表情には乙女のような照れが浮かんでいた。


 「その……つまらぬものを見せてしもうたな。忘れておくれ」


 だがその口調は、年嵩の者のようだ。そのちぐはぐさがなんだか可愛らしい、と多々良は思った。


 「いやいや、つまらなくはなかったぞ。謙遜めされるな」


 照れ混じりの女の言葉に、多々良は大真面目に反論した。


 「俺がこれまでに見た景色の中で、二番目か三番目に美しい光景だった。うむ、実に素晴らしかった」

 「……忘れてくれんかの」

 「いやしかし、脳裏に焼き付いてしまってな。こうして目を閉じるとありありと……」

 「ええい! お主、謝る気があるのか!」


 巫女が真っ赤な顔になり、声を荒げた。

 おっとまずい、と多々良は慌てて土下座し直した。


 「いやすまない。男の(さが)というのはどうにも……本当に、申し訳なかった」


 なるほどな、と多々良はうなずいた。

 どうやら多々良が知っている旅の巫女とは、少し違うようだ。


 神を背負い、神の命ずるままに各地をさすらい信仰を伝える、旅の巫女。

 神に仕える身ではあるが、彼女たちは決して清らかで無垢な存在というわけではない。なにせ明日はどうなるかわからぬ、旅暮らしの身だ。生活は厳しく、糧を得るために芸や身を売ることが多い。この女の年頃であれば、男に裸を見られたぐらいでうろたえる者はまずいないだろう。


 (となると……(かんなぎ)か?)


 神が住まう社に仕え、神の意を神託として受け取り伝える者を、(かんなぎ)と呼び区別する。旅の巫女とは似て非なるものだ。


 (それにしては一人旅というのは、妙だな)


 いずれにせよ、ここに住み着いていたという悪霊が消えたことに、この巫女が関わっているだろう、と多々良は見込みをつけた。


 「さて、名ぐらい名乗らねばならんな。俺は多々良(たたら)だ」

 「……(れい)、じゃ」


 顔を上げ名乗った男に、渋々、という感じで巫女も名を告げた。


 「ふむ。美しい名だな。心にしかと刻んでおこう」

 「忘れてくれてかまわぬ。どうせここでお別れじゃ」

 「いやいや、待ってくれないか」


 立ち上がり、行李を背負おうとした玲を、多々良は慌てて止めた。


 「実はこの近くの村の者に頼まれてな。悪霊が住み着いたこの山が、何やらうごめいていると。俺はそれを調べに来たのだ」

 「……知らぬよ、妾は」

 「はっはっは。さすがにそれは通じないと思うぞ?」


 多々良が高らかに笑って突っ込むと、玲はやれやれという顔になった。


 「妾は道に迷うてここへ来ただけじゃ」


 さてそれはどうかな、と思ったが、多々良はそれには黙っておいた。


 「ここにいたという悪霊は?」

 「……妾が祓うたよ」

 「なるほど。ではすまぬが、一緒に来て、そのことを村長に説明してくれないか?」

 「そなたが説明すればよかろう」

 「それができるのなら頼みはしない。俺は代理で来ているだけでね。この社を管理している村の者に、正しく説明できる自信がない」


 悪霊だの、呪術だの、よくわからなくてね。


 そう言って肩をすくめた多々良を、玲は無言で見つめた。

 静かで、落ち着いた、心を探るような目だった。

 先ほどまでのうろたえっぷりとは打って変わったその冷静な目に、多々良は「ほう?」と感心した。


 (男には不慣れのようだが……修羅場はくぐっているな)


 多々良の戦士としての勘がそう告げた。さて本当に何者なのかと、本気で玲に興味がわいた。


 「危害は加えぬし、危害を加えようとする者あらば、俺が守ると約束しよう」

 「そう言われてものう」


 疑いが晴れぬ様子で、玲が眉をひそめた。

 そんな表情もまた美しい、と思いつつ、多々良は言葉を続けた。


 「俺は、旅の巫女に恩義があってな」

 「恩義?」


 唐突な多々良の言葉に、玲が軽く首をかしげた。

 おや、かわいい仕草じゃないか、と思ったことは胸に秘めておく。


 「かつて死にかけていたところを助けてもらったことがある。以来、困っている旅の巫女は助けることにしている」

 「妾は、そなたの求めに困っているのじゃがな」

 「その右腕、痛むのだろう」


 多々良の指摘に、玲が無言で右腕を押さえた。

 玲の右腕は、遠目でもわかるほど青黒くなっていた。こうして話している間も、時折辛そうな顔を浮かべている。


 「ちゃんと治療せねば、動かなくなるかもしれんぞ」

 「……心得があるのか?」

 「戦場暮らしが長くてな。村に戻れば必要な道具もある。詫びも兼ねて、治療させていただきたい」


 多々良は言葉を切り、まっすぐに玲を見つめた。

 戸惑い、迷っていた玲の目だが、やがて落ち着き、多々良をまっすぐに見返した。


 「……承知した。そなたとともに、村へ参ろう」


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