表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/10

01 泉の天女

 夜明け前の森の中、剣を抱えて眠る男がいた。

 名は多々良(たたら)

 旅の剣士、と言えば聞こえはよいが、要するに傭兵だ。大きな体はやたらと頑丈で、腕っ節も相当に強い。武骨ではあるがそこそこの色男。唯一にして最大の欠点は、参加した陣営がたいてい負ける側になる、ということだろう。


 「……うん?」


 うつらうつらとしていた多々良が、不意に目を開けた。

 まだ陽は昇っておらず、森は闇に満ちていた。だが空はうっすらと白み始めている。もうしばらく待てば夜が開ける、そんな時間のようだ。


 (どういう……ことだ?)


 多々良はそろりと姿勢を整え、剣を手に周囲を伺った。


 山の空気が一変していた。


 昨日夕方、山に足を踏み入れた時に感じたよくない(・・・・)気配を感じない。あれだけ濃密だった気配が、うたた寝の間に消え去っていた。

 この急激な変わりよう、何かがあったとしか考えられない。


 (さて、何があった?)


 多々良は眠気を振り払うと、気を引き締め、剣を手に立ち上がった。


   ※   ※   ※


 「悪霊が住み着いている山が、何やらうごめいていまして。様子を見てきてくれませんか」


 旅の途中、身を休めるために立ち寄った村。そこの村長でもある巫女にそう頼まれた。

 一宿一飯どころかすでに三日も滞在し、村人の食い扶持を横取りしていた身だ。否も応もなかった。


 「それはかまわないが。よそ者が行っても平気なのか?」


 その山はかつて神域だったという。そういう場所は、よそ者が入るのを嫌うことが多いはず。

 だが村長は「かまいません」と艶然と笑った。


 「もう何十年も人が立ち入っていない場所です。よそ者も何もないでしょう」


 それに村には、腕に覚えのある若者がいないという。男と言えば、まるで枯れ木のような、生気のない老人ばかりだった。


 「若者は、みんな戦に駆り出されてしまいまして」

 「そうか。わかった、では行ってこよう」


   ※   ※   ※


 (はてさて)


 悪霊が住み着いている山、多々良はそう聞いていた。昨日足を踏み入れた時は、その気配に「さもありなん」とうなずいた。

 だが、一夜にして様相が変わった。

 もしも今日この山に入っていたら、「悪霊なんているのか?」と首を傾げたに違いない。


 (確か、山の中腹にある泉に、社があると言っていたな)


 何十年も人が訪れなかった参道は、ほぼ獣道となっていた。多々良は鞘に入れたままの剣で草木をかき分けつつ、慎重に歩みを進めた。


 しばらく進むと、二つの道が合流する場所に出た。


 「ふむ」


 別の道、おそらく山の反対側へと通じている道を見て、多々良は険しい顔になった。


 ごく最近、何者かが通ったと思われる跡が見えた。

 その何者かは、どうやら泉へと向かったらしい。


 (山の気配が変わったことと、無関係ではない……な)


 さて何者か。


 「悪霊を使う呪術師、とかでなければよいが……」


 多々良は足音をなるだけ消し、慎重に山道を登った。

 夜が明け、空が明るくなっていく。それにつれて、森の中の闇も消えていく。


 やがて多々良は、視界の先にやや開けたところを認めた。

 どうやらそこが、社のある泉らしい、


 「さぁて、何が出るかな?」


 多々良は猛々しい笑みを浮かべ、鞘を払った。


 多々良は気配を殺して、ゆっくりと泉に近づいた。

 うかつにのぞき込んでばったり目が合ってはまずいと考え、多々良は大木の影に隠れたまま耳を澄ませた。


 パシャリ、と水音が聞こえた。


 一度ではなく、二度、三度と聞こえてきた。

 獣の気配ではない。

 誰か人がいるのは間違いない。水浴びでもしているのだろうかと、多々良は相手を確かめるため、慎重に大木の陰から顔を出した。


 多々良が顔を出すと同時に、山の向こうから太陽も顔を出した。

 差し込んだ光に目がくらみ、しかしすぐに慣れて、多々良は息を飲んだ。


 泉のほとりに、一糸もまとわぬ女が立っているのが見えた。


 太陽の光が水面できらきらと踊って跳ね返り、まるで光に包まれているようだった。

 手をかざして眩しそうに空を見上げるその横顔には、無防備な笑顔が浮かんでいる。白い肌に映える美しい黒髪が印象的で、その透き通るような美しさは、とてもこの世のものとは思えなかった。


 「なんと!?」


 多々良はその美しさに心を奪われ、気が付けば立ち上がり叫んでいた。

 その声に驚いたのだろう。バシャリ、と大きな水音がして、女が慌てて両手で体を隠して振り向いた。


 「まさか……天女殿の水浴び中、か!?」


 振り向いた女の引きつった顔には気づかぬまま。

 多々良は、夢見心地で、そんなことを叫んでいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ