表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

最愛と過ごす常春のこと

春待ち人

作者: ゼン

 煌びやかな王宮の広間では、年頃の若い男女が恋の駆け引きをしている。


 十七歳のシシー・クラークソンは、頬を赤らめて差し出された手を取る友人を見ながらこっそり溜め息を吐いた。


 別に羨ましくなんかない……少ししか。


 シシーには夢がある。

 姉のように幸せな家庭を築くことだ。


 美しいと評判の姉と義兄(あに)はパーティー嫌いで、たまにパーティーに出席すると昔は物凄く注目を浴びていたそうだ。今も昔ほどではないが、話題に上がる。


 シシーは、自分が姉の結婚した十七の年に運命の人と出会って結ばれるものだと信じて疑わなかった。


 なのに、なのにだ。

 シシーは今現在、見事に『壁の花』だ。


 若い男は誰もシシーに声をかけない。

 そして既婚男性がシシーに声をかけるのは義兄の知り合いや友人で、シシーを気遣ってくれる面々ばかり。それは、いいことだと思う。思うのだが……何と言うか、シシーだって浮いた話の一つくらい欲しい。


 どうしてだろうと考えた時、思い付く理由はいくつかあるが一番の理由はシシーがお転婆過ぎるからだろう。

 木登りして子猫を助けたり、家の庭にテントを張ったり、摘まみ食いしたり、レッスンをサボって執事に追いかけられたりと、なかなかのお転婆っぷりである。


 昨今の『モテる女性』像というのは、淑やかで男性に従順なことが必須条件だ。

 同い年の子息達はシシーの淑やかさから離れた性格と行動を理解しているのか、仲が良くなっても恋には決して発展しない。


 姉のような女性だったらきっとシシーにも声がかかったのだろうが、シシーは姉ではないし無理をして演じた姿に好意を抱かれても嬉しくない。


 だけど、少しは無理をした方がいいのだろうか。


「クラークソン子爵令嬢?」


 いつの間にか俯いていたシシーに、声がかかる。


 わざわざ畏まってシシーに話しかける声に、恐る恐る顔を上げると予想通りの人物がいた。声と顔の表情が合っていないことから、彼が怒っているのが分かる。


「……カイル」

「なんでこんな端にいるんだ、シシー。探しただろ」

「別にいいでしょ、どこにいたって」

「良くない、ちょろちょろすんな。今日はお前のこと見ておくように言われてるんだから」

「今日()でしょ……それに、ちょろちょろしてるのはカイルの方じゃない」


 シシーのお守が嫌ならば断わればいいのに、「任せてください」なんて上司である義兄にいい顔をするから、面倒なことになるのだ。


「仕方ないだろ、話しかけられたんだから。無視する訳にいかねえし、お前も隣にいれば良かったんだ」


 いられる訳がない。

 その話しかけてきた女性がシシーを邪魔そうに見てきたから移動したのだ。

 カイルも満更でもなさそうに貴公子スマイルなんて返しちゃって、シシーが邪魔だったくせに、よく言う。


 カイル・バンクスはシシーの一つ年上の幼馴染で、幼い頃からお互いの家を行き来して遊んでいた仲だ。彼の父親とシシーの義兄が仲が良かったことから家族ぐるみで付き合いをしている。

 そのせいか、カイルはシシーに対して言葉遣いも態度も雑だ。

 他の令嬢達には優しいのに……。


 実力のある騎士であるカイルは公爵家の次男坊で、顔がいいのでこういった場所で話しかけられると、シシーは少々居心地が悪い。


 今も、ちらちらとこちらを窺う視線を感じる。

 視線の意味は何となく分かる。

 家格が合わないとか、幼馴染の分際でとか、大体そんな感じだろう。

 別にシシーはカイルとどうこうなんて思ってないから、心配なんてしなくたっていいのに……というか、そんな身の程知らずではない。


 確かにシシーの初恋はカイルだけれど、もう諦めているのでとっくに昔話だ。


 昔は『カイルのお嫁さんになる』と言っていた頃があった。あの頃はカイルも今よりずっとシシーに優しかった。




 しばらく無言になった後、カイルが気怠そうにシシーに手を差し出してきた。


「踊るか?」

「……そんな言い方じゃ嫌」

「言い方なんてどうだっていいだろ」


 良くない。全然良くない。

 シシーはふんっとそっぽを向いてカイルを無視した。


「ったく。可愛い方、どうか私と一曲踊っていただけませんか?」

「……」


 つんと澄ましてシシーは、カイルの手に自分の手を添えた。


 カイルは何だかんだ言って、こうして誰にも誘ってもらえないシシーを誘って踊ってくれるのに、シシーはお礼を言えない。


 結局、その日もシシーはカイルとだけしか踊ることはなかった。






 ──パーティーから数日経った休日の午後、シシーは義兄(あに)の書斎に呼ばれた。


義兄(にい)様、呼びましたか?」

「うん、座って」


 少し表情の硬い義兄に促されソファーに座ると、義兄は溜め息を一つ落としてから空咳をして決意をした顔でシシーと目線を合わせた。


「……シシーの結婚相手のことなんだけど」


 今の今まで、色恋の話が全くないシシーを義兄が心配したのだろう。


 変な男を連れて来るくらいなら、自分の部下で優秀な者を……とか何とか執事と話していたのを思い出す。

 これは盗み聞きだが。


「はい」

「カイルはどうかな?」

「えっ」

「シシーはカイルと仲が良いし。でもシシーが嫌なら話は進めないよ」

「その話は、カイルも知ってるんですか?」

「いや、明日話す予定だ。まずはシシーに聞いてからと思って」


「い、嫌じゃないです!」

 声が上擦って、頬が緩みそうになる。


 もう諦めているなんて、嘘だ。

 シシーの夢は、あの頃と変わらず『カイルのお嫁さんになる』ことだった。


 ──しかし、この話は進められることはなかった。


 そしてそれは、他ならぬカイル自身の希望によるものだった。


 当たり前だが、シシーは落ち込んだ。それはもう落ち込んだ。

 お転婆は鳴りを潜め、部屋に引き籠るほど落ち込んだ。

 いつもは口煩い執事も、元気がないシシーを心配したし、シシー付きのメイドのココも主人同様落ち込んだ。

 仲良しの友人の誘いも断り、そして、サボり気味だった淑女教育を大人しく受けるようになった。




「シシー、一緒にお散歩に行かない?」

「行かない」

「籠りっきりなんて体に良くないと思うの。それにいいお天気だし。ね?」

「いい。日に焼けるもん」


 肌が黒くなってもお構いなしに太陽の下を走り回っていたシシーの言葉に、姉はほとほと困り果てていた。

 可愛い姪っ子甥っ子攻撃も、テントの誘惑も効かないシシーなんて、もはやシシーではない。この時ばかりはいつも「お淑やかに」と注意する執事も、シシーの変化に戸惑っていた。


 何とかして元の元気な姿に戻ってほしい姉と、もはや意地になった(シシー)の攻防(というか、姉の一方通行)に、姉はとうとう()を上げた。


 その結果──


「な、なんで、カイルが家に来るの?」


 シシーが引き籠って五回目の休日、玄関口に通じる階段の上で信じられないものを見た。


「お嘆きになっている奥様を見た旦那様がお呼びになられました」


 シシーは独り言のつもりだったのだが、後ろに控えていたメイドのココがシシーの疑問に答える。

 義兄の夫馬鹿を知っているくせに、こうなることを予想できなかったことにシシーは悔しくなった。


「シシー」


 階段を上がってくるカイルに、シシーは後ずさりした。


 嫌だ。

 義兄の命令で来た男と話したくない。


「お嬢様、嫌なら逃げちゃえばいいのです」

 こそりと耳打ちするココが、悪戯っぽく笑う。


 小さい頃から一緒にいたメイドというより、年上の友人みたいなココはどんな時もシシーの味方だった。


「ココ」

「はい、お嬢様」

「足止め頼んだからねっ」

「お任せください!!」


 くるりとスカートの裾を翻して、シシーは逃げた。


「おい、シシー! 待て!」


 カイルの制止を背に、ほんの少しだけ溜飲(りゅういん)を下げてシシーは走った。






 ***


 こんなことになるなら、格好付けたりなんかしないで()()()を受ければ良かった──カイルはシシーを追いかけながら思った。


「隊長からの打診ではなく、自分からシシー嬢に求婚したいのでこの話はなかったことにしていただけませんか」


 彼女の義兄で、カイルの上司である隊長にそう言った次の日から、カイルはシシーに会うことができなくなった。


 パーティーにも顔を出さなければ、カイルが手を回した友人のお茶会にも参加しない彼女は、偶然を装って会おうと試みるカイルを嘲笑うかのように家から一歩も出なくなった。



「シシーが、誰でもいいから早く嫁ぎたいと言ってきたんだけど……立候補したい奴ってどれくらいいる?」



 ぼそりと言った隊長の言葉にカイルはぎょっとした。


 そして──


「はい! はい! 僕、隊長の義妹さんと結婚したいです!!」

「いいや、俺が! いえ、私がシシー嬢を幸せにします!」

「うるせえぞ、お前等! ……隊長、僭越ながら私が立候補してもよろしいでしょうか?」


 ──むくむく現れるくそ野郎共……もとい、ライバル達。


 今までの牽制がぶっ壊れた瞬間を()の当たりにしたカイルのこの時の気持ちを考えてほしい。

 昔から、大事に大事に囲ってきた女の子をこんな野郎共にくれて堪るか!


 その後、本人(シシー)の知らぬところで『シシー・クラークソンに求婚する権利争奪戦』が始まり、結果、カイルがそれを手にした。


 そして、今。そのシシーを追いかけているのだが、メイドをはじめとした家の者に邪魔をされて彼女との距離が縮まらない。


「シシー、止まれ!」

「やーだよー」


 きらきらした笑顔が振り返って言った。

 こっちはこんなに必死だというのに、シシーはカイルと逆に楽しそうである。


「くそっ」


 しかし、いくらシシーがお転婆で家の者の助けがあったとは言え、彼女は令嬢だ。

 つまり、現役騎士のカイルが本気を出したら、シシーをつかまえることなど容易いのだ。



「このお転婆娘め」

「じゃあ、お淑やかで可愛い女の子でも追っかけたらいいじゃない」


 ぷん、とそっぽを向くシシーは可愛いけれど、この言葉にはカチンときてしまう。

 争奪戦がどれだけ大変だったかを知らないシシーに腹が立ったカイルは、彼女の頬を掴んで無理矢理目線を合わせた。


「ははっ、変な顔」

「むう!」

「いいか、よく聞け」

「……むう」

「お前みたいなお転婆貰ってやるって言う奇特な男は、俺だけだ!」

「むむむーう!」

「何て言ってんだ?」


 カイルがぱっとシシーの頬から手を離すと、思いっきり鳩尾(みぞおち)に一発食らった。

 普通の令嬢がこんないい一撃(パンチ)を繰り出せるとは思えないが……シシーはそこら辺にいる深窓(ふつう)の令嬢ではない。

 カイルはそんなところも気に入っているのだが、今みたいなことや逃げ回るようなことはやめてほしい。


「いるもん!」

「……っ、何がだ」

「私と結婚したいって言ってる人たくさんいるって、義兄様が言ってた!」

「……」


 余計なことを言いやがって、とカイルは舌打ちしたくなった。

 しかも、シシーが言っていることは真実だ。天真爛漫で素直で、顔も可愛いシシーと結婚したい男はたくさんいる。


「……そ、それに……カイル断ったじゃない……。なのに、今更そんなこと言ってきて何のつもり?」


 シシーの緑の目が潤んでいる──泣かせてしまった……。


 ***






 言った瞬間から後悔が込み上がってきたが、もう遅い。言葉は、カイルに届いてしまった。

 

 シシーと結婚したい男がたくさんいる、なんて明らかな嘘なのに、淑やかでもなく嘘吐きなシシーはこのままでは一生独り身だ。


 瞳にじわじわ水の膜ができていくのが分かって、シシーは逃げ出したくなった。


 今すぐに姉に慰めてもらって、ココの淹れたミルクティーを飲みたい。

 それか久々に庭にテントを張ってそこに小一時間ほど籠りたい。というか、いっそ山に籠りたい。


「ごめん、シシー。泣くな。俺が悪かった」

「泣いてない」

「泣いてんだろ。本当にごめん」


 カイル、そういうところだぞ、と突っ込みたくなる。


 好きでもない女の涙に反応なんてしなくてもいいのにと思う一方、気にかけてもらって嬉しいと思ってしまう自分が嫌になる。


 これでは本当にだめになる。カイルが帰ったら山……は無理だから庭にテントを張って籠ろう。


「泣いてないもん」


 やや乱暴に涙を拭って、カイルの横をすり抜け──られない。腕を掴まれてびくともしない。


「どうせ私と結婚してやれとか言われたんでしょうけど、そういうのいいから! 私から、義兄様に話しておくし、カイルはもう帰ってよ」


 だから、この手を離してほしいのだが……カイルの手は緩まない。


「話すって、何を」

「結婚の話とか、色々……」

「おい、誰とするつもりだ!」

「誰って……私のこと大事にしてくれる人。義兄様に選んでもらうの!」


 そうだ、義兄の人を見る目は確かだから、きっとシシーが幸せになれる人を選んでくれるはずだ。


「俺よりお前のこと大事にする奴なんかいないぞ!」

「何言ってるの?」

「何って、ああくそっ」

「また『くそ』とか言ってる」

「言いたくもなる」


 はあ、とわざとらしく大きな溜め息を吐くカイルをよく見てみれば、以前会った時より、新しい傷がたくさんできていた──以前と言っても(ひと)月も前だが。

 シシーの逃亡を助けた使用人から受けたものとは思えない。訓練で作ったのだろうか、痛そうだ。


「カイル」

「何」

「怪我、手当してあげるから座って」


 カイルはこの言葉に、素直に頷いてシシーの腕を離した。




「せっかく美人に生まれたんだから、顔は大事にしなよ」


 椅子に座って向かい合い、顔の傷を消毒しながら言うシシーに、カイルは不満げだ。

 褒めたのに、なぜそんな不貞腐れた顔をするのか不思議である。


「男に美人とか言うな」

「いいじゃない、私なんて美人なんて言われたことないから羨ましい。……はい、ガーゼ貼ったよ」

「お前は美人ってより、『可愛い』だろ」


「……別に無理して褒めなくてもいいのに」

 まただ、と思う。


 カイルも変わったけれど、シシーだって変わった。

 昔はシシーも素直にありがとうと言えたのに、今はそれが言えない。


「無理してねえよ」

「もういいってば」

「……何が」

「私、怒ってないし」

「そこは怒れよ」

「じゃあ、カイルが謝ってくれたから許す。もう仲直りしよ?」


 シシーが言うと、カイルはがくりと肩を落としてシシーの肩口に額を付けて低く唸った。

 どうしたのだろう。怪我が痛むのだろうか、それとも貧血だろうか。


「カイル、大丈夫?」

「大丈夫じゃない」

「え、どうしよう。誰か呼んでこようか?」


 どうせ、部屋の外にはココが待機しているし、少し大きな声で呼べば誰かしらを連れてきてくれるはずだ。

 でも、それはできなかった。カイルの手がシシーの背中に回ったからだ。


 これは良くない気がする。


「カイル? いくら幼馴染でもこれはさすがに良くないと思うの。私、コニー(執事)に叱られちゃう」

「既成事実作ろうかと思ったんだけどだめか?」

「きせーじじつ、ってどういう意味?」

「……お子様か」

「今はね? でも、あと半年もしたら十八歳(成人)だよ」

「そういう意味じゃない……」


 シシーは、十八になれば自動的に大人になれると思っていた。つい三年前くらいまでは。

 姉が十七だった頃、姉はもうとっくに大人だったからだ。

 母はシシーを産んですぐ亡くなって、父は借金を残して死んでしまったから姉は大人にならざるをえなかったとは思うが……それにしたって、シシーはカイルの言う通り『お子様』だ。




「──今度、騎士で力試しのでかい大会があるんだけど」

「うん、知ってる。義兄様が九回連続で優勝して、今年から殿堂入りした大会でしょ?」


 隔年に一度、騎士の間で行われる大会はシシーも幼い頃から何回も見に行ったことがある。

 その大会は何でもありのルールなので、姉と怪我をしたらどうしようと心配しながら見ていたが、義兄が怪我をしたことは一度もない。


()()()は隊長から持ってきた話じゃなくて、俺から言いたかったから断ったんだ。で、大会で優勝したら言うつもりだった。でも、大会終わる頃にシシーが別の男と婚約してたらシャレにならないし、今言う」


 カイルから言いたかった、とは?


 言葉の意味についてシシーが考えている五秒間で、カイルはシシーの足元に跪いていた。

 そういえば、今日の彼の服装は正装だ。


「待って、だって……これって……」


 正装で男性が女性に跪くなんて、求婚しかあり得ない。


「シシー・クラークソン嬢、私と結婚して下さい。貴女だけの騎士となる栄誉を私にいただけませんか」


 ──『義兄様みたいな人と結婚したいなあ』

 ──『そうそういないと思うけど……』

 ──『じゃあ、騎士様』

 ──『騎士なら誰でもいいのか?』

 ──『義兄様くらい強い人がいい』

 ──『……ふうん』


 三年前にカイルの姉の結婚式の時に、カイルと話したことを思い出す。

 まさか、あの時のことを、カイルは覚えていたのだろうか。


「カイルは、私のこと……?」

「好きだ」


 だったらもう少し分かりやすい態度を取ってほしいとか、子供扱いしないでとか、他にも色々言いたいことはあるけれど、カイルが勇気を出してくれたのだから、今度はシシーの番である。


「私も! カイルが大好き!」


 シシーはカイルに抱き着いて叫んだ。


 ***






 大会は何とか勝ち残り、いよいよ決勝を迎えた。

 シシーの義兄が出ないのならと、例年より参加者が多かったので危ない場面もいくつかあったが、カイルは頑張った。

 これも愛の力である。シシーに格好付けたいという気持ちで頑張ってきた甲斐があった。


 勝ったご褒美に彼女にキスをしてもらうのだ。

 頬ではない、唇にだ(未許可)。


 だから、絶対に勝ちたい。


 婚約者なのだからキスくらいしたっていいのだろうが、長年幼馴染をやってきたことが弊害となり、カイルも手が出しにくいのだ(決してカイルがヘタレだからではない)。

 つまり、きっかけが欲しい。


「決勝は、カイル・バンクスと、『謎の騎士』ことアシュレイ・クラークソンでーす」


 ややふざけた声色の選手紹介の声に、カイルは目の前の甲冑の男こと『謎の騎士』を見た。

 ちなみに紹介をしている男は、以前シシーの件でカイルがぼこぼこにした同期の男である。


 そして。


 今、アシュレイ・クラークソンと聞いたのは、聞き間違いであってはくれないだろうかという、カイルの神への祈りは届かなかった。


 男は、カイルの上司であり、シシーの義兄──九回も大会で優勝した最強の男だった。


 神などいない。


「『義妹(シシー)と結婚したいなら俺を倒してからだ』って、一度言ってみたかったんだ」


 殿堂入りはどうしたんだとカイルが呟くと、「十回連続優勝で殿堂入りの方がキリがいいってことだそうでーす」と、同期の男が説明する。


「あの、俺はもうシシーと婚約しているのですが……」

「はははっ」

「隊長! 『ははは』じゃないですよ!」


「はーい、試合開始でーす! カイル、負けちまえ~!」

 同期の男の声で、試合は始まった。



 ──試合の結果は言うまでもない。



 完敗だった。







「え? 婚約解消? そんなのする訳ないじゃない。カイル、義兄様に揶揄(からか)われたんだよ」


 後日、シシーにけろっとした顔で言われたカイルは、顔を盛大に(しか)めた。


「いいや、あの目は本気(マジ)だった。死ぬかと思った」

「ええ? 義兄様が殺す気なら、カイルなんてとっくに死んじゃってるよお」

「お前なあ、それが傷心してる婚約者に言うことか?」


 カイルは、不貞腐れた。


 あの『大好き』と言ってカイルに抱き着いてきた可愛いシシーはどこへやら。

 二人の間に、甘い空気など生まれやしないのだ。


「カイル?」

「あんだよ」

「あのね、準優勝おめでと」


 撤回しよう。

 んちゅ、と頬にキスをして顔を赤くするシシーは世界一可愛い。


「……ここにはしてくれないのか?」


 とん、と人差し指で唇を指すと、シシーは指でバッテンの形を作って首を横に振った。


「なんでだよ」

「姉様に結婚するまではだめって言われてるの」

「……シスコンめ」


 婚約しても、まだまだカイルの試練は終わらない。

 むしろ始まりである。



 来年の春を待ち遠しく思いながら、カイルはシシーの額に唇を押し付けた。




【完】

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ