転生少女
ある神様の話です。女の神様は、天界の中でも美しいと名高い男の神様と愛を育んでおりました。それはもう幸せでした。やがて女の神様は身籠り、待望の赤ん坊が生まれようとしていた時、彼女の前に見知らぬ女の神様が現れて怒り狂った表情でこう告げたのです。
「あの人は私の夫なのよ」と。
何と、男の神様には既に妻子が居たのでした。当然、彼女はそんな事は知りませんでした。また、彼女が何も知らなかった事を正妻も知りませんでした。二人は口論になり、最終的に愛人の方が負けてしまいました。
愛人は正妻に下界へと突き落とされ、その後どうなったのかは誰も知る事はなかったそうです。
神様も人間みたいなのね。
教室の窓際の席、私は教壇に立つ女教師の話を聞いて唐突にそう思った。正直、興味はなかったからそこまで真剣には聞かなかったけど。
私は、ぼんやりと視線を窓の外へと移す。澄んだ水色の空が大きく広がり、薄い雲が所々覆っている。暖かい日差しが差し込み、私の黒髪を艶やかに照らし、机の上の文字ばかりの教科書を白く光らせる。
はあ……眠い。授業もつまんないし、何より暑くもなく寒くもない体感的に丁度良い気温が私を眠りへと誘っている。
「ちょっと、そこ! ちゃんと聞いてなさい!」
女教師の甲高い声が私に向けられ、私は下がりかけていた頭を起こして女教師に笑顔で返した。
「はい。すみませんでした」
「次は気を付けなさいね。テストも近いんだから」
「はい」
女教師が授業を再開し、私はまたぼんやりとし始める。机に両腕を付き、頭をその上に乗せて横目で窓の外を眺めた。
別に……私、勉強をしなくてもテストで満点取れるし、いいんだけどね。
下校のチャイムが校内に鳴り響き、私は荷物を纏めて下駄箱へ向かう。室内用の靴を登下校用の靴に履き替え、グループになって歩く男子生徒や女子生徒の横を通り過ぎる。その際、特に会話はせずに別れの挨拶だけ。私は登校する時も、下校する時も、常に一人だ。人付き合いが苦手な訳ではないけど、自然とこれまでの人生が私をそうさせた。誰かと繋がりを持っても、またすぐに切れてしまう。ずっとそれの繰り返し。それならば、始めから誰とも繋がらなければ、何も悲しむ事はないと思ったんだ。
私は一人、普段と変わらない帰路を辿っていった。黄昏に染まる空だけは、いつも以上に綺麗で。悲しくて。ずっと、このままで居たいと日が沈む度に思った。
私は駅へ向かう途中の商店街を歩く。ここでも同じ高校の生徒がいたけど、挨拶だけ。皆、道端で話し込んでクレープ食べて楽しそう。平和だなーって思う。嫌味で思ってる訳じゃなくて、微笑ましいって意味で。
でも、世の中そんなに平和じゃない。耳を傾ければ、通り過ぎる人達の悪口や嫌な噂が流れ込んで来る。今日も、嫌でも私の耳にそんな話が入って来た。
「さっきのニュース見た?」
「見た見た! この辺に殺人犯がうろついてるんでしょ?」
「マジ恐い。早く帰ろう」
「うん」
二人組の女子高生の会話だった。これはただの噂ではなさそうだけど……私にはこの事でさえも関心がなかった。
私は鞄からスマホを取り出して、時間を確認した。まだ、次の電車が来るまで時間がある。暇つぶしに、今視界に入った書店へと足を運ぶ事にした。
自動ドアを潜り抜け、真っ先に目に飛び込んで来たのはレジ前の低めの棚に並べられた書籍の数々。これらは今話題の書籍で、映画化されていたりドラマ化されていたりする。その横を素通りした私は次に見えて来た女性向けのファッション雑誌のコーナーを一瞥し、その裏にあるライトノベルのコーナーへ向かった。興味は特別にある訳じゃないけど、クラスの男子達が休み時間に話していたのを思い出して、どんなものかと一度目を通してみたくなったんだ。
手前に表紙を上にして並べられている新刊。どれもこれも似たように、可愛い女の子キャラのイラストが描かれている。……なるほど。いかにも男子が好みそうなものね。そして、もう一つ。どのライトノベルにも共通点がある事に気が付いた。それはタイトル。タイトルに「異世界」だとか、「転生」という言葉が入っていた。粗筋に目を通してみても、やっぱりその二文字が目立った。しかも、どの作品の異世界転生をした主人公も何かしら楽しそうな人生を送っていた。それ自体は別に悪い事ではないけど、私は呆れてしまった。
異世界転生がこんなに楽しいなら、苦労はしないわ。
スマホで時間を確認すると、丁度良い時間だったので私は書店を出て駅へと向かった。
異世界転生……か。その言葉が私の頭から離れない。いや、寧ろ私自身切り離す事の出来ないものなんだわ。そう、私はその経験者だ。今、ここに居る私には異世界での前世があった。そこで事故に巻き込まれて死に、今に至る。勿論、ライトノベルの様に記憶は引き継いでね。だけど、現実は物語の様に楽しいものではないわ。私は、私のままで転生を繰り返しているのだから。物語では別の姿の自分になったり、何か特別な能力を手に入れると思うんだけど、私の場合は姿形……全てが私なの。特別な能力だって手に入らない。まるで、それは不死の様。世界が違えど、“自分”をずっと続けなくてはいけないのだから、まさに生き地獄。もう、死に対する恐怖はない。ただ、この先も終わりの見えない人生が待っているのだと思うと苦痛だった。
私は電車に揺られて、暗くなっていく窓の外を眺める。
この世界でも私は死ぬのかしら。そして、また……
私は、すっかり暗くなって人通りの少なくなった道を歩く。私の家は住宅地にある小さなアパートで、辿り着くまでの道は徐々に街灯も減って暗い。その為、変質者がよく出没するみたい。私は、運が良いのか悪いのか、一度も会った事がないけど。
月明かりで不気味に白く浮き上がる二階建てアパートの前に辿り着き、私は一階の端の自分の部屋へ向かった。鞄の外ポケットから鍵を取り出し、ドアノブの鍵穴に差して回して扉を開いた。
玄関は暗く、その先にある室内も真っ暗だった。誰もいないから当然と言えば、当然なんだけど。私は靴を脱ぎ、スリッパに履き替えた。
灯りを点けようと、壁際のスイッチに手を伸ばした時、私は手を止めた。部屋の奥から物音がしたからだ。暫く息を殺して立ち竦んでいたけど、何も起こらなかったので私はスイッチを押して灯りを点けた。足下が鮮明になった廊下を歩き、リビングへ。
あ。そうだ。お風呂沸かさないと。
リビングに足を一歩踏み入れた私は踵を返した。
その時だった。
突然と後頭部に強い衝撃が走り、私の身体は前へ倒れた。鞄が手から落ちて床に転がる。
痛い……何これ。何が起こったの?
私はゆっくりと首を後ろへ捻った。すると、そこには見知らぬ男が立って居た。手には血の付いた斧を持ち、その顔は狂気に歪んでいた。
私の後頭部からは生温かい液体が流れ、意識が朦朧として来た。叫びたくても叫べない。動きたくても動けない。上から降ってくるのは、男の狂った笑い声。
ああ……やっぱり死ぬのか。そして、また私は私を引き継ぐのね。こんな素敵な人生をありがとう、神様。私は一生アンタを恨むわ。
私の目の前は血に染まり、意識はプツリと途切れた――――。
なろう系と称される「異世界転生」について真剣に向き合ってみた結果。