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自殺指導者

 死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい!!


 これまで何度思ったか分からない。けれど、もう限界だった。

 僕は駅前の雑踏を駆け抜ける。学ラン姿の僕の事が気になるのだろう。人の視線が五月蝿い。

 今学生は学校と言う名の檻の中に閉じ込められている筈だから、それも仕方ないけど。

 目の前から男性警察官が歩いて来る。パトロールでもしているのだろうか。危うく僕は声を掛けられそうだったが、気付いていない風をして横を物凄い勢いで走り抜けた。後ろから僕を呼び止める声がしても、足を止めない。止めたくない。


 このまま何処かへ…………




 人の視線も声もなくなった。青空がほんの少しだけ近い。

 僕は気付かぬうちに四階建てのマンションに辿り着いていた。

 四階から眺める景色は民家が並ぶ見た事のない景色。

 風が心地良い……

 僕の右足は自然と上がり、目の前の手摺を跨ごうとしていた。

 此処から飛び降りれば、楽になれる。もうあんな屈辱を受けたくない。


 僕が何をしたって言うんだ。アイツは勝手に僕を目の敵にし、いつの日からか仲間を従えて僕を虐める様になった。

 朝学校で会えば暴言を吐かれ、休憩中に教室で読書をしていても本を取り上げられてライターで燃やされる。僕の分の給食には虫を入れられ、帰りには帰る靴がなくなっていた。毎日毎日飽きもせず、アイツらは朝から夕方まで僕に危害を加えてくるんだ。


 そりゃ、僕だって黙って嫌がらせを受けてた訳じゃないんだよ。先生にも言ったし、友達にも相談したさ。だけど、先生は「あの子は成績優秀なんだ。そんな幼稚な事する訳ないよ」って全く聞く耳持たないし、信じてた友達は知らんぷりで自然と僕から離れていった。きっと、先生も友達も巻き込まれたくなかったんだよね。


 気が付いた時には、僕は孤独になっていた。


 このまま退学して、家に引き込もっていれば楽かって? そうじゃないんだよ。僕の家は両親とも医者でさ。所謂金持ちって訳だけど、その分色々と規則とか厳しいんだ。それなりに信頼のあるお医者様だから、息子がそんな状態になったとしたら顔に泥を塗る事になるじゃないか。そうなったら、「ごめんなさい」じゃ済まない訳だよ。

 だから、もう僕に残された道は一つなんだ。


 右足が手摺りの向こう側にいったので、次は左足を浮かせる。

 両足が揃って宙に浮く前に、僕は手摺りに腰を下ろした。

 もう最期なんだ。この何の変哲もない景色を目に焼き付けておくのも悪くない。

 目の前を鳥が優雅に通りすがり、風を引き連れて来た。

 さっきよりも強い風。これなら、僕もあの鳥の様に空を羽ばたく事が出来るかもしれない。

 僕は手摺りに置いていた両手を広げ、次に腰を浮かせようとした。


「飛び降りるおつもりですか?」


 不意に背後から声がして、動きを止めた。

 気になって振り返ると、そこには黒いスーツ姿の30代後半ぐらいの男が立って居た。少しだけ父さんに似てて、つい顰め面になってしまった。

 僕はうんざりとした様に、男に返した。


「見りゃ分かるだろ」

「そうですね。貴男がされようとしている行為はまさしく、飛び降り自殺。自殺方法の中では特別な道具がいらず、また、地上に衝突する前に意識を失う事から痛みを感じずに済むなどの理由で非常に人気の死に方ですね」


 男は何処か気品のある笑みで、平然とそう語った。

 意味が分からない。この人は何が言いたいのだろう。


「てゆーかさ、アンタ誰なんだよ」


 僕がそう言うと、男は慌てた様に懐を探り始めた。そして取り出したのは、一枚の名刺。


「申し遅れました。私は『自殺指導者』の伊東と申します」


 差し出された名刺には確かにそう書かれていた。僕は名刺を男に突き返し、訝しげな目で男を見つめた。


「何それ。職業? アンタ、僕を馬鹿にしてんの?」


 男はまた笑みを浮かべる。


「馬鹿にしてなどいませんよ。ただ、今から飛び降りようとお考えの貴男に一つ助言をさせていただこうと思いましてね」

「はい?」

「下をよく見て下さい。土がありますよね。しかも、昨夜降った雨でまだ湿っている。あそこは丁度建物の陰になってしまい、日当たりがとても悪いのですよ。つまりです。そこへ飛び降りたとしても、その土がクッションとなってしまい、貴男は運良く……いえ、この場合は悪く、助かってしまうのです。『飛び降り』は確かに簡単な方法ではありますが、だからと言って必ずしも死ねるとは限らないのです。天候、着地点、建物の具体的な高さなどによっても、安心して死ぬ事が出来ない事もあるのです」

「そうなのか……」

「でも、大丈夫です。あちらを見て下さい。そう、あの高層マンションです。この辺りでは一番色んな意味を含めて高い建物です。まあ、貴男の方が良い家に住んでいるかと思いますがね。とにかくです。あのぐらいの高さがあれば、確実に死ぬ事が出来ますよ」

「へえ……」


 僕は手摺りの内側へ戻り、男の真正面に立った。男の身長は手摺りの上から見下ろしていた時よりも高く、僕の頭が丁度男の胸の辺りに来ていた。

 男は僕と目が合うと、微笑んだ。

 僕はそれを無視し、男の後方にある階段をスタスタと下りていった。


 はたと気付く。何であの男は僕の家の事を知っていたのだろうと――――。でも、それをわざわざ確かめに戻る気にはなれず、そのまま誰も居ない自宅へと足を運んだ。





 翌日、僕は学校へ行くふりをして別の場所へ向かった。

 そこはそう、昨日あの変な男から勧められた高層マンションだった。

 僕は屋上に立ち、手摺に身を乗り出して地上を見下ろした。

 昨日とは断然良い眺め。道行く人が指で握り潰せそうなぐらい小さい。空は今日の僕の解放を祝ってくれている様に晴れ渡っている。

 よし、このまま重心を前にずらして頭から飛び降りよう。


「谷原くん」


 名前を呼ばれ、僕は反射的に動きを止めて後ろを振り返った。

 すると、そこにはまたスーツの男が居た。昨日の変人だ。


「何」


 僕が気怠そうな声を漏らすと、男は昨日と同じ笑みを浮かべた。

「そこから飛び降りるのはお勧めしませんよ」

「いや! 昨日アンタが勧めたんじゃないか」

「いいえ? 私がお勧めしたのは、このマンションぐらいの高さです。つまり、このマンションであるとは断定しておりません」

「はあ!?」


 滅茶苦茶腹が立つ。何、涼しい顔で語っているんだ。コイツは。


「ほら、下を良く見て下さい。人が沢山歩いているでしょう? そんな所に貴男が落下してきたら、その人達にまで被害が及びます。それに、下は硬いコンクリート。衝突すれば、貴男の頭部が割れて飛散します。意外と、コンクリートに付着したそれらは引き剥がしにくいんですよ? 処理する人の気持ちにもなって下さい」

「う、うるさいな! そんな事ぐらい分かってるよ」


 あれ……? 何、僕は上手い事説得されてるの?


 今日も僕の足は空中にではなく、自宅へと向かっていった。





 今度こそ、死んでやる!


 そう強い決意を固め、今日の僕の姿は大通りの交差点の前にあった。

 ここは交通量が多く、大型トラックも毎時間通り過ぎる。この赤信号の横断歩道を渡れば、嫌でも車に撥ねられて引き攣られて死ぬ事が出来るだろう。

 隣で大人しく信号が青になるのを待っているお婆さんを他所に、僕は一歩踏み出した。


「信号はまだ赤ですよ」


 僕を呼び止める声がして、僕は踵を返した。

 今の声……お婆さんじゃない。渋い男の声だ。

 僕はまさかと思い、声のした方を振り返った。


「またアンタか……」


 予感的中。やっぱりそこには、スーツの男が居た。

 男は本日も良い笑顔で僕に言う。


「車に撥ねられて死ぬ……柔な人間ならではの死に方ですね。しかし、それは死ぬ直前に激しい痛みを伴いますよ?」

「どうせ死ぬんだから、いいさ。別に……」

「それに、これだけの交通量。どれだけのドライバーの足をお止めになるつもりですか? いい迷惑ですよ。仮に死ねなかった場合、どう責任をとるのですか? 確かに法律上、ドライバーの前方不注意で処理され、貴男には一切負担はないでしょうけど。貴男のご両親は? 学校は? そして、貴男自身は? きっと、死ぬ前よりももっと苦しむ事になるでしょうね」


 くそ……言い返す言葉が思いつかない。


 僕は逃げる様にその場を去った。勿論、向かうべき場所は自宅だ。






 何故、僕は死にたいと強く願いながらも、結局今日まで生き続けているのだろう。


 あの男のせい?


 あんなよく分からない事を言われたから?


 いや……きっと、僕にはまだ迷いがある。

 こんな嫌な世界でも、確かに好きだって思えた事は沢山あるんだから。


 でも、もうこれも終わりにしよう。中途半端な覚悟の自殺志願者なんて、どうにも格好悪いだろう? 死後の世界で馬鹿にされるのがオチさ。



 今日は珍しく両親と島の別荘に来ている。

 周りは広大な海に囲まれ、空気が澄んでいた。

 僕は切り立った崖があるのを知っている。昔、夢中で遊んでいた時に辿り着き、僕を捜しに来た母さんに「危ないからもう近付いては駄目」と怒られた場所だ。

 小さい頃は怖かったし、それ以来は近付こうとは思わなかった。

 それなのに、少し大人の階段を上り始めた僕には好奇心で渦巻く絶好の場所に思えた。

 そこから身を投げ出せと言っている様なものじゃないか。

 そうさ。今から、僕はそこから飛び降りるんだ。


 真下ではゴツゴツとした岩肌に波が打ち付け、ザバンザバンと音を立てていた。

 この高さなら十分だし、あの岩に頭を強く打ち付ければすぐに楽になれる。

 僕を捜しに来た両親が海上にぷかぷか浮かぶ息子の哀れな死体を見つけ、絶望する姿も実に滑稽で悪くない。おさらばした世界の事なんてもうどうでもいいんだから、とことん苦しめばいいさ。

 僕が死んだ後の両親の事を思うと、つい顔がニヤけて来る。

 今から死のうと言うのに、愉快な気分だ。まあ、僕にとって死ぬとは解放と言う事なんだけどさ。

 こんな僕なら、きっと死後の世界でもやっていけるだろう。


 待ってろよ。新しい僕の……僕だけの居場所。

 僕は笑顔のまま、海風に乗って身を投げ出そうとした。


「この周辺の海の幸はとても美味しいのだそうですね」


 気の抜ける様な、単なる日常的な第一声に反応し、僕の身体は地上に留まってしまった。

 向き直ると――――四度目。最早当たり前の如く、スーツの男が立って居た。


「何でっ! こんなとこにアンタが居るんだよ! アンタ、僕のストーカーじゃないのか!?」


 噛み付く様な勢いで言ったのに、対する男は平然と笑みを浮かべている。

 相変わらずムカつく……。


「貴男、ここから飛び降りるおつもりでしたね?」

「だからぁ!」

「まあ、死ねるでしょうね。ですが、この広大な海には数え切れない程の生物が生存しているのです。そこへ貴方の汚い死体が紛れ込むとなると、海洋生物が何だか可哀想で仕方がありません。考えてもみて下さい。もし、突然ご自宅に見ず知らずの死体が降って来たとしたら? ……嫌ですよね? 気持ち悪いですよね? 単なる汚物としか判断出来ませんよね?」

「だから……そんなの、死ぬ僕には関係ない事だし……汚物とか…………」


 いつの間にか僕は俯いていて、唇を噛んでいた。涙が出る代わりに、唇から血が滴り落ちる。

 ついさっきまで死ぬつもりでいたのに。解放されたいと思ってたのに。僕が死んだ後の世界の事なんてどうでもいい筈だったのに。

 向こうから、僕を呼ぶ母さんの声が聞こえた。

 僕は男を視界に入れない様にし、声のした方へ走って行った。








 ちゃんと学校に行って帰宅する途中。

 西から橙が溢れ出す空を僕はぼんやりと眺めている。風がそっと、頬を撫でてゆく。

 あの日、死のうと思って最初に訪れた場所に僕は立って居た。

 鞄を足下に置き、両腕を手摺に置いた。


「飛び降りるおつもりですか?」


 男の声がし、僕は特に驚く事もなく自然と振り返った。黒いスーツの男の笑顔があった。


「もうそんな事はしないよ。アンタのせいで死ぬ気がなくなった…………」


 何気なく、僕の視線が男の足下へ下がっていった。

 僕は一度唾を飲み込み、瞬きをし、もう一度男の足下を見た。


 足が……





 ――――ない!?


 膝から下が空気と同化している。

 恐怖に背筋がゾワゾワしつつも、僕の視線はそこから固定されたまま移動させる事は出来なかった。


「……そうですか。それでは良い人生を」


 男の膝から上も空気と同化し、一瞬で男は消え去った。その際、一枚の名刺を残して。

 名刺は風に煽られ、手摺りの向こうへと飛んでゆく。

 そこには『自殺指導者 伊東』と確かに書かれていた。

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