【読み物】今さらリトルマリー号の船内案内+何か
最近(2023年11月半ば)出番のない主人公、マリーの番外編です。
狭い穴倉のような場所で、私は目を覚ました。ここは……リトルマリー号の船長室?
作りつけの寝台も壁じゅうに貼られた古い地図も、私が乗っていた頃のままだ。変ですよ、この船はパルキアとグラストで綺麗に改装されていたはず。
天井も低いなあ。
体を起こし、舷側の小さな板窓を開けると、眩しい光が差し込んで来た。晴れた空、そよぐ風。くっきりとした水平線に穏やかな波、これはいい航海日和……と言いたい所だけど、これじゃあまりスピードが出ないわね。
船長室の戸口は小さく、私でも頭を下げないと通れない。私より30cm近く背の高い父にとってはどのくらい窮屈だったのだろう。
船長室の前には廊下があり向かいにはもう一つ扉がある。そこは船長室と同じ広さの小部屋になっていて船の金庫や工具、備品がみっちりと詰め込まれていて、それに囲まれるようにしてアレクがギリギリ座れる机と椅子がある。そこがリトルマリー号の主計室だ。
廊下の船尾側突き当たりにはむきだしの舵軸があるけどどういう構造になっているのかは薄暗くてよくわかりません、残念、残念。
そしてこの廊下を船首側に進むとすぐに現れるのが荷室だ。縦10mちょっと、幅は一番広い所で4m弱、ここから見ると天井、上の甲板から見ると床にあたる板の多くは取り外せるようになっている。荷物の積み下ろしの時はこの天板を外して滑車で釣り上げる。
荷室には商品の他、航海に必要な真水や薪も積んでいる……今もパーム油などの樽荷が積まれているようだが……確かここもアイビス国王用のリビングに改装していたはずでは?
船首側にはやはり短い廊下があり左右が会食室と船員室になっている。
私はこの船に乗り組んですぐの頃の事を思い出しながら、荷室を横切り、会食室の方を覗く。
あの日、会食室がゴミ貯めになっているのを見て私はすぐに掃除を始めた。食事をする場所は綺麗にしておかなくてはならないと、昔から婆ちゃんに言われていたからだ。
綺麗になった会食室の奥には、長年使われていなかった小さな竈があった。私はそれを見て得意げな気持ちになっていたんだけど……
今なら解るわあ。この竈、使いにくいから使ってなかったのよ。この会食室も。港で停泊中ならいいけど航海中の船首は揺れるもの。
それで船尾の倉庫は狭いから、皆ここを物置にしてたんじゃ?
船員室もそうだ。私が乗り込んで来るまでは各々快適な場所にハンモックでも吊るして寝てたんじゃないですかね。
小娘の船長が乗り込んで来たせいで、みんな我慢して船員室を使うようになったのだ。
荷室に戻って。マストの近くには作りつけの階段がある。これを登れば上甲板だ……ああ、いい天気ですねやっぱり。そういや私、旅立ちの普段着を着てるのに船酔いしないわね? ふふ。ま、私も今じゃ一人前の船乗りですからね。
マストのちょっと後ろには18世紀までなかったし小型船にはついていないはずの操舵輪がある。これは歯車とロープで廊下の天井から船尾の舵軸に動力をゴニョゴニョしてるけど暗いのでよく見えません(汗)。舵の周りには誰も居ない。まあ微風の追い風が続いているので、固定してあるようで。
フォルコン号も大概だけど、リトルマリー号はそれに輪を掛けた人手不足の商船だった。
だけど最近解って来た事によれば、父がタルカシュコーンで乱心を起こすまでリトルマリー号には総勢8名の乗組員が居たらしい。
フォルコン船長、ロイ爺、不精ひげ、ウラド、太っちょ、そしてカートンさんピロさんとバクロさん……1人の大ベテランに働き盛りの船長と掌帆長、頑強な操舵手、やり手の主計長、そして20歳そこそこの3人の覇気のある若者……なんていうか、バランスのいい布陣だなあ。前途洋々、明るい将来性を感じる。
父と不精ひげは普段はダラダラしてたんだろうな。ウラドだって甲板でアレクと掌棋でも指してたんじゃないかしら。ロイ爺も帆影でハンモックに揺られてて……
バケツとモップを持ったカートンさんが、終わったぞとっつぁん、どこもかしこもピカピカだろうがとか言うと、不精ひげがすかさず、じゃあ次は洗濯を頼むわなんて答えて、お父さんが掃除も洗濯もヒーローの修行の一つだ、って笑って……
勝手にそんな妄想をして涙ぐんでいる私は、本物のバカだと思う。
風は微風、一応8時方向から吹いていて船はゆっくりと進んではいる。波は穏やか、マストや船体が軋む音も小さい。辺りに陸影はない……操舵輪近くの羅針盤によれば、船は南南東に向かっている。
海の色、潮の匂い……ここは内海のような気がする。
一年前。リトルマリー号はタルカシュコーンで船長を失い、ゼイトゥーンで若者水夫3人にも逃げられてしまった。
その後の苦難の事は当時の航海日誌に書かれている。4人でも順風なら船を進める事は出来るが、逆風になるとやる事が数倍に増える上スピードは半分以下に落ちる。
シフトも回らないので休みを多く取らなくてはならない。港や波除け地に投錨して全員で休んだり、最悪洋上で漂躊して体力の回復を待つような、ジリ貧の航海だ。
そんな状態で運ぶ荷物がパーム油や岩塩ならまだいいが、バナナだったらどうなるか。おしまいだ、仕入れ代金も時間も労力も、銅貨一枚にもならないまま消え失せる。
リトルマリー号のバウスプリットにはスプリットセイルはついていない。マストに向けてステイが張られ三角帆が掛けられているだけだ。
マストにはメンスルとトプスル、二枚の四角帆が掛けられている。船尾にはスパンカーもある。
マストの上には檣楼もある。ただの足場だけど見張りはそこでする。
乗組員の半数を失い、長く不毛な航海を経てようやくレッドポーチに辿り着いたリトルマリー号の仲間達を待っていたのは何だったか? 生意気で不機嫌で疑い深い小娘である。もうそのくだりは何度も反省してるので今思い出すのはやめにする。やめにするが。
私にとっては、とにかく風紀兵団から逃げる為の最後の手段だったあの船出は、リトルマリー号の仲間達にとっては何だったのか? それはもしかすると地獄への船出だったのではないのか。
だって、ただでさえ人手が足りなくて仕事が回らない船に港の中でも船酔いする15歳のアホの小娘が乗って来たのよ、今日からアタシが船長だと言って。戦力になるどころじゃない、足引っ張るからマイナスだよマイナス。
バランスの良い前途洋々な乗組員構成を持っていたリトルマリー号は一転、5人中1人がお荷物でそいつが船長というデスマーチ必至の地獄と化した。
私はね。あの時のロイ爺、不精ひげ、ウラド、太っちょは、船長になってくれる人が見つかって良かったと思ってる、そう想像してたんだけど……それから色々な経験をした今振り返ってみると、あの時の四人は「もうどうにでもなれー」って気分だったんじゃないかなあ。
はあ。
リトルマリー号には甲板用のランプの他に、船首と船尾にもランプが備えられている。これは他の船にこちらの存在を知らせ安全を確保する為のものでもある。
水運組合は夜間はランプを常時点けるよう指導しているが、リトルマリー号は必要と思える時以外は点けてなかった。その伝統はフォルコン号に移ってからも変わらない。
―― バタ……バサ……
ん? 風が少し回った……ただでさえ微風で元気のない帆がますます萎れてしまった。
「ごるぁぁあ! 帆が萎れてんぞこの時間の当直は誰だぁああ!」
あれ? 私、昔の事を思い出して元気をなくしていたはずなのに。萎れた帆を見た途端、そんな気持ちが吹っ飛んでしまった。これも職業病なのか。
「あああ! 姉ちゃん今やるよ!」
「ごめんなさい親分、すぐに直します!」
たちまち昇降口の方から聞こえる声。良かった、すぐ誰か来てくれた……だけど今の声はカイヴァーンとハリシャでは?
「二人はいいよ、不精ひげはどうしたの!」
私は昇降口の方に振り返る、だけどそこにはカイヴァーンもハリシャも居ない……当たり前だ、あの二人はリトルマリー号には乗っていないのだ。この船に乗ったのは四人と私を除けばアイリさんだけだ。
ていうかさっきからこの船、誰も居なくない!? 下の部屋にも誰も居なかったのに何で甲板にもマストにも誰も居ないの!?
「カイヴァーン! ハリシャちゃん!」
不安に駆られた私は大声でそう呼びながら甲板を見回す。上甲板には多少の樽荷と箱荷が積まれていた。下の荷室が一杯でも、喫水量が許せばここにも積める。
「ロイ爺! ウラド! 太っちょ! 誰か居ないの!?」
私は尚もそう叫ぶが返事はない、さっき聞こえたカイヴァーンの声もハリシャの声も幻聴だったのか? 見上げればリトルマリー号の帆は裏帆を打っていた、風がさらに回ったのだ。
どうしよう、ともかく自分で動索を引こうか。私がそう思って前を向くと、
「どうかしたのかね?」
ヒエッ!? 目の前に全然知らない人が居る! 痩せてひょろ長い神経質そうなおじさん、だけどこの人はどこかで見た事があるような、ないような……
「この船を安全に航行させるのは君の義務だろう? 船乗り以外の仕事は出来ないくせに、船乗りとしても無能だというのかね、君は」
「ちょっと待ってよ! 貴方は確か第二作で出て来たレイヴンの高等外務官のランベロウでしょう、だけど私マリーでは貴方に会った事ありませんよ!」
「そうだ私がマリー・パスファインダー被害者の会、会長のランベロウだ! 私は君のせいで処刑台のまな板に首を乗せられる所まで行ったのだ、忘れたとは言わせぬぞ!」
知らないよ何なのその会! 私は慌てて後ずさりする、しかしすぐに後ろに立っていた誰かとぶつかる!? そこに居たのは、割れた片眼鏡を掛けた優男のおじさん……
「マリオット卿!?」
「覚えておいていただけたとは光栄だよ、私の方では決して忘れられないからね」
第五作で国王誘拐を企み誰かに顔面を踏まれて目を回し、落水してデュモン卿に捕えられたマリオット卿!
「待って下さいよ! 私が貴方に恨まれる謂れは何もありませんよ!」
「うむ。私が君の立場なら同じように考えるだろう。だが想像してみて欲しい。一世一代の大博打で隣国のスパイとなり国王陛下を誘拐しよう企むも、君のおかげで失敗、第一級の犯罪者として王国に捕えられた男が今、どこでどんな目に遭っているかをね……」
マリオット卿は天を仰ぎ、声を震わせながらそう絞りだす。私はそれを少しだけ想像する。ひえっ……ひえええええええ……私はよろめきながらマリオット卿から離れる。背後でランベロウが嘯く。
「君にも少しは人の心があるようだな? マリー・パスファインダー」
「じょ、冗談じゃありませんよ、逆恨みもいい所じゃないですか!」
振り向くとランベロウの後ろから小柄な女の子が進み出て来る……あれはエステル! エステルじゃないですか、助けてエステル! 私は慌てて駆け寄ろうとするが、
「来るな! 私はこちら側の人間なのだ!」
「ちょっ……ど、どうして」
「もう忘れたというのか! 私の初恋を奪ったのは誰だッ!?」
はらはらと涙を流して叫ぶエステル。ランベロウは腕組みをして頷く……
「彼女は被害者の会副会長だ。気安く声を掛けないでくれたまえ」
「だけどそんな、あの事はちゃんと謝ったじゃないですか」
「土下座すれば何でも許されると思うなー! 私はその事について君を許した覚えはない!」
気が付けば二人の後ろには他にも様々な人が……グラストで私に枢機卿の親書を奪われ仕事に失敗した風紀兵団の人、ブレイビスの強面の保安官デニング、真面目に仕事をしていた所を襲撃されたクロスボーン牢獄の看守と衛兵の皆さん、それに……一度も見た事のない知らないおじさん……
「海賊パスファインダー……お前のせいで、私は全てを失った……私はただ、真面目に少年少女の奴隷を売り買いしていただけなのに」
「一言でわかるくらい完全に自業自得じゃん!? 誰よアンタ!?」
「ヒヒヒ、そいつはアーロン商会のティモシー・アーロン、そんな奴も居るんだよ、お前が通った足跡の下にはよ」
―― ドサッ
そう言って笑いながらマストから飛び降りて来たのは……ゲスピノッサ!? アンタ今本編ではゴニョゴニョ……(これを書いているのは、第七作185話付近です)
「俺なんか第二作からこっち、ずーっとお前の引き立て役だったんだぜ? 本当は俺が会長でもいいような気がするんだが」
「待ってよ、アンタとは本編で手打ちになったんじゃなかったの!?」
私がそう言って思わず前に一歩踏み出すと、
「うおおお!?」「マリー・パスファインダーが来るぞ!?」「下がれッ、下がれーッ!」「来るぞ、船酔い知らずのズルが来るぞ!」「うわあああ!」
被害者の会の連中は互いに押し合いへし合い、よろめきながら三歩下がる!? フルベンゲンの近くの森で私とは別のマリーちゃんを誘拐しようとしていた海賊共がまた、尻もちをつきひっくり返って昇降口からゴロンゴロンと転げ落ちて行く。
ゲスピノッサとランベロウが叫ぶ。
「ええい、こっちも奴を出せ!」「さあ行け、あの女に復讐してやれ!」
すると海賊共が転げ落ちた昇降口から、刺青だらけで髭に導火線を編み込んだ身長2mのギョロ目の大男が登って来る……ひええっ!? あれは海賊アナニエフ!? アナニエフが現れた! 私は硬直し動けなくなる!
「行け、怪物!」
しかしアナニエフは私の顔を見るなり、ぶるぶると震えだし、その巨体を屈め、膝を抱えて甲板に座り込む……
「や……やめて」
アナニエフは涙ぐみ、片方の手で自分の頭を押さえ横を向き、甲高く震えた、子供のような声で呻く。
「もうぶたないで……グスッ、ゆるしてぇ」
「駄目だ、こいつ」
被害者の会の中に居たレイヴン海軍士官が首を振る。あの人は確かプレミス郊外の園遊会で、真面目に仕事をしようとしただけなのに私のせいで四人の酔っぱらった騎士に組み伏せられた、メイナード海尉……
「知るかー!! 私は聖人君子じゃありませんよ、手間賃を下げられようが注文したパンが来なかろうが、生きて行かなきゃならないんだよ!」
やけくそになった私は、その辺に立てかけてあったモップを取り振り回す。
「がうごあ!? うほ、うほほほ!」
ちょっと! 何でオランジュさんまで被害者の会に居るんだよ!? いや、あれはブルバル川中流のジャングルで私に腕を捕まれた野生のゴリラだ。
「たすけて、たすけて!」「誰か何とかしろー!」「ぶたないでぇぇ!」
被害者会の連中が、狭いリトルマリー号の甲板の上を逃げまわる。
初めて見た時の私はこの船の長さを12mくらいかと思ったが、実際には甲板だけでも18mあるそうだ。素人の小娘の目なんてそんなものだ。幅も最大4m、まあ、貨物船としては小さい部類なのは間違いないけれど。
「リトルマリー号はアタシの船だよ! チクショー、アタシもアルセーヌ国王被害者の会を作ってやる、アンタ達は降りろ! 降りろー!」
とにかく頭に来た私は、モップを振り回し、逃げまどうグラスト港監視塔の士官ドルサックとバラソルを追い散らす。
「ええい、皆不甲斐ない! 誰か私に続け!」
「助太刀するぞ、クラウディオの娘」
しかしエステルと、サフィーラの貴族でエドムンド男爵の弟マカリオは、腰の鞘からピンク色のヒラヒラのついたハタキを引き抜き立ち向かって来る。
「何でマカリオが被害者の会なの!? 逆恨みもいいとこだよ!」
「架空の美少年フレデリクに心を奪われた私が、お前の被害者ではないと?」
「マカリオ卿も私も同じ被害者だ! 勝負しろマリー・パスファインダー!」
この二人と同時に戦うのは不利だ。私は波除け板に飛び乗って走り距離を取る。
「ひえっ、こっちに来ましたよ! はは、あはは」
後ろの方で様子を見ていたスペード侯爵が笑いながら逃げて行く。ちょうどいい、あの人だけはいっぺんぶっ叩いてやりたかったのだ。
「待てや女装好き侯爵そこへ直れェ!」
「男装好き船長が何か言ってるよー! あははは」
スペード卿は誰かを盾にして逃げる、あれは童女ばかり集めてミニスカメイドにしていた廻船問屋のハルコン、
「ま、待て私はブギャ!」
私はそいつの頭を大上段からぶっ叩き、尚もスペード卿を追う。
「これはアタシの船だあ! アタシの船だぁあ!」
甲板を、ヤードやシュラウドの上を、走り、飛び、蹴りつけ、めちゃくちゃにモップを振り回しながら、私は叫ぶ。
ん? 何だか水平線がぼやけて来た。おかしい。旅立ちの普段着には船酔い知らずの魔法は掛かっていないのに、アタシ何でこんな事出来るの?
◇◇◇
気が付けばそこはフォルコン号の艦長室で、私はベッドから3mも離れた床の上に転がっていた。執務用の椅子が倒れ、本棚の本が飛び散り、船の揺れに合わせ、床に落ちたタンカードが転げ回っている。
―― ドン、ドン、ドン
「マリーちゃん!? ちょっと、大丈夫なの!? 開けるわよ、ここ!?」
アイリさんが艦長室の扉の向こうで叫んでいる……私は半身を起こす……うわあ、部屋の中は想像以上に滅茶苦茶だ。
―― ガチャ
「マリーちゃん……何これぇぇ!? どうしたの、何があったの!?」
扉を開けたアイリさんが驚いてドン引きしている。寝ぼけた私が暴れて叫ぶ音が、外まで丸聞こえだったのだろう。
私はその場に正座し、肩をすぼめる。
「被害者の会にやられました」
マリー・パスファインダー被害者の会。そんなものが実在するのなら会長はアイリさんがやるべきだと思う。