【読み物】マリー・パスファインダーの言い訳 通貨の話(二回目)
ある日私が、バロワの広場の片隅で膝を抱え、家で穫れた野菜を商っていると。
「そこの女。南瓜ひとつ売って」
10歳くらいの身なりのいい男の子が現れ、そう言ってアントワーヌ王金貨を1枚、差し出して来た。
「あ、あの坊ちゃん、他のお金はお持ちじゃないですか、私、金貨のお釣りなんて払えないですよ」
「何で」
「何でって、市場の野菜売りですよ私は、南瓜は一番小さいので銅貨4枚、一番大きいのでも銅貨11枚なんです、坊ちゃん、一度向こうの両替商に行って、市場で野菜を買えるお金に換えて貰って下さい」
「君、もしかして計算が出来なくてそんな事言ってんじゃないの」
失礼なガキ、いやお子様である。
「アントワーヌ王金貨なら今日の相場でパルキア銀貨27枚とアイビス銅貨15枚、ぜんぶアイビス銅貨なら663枚、手数料で14枚引かれるから649枚、で、うちの南瓜全部買っても銅貨71枚!」
「そうか、つまり君は貧しいやつなんだな」
「よくお解りだね正解だよ! とにかく私は銅貨10枚しか持ってないからお釣りはないの!」
私はそう言って横を向く。もうあっちへ行っておくれ。しかし失礼なガキ、いやお子様はまだそこに立ってこちらを見ているようだった。
「銅貨10枚じゃ銀貨のお釣りも払えないじゃん」
「そういう時は二個買ってくれって御願いするんですよ、それか他の南瓜が売れて私がお釣りを払えるようになるまで待って貰うの!」
「なんだ、南瓜はまだ一個も売れてないのか」
君のような勘のいいガキは嫌いだよ……
「だけどどうして大人は計算も出来ないくせに、そんなややこしい交換を始めたんだよ。銅貨10枚で銀貨1枚なら数えやすいのに」
実は銅貨10枚分の価値の銀貨もあるにはあるのだが、小さくて失くしやすいし見栄えが悪いので人気がない。
そしてパルキア銀貨は初めて発行された時には1枚でアイビス銅貨50枚分の価値がある硬貨だったのだが、昔の悪い領主が品質を下げる改鋳をしてしまい、商人がそれを嫌って自然と今の銀貨1枚が銅貨24枚という交換レートになったという……それに。
「お金は生き物なんですよ、坊ちゃん。銀貨は金貨の子分じゃないんです」
金と銀の間の交換レートは時と場合によって変わる。コルジアが新世界から大量の銀を持って来るせいで、ここ数十年で北大陸では銀の価値がだいぶ下がったそうだ。
「君、市場の野菜売りのくせに何でそんな事知ってるの?」
「市場の野菜売りだから知ってるんです、お金の事を知らずに商売なんか出来ませんよ……ああっ、奥さん、かぼちゃはいかがですか!」
私は通りすがりの御婦人に声を掛ける。その人は以前かぼちゃを買ってくれた事のある人だったのだが、今日は要らないと断られてしまった。
「売れないな」
「ほっといて下さいよ」
「君、今さっき自分は野菜売りのプロだみたいな事言ってなかったか」
ぐあああッ……イラッと来るイラッと来る……ダメだ。男の子の意地悪には反応してはいけないのだ。もう無視、無視。
「南瓜が欲しいんだけど」
だけど商品が欲しいと言われてしまっては無視する訳には行かない。解っててやってるのかしら、この子。
「……それじゃあおうちを教えて下さい、後で配達に伺いますから。代金もその時にいただきます」
私がそう言うと、男の子はいきなり私の手を掴む。小さい手だわね。
「何ですか」
「何って、案内するからついて来い」
男の子はそう言って手をぐいぐい引っ張る。
「後で行くから場所だけ教えて下さいよ、品物を放り出して行けないでしょう」
「そ、そんなの全部売れても銀貨3枚にもならないじゃないか、そうだ、執事に言って全部買わせるから」
ちょっと待て。何だこの子は。
ところで、道の向こうから家政婦さんらしき人を連れてずんずんやって来る背が高く肩幅の広い御婦人は、この子の関係者だろうか。
「僕の家は大きいんだぞ、南瓜売りなんてやめてすごろくをして遊ぼう」
「まあユリアンったら、執事のお手伝いをして買い物をしに来たのね!」
「かっ……母さま!?」
げ ん
こ つ
振り向いた少年は笑顔を引きつらせた御婦人から、埼玉県春日部市でもあまり使われなくなったと言われる頭上への鉄拳を食らい、その場に蹲る。
「うちの子がお邪魔をして申し訳ありません、よく言って聞かせますのでどうかお許し下さい」
「お、お気になさらず……」
少年は御婦人に頭を抱えられ、引きずられるようにして去って行く。家政婦さんはその後を慌てて追い掛ける。
銀貨1枚が銅貨24枚、これですらアイビス王国内共通のルールではない。銀貨は地方によって重量も品質も違う物が流通していてその価値はバラバラ、銅貨も新旧の物で価値が違う。
王国はあの手この手で貨幣の統一や合理化を進めようとしているが、会計が透明化し税が重くなる事を嫌う大商人達はあの手この手でそれを阻むのだとか。
まあ、市場の片隅でかぼちゃを売る小作人には関わりのない事だ。
「かぼちゃはいらんかねー。甘くてほくほくだよー」