【読み物】バース・デイ(意味深)
「へー、アイリさんって私と誕生日一日違いなんですね」
「そう、12月10日。正確には、13年と一日違いだけどね……」
船は快調に泰西洋を航海している。波はやや荒いが視界は良く、風は安定していて、見張り以外は仕事が無い。そんな訳で、私は艦長室でアイリさんに髪を切ってもらっていたのだが。
「はあ……若いっていいわね……私もこんなつるつるお肌の頃からやり直してみたいわぁ」
「そっ、そんな事言わないで下さい、私よりアイリさんの方がよっぽどお肌綺麗ですよ、手だってほら、アイリさんの手こんなにスベスベじゃないですか、私の手は百姓の手ですからね」
「そういう事じゃないのよ……まあ、15歳の貴女には解らないでしょうね……」
私は心密かに震え上がる。
10年前、ラビアンの裕福な家のお嬢様だった18歳のアイリは、怪我をした船乗り、ラーク船長と出会ってしまった。アイリは親類や友人の反対を押し切りラーク船長と結婚しようとしたが、怪我の癒えたラーク船長はアイリに黙って姿を消した。結婚式の二日前の事である。
そしてラーク船長というのは偽名であり、本当の名前はフォルコン・パスファインダーという。その事は勿論、アイリさんは知らない。
アイリさんはいつも、私にとても優しくしてくれる。身勝手でお調子者の私を叱ってくれる大人はアイリさんだけだ。ご飯を作ってくれたり、服を縫ってくれたり、今もこうして髪の毛を切ってくれる、アイリさんは私にとって本当のお母さんのような人である。
だけどアイリさんにとって私はどういう存在なんだろう? 昔一度、妹が出来たみたいだと言ってくれた事はあるけれど、それは別れ際の挨拶だったので、本音かどうかは解らない。
まあ。今のアイリさんが私をどう思っているか、それは解らない。
だけどもし、アイリさんが真実を知ったらどうなるのだろう。
つまり、このマリーこそがあの憎きラーク船長の実の娘だと知ったら? しかもマリーはずいぶん前からその事を知っていて黙っていたのだと知ったら!?
「あら、どこか痛かった? ごめんなさい」
「い、いいえ! そんな事ないです! ありがとうございます、いつもありがとうございますアイリさん!」
「ふふ、どうしたのよ急に。さあ、鏡を合わせるからちょっと見て。こんな感じでいい?」
アイリさんが合わせてくれた鏡には、ラーク船長と同じ色の髪を生やした、悪魔の後頭部が映っていた。
「ところで、何で誕生日の話になったんだっけ」
「え、えーと……私が少なくとも12月11日までは、ヴィタリスに帰れないって言い出したからです」
「誕生日の数え方が変わったからね。年越しの祭りの時に、広場に王様のお触れを知らせる道化師が現れて」
ここからが、今日の本題である。
第五作の70話、ジスカール「神よ、どうかマリーさんがどこかで元気にしておられますように」ですね。
「あの時、あの広場にアイリさん居ましたよね? 多分太っちょも不精ひげも居たでしょ」
「そうそう、私達もマリーちゃんを見掛けたわ」
そうなのだ。あの場所の道化師の台詞の後にある、人々の声。
「なんだよ寿命を延ばすって。ただ数え方を変えただけじゃないか」
「レイヴンやクラッセではもうその数え方になってるんだよね……アイビスもやっと追いついたって事かなあ」
「だけど! じゃあ私ってまだ28歳なのね!? 29歳になるまであと11か月あるのね? 素敵ィィ! ありがとう王様最高ォォ!」
これは不精ひげの声、アレクの声、アイリさんの声だったのです。今日はこんな細か過ぎて伝わらない、どうでもいい伏線と回収の話をさせて頂きたい。
「第五作で国王陛下が読んだ、海軍の報告書にも秘密があったんです」
「マリーちゃんの容姿や声をべた褒めしていた報告書ね。そのせいでアンブロワーズ陛下がリトルマリー号に興味を持ったって」
第五作31話、ミシュラン「どうか御願い致します、もはや猊下だけが頼りなのです」のシーン。
「ああこれだ。英雄パンツ一丁のフォルコンの娘、マリー・パスファインダー……一点の曇り無き夜の満月の如き、凛とした美しい立ち姿。眉目は比類なく秀麗にして余人の追随を許さず、その瞳に射竦められて心奪われぬ者は無し」
枢機卿はますます狼狽し目を見開く。一体これは何だというのか? アンブロワーズ国王は誰の、どんな手紙を読んでいるというのか?
「結局あれは誰が書いたんでしょう?」
「あの人でしょ。第一作のパルキアの海軍の事務方さん。マリーちゃんが来ても名前も顔も覚えてないような塩対応をして、実は裏で大はしゃぎしてた人」
「それこそ誰も覚えてませんよ……」
「いいじゃない、作者は伏線のつもりで書いてるんだから」
アイリさんはそこで腕組みをして、艦長室の天井を見上げる。
「第一作なんて世界の設定が決まってなくて、色々無理してるのにねぇ、それを伏線と言い張るのはちょっとズルいんじゃない? 王都に居る王様が内海で起きた事を一日二日で知り、一日二日で手を打って来るのは早過ぎるんじゃないかしら」
「シーッ、その辺りは勘弁して下さい」
「もしかして、あの頃は魔法で手紙出せる事になってたのかしら? もしそんな事が出来るなら、今のフォルコン号なんてどこへ行っても海軍に先回りされてそうよね」
アイリさんは散髪道具を片付け、切った髪をちりとりで集めながらボヤく。
私は慌てて艦尾の板窓と艦長室の玄関扉を閉める。
「滅多な事を言わないで下さい、どこで誰が聞いてるか解らないんですから! 何かもっと楽しい話をしましょう……あっ、スヴァーヌの雪原でシロクマが桃色の布を持ってた話、します?」
「本編ではマリーちゃんしか見てないじゃない。しかもそれ単にすみっコぐらしのしろくまのオマージュでしょ。何かの伏線になってるの?」
「別に……作者はすみっコぐらしが好きで映画の第二段も観に行きたいんだけど、娘がすみっコ卒業してしまって行けなくなったそうです」
「知らないわ、観たいなら一人で行けばいいじゃない」
他に何かあったかな。細か過ぎて伝わらない、もしくは使わなかった伏線……そんなの気にして読んでる人は居ないと思うけど……
「割と最近の話なんですけど、第六作の47話目、水夫「か……勝てる気がしない……」で、私が撃った弾がたまたま水夫の持っていたサーベルの根元に当たってへし折れるシーンがあるんですけど」
「そんな事あったっけ?」
「あのサーベルは実は元々折れてたんです、持ち主の水夫は以前、サーベルを箱の隙間に突き刺してびろんびろん言わせて遊んでたんですけど、根元からポッキリ折れちゃって。それをこっそり素人鍛治で繋いで黙ってたんですって」
「へえー」
「で、結局折れちゃったんで上官に報告するんですけど、元々折れてたなんて言えないから、その水夫はマリー・パスファインダーは実は大変な怪力の持ち主だったと言い張って、それがレイヴン海軍のスタンダードな認識になってしまうという」
「いわゆる勘違い物ね」
「そういうネタを仕込もうと思ってたんですけど、ちょっとくどいかなーと思って、結局やめたんだそうです」
片付けを終えたアイリさんは、向かいの席に座りなおす。
「ちょっとだけ気になる話って言えば、第五作の60話。風紀兵団のお兄さん達が桟橋から海に飛び込んで、鎧兜のままリトルマリー号に泳ぎ着く話。あれはちょっと無理があるんじゃないかしら……鎧兜って凄く重いのよね?」
アイリさんはそう言って眉をハの字にする……この「ハの字」という表現も使っていいものか、ちょっと悩み所でもあるのだが、まずはアイリさんの疑問に答えよう。
「ちょっと待って下さいね」
これは本人達に聞いてみようと思う。私は机の下から黒電話を取り出し、ダイヤルを回す。
「もしもし、風紀兵団本部ですか? 今のアイリさんの疑問、聞いてましたか?」
『ええ勿論! お答えします、風紀兵団の鎧兜は水に浮くのです!』
私は受話器から顔を上げる。
「だそうです。納得していただけましたか?」
「え、ええ……別の意味でモヤモヤするけどね……」
私は再び受話器を耳に当てる。
「ありがとうございました。それじゃ」
しかし風紀兵団の返事は無い……ていうか受話器の向こうが騒がしい、何か揉め事かしら。
『……違いますトライダーさん、マリーさんじゃありませんから!』
『……いいやきっとマリー君だ、私には解るのだ!』
げげっ。トライダーが電話に出ようとして、それ風紀兵団が止めているのか。早く切らなきゃ……いや待てよ。
『もしもし!? 電話を掛けているのはマリー君ではないのか!? 今どこに居るんだマリー君!』
私は声色を変える。
「久し振りだねヨハン。僕がわかるかい?」
『その声は……フレデリク! フレデリクじゃないか!」
これだよ……ちょっとアイマスクをしたり声色を変えたりするだけで、私はマリーではなくなる。この男にとってマリーとは一体なんなのか。
「ちょっと風紀兵団の友人に聞きたい事があって電話をしたんだ。君は元気かい? 一時は風紀兵団を離れていたと聞いて、心配したよ」
『あ、ああ、すまない……想い人の事でどうしてもしなくてはならない事があったんだ……聞いてくれないか』
「ごめん、これは船舶電話で通話料が一分500円もかかるんだ、またどこかで会えた時に聞くよ」
私はそう言って電話を切ろうとするが。
『フレデリク! 待ってくれ、君に一つだけどうしても聞きたい事があったんだ! 教えてくれ。君は何故ブルマリンでアイリ君を探す時に、真っ先にカリーヌ夫人に会いに行ったんだ? 結果的にそれは正解だったのだが、君が何故そうしたのか何度考えても解らないんだ』
へ? そんなの当たり前じゃん……何言ってんだこの人。
「ヴァレリアンがアイリ君に浮気していた事を突き止めたのは君じゃないか」
「……ちょ、ちょっと! 誰に何の話をしてるのよ!」
アイリさんが慌てて私に後ろから抱きつきながら、小声で言う。
『いや、そうじゃなく……何故君はすぐにカリーヌ夫人に会うべきだと考えたのだ? 僕にはそれがどうしても解らない』
ほんとに解んないのかこの人。バカだけど頭はいい人だと思ってたのに。
「ははは。夫が浮気をしてるのに、妻が何も知らない訳がないじゃないか」
トライダーは返事をしなかった。
「もういいかい? じゃあまたな、ヨハン」
―― チーン。
きりがないので、私はそこで受話器を置いた。
「貴女も女なのね、マリーちゃん……トライダー君今頃凍り付いてるわよ?」
「アイリさんまで何を言ってるんですか、失礼な……他に質問はありませんか」
「ぶち猫ちゃんがフォルコン号の艦尾に吊るされてる堆肥箱をトイレにしているって話が本編で出て来たけど、人間のトイレはどうなってるの?」
私はゆっくりと立ち上がり、先程閉めた艦尾の板窓を開け、後ろ手に手を組んで水平線を眺める。今日も泰西洋は白波日和だ、いい感じに荒ぶっている……
―― ザザーン…… ザパァァン……
フォルコン号は温水洗浄便座付き水洗トイレ完備です……ゆるふわファンタジーの世界では常識ですよ、常識……では第二作に出て来た船牢の手桶って何だったのかって? さあ……記憶にありませんねェ……




