黒き獣
未だに氷と霜が残る凍てついた中庭で、エレナ達は白き獣と化した王妃の亡骸に黙祷を捧げる。
それは自らの母親を殺めることを決断したセツナを気遣ってのことだったが……黙祷には王城に残っていた兵士達も参加していた。
そんな静まり返った中庭に遠くの方から、獣の咆哮が聞こえてくる。
聴力に優れるキアとルプルは、その咆哮がモルレト平原の方角から聞こえたものだと、直ぐに分かった。
先程まで恐ろしい白き獣とエレナ達の戦闘を見ていた兵士達は、また獣が現れるのではないかとビクビクしながら、咆哮の出処を探してキョロキョロしている。
落ち着かない兵士達を他所に、キアとルプルは先程聞こえてきた咆哮が、モルレト平原からのものであることをエレナに告げる。
報告を受けたエレナは、アレク達にも不測の事態が起こっていることを察して、一刻も早く現場へと向かうことを決める。
中庭に残っていた兵士達に、王妃の遺体を厳重に安置することを伝えるとエレナ達は、王城の外に向かって歩き出す。
未だに状況が飲み込めていない兵士達は、先程の咆哮の件もあり不安そうにエレナ達に行き先を尋ねる。
「あ、あの!《黒狼》の皆さんは、これからどちらに?」
「我々は、これからリーダーがいるモルレト平原へと向かいます。あちらでも何かしらの異変が起きているようですから」
「そう……ですか……、それとそちらの方は?」
兵士達の視線の先には、新雪のような美しさを持つセツナがおり、髪色や瞳の色から戦姫との関係性を薄々感じながら質問してくる。
どう誤魔化したら良いものかとエレナが迷っていると、割り込んできたルプルが真っ直ぐな瞳で質問に答える。
「この方は、この国のために全てを捧げて下さっている方です。身分を明かすことは出来ませんが……決して皆さんを害するようなことにはなりませんので、どうか我々と一緒に通して下さい」
ルプルの心に訴えかける真摯な言葉を聞いた兵士達は、自分達の職務よりも命を救ってくれた者を選び、正門への道を開ける。
こうして予定とは違ったが……エレナ達はセツナを救出し王城を脱出することに成功した。
===============================
一方、その頃……暗い雨雲から少しずつ晴れ間が見え始める中で、モルレト平原では黒き獣が突如王族派の本陣に出現し、宰相ブラスマに襲いかかっていた。
モルレト平原に集まった者達が視線を向ける先には、国王が座す本陣があった。
その国王がいるはずの本陣に、黒く大きな獣のような影が佇む。
そして、その影の爪と思われるものからポタポタと赤い雫しずくが滴したたり、本陣を赤く染め上げていく。
その傍らには宰相ブラスマが、腹を貫かれ倒れ込んでいた。
戦姫は、大きな黒き獣の姿には見覚えがあった……正確には、面影を残した姿に懐かしさすら感じていた。
ボロ布のように引き裂かれた衣服と、ゴミのように無残に転がった王冠が、獣の正体を物語っていた。
「お父様……!!」
そして戦姫の呼び掛けに応えるように醜悪な黒き獣は、地を揺るがす咆哮を天へと放つ。
「ウオオォォォォォォ!!!!」
常軌を逸した桁違いの咆哮は、ビリビリと平原一帯の空気を振動させ、平原にいる全ての者に畏怖の念を抱かせる。
騒然とする平原で、アレクもまた状況が飲み込めずに黒き獣を見つめていた。
「あれは……魔物だよな?国王が魔物になったのか……そんなことが」
そんなアレクの元に仲間達がいち早く集合し、指示を求めてくる。
「おい!アレク!どうすんだ!?このままだと、兵士達が混乱して被害が出るぞ!」
カインは国王が魔物になったことは、置いておいて冷静に状況を分析しようとしていた。
そんなカインの様子に、アレクも徐々に冷静さを取り戻し混乱を避けるために動き出す。
「良く分からんけど……あの魔物と話し合いができる雰囲気でもないし、俺達が戦うしかないな。けど……少なくとも王族派の兵士達は戦力にならない!指揮を戦姫に執ってもらい、街に被害が出ないように陣形を組んでもらう」
仲間達に指示を伝えたアレクは、先程の一騎打ちをしていた頭を切り替え、冷静なリーダーの顔に戻っていく。
アイテムボックスから、中級の治癒ポーションと低級の魔力ポーションを2本ずつ取り出すと、それを一気に飲み干す。
そして地面に膝をついていた戦姫にも残ったポーションを差し出す。
唖然とポーションを見つめ、未だに状況を飲み込めていない戦姫に、アレクは仕方なく喝を入れる。
地面に膝をつき視線の高さを合わせると、気合を入れるために戦姫の頬をパシン!とビンタする。
「立て戦姫!こんな時に惚けてどうする!ここからは俺達の動きで、犠牲者の数も変わってくるんだぞ!!考えるのは後にしろ」
頬のジンジンした痛みとアレクの言葉で、どこか遠くを見ていた戦姫の焦点が少しずつ合い始める。
「えっ……あ!私は!?」
「いいか戦姫?これから、あの魔物を俺達で止めるぞ!このポーションを飲んだら、平原に集まった兵士達の指揮を執って、街を守る陣形を組ませろ!手が空いたら俺達のことを手伝いに来てくれ。大丈夫か?」
「……えぇ!分かりました!直ぐに行動を開始しましょう!!」
自分のやるべきことを思い出した戦姫は、気持ちを切り替えると、一気にアレクから貰ったポーションを喉に流し込む。
口の中にポーション特有の苦味が広がり、気付け薬のように戦姫の意識を覚醒させていく。
体の疲労感や口の中の苦さは消えなかったが……一騎打ちで負っていた傷や痛みは、綺麗になくっていた。
戦姫は体の感覚を確かめると、直ぐに立ち上がり兵士達の元へ走り出す。
アレクと戦姫が話しているうちにも、黒き獣は王族派の本陣で、手当たり次第に暴れ回っていた。
黒き獣の全長は5mほどあり、左腕だけが異常に発達し丸太を束ねたような太さをしている。
左腕の爪は1本1本が槍のように鋭く伸び、人など容易く屠れる凶悪な凶器と化していた。
逆に右手は細く痩せており、とても攻撃が出来るようには見えない。
アンバランスな外見であったが……意外にも黒き獣は左腕を杖のように使い、素早い移動を可能にしていた。
本陣の護衛をしていた上級兵士達は、訳の分からないうちに、黒き獣の左手によって撲殺され刺殺され圧殺されていた。
みるみるうちに本陣に死体の山が積み重ねられ、地面は真っ赤に染まっていく。
巨大な腕に薙ぎ払われた兵士達は、まるでオモチャの人形のように宙を舞う。
兵士の誰もが口を開けて放物線を描きながら、空を飛んでいく上官達の姿を目で追っていた。
そして、地面に落ちた1人の上官はベシャ!と嫌な音を立てて無残な肉塊になる。
おおそよ、人とは呼べない物体……首や足など関節があらぬ方向に曲がり、壊れた人形のようになっていた上官もいた。
そんな地獄のような光景に王族派の兵士達は、恐慌状態に陥りそうになる。
立ちながら体の震えによりガチャガチャと鎧を鳴らしている者、腰を抜かし失禁する者、狂ったように目の前の光景を笑って見ている者と様々な形で、皆が恐怖に囚われていた。
そんな兵士達に向けて、裂帛の気合いを込めた声が響き渡る。
「傾注せよ!!!」
その凜とした涼やかな声の主を、兵士達は誰か知っていた……軍を束ねるカリスマ、戦いの天才、氷血の戦姫その人だと。
「これより彼らが魔物討伐を開始する!道を開けなさい!!」
戦姫の声の方向から人の気配がすると、自然と兵士の列は割れていき……魔物までの一本道が出来上がる。
その道を風のような速さで、複数の人影が駆けていく……それは傭兵団《黒狼》の面々であった。
クロを先頭に漆黒のマントと仮面を付けた一団が、躊躇することなく真っ直ぐに獣へと突き進んでいく。
黒き獣の恐ろしさを目の当たりにした兵士達は、唖然としながらクロ達の姿を目で追っていた。
そんな兵士達に、戦姫は続けて声を張り上げる。
「彼らが魔物を引きつけてくれているうちに、我々は王族派・クーデター派、関係なく編成を行いアクアエを守る陣形を組みます!いいですか!!ここからはアクアエを守る戦いです!今こそ主義・主張に関係なく力を合わせる時なのです!」
その覇気を纏った姿に兵士達は、息を飲む……とはいえ、王族派の兵士達の中にも戸惑いは見られ、直ぐに行動できる者は少なかった。
それでも、1人の兵士がクーデター派に向かって歩き出すと……それに呼応するように次々と兵士達が合流し始め、最終的には生き残っている王族派の兵士達全員が戦姫の指揮下に入ったのであった。
戦姫が編成を部下達に指示していると、アレク達が向かっていた方向から、轟音が鳴り響く。
絶え間なく聞こえてくる轟音に、戦姫は少しだけ焦りの表情を浮かべる。
「どうか……お父様を……」
噛み締めるように呟いた言葉は、轟音に掻き消され誰の耳にも届くことはなかった。
===============================
殺戮を繰り返す黒き獣の前に辿り着いたアレク達は、完全な戦闘態勢に入っていた。
アレクは疾風剣ラグトゥスを構え、カインは炎槍“銀翼”を両手に握り、腰を落とし突撃の構えを見せる。
アマリアはウルティムの大盾とメイスで防御を固め、ミカエラは炎の杖を構えを即魔法を放てる態勢をとっていた。
各種強化スキルを発動したアレク達に、背中を見せていた黒き獣が、ゆっくりと振り返る。
そこにはおびただしい血を染み込ませ、黒い左腕を赤黒く変色させた獣の姿があった。
地面にはゴミのように亡骸が転がり、いたるところに血溜まりができている。
そして遠くから見た時は分からなかったが……黒き獣は異様な風貌をしていた。
左腕が異常に発達していることは分かっていたが、それ以外が異様に貧弱なのだ。
足も鋭い爪が生えているものの、足だけで駆ける筋力もなく立っているのが、やっとの状態だった。
右腕は少しだけ長く細い黒い毛をまとっているが……人の腕のような形をしていて、特に何かをするでもなく、ダラんと弛緩し力が入っていない。
そして頭からは禍々しく伸びたシカのような角が生えていたが……口元は獣の鋭い牙を持ちながらも、目元は人の肌の質感と虚ろな瞳を残している。
アンバランスな魔物の風貌に、思わず険しい表情を見せるアレク達……しかし、危険な魔物であることには変わりなく、アレク達は此処に辿り着くまでに決めた、作戦通りに動き出す。
最初に仕掛けたのは、切り込み担当のカインだった……限界まで脚部にエネルギーを溜め込み、駆け出す一瞬にエネルギーを爆発させる。
瞬発的に放たれたエネルギーは、大地を砕き音を置き去りにする。
そして刻印が刻まれた炎槍“銀翼”は、カインの加速と共に穂先から白熱し、やがて槍は紅い炎に包まれる。
カインの突進力と槍の貫通速度を乗せた、必殺の一撃……“瞬槍”が黒き獣の右脚を、抉り取る。
それはまるで、巨大な炎の牙が黒き獣の腿を貫いたようであった。
傷口からは煙が上がり、辺りには焦げた肉の匂いが漂っていた。
「ギアアアアァァァ!!!!」
“瞬槍”を放ったカインの姿が絶叫する黒き獣の背後に見えると、今度は折り返しながら左脚の腿を炎の牙で抉り取る。
両脚を潰された黒き獣は、うつ伏せに倒れそうになるが……左腕で体を支え、カインの攻撃に耐えて見せる。
カインが、距離を取っていたアレク達の元に帰ってくると、タイミングを計っていたミカエラが杖を黒き獣に向けながら、火魔法【炎の嵐】を発動させる。
「【炎の嵐】!!」
遠距離から発動したミカエラの魔法は、凄まじい威力を発揮する。
直径10mほどの炎の渦が、黒き獣を取り囲み、その身を焼き尽そうと燃え滾る。
安全な距離を取っているミカエラでさえも、顔に熱さを感じる程の熱量を、炎の渦は内包していた。
そんな中、黒き獣の様子を窺っていたアマリアが、お約束の言葉を呟く。
「やったかしら?」
「ちょ!おま!変なフラグ立てるなよ!?それは復活の呪文並みに効力を発揮するんだぞ!!」
「へぇ?なにそれ?」
アレクとアマリアが2人でコントをしていると、炎の渦に変化が見られる。
アレクは大盾を構えたアマリアを咄嗟に皆の前に突き出し、黒き獣の反撃に備える。
炎の渦が揺らいだと思った瞬間……渦は消し飛び、大気を揺らし地面を削る特大の咆哮がアレク達を襲った。




