第九話:ディベロップの発展
ディベロップ【Develop】
・進展
「琴原駅」から市役所方面へ向う。歩いて十分、走れば五分弱。そこには外装は既に変色したコンクリート。全体的に細い罅が入り、大震災クラスの地震が来れば確実に倒壊するであろう四階建てのボロビル「傘倉ビル」――通称、「傘ビル」――がある。
そのビルに入ると目の前に階段(この階段も変色したコンクリートで所々欠けていたり、罅が入っている)がある。その階段を三階まで上り、すぐ左に曲がる。
――「道楽遊戯」の事務所である。
中道は結局、「道楽遊戯」に戻ってきた――いや、戻らざるを得なかった。何も手がかりも確証もなく楽座を探すのは非常に難しく、厳しい。「捜査員を出すな」と壬生に言ったが、結局何も進展はなかった。
ただ「白波荘」にあったのは楽座が常に身に着けていた「潰れた弾丸のピンバッジ」だけだった。中道は事務所の中央に置かれた長椅子に腰を掛け、そのピンバッジを指で挟み持ち、ずっと眺めていた。
「なぁ、中道。そのピンバッジって陽ちゃんのやんな」
と、出灰は事務所に帰ってきた中道が入れたコーヒーを一口飲み言う。
「あぁ……」
中道の口から出たのは気の抜けた返事だった。そして、
「これ、陽ちゃんの親父さんの形見なんだよ」
と付け足した。
「親父さんの?」
「陽ちゃんの親父さんは刑事だ――いや、『元』刑事だな」
「元……?」
「ゆかり。楽座精介って名前聴いたことないか?」
「おお、知っとるよ。一課の敏腕刑事として有名な人やってんね。うち、一課に配属されたときに先輩から聞いてんねんけど、今でも写真が飾ってあるわ。たしか――『不倒翁の楽座』って呼ばれてたらしいな」
「殉職してるのは知ってるよな?」
「知っとるよ……五年前にあった強殺事件で刺されてんね。先輩に聞いたわ。『楽座』なんて珍しい名前と思っとったけど、まさか近くにいるとは思わんかったね。」
「陽ちゃんの親父さんは『不倒翁の楽座』――楽座精介。その親父さんが常に懐に入れていたのがこの『弾丸』だ」
中道は弾丸を出灰に見せる。
「陽ちゃんに聞いた話だと、この弾丸は、親父さんが殉職する二年前にあった、『望清大学生殺人事件』の犯人が撃ってきた弾なんだと。親父さんは腹にこの弾丸を喰らっちまって、手術で取り出した。それをずっと親父さんは自分への戒めとして持ってたんだってよ」
「望清大学生殺人事件……今から、七年前なんね。結構近場での殺人やったから印象に残っとるわ」
中道は長椅子から立ち上がり、自分の机の椅子に掛けられていた黒い革製のジャケットを出灰の横で眠っている榛葉に掛けてやる。そして、動きが止まった。
「どないしたん?」
「ちょっと待て――望清大の学生が殺されたのが七年前だろ?」
「せや」
「伺去さんが誘拐されたのが七年前――偶然にしちゃ出来すぎてる」
中道はゆっくりと、さっき自分が座っていた長椅子のほうに歩く。
「出灰、学生殺しは七年前のいつだ?」
「は?」
「学生殺しはいつだ?」
「そりゃ、帰って見ぃんとわからんけど」
「調べてくんねぇか? ついでに参考までに言っておく。あたしんとこの『依頼人』が誘拐されたのが七年前の四月二十二日だ」
「何かありそうやね」
「誘拐と殺しに強い接点があるような気がする」
「よっしゃ、おっけ」
出灰は立ち上がった。
中道は思い出したかのように、
「あと、現場がどこかも教えてくれ」
と出灰に言う。出灰は左手の親指を上げ、「ごっちゃん(ごちそうさま)」と言うと、事務所を出て行った。
中道は長椅子に腰を掛け、下を向き、頭をくしゃくしゃと掻いた。
「七年前。伺去祐依誘拐――望清大学生殺し」
中道はボソリと呟いた。
「伺去祐依――開地瑶子――」
「……確か、殺されたのは津村っていう学生だよ」
と、幼い女の子の声がした。
「――?」
中道が顔を上げると、榛葉は起きていた。先ほど掛けられていた黒い革のジャケットはいつの間にか中道の椅子に掛けられていた。
「起きてたのか」
中道は榛葉が動いていたのに全く気付いていなかった。それほどまでに集中していた――わけではない。
「《隠密機動》ってわけか? 別にここで発揮しなくてもいいんじゃねぇ?」
「ま、確かにそうなんだけどね。すっごい集中してたし、邪魔するのも野暮だし」
榛葉はいつものような笑顔ではなく、とても真面目な顔をしていた。
「わりぃな」
「いいよ。凛ちゃんは常に動いてないと。私の出番が無くなっちゃうでしょ?」
と、榛葉はちょっといじけるように言った。中道はニヤリと笑って、
「出番は確実にあるぜ。慧にも調べてほしいことあるし」
と言った。
「なに?」
俄かに榛葉が嬉しそうにした。
中道は榛葉に、
「――――――――」
と言った。
榛葉はにっこりと笑って事務所を後にした。
コーヒーには全く手が付けられていなかった。
一方、琴原署鑑識課。
港南と壬生はそこにいた。
「…………なんで、私に聞かないんでしょう。あの人は」
と、港南。
「恐らく、手が離せないと思ったんでしょう」
と、壬生。
「でも、良かったですわ。丁度、『開地瑶子』さんについて調べていたところですし」
「でも、警部? 何故鑑識に?」
壬生の問いに少し呆れた表情を浮かべる港南。少し溜息をついて、
「DNA鑑定の結果を聞きに来ましたの」
と言った。壬生は何かを思い出したかのような表情をした。
「あ、失礼しました。『道楽遊戯』内で発見された『開地瑶子』さんの死体のDNAと『学生証明書類』に付着していた『睫毛』のDNA及び血液型が一致しました――でも」
「死体が誰の物かわからないということですわね」
「ええ、現在死体のほうは検死に回されています」
「あの死体は『開地瑶子』さんではありませんわ」
「――どういうことです?」
港南はA4サイズの茶封筒を開け、中に入っていた紙を取り出す。
「開地瑶子さん。年齢は二十六歳、住所は京豊市姜仙区台里町巫▲▲―■。ただ、現在はアメリカのコネチカット州ブリッジボードに住んでいますわ」
「海外生活ですか。移住か何かで?」
「いいえ。彼女は絵画の勉強をしていまして、度々日本に帰ってきていますわ。実は先ほど開地さんのご実家に電話をしたところ、今日、開地さんご本人がこちらに帰ってきていました。ご実家に行って確認してきました。免許証の写真は間違いなく開地さんご本人のものでしたわ」
「開地さんは大学を出てらっしゃるんですかね?」
「ええ、でも『望清大学』ではなく、『望清大学』の近くにある『王地美術大学』の出身でしたわ」
「でも、何故、あの死体を開地さんのものにしたんですかね?」
港南は「うーん」と唸りながら、深く考えた。
「……犯人が適当に見繕った。あるいは犯人が開地さんに何らかの恨みがあったとしか」
「いずれにせよ、あの死体が誰のものなのかを割り出されないために犯人が別人と見せかけたということですね」
開地瑶子は生きている。
――では一体、「道楽遊戯」にあったバラバラ死体は一体誰のもので、置いたのは誰なのか。「道楽遊戯」に置いた理由。犯人は何故バラバラ死体が誰なのかを割り出されたくなかったのか。開地瑶子とする理由は何だったのか。
「何も、他人を巻き込まなくてもいい気がしますけどね。それに、随分大掛かりな犯罪ですね」
「他人を巻き込まなくても犯罪はしてはいけないものですわ」
「それは人として当然のことですね。あ、警部。開地さんのこと凛さんに教えてあげてください」
「ええ、そうしますわ――ところで」
と港南は思い出したかのように言った。
「中道さんはいろんな人に調べ物をしてもらっているようですわ。さっき、出灰さんが急いで戻ってきましたけど。何を調べさせるんでしょう」
「聞かなかったんですか?」
「なんだか、忙しそうでしたから。聞いてませんわ」
「凛さんは調べ物が苦手ですし」
「それは、ただ単に面倒なだけだと思いますわ」
「あはは……」
と壬生は笑ったかと思うと、俄かに顔が凍りついた。
「あ……」
港南は壬生の目線の先が気になり後ろを振り返る。
「……!」
目の前にニヤリと笑った中道の顔があった。
港南目線としてはどアップの中道の顔。
壬生目線としては不気味な笑みの中道。
「うにゃあああああああああああああああ――――っ!!」
咄嗟に港南の口をふさぐ壬生。だが、時は既に遅かった。回りの鑑識課員は一斉に中道たちのほうを見ている。
そして、全員人差し指を口元に当てていた。
「……ちょっと、一回ここを出ましょう」
顔を真っ赤にさせて、港南は鑑識課の部屋を足早に出て行った。
「あ、ちょっと待てよ。港南」
「え? え?」
中道と壬生も港南を追いかけて、鑑識課の部屋を出た。
スタスタと前を早歩きで進む港南。
スタスタと後を早歩きで追う中道。
スタスタと後を早歩きで追う壬生。
警察署の長い廊下をどんどん進んで行く三人。
琴原署は上空から見下ろしてみると、I字形をしている。北から南へ伸びる細長い建物。
警察署の白い階段をどんどん下って行く三人。
琴原署は五階建て。三階に鑑識課室がある。階段は一段がやや低く、年配の署員でも楽に上れる事を考慮している。
警察署の二階にある休憩室へと入っていく三人。
休憩室を入って奥へと進む。
休憩室の席は最小で二人席。最大で六人席がある。おそらく、ここで昼食を食べる署員が多いのだろう。席数は多い。一度に百人ほど座れるようだ。
休憩室の奥、隅にある四人席があり、そこに三人は腰を掛けた――と同時に、
「一体何ですのどうして警察署内へ自由に入ってらっしゃるのですか急に後ろに立ったら吃驚しますわしかもあんな近くに立ってニヤリと笑っていたら誰でもあんな声出しますわよ心臓に悪すぎですわ」
早口ですらすらと句読点も付けられないほど早く言う港南。
どうやら、怒っているようだ。
「ま、な。落ち着け。な?」
中道は港南をなだめようとする。が、
「全くあなたは中学のときからそんな感じでした人を吃驚させることが大好きでしたねまさか今でもそれが継続されているとは思いもしませんでしたわ心臓がまだドキドキしていますわかなり痛いですもの」
効果は無かったようだ。
「だーかーら」
中道は中腰になって、港南の頭を
「お」
ポスッ
「ち」
ポスッ
「つ」
ポスッ
「け」
ポスッ
と軽く叩いた。
「ふー、ふー」
一気に喋ったせいか港南は少し息切れをしていた。四回叩かれて少々正気に戻ったようだ。
「あたしはあたしだそれに警察署には情報収集で世話になってるし大体の人間は顔見知りだあんな至近距離でお前の後ろに立っていたのはなんだか悪口っぽいのが聞こえてきたからだ吃驚させるのはあたしの趣味だ心臓が痛いのはあまり吃驚したり緊張したり運動しても鼓動が速くならないお前だからこそなるんだ別に心配はいらねぇよ」
と港南と同じように、句読点を入れられないほどに早口で港南の問に対しての答えをスラスラと言ってみせた。それにスピードが港南の早口の二倍ほど速い。
「もう、言うことはありませんわ。やっぱりあなたには敵いません。――――楽座君の姿が見えませんが?」
やっと落ち着いた港南、楽座がいないことにようやく気付いたようだ。
「結局、『白波荘』まで行ったんだけどよ、見つかんなかったぜ」
「居なかったのですか?」
「ああ、ただ陽ちゃんの形見だけが落ちてただけだ」
「他に当ては無かったんですの?」
「ねぇな」
三人は考え始めた。楽座が何処へ連れて行かれたのか。さまざまな場所を思い浮かべながら、その場所が今回の事件と関係があるのかを精査する。ただ、今回の事件は「久佐木」しか関係していない。「道楽遊戯」のある「琴原」近辺は今回の事件で関係している場所はない。ほんの僅かな関わりとしては隣の市である「京豊市」。だが、その可能性はほぼゼロであると言って良い。
「久佐木」――「久佐木駅」近辺。「白波荘」も一応頭の中に入れて、関係している場所を挙げてみる。
「『望清大学』ですわね……あ、開地さんのことお聞きになられました?」
「いいや、まだだが?」
「開地さんのことについて調べていたんですよ――」
と港南は開地瑶子についての調査結果を中道に言った。
「……なるほどな、事件とは無関係な人間も巻き込まれちまったのか」
――ピリリリリリ
突如として携帯が鳴り出す。
港南と壬生は自分の携帯を確認する。
「あ、わりぃ。あたしだ」
中道は携帯を取り出し、画面を確認する。
《隠滅解除》――出灰だ。
「おう、何か分かったか?」
「中道? ようやく分かったわ、七年前の殺しの日時と現場。被害者は津村由貴子さん、当時19歳。死体が発見されたんが六月十日。ガイシャの死亡推定時刻はそれより三日前の六月七日午後七時半や。現場は『望清大学』の裏にある神社――『草岐神社』や」
「……伺去祐依が誘拐された後に殺されてんのか」
と、中道は相手に聞こえないくらい小さい声で呟く。
「出灰、津村さんの名前、『ゆきこ』だよな? どう書く?」
「『理由ありの貴公子』」
「わりぃ、ありがとな。出灰」
――ピッ。
名前の説明はあれで十分なのだろうか。
「出灰さんには何を調べてもらっていたんですの?」
「あ? ああ、七年前にあった望清大の学生が殺された事件だ」
「それと、今回の一件何か関係があるんですか?」
中道は持ってきていた黒いリュックサックを開けると、中から黒いノートとペンを取り出した。さながら「デス●ート」みた……
「さーて、まとめてみっか!」
「何でちょっと棒読みなんですの?」
「いや、なんとなく」
中道はノートを開くと、上のほうから順番に書いていった。
■ ■ ■
伺去祐依――依頼人。七年前に誘拐予告の手紙が送付される。
津村由貴子――伺去の相談相手。七年前の伺去誘拐事件後に殺害される。
式部武人――望清大文学部哲学科准教授。津村に伺去から相談されたといわれた。
開地瑶子――本件とは無関係。
【七年前】
四月二日:伺去の元に誘拐予告の手紙が届く
四月十二日:伺去が誘拐される(行方不明になる)。
四月十二日から六月七日までの間:津村が式部に相談されたことを告げる。
四月二十二日:伺去が望清大学を除籍される。
六月七日:津村が殺される。
六月十日:津村の遺体が「草岐神社」で発見される。
六月二十日:楽座精介が何者かに撃たれる。
その後、誘拐事件の犯人も殺人事件の犯人も特定・逮捕されていない。
【現在】
六月十二日:「伺去祐依」から依頼の手紙が送られてくる。
同日(午前九時):「伺去祐依」と名乗る人物が「道楽遊戯」に現れる。
同日(午後一時半):「道楽遊戯」にて解体された死体が発見される。
同日(推定午後三時):楽座陽太郎が何者かに連れ去られる。
「伺去祐依」と名乗る人物の顔を「道楽遊戯」所員が覚えていないのは、催眠スプレーによる軽度の記憶障害によるものである。
■ ■ ■
一通り書き終えると、中道はペンにキャップをし、テーブルにコトリと置く。
「よく、ここまで調べましたね」
「ほとんど調べてもらったんだけどな」
「でも、所々空白があることが気になりますわ」
特に現在の流れの下、異様に空白がある。
「ここは現在、《隠密機動》が調査中だ」
と中道はニヤリと笑って言う。
「……久しぶりに発動させちゃいましたか」
「ああ、そのうち《頭脳明晰》と《最終兵器》もな、発動させる予定だ」
「それ、本気で言ってるんですの?」
「半ばな」
――ピリリリリリ
再び、中道の携帯が鳴り響いた。
中道は携帯を取り出して画面を見る。
そこには“公衆電話”と書かれていた。
《訂正情報》
【2009年3月28日】「津村由貴子殺害推定時刻」
本文中で日にち計算の誤りがありましたので、訂正します。
出灰が中道に報告した内容(望清大学生殺害事件に関すること)で、
被害者の津村由貴子の遺体が発見されたのが六月十日、
死亡推定時刻は六月七日となっています。
これを出灰が「一週間前」と言っていますが、これは誤りです。
正しくは「三日前」です。
訂正するとともに、お詫び申し上げます。