第八話:クロッシングの差異
クロッシング【Crossing】
・行き違い
「…………ちょっと待て! 恋春。被害者のDNAを大至急調べてくれ!」
中道は風で飛ばされた今回の依頼の資料を見て、急に大きな声を出した。
「ごほっ……いかがなさったんです?」
港南は突然大きな声を出されたので、吃驚して口に含みかけたコーヒーを少しだけ噴き出してしまった。
「ふと思ったんだが、これ見てみろ」
と中道は床に落ちた資料を手に取り、港南に見せた。それは伺去が大学へ提出した個人情報の書かれている、いわゆる「学生証明書類」という物だった。
「血液型の合致ですか?」
と壬生が口を開いた。
「それと、DNAな」
中道はニヤリと笑って言った。しかし、港南は溜息混じりに言った。
「中道さん。DNAの合致は伺去さんのDNAが無いことには調べようがありませんわ。髪の毛とか皮膚の一部とかあれば話は別ですけど」
だが、中道は元々写真が貼ってあったであろう証明写真貼り付け欄を指差して、
「ここをよく見てみ。これ、なぁ〜んだ?」
と意地悪をするように言う。にやりと笑ったままなので、まさに意地悪をしているようだった。
港南は目を凝らして証明写真貼り付け欄を見た。
「中道さん、ちょっとこれお借りしますわ」
「どうぞ」
中道は港南に「学生証明書類」を渡した。
「壬生さん。大至急DNA鑑定をしてください」
と、港南は中道から渡された書類を壬生に渡す。壬生は書類を角から角へと眺めた。そして、証明写真貼り付け欄を見てハッとした。
「……分かりました」
壬生は資料を茶封筒に入れ、黒い皮製のカバンに仕舞ったと思うと立ち上がり、
「ご馳走様でした」
と言い、事務所を後にした。
「……それにしてもよく分かりましたわね」
と港南は感嘆した。
「あたしは視力だけはいいんだ」
中道は腰に手を当ててカラカラ笑って言った。それを見て榛葉が満面の笑みで、
「仲間思いのところもね、凛ちゃんのいいとこなんだよ」
と言った。中道の笑い声が急に止まり、頭を掻きはじめた。
「……ったく、しょうがねぇなぁ。ちっと、留守番頼むぜ」
「私は一度署に戻らなくてはなりませんから、出灰さんと榛葉さんに頼みましょう」
「ちょ、警部……うちも残るん?」
「命令です。残ってください。榛葉さんに何かあったらどうするんです?」
「わ、わかりました」
いまいち納得していない出灰と、留守番する気満々の榛葉を残して、中道と港南は事務所を出た。
「行く宛はあるのですか?」
港南は中道に問う。
「あいつは必ずあそこにいる。間違いねぇよ」
中道は港南に言う。
二人は階段を下りて外に出た。相変わらずボロボロのビルが二人の後ろに立っている。
そして、二人は互いに背を向けた。
「それでは……」
「またあとで……」
そう言って、二人は別れた。
港南と別れてから……。
中道は「琴原駅」に向けて奔っていた。
黒い髪を靡かせて、疾風の如く奔る。通行人をうまく避け全速力で奔る。
あと少しで「琴原駅」に着くという所で、
――ピリリリリリ。
携帯電話が鳴った途端、中道の足が止まった。携帯の画面を確認すると、そこには「最終兵器」と映し出されている。
「壬生か……」
中道はそう呟くと、電話に出た。
「どうした?」
全速力で奔っていたわりに、息も切らさず話す中道。
「あ、中道さんですか? 私としたことが一つミスを犯していました」
と受話器から申し訳なさそうに壬生の声が聞こえた。
「ミス?」
「はい、開地さんの免許証のことで」
「まさかとは思うが、作りモンってことはねぇよな?」
「……」
沈黙。間。
「作りモンか」
「はい。それにしてもうまく出来てますよ」
「警察でも初見では気付かねぇぐらいだもんな」
中道は皮肉を込めて言う。電話越しで相手の動作は確認できないが、壬生は確実に肩を竦めているだろう。
「んで? 写真は誰なんだ?」
「それは分かりません。現在調べているところです」
「DNAは?」
「それも今調査中です。すみません、色々至らなくて」
「ああ、ゆっくりやってくれや。あたしはあたしでやる事があるからよ」
ニヤリと笑う中道。
「御武運を」
壬生は静かにそう言ったが、
「祈るほどのことじゃねぇよ」
中道はケラケラ笑いながらそう言った。
楽座陽太郎は「白波荘」の前にいた。
いつ来ても、いつ見てもいやな建物だ。初めて見たときよりも雰囲気が悪くなっている。気分が悪くなってくる。気持ちが悪くなってくる。一刻も早く立ち去りたい。正直な話、直視したくない。
壁は白いのに血にまみれているように見え、窓はカーテンが閉めてあり中の様子は見えないのだが、窓際に誰か立っているように見える。
このアパートは建てられてからそんなに経っていない、新しいアパートある。立てられた当初は「望清大学」の学生で部屋は満杯になっていた。
しかし、「道楽遊戯」が解決した事件もそうだが、短い期間に何回か事件が起きており、それを境に入居者数は一気に減り、気付いてみれば全六部屋のアパートは三部屋ほどしか入居者がいない。
「開地瑶子」はこの「白波荘」に住んでいた女性だ。ここに来れば何か分かるかもしれない。そういう気持ちで楽座は「白波荘」の前にいる。
アパートはブロック塀に囲まれており、門は取り付けられていない。自由に敷地(といっても、建物と少しの庭しかなく狭い)へ出入りすることが出来る。防犯としてはあまりしっかりしていないようだ。犯人に「どうぞご自由にお入りください」と言っているようなものだ。
敷地内に入ってすぐのところに、二階への階段がある。その階段の上り口左側の壁に六つのポストが縦三列・横二列に並べて取り付けられている。左側は上から一〇一号室、一〇二号室、一〇三号室。右側は上から二〇一号室、二〇二号室、二〇三号室とポスト自体に白いマーカーで書かれている。大家が書いたのだろうか。
ポストの中央当たりにはネームプレートが取り付けられている。住人が自分の名前を書けるようになっているが、ネームプレートはどのポストも真っ白。名前は書かれていない。
――楽座はあるポストに目をやる。
左側一番下。
一〇三号室。
「開地瑶子」の住んでいた部屋。
――楽座はあるポストに目をやる。
右側一番上。
二〇一号室。
「伏木可南子」と彼氏が住んでいた部屋。
「伏木可南子」が住む前に、「片里悠美」という女性が住んでいた部屋。
そして、「片里悠美」が殺された部屋。
――楽座はあるポストに目をやる。
左側一番上。
一〇一号室。
「片里悠美」を殺した「男」が住んでいた部屋。
「片里悠美」の「友達」が殺した「男」が発見された部屋。
――。
おぞましかった。楽座は呆然と立ち尽くし、何も考えられなくなった。
だが、時折吹く強い風の中に…………。
中道は「久佐木駅」に着いた。急いで改札を出て左、「望清大学」のキャンパスの方へ向い奔り出す。
住宅街を奔り抜ける。線路沿いを全力疾走する。駅から約500mのところで、中道の奔っている道は、以前「ZOOMER」と「MAGNA50」で奔った道――久佐木街道と交差する。交差したところで、右に折れる。「望清大学」は久佐木街道を北へ向かうと着くが、中道の目的は「望清大学」に行くことではなく、「白波荘」に行くことだ。「白波荘」も久佐木街道を北へ向かい、「望清大学南交差点」を右に折れれば到着だ。
相変わらず、速いスピードで久佐木街道を駆け抜けていく。息は全く乱れていない。乱れているのは髪と頭の中だった。
今回の事件は相当分厚い壁が立ちはだかっている。
意味不明の依頼。
正体不明の客人。
出所不明の死体。
心意不明の楽座。
全く整理がついていない。いや、色々ありすぎて整理できないのだ。中道にしては珍しいことなのだが、楽座がいない以上いつまで経っても平行線のままだ。交わらない。交わらないということは解決することが出来ないということだ。絶対値の中道と相対値の楽座が交わることで始めて意味があるのだ。
正直な話、中道は「道楽遊戯」で発見した「開地瑶子」の死体が引っかかっているのだ。あの死体は誰なのか、何故「道楽遊戯」に遺棄したのか、何故犯人は偽の「開地瑶子」を殺したのか。頭の中でループされる疑問。色々な考えを巡らすが決定打がない。
久佐木街道を奔り始めてから1km奔ったところで、ようやく「望清大学南交差点」を眼に捉えられた。交差点を右に折れる。折れてすぐのところに「白波荘」はある。
だが、そこには誰もいなかった。
「……いねぇか」
息を切らす様子もなく、中道はゆっくりと周りを見渡した。だが、楽座の姿は何処にもなかった。辺りには「白波荘」の住人はもちろんのこと、近所の人すらいない。
「ここじゃねぇとすると……大学か?」
しかし、大学にはもう用はねぇはず。と中道は乱れた髪を掻き揚げながら呟いた。
「ん?」
中道はふと何か落ちているのに気がついた。近付いてよく見てみる。
「こいつは……」
その落ちているものを拾い上げ、
「おいおい、こりゃあ陽ちゃんの形見じゃねぇか」
と言った。
“陽ちゃんの形見”それは――潰れた弾丸をピンバッジにしたものだった。
このピンバッジは楽座が常に付けているものだ。
「陽ちゃん……何処に連れてかれた?」
中道はピンバッジを見つめて問いかける。しかし、何も帰っては来なかった。
――ピリリリリリ。
携帯が鳴る。中道は携帯をポケットから取り出し開く。
“最終兵器”
――ピッ。
「どうした?」
「DNA鑑定の結果が出ました。事務所内に遺棄されていた『開地瑶子』の血液のDNAと伺去さんの『学生証明書類』に付着していた“睫毛”のDNAを照合してみましたところ……」
壬生は一息置いた。
中道は既にニヤリと笑っていた。
「合致しました」
「やっぱりな」
どうやら「道楽遊戯」で死んでいたのは「開地瑶子」ではなく、「伺去祐依」の可能性があるようだ。
「まさか、書類に睫毛が付着しているとは、思いも寄りませんでした」
「ああ、だが――疑問が残る」
「ええ、誰が写真を剥がしたのか」
「依頼人は誰だったのか」
「開地瑶子とは何者なのか」
「楽座陽太郎は何処へ消えたのか」
「居なかったのですか?」
「ああ、影も形もありゃしねぇ。誰かに連れてかれちまったみてぇだ」
「それでは捜査員を――」
「待て」
「え?」
「犯人を刺激しちまうかもしんねぇから、いらねぇわ」
「ですがっ!」
「お前にはもう一つやってもらいてぇことがあんだよ」
「やってもらいたいこと?」
「『開地瑶子』が何者なのか調べてくれ。どうも気に喰わねぇんだ」
「……わかりました」
よろしくな。と言い、中道は電話を切った。その直後。
――ピリリリリリ。
再び携帯が鳴った。
名前は表示されず、変わりに「公衆電話」の文字。
――ピッ。
「てめぇ、誰だ?」
中道は低い声で相手に言う。
「クククククク」
気味の悪い声で相手は笑う。そして、
「“ダテンシ”トデモ、ナノッテオコウカ」
と含み笑いで話しているのが分かるような、相手を小ばかにしているような喋り方で相手は名乗った。
堕天使。
「てめぇだな? 陽ちゃん連れてったの」
「ククク……『ラクザヨウタロウ』ハ、オレガコロシタ」
殺した。確かに相手はそう言った。
「殺しただと? ふざけんのも大概にしろよ?」
中道の喋りには乱暴な口調と怒りが込められていた。
「てめぇが永遠に灰色しか見られねぇようにしてやんよ!」
中道はそう怒鳴ると、携帯電話の「切」のボタンを押し、通話を強制的に終了させた。
「壬生……なるべく早く調べてくれよ」
そう呟いて、中道は「白波荘」を後にした。