第七話:フォービドゥンの道筋
フォービドゥン【Forbidden】
・禁止
今、「道楽遊戯」という事務所の「浴室」には、
「切り口に筋がいくつか出来てんのな……」
探偵事務所「道楽遊戯」の所長、中道凛と、
「随分と切り方が雑ですわね……大方、鋸で切断したんじゃなくて?」
某県警琴原署捜査一課の警部、港南恋春と、
「骨が歪に砕けてっから、ハンマーかなんかでぶっ叩いて割ったみてぇだな」
「各部の置き方も雑ですわね。ここまでするなんて、犯人は相当被害者に恨みを持っていたのかもしれませんわね」
命を続かせることも、衣服を着用することも許されず、冷たい床に体の各部を乱雑に置かれた死体がいた。
同事務所所員の楽座陽太郎は、事務所内に置かれているソファーで横になっている。先ほど死体を見たときに異常なまでの嘔吐をし、体調を少々崩している。おでこに濡らしたタオルを置かれ、目をつぶっている。「浴室」から聞こえてくる中道と港南の生々しい会話を聞いているだけで死体を思い出してしまい、何時吐いてもおかしくない状況だった。本当なら耳栓をしたいところだが、そこは何とか聞き流して抑えている。
その楽座が横たわっているソファーと向かい合わせになるように置かれているもう一つのソファーに、ストラップのついたカメラを首から提げ、濃紺の帽子を被り、同色の「鑑識班」と書かれている服を着た女性と、赤いツナギを着て、黒い髪を一本の三つ編みにしている、可愛らしい女の子と、上下黒いスーツを着た、肩よりも短いショートカットの髪の女性が座っていた。
「何年も集まっていませんでしたからね、なんか変な感じがします」
とカメラを持った女性が丁寧な口調で言う。彼女は琴原署鑑識班班長、壬生木葉。
「久しぶりだよね。全然連絡も取ってなかったし」
と続いて赤いツナギの女の子が言う。彼女はバイクガレージ「CUBE」を経営している、榛葉慧。
「うちは港南も壬生も同じ職場やから、会うてるけど、中道も榛葉もよう考えたら久しぶりやん」
と上下黒いスーツの女性が関西弁で言う。彼女は琴原署捜査一課刑事、出灰ゆかり。
どうやら、中道、港南、壬生、榛葉、出灰は面識があるようだ。この間の事件で中道は榛葉のガレージ(兼自宅)で匿ってもらったことがあったので、そんなに長い間あっていなかったわけでもない。
ただ警察関係者(特に殺人事件担当の課の人物)などは会うことは滅多に無い。普段も仕事で忙しいし、プライベートの時間もなかなか取れない。
「……みなさんは……以前に何かをされていたんですか?」
と、顔をげっそりとさせ、蒼白を浮かばせていた楽座がボソリと呟くかのように、小さな声で尋ねた。特定の人物ではなく、おそらくは壬生、榛葉、出灰の誰かに尋ねている。
「お、あんちゃん大丈夫か? それにしても、あんちゃんもだらしないなぁ……。あんぐらいの死体見て、簡単にゲロったらあかんやん」
と出灰は笑いながら言う。それを見て榛葉は、
「仕方ないよ。陽ちゃんはまだこの事務所に入ってそんなに経ってないんだもん。ね、陽ちゃん?」
と笑いながら言った。
「ゆかりさん、もうちょっとオブラートに包みましょうよ」
とフォローになっていない発言をする壬生……全く以って話がかみ合っていない。
「いや、あの……皆さんは前に何かグループかなんかを組んでいらっしゃったんですか?」
楽座はもう一度尋ねた。
「ん? ああ、ごめんごめん。そいや、質問されとったな。せや、うちら中学が一緒やってん。そんでその中学校で同じ部活に入っててん」
「懐かしいね。言いだしっぺが凛ちゃんでさ」
「うふふふ。そうでしたね。部長は凛さんに即決定でしたね」
まるで同窓会に来ているような錯覚に陥った楽座がいた。
「しかも、『探偵部』っちゅう名前やったやん? 高校受験の書類にその部活名書くん、ちょ抵抗あったもん」
「でもさ、結構事件解決したよね?」
「事件と言っても、『靴を隠された』とか、『弁当食べられた』とかって可愛い物ばかりでしたよね? 凛さん、《猪突猛進の中道》なんて変な呼ばれ方していましたし」
あはははと、笑い声も交えて盛り上がっている様子だったが、その話に今の楽座はついて行けるほどの余裕はなかった。ああ、もうちょっと抵抗力高めないとなぁと心の中で呟いた。
「随分と盛り上がってんじゃねぇか」
と、「浴室」から出てきた《猪突猛進の中道》がニヤニヤしながら三人の座っているソファーに近付いた。
「『浴室』にいても聞こえてますわよ。休むのは結構ですけど、仕事はお忘れにならないでくださいね」
と中道と同じく「浴室」から出てきた港南も手を洗ったのか、手を白いハンカチで拭きながらソファーに近付いた。
「あ、《頭脳明晰の港南》だ」
「ちょ……そんな古い呼び方で呼ばないで下さいます? 恥ずかしいですわ。《隠密機動の榛葉》さん?」
《猪突猛進の中道》《頭脳明晰の港南》、《隠密機動の榛葉》……。他の二人のが気になるなぁと楽座は思っていたとかいなかったとか。
「木葉ちゃんは……《最終兵器の壬生》だったっけ?」
榛葉は壬生のほうを見て、聞く。
「ああ、そういえばそうでしたね。懐かしいですねぇ……」
「えと、ゆかりちゃんは……」
「うちは《隠滅解除の出灰》やったな。誰やねん。こんな二つ名付けたん」
「顧問の藤武だったな、確か。っていうかよ……ある意味いじめだろ。これ」
「そうですわね。結構酷いネーミングですわね」
《猪突猛進》《頭脳明晰》《隠密機動》《隠滅解除》はなんとなく分かるが、壬生の《最終兵器》とは一体……。
少し話をして、中道は「コーヒー入れてくるわ」と言って、「給湯室」へと向っていった。それでも、残りの四人は話を続ける。
「いつも、木葉が囮になっとってん。せやから藤武の奴が《最終兵器》なんて付けてん」
「すっごい、こじ付け感が否めませんでしたけどね」
死体があるのもすっかり忘れているような感じで、五人は談笑をしている。楽座は相変わらずソファーに横たわったまま動かない。
中道は「給湯室」で入れ終わった自分と楽座の分を含め、六人分のコーヒーを持ってきた。そして、テーブルの上にコーヒーを乗せて来たトレーごと置いた。横たわっている楽座以外の五人は「いただきます」と言って、一つずつマグカップを取った。
「それで、壬生さん? 被害者の身元はお分かりになりましたの?」
とコーヒーを一口飲んで、港南が突如として真面目な顔に切り替わり、壬生に尋ねた。
壬生は手に持ったマグカップをトレーの上に一旦置いて、濃紺の上着の胸ポケットから黒い手帳を取り出して開き、パラパラとページをめくっていった。そして、静かに、
「はい、警部。既に調べてあります。被害者は衣服の着用はありませんでしたが、何故か切断された胴体の下に免許証がありました。それによると、名前は開地瑶子さん。年齢は二十二歳。住所は明宿町臨天▲▲白波荘一〇三号室です。ただ、遺体には頭部がありませんでしたので、これだけでは遺体が開地さんの物であるとは断定できません」
「そうですわね。DNA鑑定をしてみないとわかりませんわね。それにしても、最近『白波荘』というアパートの名前、よく耳にしますわ」
と言う。その言葉に中道は飲んでいたコーヒーを思いっきり噴出した。近くにいた港南は本当に吃驚したようで、体をビクッとさせた。
「吃驚しましたわ。如何為さったのです?」
目を丸くした港南が中道に聞く。中道は噴出した拍子に顎へと伝ってしまったコーヒーを腕でグイッとぬぐって、
「いやぁ、そのアパートとはなんか縁が深いなぁっと思ってよ。なぁ、陽ちゃん」
楽座は深い溜息をついた。またあのアパートか……。と、酷く落胆した。
「中道さん……」
楽座はかすかに聞こえるような声で言う。中道は「何だ?」と反応した。
「僕……この依頼から降りたいんですけど」
楽座がそういったあと、事務所内は非常に静かになった。ただ聞こえるのは壁に掛かっている時計の秒針音だけ。その場にいる全員が動かなかった。時だけが流れる。
その静寂は、
「今……何つった?」
と中道によって消された。
「降りたいといったんです」
と楽座が続く。
「理由は?」
「……」
またもや沈黙。それは約20秒続いた。
「……今までの依頼は、突き当たるといえば土か木で出来た壁でした。当たっても、すぐに壊れる脆い壁でした。ですが、今回の壁は土でもない木でもない、非常に固い壁。例えるなら銀行にある金庫のドアみたいな壁です。そんな壁をぶっ壊せる気がしません。しかも、また白波荘ですか? あのアパートには行きたくもありませんし、見たくもありません。依頼人だってどんな人物なんだか、非常に透明な存在じゃないですか。僕はそんな依頼、もう進めたくありません。いっその事、迷宮入りしてしまえばいいのに……!」
三回目の沈黙。今回は1分。
「そんだけか? 糞餓鬼……」
低く、そして少し抑えた声で中道が言う。
「甘えるのもいい加減にしろよ、楽座。てめぇがこの事務所に入った理由をあたしが忘れたと思ってんのか? それとも、このあたしを裏切る気か」
中道は楽座に向けて指を指した。目は釣りあがっている。
「いずれにせよ、今のてめぇには十分に頭を冷やしてもらう必要があるようだな」
コーヒーの入ったマグカップをテーブルの上に叩きつけ、中道は横たわっている楽座の胸倉を掴んで、無理矢理起こした。楽座の体は力が抜け切っているのか、ちゃんと立てていない。
中道は左手を胸倉から離し、思いっきり後ろに引いた。そして勢いよく楽座の右頬にパンチをめり込ませた。同時に中道が楽座の胸倉から右手を離したので、パンチの勢いで楽座の体は思いっきり右へ傾き、ソファーをはずれ、床に倒れる形になった。顔はうつむいている。中道は目だけ楽座のほうに向けた。
「出て行け」
と中道は倒れている楽座に吐き捨てた。
楽座は何も言わず、うつむいたまま立ち上がり、事務所のドアへと向っていき出て行った。ドアはこういうときだけしっかりと閉まる。
「……ええのんか? 中道」
出灰が心配そうな顔で中道を見る。
「ま、アイツがこうなるのも無理ねぇけど、ちっと頭冷やしてくんねぇと、あたしが困る」
軽く溜息をついて、中道はドアを見る。開く様子はなかった。
楽座の机に置かれた今回の依頼に関する資料が、事務所の窓から入ってきた風でぱらぱらとめくれた。
関西弁が若干間違えているかもしれませんが、ご了承ください。