第四話:ショートエイジの時流
ショートエイジ【Shortage】
・不足
「望清大学」の目の前を通る、車がやっとすれ違えるほどの広さの道を右方向に進む。右には大学の緑が見え、左には青々とした竹が生い茂る竹林が見える。大学を出てから歩いて二分。大正時代創業の呉服屋を改装したレトロで小さな「大正館」という喫茶店がある。中へ入ると、落ち着く少し暗めの照明の明かりと、焙煎したコーヒー豆の心地よい香りが包み込む。
右側にカウンターがあり、五人掛けられる。そのうちの一席にはサラリーマン風の男性が座っている。左側には六人ぐらい掛けられるテーブル席が三つある。奥にも部屋があるようだが、電気は点いていない。柱や天井を格子状に張っている木がコーヒーの色をしている。柱には年代物――おそらく、昭和以前に作られたものだと思われる振り子時計が掛かっており、今でも時を刻んでおり、振り子がゆっくりと揺れる。椅子は木製であるが、クッションがしっかりとして、それでいてふかふかとしている。店内には曲名は分からないが、静かにジャズが流れている。
そんな長い時間居たくなるような喫茶店の入り口側から数えて二番目のテーブル席に、テーブルを挟んで向かい合うようにして中道と楽座が座っていた。既にコーヒーを頼んだらしく、二人の目の前には黒く輝くコーヒーの入ったカップが置かれている(中道も楽座もコーヒーはブラック派)。
「やっぱり、ここは落ち着くな」
中道は、天井や柱を見渡して懐かしむかのように呟いた。
「よく、ここには来てらっしゃったんですか?」
と楽座がコーヒーを一口飲んで聞く。
「ああ、ほぼ毎日……な? マスター?」
と中道は厨房で他の客のコーヒーをサイフォンで入れていたマスターに振る。
「凛ちゃんが来るとね、常連さんたちが『待ってました』と言わんばかりに喜ぶんだよね。凛ちゃんの話は面白いから、聞きに来る人が多かったなぁ」
「そういえば、来るの久しぶりだったな……卒業して以来かな?」
しばらく、中道とマスターの談笑が続いた。楽座はそれを見て、久しぶりに微笑んだ。
意味不明な依頼が飛び込んでから、楽座はずっと悩んだ顔をしていた。色々なことが頭の中で混線状態になっていたからだ。この間の一件で「道楽遊戯」が関わっていた事が何処で洩れたのかは知らないが、あれ以来飛び込んでくる依頼の内容といえば、計画的殺人予告が送られてきただの、DVに困っているだの……。ほぼ、この二つに固定された物ばかりだった。そして、今回の依頼。本来の「お助け屋」の趣旨とは若干ずれてきている。いなくなった猫を探すのだって良い、町内のイベントで人が足りなくて困っているから手を貸して欲しいと言うのだって良い。そういう軽い悩みではなく、相当深刻な重い殺人や誘拐、暴力などの悩みが常に「道楽遊戯」に飛び込んでくるのだ。それに関して中道は特に気にしていないようだが……。
中道とマスターの笑い声が飛び交う中(カウンターに座っている男性客も、話を聞きながら笑っている)、突然、ドアが開き、吊るされているカウベル(牛の首に付けられている少し大きい鈴)が鳴った。
のっそりと入ってきたのは、白衣を着たままの式部だった。
「おや? 先生、講義はもう終わりですか?」
マスターが入ってきた式部に聞く。
「ああ、今日は中道とデートだから」
と式部は「ははは」と笑いながら言った。それを聞いて中道は口に含んでいたコーヒーをそれはまた盛大に噴き出したのだった。おかげで楽座はそのコーヒーを頭に被ることになる。
「式部! 何言ってんだ!?」
と焦って、自分のおしぼりで楽座のコーヒーで濡れた髪と顔を丁寧に拭きながら式部に言う。
「冗談だ、冗談」
と式部はカラカラと笑いながら言って、楽座の隣に行き、「よっこらしょ」と言いながら座った。そしてマスターに「炭火コーヒーね」と言って注文をしたあと、中道のほうに向き直した。
「んで? 聞きたいことは何だったっけ?」
と白衣のポケットに手を突っ込んでソフトパッケージの煙草とライターを取り出す。「チェリー」と書かれたソフトパッケージから煙草を一本取り出し、口に咥えライターで火を点ける。
「相変わらず、強い煙草吸ってんな」
と中道はつられるかのように、コーヒーカップの傍らに置いてあった、煙草の箱から煙草を取り出し、咥えて火をつける。中道は場所で煙草を吸い分けている。普段は「ブラック・デビル」だが、お店で吸うときは「ラッキー・ストライク」と決めている。
「話をはぐらかすな。何を聞きたいんだと聞いてるんだ」
式部が真面目な顔をして言う。楽座もいつの間にか煙草を吸い始めていた。黙々と漂う煙の中、少し沈黙が流れた。
ここで言っておきたいことが一つだけある。これは完全なる作者のミスなのだが、未成年者の喫煙は法律で禁止されている。楽座は喫煙をしているが、彼は十九歳だ。人に進められようが、興味を持とうが、二十歳を超えるまでは煙草と酒は我慢するべし。
「伺去祐依が一体何者かと言うことだ。さっき、式部は『伺去って奴はいない』って言ったよな? ありゃあ、一体どういう意味だ?」
中道が式部に問う。偶然にも式部の注文したコーヒーが到着したのと同時だった。式部は入れたての湯気がうっすらと立ち上るコーヒーを一口飲んでから、
「あの言葉の通りだ。『望清大』には伺去と言う名の学生はいない」
と言ったあと、
「ま、今はな」
と付け足した。
「今は?」
楽座が不思議そうな顔をして式部を見る。中道はコーヒーを一口飲んで、煙草を吸う。
「昔は居た。と言うような口ぶりだな?」
「まさにその通りだ。昔、お前が入学する前に居た学生だ」
「何年前に入学した?」
「今から八年前に入学して、その一年後に除籍になった」
「あたしが入学したのが六年前だから、あったことねぇのか……除籍理由は?」
「……」
中道の問いに無言でコーヒーをすする式部。カチャリとソーサーにカップを置いたあと、口を開いた。
「行方不明になっちまったからだ」
「行方不明になっちまったからだ?」
まるで鸚鵡のように式部の言ったことを繰り返し言う中道。楽座はメモ帳を取り出してメモをし始めていた。
情報収集は問題解決の最善策。
「伺去が入学してから丁度一年ぐらい経ったときだ。全く、大学に現れなくなっちまったんだ」
「何故?」
「そこまでは知らねぇよ。ある日、忽然と伺去は大学から姿を消した。俺は伺去とはあまり話すことはなかったけどよ、さすがに気になったんで、よく伺去がつるんでた女学生に聞いてみたんだ。そしたら、興味深ぇ話を聞いたんだ」
中道は式部の目を見て聞いていた。そして「それで?」と促す。
「『変な手紙が届いた』とかつってたらしい。その女学生――津村っつうんだがよ、そいつが伺去から相談を受けてたそうだ」
「変な手紙?」
「ああ、津村が聞いた話だと、定規を当てながら一本一本線を引いて書いたような字だったってよ」
「……入学して一年経ってたってことは……伺去が行方不明になったのは四月か?」
「ああ」
「行方不明になった日と除籍扱いになった日、知ってっか?」
「行方不明になった日は分からねぇが、除籍扱いになったのは今から七年前の四月二十二日だな」
七年前の四月二十二日。四月と言えば、伺去が誘拐犯に攫われることになっている日が四月十二日である。中道はコーヒーを一口飲んだあと、深く、何かを思い出すかのように考え始めた。煙草を吸い、口からプカリと煙を出す。そして、何か眠りから覚めたようにハッとすると、楽座を見て、
「陽ちゃん。四月十二日が火曜日なのは確か今から四年後の四月十二日と七年前の四月十二日だよな?」
と聞いた。
「ええ、その通りで……七年前の四月十二日……。伺去さんが除籍になったのは四月二十二日……。まさか、中道さん」
楽座は少し青ざめた。まさかそんな事があるわけがない。もし、本当にそうなのだとしたら何故、今更こんな依頼を……?
中道はニヤリと笑った。
「どうやら、あの子は相当面白い子なのかもしれないぜ。陽ちゃん」
「いや、ありえないですよ。なんで今更、こんな依頼を?」
「さぁ。本人に聞いてみたら一番早ぇけどな。何処にいるかさっぱりわかんねぇからな」
中道と楽座のやり取りを見て、式部は少々興味深く、少々恐ろしく、少々不思議なことを言った……いや、少々どころではないことを言った。
「伺去祐依……もうちょっと早く、俺らが気付いていれば、今頃無事に就職してただろうし、もしかしたら結婚してたかも知れねぇな」
と。
楽座は頭がついていけなくなっていた。揺ら揺らとして焦点が合わない、そんな感じだ。中道は中道でニヤリと笑って、何気に楽しんでいるようだ。式部は凄く意味深な顔をしている。悲しそうな後悔の念が浮かび上がっているようなそんな表情。
「陽ちゃん? 伺去は今、土ん中にいんのかも知れねぇな」
中道はコーヒーを一口飲んで、再び「ラッキー・ストライク」に火をつけた。
ある一定時間、沈黙が保たれた。中道は確信づいたような顔を浮かべているが、楽座は頭が混乱していて喋る気にもなれないし、式部は伺去のことについてまだ後悔している風だった。
「マスター。コーヒーお変わり頂戴」
と、中道はふたたびコーヒーを注文した。その能天気さは一体何処から来るのだろう。楽座に二つ目の疑問が生まれたと言う。