第二話:リフレッシングの転換
リフレッシング【Refreshing】
・清涼
いきなり八方を壁に塞がれてしまった中道と楽座は困り果てていた。今までの依頼ではなかったタイムパラドックスと初歩的なミスが重なってしまったがために、捜査や推理に困難が生じてしまったのだ。
「あ〜。どうすっかな〜」
中道は頭の後ろに手を組んで椅子の背もたれにもたれ掛かっている。リップクリームを塗ったときのように、上唇と下唇を擦り合わせるような動作を取りながら、深く考えているようだった。机に置いてあるコカ・コーラZEROを手に取り、一口飲んだ。「ふぅ」と溜息を一回吐くと、コーラの缶を机に置き、頭の後ろで手を組んで考え始めた。
「伺去さんとの会話を思い出して、糸を紡ぎ出すしかないようですね」
楽座は伺去から送られてきた手紙を机の上に置き、先ほど給湯室の冷蔵庫から取ってきたエネルゲンを一口飲んでから静かに言う。
「伺去祐依さん。十九歳、望清大学に通う大学生。十日前に差出人不明の封筒がアパートの自分の部屋に届いた。中をあけてみると、定規で一本一本引きながら書いたような線で『四月十二日火曜日の午後五時十一分に貴女を攫いに行きます』と書いてあった……」
「そんな程度でしたよね。後は彼女黙りこくっちゃいましたし。そうとう恐がってましたね」
「そりゃあ、なあ。差出人も分からねぇ封筒が急に届いたんだ。恐くなるのもムリねぇだろ」
「でも、いきなり問題が」
「ああ、タイムパラドックス(時間的矛盾)という奴だ」
「未来のことを予想したわけでもないですしね」
「仮にそうだったとしても、誘拐犯が覚えてるかどうかだろ。何しろ四年後のことだぞ?」
「どんなに計画を練ったとしても、その計画自体を忘れているでしょうね。そんなに時間が経ってしまったら」
「それに、覚えていたとしても、もうやる気がねぇだろ。四年越しに攫ってどうすんだ?」
「四年の間に彼女が海外に行ったりしている可能性もありますからね。確実に攫えるという保証もないですし」
中道と楽座は「う〜ん」と唸った。あまりに意味の分からない手紙の内容とあまり喋らなかった伺去の話を照らし合わせてみても、全く道が開けていないのだ。仮に伺去が事細かに話したとしても、実際に伺去の元に送られてきた手紙の内容の意味は解読できない。まさに八方塞……。
「そうだ」
……とも言い切れないようだ。中道が思い出したかのように言った。
「どうしたんですか? 中道さん」
「大学だよ。彼女の言ってる大学……なんで、早く気づかなかったんだ? そこに行ってみれば彼女に会えるかも知れねぇだろ?」
「ああ、望清大学ですね……ん? 望清大学?」
「どうした?」
顔が段々青ざめていく楽座を見て、中道が少し心配そうに声をかけた。
「望清大学……あの『アパート』の近くにある大学ですよね?」
「『アパート』?」
「『白波荘』ですよ……」
「白波荘」――中道と楽座がついこの間、関わったばかりの事件が起こったアパートで、過去に殺人事件が二件……いや、あの事件を含めると三件起きているという曰く付きのアパート――。その「白波荘」の近くに「望清大学」という文科系の大学がある。最寄り駅の「久佐木駅」から歩いて二十分と少し遠いが、周りを緑が囲んでいてとても環境が良く、有名な文豪も輩出しているという、立てられて八十年以上経っている名門中の名門と言われる大学である。伺去はその大学の学生だと言う。
「今回はあの『アパート』は関係ないだろ。大学に用があんだからよ……まさか、陽ちゃん、お化けが恐いんじゃねぇだろうな?」
長い髪をわざと顔に被らせ、手をだらりと垂れ、いかにも幽霊と言わんばかりの仕草をした中道が楽座をからかうように言う。
「そ、そんなこと……ある訳ないじゃないですか」
と少し声を震わせて楽座が言う。強がっているようだが、実際のところ図星のようだ。
「じゃあ、今度夜に『白波荘』に行くか?」
と中道がニヤリと笑って言う。
「え、遠慮しておきます」
と楽座は弱く答えた。今にも泣きそうな雰囲気がある。
「冗談だよ……そんな顔すんなって」
泣きそうな楽座に慌てながら言う中道。ちょっとからかいが過ぎたようだ。
「……さて、行くか」
気を取り直して中道が椅子から立ち上がる。その言葉に楽座の体がビクッとなる。
「『白波荘』じゃねぇよ。『望清大学』だっつの」
中道はニヤリと笑って楽座に言う。その言葉を聞いて、楽座はほっとしたような溜息を吐いた。
中道は黒いリュックを楽座は黄色いリュックを背負い「道楽遊戯」のドアを開けた。ギィーといかにも年期が入っているような軋む音がしてドアが開く。ドアを押さえながら二人が外に出た。楽座が押さえていたドアから手を離すと、再びギィーと音がしてドアが閉ま……らなかった。楽座が強くドアを押しドアを完全に閉める。中道がドアノブにある鍵穴に鍵を挿し、鍵を閉めた。
「さて、行くか」
中道の手には事務所の鍵とは別にもう一つ鍵が握られていた。
「ええ、初めてじゃないですか? 原付で行くの」
と楽座が言う。その楽座の手にも鍵が握られている。二人の持っている鍵は原付の鍵だった。二人は原付の鍵をちゃらちゃらと鳴らしながら、ゆっくりと階段を下りていった。
今まで、県内の移動は徒歩か奔りか電車を駆使していた。以前あったあの事件でその方法は依頼遂行に対する一種の妨げになると中道が判断し、以降、原付で行動することにしている。中道は普通免許を持っているが敢えて原付で移動することにしている。理由は「細い道でも早く行けるし、意外と燃費がよく遠くまでいけるから」だそうだ。
ボロビル――「傘ビル」の入り口付近は少々開けており、車一台ほど置けるスペースがある。だが、ここには車を置いてはいけないと言う決まりになっており、「傘ビル」から歩いて三分ほどのところにある駐車場へ車を置くように言われている。ただし、原付に関してはビル前に止めても良いそうだ。
その「傘ビル」の空いているスペースの端の方に、二台の原付が身を寄せ合うようにしておいてある。片方は黄色い「ZOOMER」。もう一台は黒い「MAGNA50」。もうお分かりかもしれないが、「ZOOMER」は楽座の原付(毎日この原付に乗って「道楽遊戯」まで通っている)で、「MAGNA50」は中道の原付(中道は毎日、自宅からBMWの黒い「Z4 ロードスター」に乗って通っている)だ。
二人は原付のハンドルロックを解除し、ハンドルに掛かっていたヘルメットを取って、キーを差し込み電源を入れた。ハンドルについているスイッチを押し、エンジンをスタートさせた。キャリリリと言う音がし、エンジンが回り始める。スタンドを外し、ハンドルを制御しながら原付を移動させ、道路側に原付を向けた。シートに跨りヘルメットを被った。ヘルメットの色も統一感があり、楽座は黄色、中道は黒いヘルメットだった。
左右を確認した後、中道と楽座の原付は右へと曲がり市役所の方へと走り始めた。
一つ目の信号を左へと曲がり、住宅街へと入っていく。後はまっすぐ進むだけ。右左折はしない。そうすれば、二十五分ほどで久佐木駅前の交差点にたどり着く。その久佐木駅前交差点の右側角に「望清大学」の看板が立てかけられており、「右折後1キロ先」と書いてある。その下には右方向への矢印が書いてある。
交差点右折後、すぐに例の「白波荘」が見え、それを過ぎ去りしばらく行くと、突き当たりに大きくて荘厳な白い建物が見えてきた。その建物こそ「望清大学」である。その大学を取り囲むかのように桜や銀杏の木が植えられている。緑に囲まれた大学である。
中道と楽座はバイクに乗ったまま、開け放たれた鉄製の大きな門を入る。目の前にはヨーロッパ調の彫刻が鎮座している。その下には噴水があり絶えず水が噴出している。道は煉瓦が敷き詰められている。
全体的にヨーロッパ(何処とは断定できない)の雰囲気があり、ここが日本であることを感じさせる余地はなかった。中道はまるで敷地内を熟視しているかのように、ヨーロッパ調の雰囲気の中をスイスイと奔って行く。
「中道さん!」
楽座が後ろから大きな声で中道を呼ぶ。
「ん? 何だ?」
原付を運転しながら中道が楽座の呼びかけに反応する。
「随分とこの大学の敷地に詳しそうですが、以前にも来た事あるんですか?」
「あぁ、陽ちゃんには言ってなかったっけか?」
と中道が意味深なことを言う。
「あたし、ここに通ってたんだよ」
「えぇ!? ここって名門校じゃないですか!」
「あたしがここに通ってたのがそんなに不思議か?」
「いえ……」
楽座は今まで中道の生い立ちを聞いたことがなかった。以前、チラッと聞いたことがあったのは、中道の祖父に当たる人物が有名な企業の創設者であり、中道はその家系のお嬢様として大切に育てられたということだけだった。だから、BMVの「ロードスター」を若干二十四歳の中道が所有し、乗り回すことが出来ているのである。
この「望清大学」も名門校として知られているほか、お嬢様大学としても有名であった。中道もこの大学の卒業生であるが、今回の依頼人、伺去もこの大学に在籍していると言う。伺去の話によれば大学二年生だそうだ。
噴水の脇を通り、校舎の方へと向かうと突如として右側に駐輪場が見えてきた。中道がその駐輪場に原付を止めるのを見て、楽座も続いて原付を止めた。スタンドをして鍵をOFFの方にひねる。すると、エンジンが止まり静かになった。
やはり、駐輪場も駐輪場らしくないどこか、高貴な感じがする。白を基調とした柱に白い石膏像のようなものが取り付けられていた。怒り顔の髭を生やした老人の像が楽座を睨んでいるかのように取り付けられている。
「お、ジョンおじさん。まだ付いてたのか」
中道はその老人の像をニヤリと笑いながらペチペチ叩いて言う。
「ジョ、ジョンおじさん?」
「ああ、あたし達が付けたんだよ。実際の名前は誰にも分かんねぇからな。もしかしたら、本当に『ジョン』って名前なんかもしんねぇけどな」
ケタケタ笑いながら、駐輪場から離れていく。
「久しぶりだなぁ。二年ぶりってとこか」
中道は白い校舎を見て、どこか懐かしそうに言った。
【参考資料】
本文中に登場した、バイクや自動車は以下のサイトを参考にしました。
HONDA ZOOMER
http://www.honda.co.jp/motor-lineup/zoomer/
HONDA MAGNA50
http://www.honda.co.jp/motor-lineup/magna50/
BMW Z4 ロードスター
http://www.bmw.co.jp/jp/ja/newvehicles/z4/roadster/2006/introduction.html