第十一話:リベレイトの介抱
リベレイト【Liberate】
・解放
好きだと伝えられなくても、その人のそばにいられるのであれば、とても幸せである。
だが、好きだと伝えて、その人のそばにいられなくなるのは、途轍もない不幸である。
■ ■ ■
――また、迷惑掛けちゃったなぁ……。
楽座陽太郎は心の中でそう呟いた。というか、先ほどしかそんな事しか思っていない。「早く助けに来ないかな」なんておこがましい事なんか一度たりとも思ったことはない。何気に楽座自身が好意を寄せている中道に対して、反抗的になってしまったのは死体を見てしまったというショックが忠誠心に勝ってしまったからだ。それは楽座自身「自分が未熟だからだ」という答えには既に行き着いており、後悔の念しか今は無い。
楽座は「白波荘」に行き、そこで何者かに頭部を殴られて気絶させられた。気付いてみれば、目の前は真っ暗だった。目隠しをされているわけではなく、どこかの部屋に監禁されているようだった。暗がりの中で段々目が慣れてきたが、部屋は雨戸が閉められ、電気も消されているため、完全に真っ暗だった。その部屋の特徴さえも掴めなかった。手足も拘束されているので自由に動くことも出来ない。だから楽座は横たわったままの状態で長い時間を過ごすしか出来なかった。
だが、分かったことがいくつかあった。
まず、ここがアパートの一室であるということ。先ほど、
「卯月さ〜ん」
とノックとともに男性の声が聞こえたのだ。楽座のいる部屋のドアがノックされたのではなく、隣の部屋のドアがノックされたようだ。しかも、一階であることも分かった。どうやら、男性はこのアパートの大家のようで、隣の住人から家賃を徴収していたらしい。会話を終えたあと何処かへと行ったようだが、その際、ジャリッと靴が土を鳴らした音が聞こえたのだ。
そして、そのアパートが「白波荘」であるということ。
隣の住人は若い女性で、大学生だということが分かった。そして、その大学が「望清大学」と言うことも分かった。
その女性は、今日(日を超えているかもしれないが、実際の時間は分からない)大学を休んだらしい。その女性の友達が彼女の部屋を訪ねてきたのだ。楽座は盗み聞きをするのは嫌いだが、自分の居場所を知るためには止むを得ないと思い、心の中で――すみません――と呟いて、聞いていた。
■ ■ ■
「あ、朔良ちゃん。今日、大学休んだでしょ?」
「うん、ちょっと体の調子が悪くて」
「え? 大丈夫?」
「あ、うん。もう大丈夫だよ」
「式部が朔良ちゃんを探してたよ」
「え? ホント? 明日、大学行くから、その時に式部先生の所に行くよ」
「ごめんね、体調悪いのに」
「ううん。もう大丈夫だから。わざわざありがとね」
「じゃあ、お大事にね」
「うん。有難う」
■ ■ ■
確かに、隣の住人(卯月朔良と言うらしい)とその友達は「式部」という名前を言っていた。式部なんて珍しい苗字、早々聞くことも無い。
だが、これはあくまで楽座の考えだ。実際には少々食い違っている部分もある。
楽座の推理で分かったこと、「望清大学の近くにあるアパート・白波荘の一階にある部屋」、間違ってはいない。重要なことは間違っていない。確かに楽座は「望清大学の近くにあるアパート・白波荘の一階にある部屋」にいる。
ただ、隣の住人である卯月朔良と言う女性は「望清大学」の学生ではなく、「王地美術大学」の学生だ。以上戯言。
望清大学文学部哲学科講師・式部武人准教授は非常勤講師扱いで、「王地美術大学」の哲学講義の講師を請け負っている。「望清大学」の学長や講師もこの式部の出張講義を賛成しており、式部自身も快諾している。
そのことを楽座は知らない。知っている訳が無い。知ることが出来ないのだ。言わずもがな、監禁されているから。
ただ、楽座の推理は確実に上達している。長いこと中道と行動を共にしているからなのかもしれないが、少ない情報からすぐに場所を特定するというのは「道楽遊戯」に入る当初に比べれば、雲泥の差だった。この楽座の素晴らしい推理を、是非とも中道に見せてやりたいものだ。まぁ、無理な話だが……。
大きな音に対する反応と言うのは駭然と安心とがある。
95%は駭然である。
残りの5%は安心である。
バンッッッッッ!!!!!
というけたたましい音が聞こえた。
「陽ちゃん! 居るか?」
聞きなれた声。懐かしい声。聞きたかった声。
楽座は安堵した。
靴のまま上がる中道。そして、楽座のいる部屋に近付き、ドアを開ける。
蹴破られた部屋のドアから外の光が差し込み、その光が暗かった部屋にも明かりを差す。中道の顔は逆光で見えないが、微笑んでいるようにも見える。ニヤリと。
「原点復帰だ、黄色い相対値」
「全ての軸は0でいいですか? 黒い絶対値」
中道はニヤリと笑って、いる。楽座の元へと近付き、手と足を縛っている縄を解いていく。
「よく、ここが分かりましたね。中道さん」
久しぶりに声を出したからか、楽座の声は掠れている。
「お礼を言うなら、あたしだけじゃなくて『探偵部』の面々にも言えよ?」
「あはは……皆に迷惑掛けちゃいましたね」
「全くだ……この馬鹿が」
「誠心誠意、お礼を言わせていただきます」
楽座はそう言いながら、立ち上がろうとしたが憔悴しているからか、一瞬膝が落ちる。それを中道がすぐさま支えてやる。
「何にも食わせてもらってねぇな? 事務所までもつか?」
「ええ、もちますよ……事務所……帰っていいんですかね?」
「馬鹿。原点復帰つっただろうが」
「……」
中道は楽座の頭をパスッと軽く叩いた。
「おめぇがいねぇんじゃあ、警告が出ちまうんだよ。可動限界超過だっつってな」
「……」
「絶対値には相対値が必要だっつってんだよ。んな恥ずかしい事言わせんな」
中道は少しそっぽを向いたが、
「あははは……そうですね」
と相対値が笑いながら言うから、
「あはははは」
絶対値も笑った。
中道と楽座が部屋から外に出ると、そこには港南と壬生、榛葉がいた。三人とも笑顔だった。
「おかえりなさい」
と港南が、
「おかえりなさい」
と壬生が、
「おかえりー!」
と榛葉が、
「おかえり、陽ちゃん」
と中道が言う。
楽座は四人の顔を見る。なんて懐かしい顔なんだろう。長い年月を無駄にしたあとのような気分だ。本当に懐かしい。
「ただいま――帰りました」
と楽座は静かにそう呟いた。
「さて、事務所に帰るか。壬生頼むわ」
壬生は中道にそう言われて、走ってアパートの入り口へと向った。アパートの入り口にはパトカーが止まっていた。いや、偽者じゃなくて本物の。ドラマでよく見るような、実際に公道を走っていて、悪いことをしていないのに、何故か身構えてしまうというあのパトカー。
壬生の走っていったほうへ、四人は歩き出す。中道は楽座を支えながら、港南は風で靡く髪を手でかき上げながら、榛葉は両手をポケットに突っ込んで足を大きく上げながら、四人は歩き出した。
アパートの入り口には中道たちが乗ってきたパトカーのほかに、二台ほど止まっていた。どうやら他の捜査員が乗ってきた車のようだ。だが、こちらのパトカーはツートーンカラーのパトカーではなく、見た目は普通のセダン。だがルーフに赤色灯がクルクルと回っている。いわゆる「覆面パトカー」と呼ばれるものだ。よく、「捜査一課」の刑事たちが乗り回しているのをよくドラマで見るが、実際はそんなに走っていないらしい。
捜査員や鑑識の人たちが一緒になって楽座の監禁されていた部屋に入っていく。その中に、出灰の姿もあった。出灰は港南に近付き、
「警部。私たちはこれから捜査に入りますさかい、ここは任せて、凛たちを頼んます」
と言った。
「わかりましたわ。中道さんたちを送りましたら、またこちらに戻りますわ」
「警部、私も鑑識のほうがありますので、ここで失礼します」
「わかりましたわ。徹底的に捜査して下さい。すぐ戻ります」
「了解です」
壬生が敬礼をして、楽座の監禁されていた一〇三号室へと入っていく。
「では、行きましょうか」
中道が後部座席のドアを開けた。楽座をゆっくりと後部座席に座らせ、ドアを閉める。中道は反対側へと周り、ドアを開け榛葉を乗せた。そして、最後に自分が乗った。バタンと閉められるドア。港南は運転席へと座った。そして、何事も無かったかのようにパトカーは走り出した。緊急走行で。
緊急走行だったので、予想以上の速さで「傘ビル」に着いた。赤信号スルーの力は大きい。
中道は車から降り、榛葉も降りた。今度は榛葉が反対側へと回り、ドアを開ける。
「あれ?」
と榛葉が妙な声を出した。
「どうした?」
「陽ちゃん、寝ちゃってるよ」
後部座席で、うな垂れて楽座は眠っていた。
「疲れてたんだろうよ」
シートベルトを外し、中道は楽座を背負った。相変わらず女性にしては力持ちである。「傘ビルの中へと入り、コンクリートの階段を一段一段、それでいて結構早く登っていく。
「おっと、慧。鍵取ってくれ」
「どこ?」
「ポケットだ」
榛葉は中道のボトムのポケットから鍵を取り出し、鍵穴へと刺した。
「どっち?」
「右だ」
榛葉は言われたとおりに右へ……
「あれ?」
と榛葉が再び妙な声を出した。
「どうした? 慧」
「鍵が開いた感じがしないよ?」
「あ?」
中道は「鍵を閉め忘れたか?」と思ったが、確実に締めたことを思い出した。
「何で、開いてんだ? 慧。わりぃけどちょっと、ドア開けてくれ」
榛葉が「道楽遊戯」のドアを開ける。
ドアを開けて一番最初に目に入るのは、事務所の中央に置かれた長椅子だ。その長椅子に白い帽子、白いワンピースを着て、俯いている女性が座っていた。
「……誰だ?」
楽座を背負ったまま、「道楽遊戯」に入っていく中道とそのあとを榛葉が続く。
「てめぇ、誰だ?」
「……」
中道の問いかけに対して無言のその女性。
「言わねぇと、不法侵入でしょっ引いてもらうぞ」
「…………こ」
中道に脅されて、聞こえるか聞こえないかの小さな声で俯いたまま名乗る女性。
「聞こえねぇよ」
中道はその女性にもう一度名前を言うように催促した。
「……副戸明衣子」
静かにそう答える副戸。
「何故、ここにいる。鍵はどうした?」
中道は楽座を副戸が座っている長椅子と対面する長椅子に下ろし、横たわらせながら言った。
中道の問に対し、副戸はワンピースの胸ポケットから何かを取り出した。銀色の物。
「鍵……何で、おめぇが持ってんだ?」
「……」
副戸は依然として俯いたままだ。
「お前、依頼人『伺去祐依』としてここに来たな?」
「……」
副戸は無言で頷いた。