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イレギュラーな新人 2

 その日の昼下がり。空き時間をどうにか工面した水奈は、口約束通り晶たちに会うため、街中へと繰り出していた。

 そして一時間以上をかけて、ようやく目的の場所へとたどり着いたのであった。

 東京のたてこんだ市街地で、ビルの合間を縫うようにして形成された狭い路地を、幾重にも抜けた先の先。迷路の行き止まりのような場所に、それはあった。


「ここ……ですわね……」


 手にした名刺と、目の前の建物に掲げられた看板を見比べて、ひとりごちる。


 横長の看板には、今どき古めかしい右から左の流れで「船月堂」と記されていた。

 建物の雰囲気はやはり、周辺にそびえたつビルとは違って古めかしい。だがただ古いだけではなく、どことなく上品な気配が漂う……よく言えばレトロな佇まいだ。


「……けれど、どうなっているのでしょう? 松田と一緒だと、ここまで来れなかったのに……」


 自分が歩いてきた道を振り返って、水奈はさらに独語する。

 一本道ではなかったのは間違いないが、それでも二手に分かれてからというもの、突然今まで気づかなかった分岐を見つけるようになったのには、妖怪か何かの関与を疑うほかなかった。


 実際、彼女のその推測はほぼ正しい。石燕の船月堂は、皇機関から拠点の一つに指定されており、人除けの結界で覆われているのだ。

 ここには石燕の特殊な名刺を持つ者以外、たどり着けないようになっている。おまけに持っていても、持たないものと一緒にいると抜けられないというかなり手の込んだ結界だ。このため、二手に分かれた松田が水奈に追いつくことはない。


 それを理解しているわけではないが、それでもなんとなく察した水奈は、問題なく目的地に着いた旨だけをメールで松田に伝えると、意を決して中へ踏み込むことにした。

 かなり年代物の開き扉は、開錠されているようだ。それに一人で頷いて、彼女は取っ手を握りそっと手前に引く。


 その途端、温められた空気と共に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「おいおい、その冗談は笑えねえぞ! いい加減にしろよ!?」


 それに首を傾げながら、水奈はそっと隙間から中を覗きこむ。


 そこは、やや雑然とした西洋風の空間であった。中央には、古いながらも確かな光沢を放つ重厚な木製テーブルが置かれており、その左右に二対の長椅子が置かれている。椅子の調度は厳かで、仕立てのよさそうなソファーになっていた。

 他にも童謡を思わせる巨大な柱時計や、名器と呼べそうなバイオリン、日焼けして黄色くなった布が半端にかけられたイーゼルなど、いずれも西洋の、それもアンティークばかりがものを選ばず所狭しと並んでいる。


 しかし、決して狭くはないであろうはずのそこに、整理整頓の気配は見られない。それを少しもったいないと思う水奈だった。


「ふざけんな! そもそも今回の話は、あんたがどうしてもって言うから乗ったんだぞ!? 俺にも描き手としてのプライドがある、あっちがふざけたことを抜かすんならこの話降りさせてもらう!」


 室内の観察を終えた水奈は、その怒声に改めて声の主を探して視線を泳がせる。

 声の主は、すぐに見つかった。大きなテーブルの奥、カウンターテーブルでモニターに正対して立ち上がり、受話器片手に激昂する男が一人。

 いつか見た冬山重装備とは異なり、服装は飾り気のない軽装になっているが、頭に巻きつけられた緑色のバンダナは変わっていない。見間違えようなく、鳥山石燕である。


 しかし、すぐに声をかけることはためらわれた。


(よくはわかりませんが、あの怒りが飛び火しても面倒ですわね)


 そう考えた水奈は、しばらく様子をうかがうことにした。


「あ!? いーや、絶対違うね! ありえねえ、そんなことできるような奴だったら、そもそもこんなことしないっつーの!」


 見られていることに気づいていないのか、石燕はますますヒートアップし、その語調はどんどん荒々しくなっていく。


 そして、


「いいからあっちに伝えろ! この話、俺は絶対受けない! 俺はロリ巨乳キャラだけはたとえ何億積まれても描かねえからな!! そんなエロゲの作り手にはならん!! 滅びろ!!」


 怒りと共に声高に放たれたその言葉に、水奈は思わず力が抜けて転びそうになった。

 が、転倒は回避できても、勢いを完全に止められるはずもなく。当然のように音が出るのも止められなかった。


 そしてその音で、石燕はようやく水奈の存在に気がついた。直前までの勢いはどこへやら、目を丸くして水奈を凝視する。


「…………」

「…………」

『もしもし? もしもーし? あれ、ちょっと、どうしたの!? もしもーし!?』


 受話器から漏れ出る声だけが、空しく周囲に響く。

 しかしほどなくして、石燕は緩慢な動作で受話器を置いて、それを封じ込めた。


「い、……いらっしゃいませー?」


 そして引きつった愛想笑いと共に、絞り出すようにそう言った。


 だがそれを受けた水奈は、彼に即座に背中を向けた。


「……失礼しました」

「ままま待った! 待った待った、別に何もやましい話とかじゃないから! マジで!」

「エロゲとか言ってましたわよね!? それのどこがやましくないのですか! 私を世間知らずのお嬢様だと思わないでくださいまし!」

「やましくないから! まっとうな絵の仕事だから! 確かにコンセプトは『はじめて○○する幼女たち』だったけど! 内容はらぶえっちだったから! 愛があったから!」

「未成年の女子に言うセリフじゃありませんわよこの変態!」

「変態じゃないよ! 仮に変態だとしても、変態という名の紳士だよ!!」

「何言ってるのかしらこの人!?」


 己の理解を越える石燕の発言に、水奈はおののいて声を荒らげた。そして両手を動かしながらにじり寄ってくる石燕に対し、ある種の恐怖を覚える。

 石燕自身はあくまで弁解をしたいだけなのだが、その態度と直前の話題が問題であり、逆効果なだけだった。


 傍目には、まだ幼さを残す少女を襲おうとしているアラサー男に見える構図である。問題しかない。


「死ねこの変態!!」


 しかしそこに、第三の声の主が拳を閃かせて二人の間に割って入った。

 それは容赦なく突き出され、最短距離で石燕の鳩尾を撃ち抜く。


「ごふぁっ!?」


 その威力は尋常ではなく、体格で勝るはずの石燕は、ものの見事に吹き飛びカウンターに叩きつけられた。さらにその衝撃でモニターが彼に向けて倒れこみ、追加で悲鳴が上がる。


「大丈夫か水奈、どこも触られてねーか!? ヘンな事されてねーか!?」

「……晶さん!」


 現れたのはそう、晶であった。そのまま彼女は水奈の身体を優しく抱き留めると、そっと水奈の頬を撫でる。

 直前まで冬の空気にさらされていたはずのその手は、なぜかとても暖かかった。けれど今は、それが無性に嬉しいと感じる水奈であった。


「はい、大丈夫です……ありがとうございました」

「本当か? 隠さなくていいんだぞ、本当のこと、ちゃんと言っていいんだぞ。落とし前はちゃんとあたしがつけてやっから!」

「いえ、本当です。本当に大丈夫ですから……」

「そう、か……そうか……よかった、心配したぞ……」

「わ、ちょ、あ、晶さん……」


 ぎゅうと抱きしめられて、水奈は戸惑った。

 心配してくれるのは嬉しいが、何もそこまでしてくれなくてもいいのにと。そう思いながらも、炎のように暖かい晶の体温は、心身ともに冷えさせられた水奈にとっては何より心地よかった。


「……きっ、キマシタワー……」


 そこに、石燕の声が割り込んだ。


 二人がそちらに目を向ければ、石燕が今まさに復活したところであった。その顔は赤く腫れている。

 傍らに転がるモニターに彼の顔に合わせたような形状のヒビが入っているあたり、顔面に直撃したのだろう。


 しかし、今の彼は晶と水奈にとって共通の敵である。心配する声はどこからも上がらない。

 晶に至っては、文字通り怒りの炎を拳に宿らせている。


「……いやあの」

「現実で手ぇ出すなんて見損なったぞいっしー」

「その、だからあの……」

「当分飯抜きな!」

「すいませんでした許してくださいお願いしますッッ」


 かくして、石燕の華麗なる土下座が決まったのであった。




「ほい、お茶」

「ありがとうございます」


 なんとか一段落して、改めて対面を済ませた三人。そこに晶が茶を差し出した。


「上等な茶葉じゃねーけど、勘弁してくれな」

「いえ、構いませんわ。お気遣いなく」


 微笑を浮かべて会釈で応じた水奈に、晶もなんとも言えない笑みを浮かべる。

 それからテーブルに対面で座っている石燕と水奈、どちらの隣に座るべきかで一瞬悩み――石燕の隣に座った。


 要するに抑止力だ。実際、話を始めた石燕の顔には、強張った愛想笑いが浮かんでいた。


「……さ、さて。何はともあれ船月堂へようこそ、ですね。ここに来てくれた、ってことは俺たちに協力していただけると?」

「はい。来るのが遅くなってしまい申し訳ありませんわ」

「いやいや、こうして来ていただいたんだ。それは言いっこなしですぜ」


 そう言う石燕の顔はまだ少し硬いものの、それまで見せていたダメな大人のものではなかった。


 そのギャップに、晶が「そうしてりゃあ少しは……」とぼやく。


「しかし一応、最終確認をしますぜ。皇機関に入るってことは、表舞台との決別を意味します。その覚悟はおありですか?」

「はい、答えは変わりませんわ」

「家族とも離れて暮らすことになりますが、それでもよろしいんで?」

「……もしかして、両親の許可がいりますか?」

「残念ながら、必要って上から言われちまいました。普通なら特にないんですが、何分エージェントの要件を満たしていない人間を迎え入れるのは初めてなんでね……」

「いえ……しかしそれなら、なんとしてでもお父様を説得しなければいけませんわね」

「まあでも、お嬢さんはその最初の人間ですからね。テストケースってことで、この辺りは臨機応変で構わないとも言われてますから、ひとまず後回しにしちまいましょう」

「……それでいいんですの?」

「いいんですよ。この十日間で、大体のことは上と話がついてますんで」


 そう断言した石燕は、話を切って茶を一口すする。


「……ま、それはさておき。一応改めて、名乗っときますかね。俺は鳥山石燕……場末のアトリエ、船月堂の主。しかしてその実態は、皇機関のエージェント。その中で五番隊こと辰組の頭をやらせてもらってます。それから」

「え? あ、あたしか。えっと、あたしは晶、いっしーんちの居候。ホントの立場は機関の特務エージェントで、いっしーの同僚ってわけだ」

「……特務、と言いますと?」

「かんなぎと呼ばれる存在であるかどうか、ですね。身一つで妖怪と戦える力があるかどうか、って言い換えても可ですぜ」

「かんなぎ……また聞き慣れない言葉ですが」


 言いながら、先日の一件で現れた朱色の鬼がそんなことを言っていたような、と思い返す水奈。


「漢字で書くと巫女さんのミの字ですね。英語で言うところのシャーマンです」

「なるほど……だとすると、神を降ろして用いる人間ということですか?」

「ご名答。いやあ、一を聞いて十を知るを地で行きますなお嬢さん。まさにその通りで、俺じゃどう逆立ちしてもあんな大立ち回りはできません。封印もです。だから立場上は俺のが上ですが、実際のところ晶のほうが組織からの扱いは上ですね」

「半分くらいは冗談だったのですが……まあ、そうですわね……妖怪がいるなら神がいてもおかしくないですわね……」


 石燕に応じながら、水奈は視線を晶に向ける。


 それを正面から受け止めた晶は、気恥ずかしげに目をそらしながら頬をかいた。その様子からは、とても神がどうのというような、大それた存在には見えなかったが……。


(……あの炎をたぎらせている姿は、その神の力を使っていたから、かしら? あれを見れば、確かにと思えますわね……)


 脳裏に焼き付いて離れない、晶の姿。妖怪と対峙した時のそれを改めて思い浮かべれば、納得であった。

 そのままつい、晶の戦う姿を求めるように視線を固定してしまうが、


「……こほん、あとお嬢さんが見知ってるうちのメンバーといえば威黒ですが……」

「あ、は、はい。そういえば、いらっしゃらないみたいですが」


 小さく咳払いした石燕に我に返ると、少しせわしなく室内へ視線を泳がせた。


「あいつは今、鋭意聞き込みアンドパトロール中でしてね。能力の関係上、そういう仕事を任せてるんで」

「聞き込みにパトロール? お一人でですか?」

「安心しなって、いくらあたしたちが人手不足だからって、そんなことしねーよ」

「そうそう。……いや、でも文字通り猫の手を借りてる辺り、あまり胸は張れないんですがね」

「……?」

「威黒はこの辺りの猫のボスなんですよ。その仲間を使わせてもらっている、というわけでして」

「……なるほど?」


 頷きながらも疑問符がついているのは、理解できなかったからではない。威黒本人はともかく、猫にそこまでの遂行能力があるのか疑問だったのである。

 次いで、猫の集団がそこいらを闊歩している様を想像したのか、眉根を寄せて首を傾げた。


 が、彼女のその反応は予想済みだったのだろう。石燕と晶は、あまり気にせず話を続けた。


「あいつも妖怪なんで、その辺は間違いないですよ。ま、今は仕事中だと思ってくれればいいってことです」

「……そう言えばこの間は気にしていませんでしたけれど、妖怪の仲間もいらっしゃるのですね」

「妖怪がみんな悪いわけじゃねーからな。人間だってそーだろ?」

「なるほど、ごもっともですわ」


 同じ人間であっても、罪を犯す者はいつの世も絶えない。その事実は、決して人生経験の長くない水奈であっても既に承知している現実だ。


「とりあえずはこんなところですかね。ここまでで他に何か質問は?」

「質問ではないですけれど……私は既に機関に入るつもりでいます。ですから、部下として扱っていただいて構いませんわよ?」

「……それじゃあお言葉に甘えさせてもらおうかね」


 水奈の申し出に、一瞬だけ固まった石燕だったが、小さく笑うとすぐに言葉遣いを崩した。


 それを聞いて、薄っぺらい敬語よりこちらのほうがいいなと思う水奈であった。


「では改めて……他に質問があったら、いつでも聞いてくれ。権限の許す限り答えるからな」


 続けられた石燕の言葉に頷きながら、水奈は湯呑に手を伸ばした。

 彼女にならうかのように、石燕も湯呑を取り、中身を一口嚥下する。


 それからわずかに間を置いて、石燕が改めて口を開いた。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


二人は一応ノンケです(すっとぼけ

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