出会ったから始まったのか、始まったから出会ったのか 5
晶の下まで向かう道中で、石燕と威黒は周辺に転がった宝玉を順次回収していく。
彼らが素手で触っているのを見て問題なしと判断した水奈も、一つ拾い上げてみた。
それは、決して大きくない彼女の手のひらに、すっかり収まるほどの大きさであった。球形で、卓球のボール程度といったところか。色は、ややオレンジが混じる赤だ。不思議と温度はない。
「……これは一体、なんですの?」
それを観察しながら水奈は、疑問を口にする。
「紅珠、と言います。封印された妖怪は例外なくこの形態になるんですぜ。個体によってサイズは変わりますが」
「封印……」
「たとえるなら、棺にでも押し込められた状態みたいなもんですかね。あ、取り扱いにはお気を付けて。割ったらまた、連中が出てきちまうんでね?」
「……であれば、これは素直にお渡ししたほうがよさそうですわね」
「さすがお嬢さん、ご慧眼」
へらへらと笑いながら石燕は紅珠を受け取ると、無造作にバッグへと仕舞い込んだ。同様に、威黒や晶からも受け取り、どんどん中へ入れていく。
その数が二十を超えてもなお続くが、それでも中身があふれる気配はない。他にもさまざまな道具が入っているであろうことを考えると明らかに異常だが、驚きが連続していた水奈はその異常さには気がつかなかった。
「これが最後か?」
「ええ、もう反応は感じまへん」
「あたしもだ。そんじゃ、仕上げだな」
すべての紅珠を回収し終えたところで、晶は踵を返した。その視線は、まっすぐに古井戸に向けられている。
「……あそこか、晶?」
「ああ、違ぇねー。あそこから違う空気が出てきてる」
晶の言葉に威黒も首肯し、石燕が「わかった」と応じた。
と同時に、バッグから一本の瓶を取り出す。透明なガラスの一升瓶だ。その中身も、透度の高い液体である。彼はそれを、無言で晶へ差し出した。
やはり無言で瓶を受け取った晶は、封を開けながら古井戸へ歩み寄ると、そのまま古井戸の中を覗きこんだ。威黒が、それに続いて井戸の縁に上がる。
二人が見下ろす井戸の底は、伸び放題になっている草と井戸の壁を貫いた木の根によって隠れてしまっていた。
しかし二人には、そこにある異常な気配をしっかり認識できた。普通とは異なる二人にとって、それはいくつもの色が混ざり合った極彩色がうごめく様に映っていた。
「……これから何を?」
「穴を、ね。塞ぐんですよ」
「穴を……?」
石燕の言葉が意味することをくみ取れず、水奈は首を傾げる。
そんな彼女を尻目に、晶は瓶の中身をためらうことなく古井戸の中へと注ぎ入れた。
と同時に、また威黒が動いた。その全身から黒いもやのようなもの放出させると、やはり井戸の中へ注ぎ込んでいく。その傍らでは、液体をまき終えた晶が真剣な眼差しで井戸の中を警戒し続けている。
しばらく無言のまま、二人はその作業を続けていたが、水奈にはただ二人が井戸の中を覗き込んでるだけにしか見えなかった。
「説明しよう!」
その沈黙を、石燕の芝居がかった言葉が破った。彼の突飛な行動に、水奈は思わずその顔を凝視する。
「この古井戸には、この世界と妖怪の世界を繋ぐ抜け穴ができてしまっていた! そしてそこから、悪党妖怪たちが不法侵入してきていたのだ! 我々皇機関の今回の任務は、それを塞ぐことなのだ!」
そして石燕は、キメ顔でそう締めくくる。その調子は、アニメや特撮のナレーションじみていたが、あいにく水奈はそうしたノリを理解できるほど、その世界には通じていなかった。
「……なるほど、警察で言う密入国の取り締まりのようなものですか。そしてあの液体は……私にはまるで意味がわかりませんが、そのための道具なのですね」
そのため、至極真面目な返答で応じた。軽いギャグのつもりだった石燕にとっては、肩透かしを食らう形になった。
が、彼はめげない。それも想定通りと言わんばかりに、そして何もなかったかのように真顔に戻ると、説明を続行する。
「……お察しの通り。あれは空間の損傷を修復する霊薬で、一定以上の妖気に反応して効果を発揮するものでね。応急処置ですが」
「空間の修復とはまた興味深いですわね……」
「俺も供与されてるだけで仕組みは知らないんで、そこいらはご勘弁をば」
「……それは仕方ないですわね」
「おーいいっしー、一本じゃ足りねーわ! 追加頼む!」
解説と聞き手に徹していた二人に、晶から声が飛んできた。
それを受け、石燕は即座に動きながらも首をひねる。
「マジで? 小鬼に狗賓、それに朱の盆程度が使ったわりには穴でかくないか?」
そして素直に疑問を口にする。もちろん、そうしながらも手は休めず、取り出した瓶を晶に投げてよこした。
「いや、この穴クッソでけーぞ! ヘンな痕はないから自然にできたんだろうけど、こんなのがあったら、そりゃあ今回みたいな大量の悪党妖怪が湧くよ!」
晶もまた、危なげなく瓶を受け取り即座に開封しながら、そう答える。
どう思うよ? と付け足された彼女の言葉に、石燕はうなりながら腕を組んだ。
「なにそれ超ヤベェじゃん。もしかして、最近やたら妖怪事案が多いのってこれのせいか?」
「かもしんねー。一応できるだけ応急処置してみるけど……こいつはそっちの専門家じゃないと完治は無理っぽいぞ?」
そしてため息交じりに、瓶の中身を古井戸にぶちまける晶だった。
「……治安の悪い国に繋がる大きな通路がいつの間にかできていた、という解釈でよろしくて? しかもそれがいつからあったか不明、と」
「ザッツライ。タチ悪いなんてもんじゃない……やれやれ仕事が増える。最近こんなんばっかじゃねえか……」
指摘に頷きながら、石燕はバッグからタブレット端末を取り出した。そしてしばらく、その画面を操作する。
そのすべてが見えていたわけではないが、ところどころに「緊急」「警戒度の引き上げ」などの単語があったのを見て、水奈は顔をしかめた。
「……そんなに厄介なんですの?」
「んー……何が問題って、ああいう抜け穴は肉体があると抜けられないんですよ。つまりあそこから出てきた妖怪は全部魂魄妖怪、というわけで」
「なるほど。魂魄妖怪とやらは、私のような普通の人間には見えないから……」
「ご名答、発見が遅れるんですよ。最近ただでさえ事案続きで人手足りないのに、しばらくは厳戒態勢だなあ……」
「……その、なんと言いますか、お疲れ様ですわ……」
先ほど受けた説明を思い返しながら、水奈は無難な言葉を投げかけた。石燕の口ぶりから、彼らの窮状が垣間見えたのだ。
下手な励ましは逆効果と見た水奈はどうしたものかと思ったが、そこに晶と威黒が戻ってきたので考えるのはやめた。
「いっしー、やっぱあたしらじゃダメだ。できるだけのことはやったつもりだけど……」
「はー、しんどいですわ。あれだけの短時間で、今のあての妖気が半分くらい吹っ飛びましたに」
「ガチで緊急事態じゃねえか! ぐわあ、俺今週寝れるかな……ただでさえ本職が立て込んでるのに……」
「だぁーからちゃんと締切考えろって、あれほど言ってんじゃねーか。いっしーだってもう若くねーんだから」
「若いよ! まだ二十九だよ!」
「ほぼダブルスコアなんだよなあ……」
「やめろー! それ以上はやめろー! 何も、なーにーも聞こえない!!」
「はいはい、その辺りで切り上げよし」
『ウィッス』
あらぬ方向へ転がりかけた話題を、やはり威黒がぴしゃりと元に戻す。本題から脱線していた二人は背筋を伸ばし、同時に返事をして真顔に戻った。
「……で、どーすんだよ?」
「一旦撤収するしかない。こうなったからにはまず上に報告だ」
「ですな。……それに、目先のこともありますし」
そこで威黒は、ちらりと水奈を横目に一瞥した。
「……私ですの?」
「ええまあ……それで石燕はん、どないするおつもりですのん?」
「そうだよ、あたしまだ状況がよくわかってねーんだけど?」
「あ、ああ……そうだそうだ、肝心なことを言ってなかった」
その威黒と、彼に追随する晶に振られて、石燕は仕切りなおすように軽く咳払いした。
「と、まあ……こんな感じのことを俺たちはやってるわけです。大まかなところはご理解いただけましたかね?」
「ええ、大体は。とても興味深いお仕事ですわね」
「そう言ってもらえるとありがたいですね。で、さっきもちらっと言いましたが……この仕事、実は人手が足りてないんですよ。最近は特に、悪党妖怪が起こす事案が多くて多くて」
「なるほど。それで最初の『仲間にする』という発言に繋がるわけですわね」
石燕の言葉に、水奈は即座に頷いた。
そして彼女の言葉を聞いて、晶もようやく合点が言ったようで、しきりに頷いている。
「いやー、お嬢さんは本当に頭のいいお方だ」
「褒めても何も出ませんわよ? けれど私はただの人間ですわ。魂魄妖怪とやらを見ることもできませんわよ?」
「まあその通りですね。機関のエージェントとしての最低要件は『素で魂魄妖怪が見えること』なんで、お嬢さんはそれにあてはまらない。過去、そんな人間が機関に入ったって話も聞かないですね。ただ……それ以外の点は文句なしなんですよ」
「と、言いますと?」
「機関はもちろん、妖怪に対してひるまない度胸。未知の存在をすぐに受け入れられる柔軟さ。そして、それをしっかり理解できる頭脳。これほどうちのエージェントに向いた人間はそうそういないんですね」
「…………」
「魂魄妖怪が見えない点については、一、二年の訓練でなんとかなるはずです。その間も、さっき威黒が言った『見えないものが見えるようになる』道具を使えば凌げるでしょう。なんで、俺としてはぜひともこっち側に来てもらいたいわけで」
「なるほど、よくわかりましたわ」
一通りの説明を終えた石燕に頷いて見せながら、水奈はこれまで得た情報を頭の中で整理する。
「……ちなみに、お断りした場合はどうなりますの?」
それを聞いた石燕のリアクションは、さながら時代劇の悪代官のような笑みだった。
「機関の施設に連行して、今日一日の記憶を削除させてもらいます」
「あ、始末するわけではないのですね」
「古き良きRPGのはい・いいえ選択肢じゃあるまいし、逃げられなくするなんてしませんよ。ノーなら何事もなく日常に戻るだけです」
昔は確かに始末してましたがね、と付け加えて、石燕は再度笑った。
その辺りは裏業界にも技術の進歩があるのだろうかと思いつつ、水奈も笑みで応じる。
とはいえ、彼女の答えは最初からほぼ決まっていた。直前の問いは、ちなみにと言った通りもののついでだ。
だから彼女は、そのままこう答えた。
「そのお話、受けさせていただきますわ」
「その言葉が聞きたかった」
水奈の答えを聞くや否や、石燕はそう言ってぱんと膝を叩く。
「だったら、この後うちに来てくれませんかね? より踏み込んだ話もできるし、魂魄のような、見えないものを見えるようにする道具なんかあるんですがね」
「興味深いですわね。吝かではありませんわ。……けれど」
石燕への返事を一端切って、彼女はスマホを取り出した。振動している。そしてその画面には、「お父様」と映し出されていた。
それを石燕に見せながら、残念そうに言葉を続ける。
「……どうやら、今日は時間切れのようです。元々ここに来たのは予定になかったことですから……」
「……そうですか。そうですね、そちらの都合もある。なら……」
それを受けて、石燕は改めて懐から名刺を取り出した。先ほど水奈に渡した名刺と、デザインは同じである。ただし、そこに書かれている住所と連絡先が違っていた。
「空いた時にでも、それを持ってうちまで来てくれませんかね。期日は設けませんので」
「わかりましたわ。いずれ伺わせていただきます。……では、失礼して」
最低限の言葉を交わして、水奈はようやく電話に応答した。
『仕事の電話にはコール三回以内に出なさいと、いつも言っているじゃないか』
途端に、スピーカーからやや不機嫌そうな男の声が響いてくる。父、清晴だ。
しかし彼は父親だが、同時に上司でもある。予定にない行動は、会社であれば叱責も仕方がない。
けれども水奈は、スマホを耳から離して冷めた顔で半ば受け流す。その表情に凛とした気配はなく、反抗期の少女らしい態度であった。
そのまま彼女は、石燕たちから距離を取る。
「……さて、と。そんじゃ、俺たちは一足先に帰るとするかね。あっちの話は長くなりそうだ」
「ん……うん……」
電話の内容が家庭のものと推測した石燕は、それに構わず踵を返した。
晶は何やら言いたげではあったが、威黒もそれに続いたため、少しだけ水奈の背に名残惜しそうな目を向けるに留めて、身を翻す。
「……はい。はい。……ええ、そうですわね。申し訳ありませんわ」
晶たちがこの場を離れたことを確認した水奈もまた、その場を後にする。生返事を電話口で飛ばしながら、極力急いで里山の入口へと。
ある意味で親子らしい会話が終わったのは、水奈がそこに辿り着いてからであった。
「まったく……相変わらず大人は話が長いですわ。一度言えば済むことを何度も繰り返すなんて無駄でしょうに。なぜでしょうね?」
不機嫌を隠そうともせず、水奈はスマホをしまう。子を案ずるからこそ小言が増えるのであるが、所詮親の心子知らずである。
それから、入口に停められていた車に近づいたところで、彼女は首を傾げた。いつもなら、すぐにドアを開ける忠僕の松田がそうしなかったからだ。
不思議に思いながら助手席に乗り込むと……。
「あら、松田ったら居眠りを。……今日は少し無理をさせてしまったかしら?」
「松田、起きてくださいまし。松田」
「ん……ん、む。……こ、これはお嬢様……申し訳ありません、眠り込んでしまったようです」
「構いませんわ。最近忙しかったですし、今日は早めに休みましょう」
「ありがとうございます。それで、いかがでしたか?」
「ええ、おおむね。とても有意義な経験ができましたわ」
「左様でございますか、それはようございました」
水奈が笑うのを見て、松田もにんまりと笑った。それなりの時間を重ねてきたその顔が、優しい色に染まっている。
物心ついたころから近くにあった忠僕のその顔に、両親も常にこれくらい穏やかな人だったら良かったのに、と思わずにはいられない水奈。
その辺りは親と他人の違いであり、親と上司の顔を使い分けないければならない事情によるのだが、聡明であれどまだ十五歳でしかない水奈にとって、親心の機微は少し難しい話であった。
「それではお嬢様、戻りましょう。動かしますよ」
「ええ、お願いしますわ」
起動の振動が車体を振るわせるのを感じながら、水奈はシートベルトをセットした。それから、緩やかに動き出す景色に目を向けつつ、今日起こった様々なことに思いを馳せる。
突如老人たちの身体から出てきた妖怪。それと戦い、下した晶という少女。さらには、妖怪退治を生業としているらしい妖怪絵師に、ものを言う化け猫などなど……。
あまりにも突飛なことが多く、ほとんどの人が信じてくれないだろう。それは恐らく清晴もだろう。かといって、それ証明する手段もない。
ただ……。
「……松田? 今日のこと……どう思います?」
「どう、でございますか……にわかには信じがたいことばかりでしたが……。それでも、私だけでなく警官隊の皆さんも見ておられるのです、信じないわけにはいきますまい」
「……やはりそう考えますわよね」
そう、少なくとも最初の小鬼たちの騒動は、相当数の人間が目撃している。これを集団催眠とでも断ずるのは、それこそ非科学的だろう。
そこまで考えて、水奈は変わり続ける景色を眺めたままうっすらと笑った。
(面白くなってきましたわ。なんというか、夢がありますわね。浪漫とでも言いましょうか)
そうして、やや背伸びした思考と共に今度はあくびを一つ。
今まで気にしていなかった疲労を自覚した彼女は、座席をゆっくりと倒して静かに横になった。
「松田、帰り着くまでの間、少し眠りますわ」
「はい、畏まりました。到着しましたら、起こしますね」
「ええ、お願いね」
それだけ交わして、水奈は目を閉じた。
そのまぶたの裏に、晶の姿が浮かび上がる。炎の翼を背にした、雄々しくも美しい姿。揺らめく陽炎にも似た色彩に染まった瞳が、とても輝かしいものに思えた。
しかしその気分も長くは続かない。
ほどなくして彼女は、まぶたの裏に別の人影が映り込んだような感覚を覚え、それと同時に意識が落ちたのである。
電子機器が強制終了された時のような一瞬の出来事は、睡魔による意識の断絶とは、明らかに異なっていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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