出会ったから始まったのか、始まったから出会ったのか 4
「ただいま戻りましたえ」
そこに、威黒が現れた。文字通り、その場ににじみ出てくるようにして。
しかし、現れたのは彼だけではなかった。
「お、戻ったか……って」
「んん?」
晶と石燕は、威黒の後ろで四本の尻尾に手首を引かれる少女を見て、目を丸くした。
「水奈!? ……だっけ!?」
「どうも、またお会いしましたわね」
彼女――水奈を見て、思わず声を上げてから慌てて口を押さえた晶に、当の水奈はどこかいたずらっぽくにこりと笑いかけた。
そんな彼女から尻尾を放さないまま、威黒が晶に大丈夫だと言わんばかりに頷く。
彼の仕草を見て、晶はほっとしたとばかりに息を吐き出した。それから、改めて水奈にキッと目を向ける。
「ど……どーいうことだ!?」
「いやあ、山の中を一人で歩いておられたんですわ。追い返したかったですけど、この辺りに一人で居残られたらもっと危険やと思いましてな……」
「そりゃ危険だ……ナイス判断だよ……」
威黒の配慮にほっと息をつきながらも、顔を手で覆う晶。しかしすぐに、彼女は再度水奈に目を向けた。
「……なんでここにいるんだよ? っつか、どうやってここまで来たんだ? この里山の周りはいっしーが封鎖してるはずなのに」
「ここは私たちが購入して、事業のために徹底的に調査をした場所ですわ。封鎖の穴は存外簡単に見つかりましたわよ」
水奈の答えに、言葉を失う晶。
そんな彼女を見て、水奈はああ、と手を叩きながら補足を口にする。
「そうそう、追跡はサーモグラフィーカメラを使いましたわ。空を飛ぶ人型の熱源なんて、貴女しかいないでしょう? 途中で片方が猫型になったのには心底驚きましたけれど」
「……マジかよ」
「ははっ、こりゃやられたな。確かに威黒の力で音と姿は消せるが、熱はごまかせない。科学の勝利ってところか」
唖然とする晶だったが、その隣で石燕はなぜか楽しそうに笑っていた。
彼はそれから、前に出ようとする晶を制して水奈に声をかける。
「お嬢さん……月神水奈さんでしたね。関わるなって言ったはずですぜ? これ以上首を突っ込もうっていうなら、こちらも容赦はできませんが」
「天皇陛下の御領分なれば、でしたわね。……それでも私は、知りたかったのです」
「ほう……好奇心は犬をも殺すって言いますがね?」
「今までの常識を覆されて、気になって仕方なかったのですわ。けれど……そうですわね、さすがに少々短絡的だったとは思います。でも」
「……でも?」
「次は上手くやりますわ」
「お前正気かよ!?」
悪びれることなく言い切った水奈に、晶は声を荒らげた。威黒は目を細めて肩をすくめる。
だが石燕だけは、くすくすと声を押し殺して笑っていた。
「いいねえ、大した度胸だ。気に入った!」
そしてそう言うと、晶たちに向き直る。
「お前ら、もう隠さなくていいぜ。このお嬢さんには全部話しちまおう」
「はっ!? 何言ってんだよ!?」
「どういう魂胆ですやろか? それは規定違反ですに?」
「組長の超法規的判断でどうにかする! 規定とかどうでもいいくらい俺はこのお嬢さんが気に入ったんでな、仲間にする!」
「はああ!?」
「……ああ、そういうことですか……良ぅわかりましたわ」
今度のリアクションは、きれいに分かれた。驚愕する晶に対して、威黒は納得した様子でうんうんと頷いたのである。
そんな三人を見やりながら、水奈は「おや、もしかしてなんとかなるかな?」と言った心境でうっすらと笑っていた。石燕が下した「大した度胸」という評価を、そのまま体現するかのような態度である。
「さてさて、というわけでまずは自己紹介をしましょうか。こっちが成神晶、それからこっちの猫が威黒です」
「月神水奈ですわ。以後お見知りおきを」
「そして俺が……こういうものです」
令嬢らしい優雅な礼をした水奈に、石燕は名刺を差し出した。
それを迷うことなく受け取った水奈は、ほとんど条件反射で自身の名刺と交換する。
「これはご丁寧に……『船月堂オーナー・鳥山石燕』……?」
名刺の文面を読み上げた水奈は、はてと首をかしげた。
「……妖怪絵師の、鳥山石燕さんですの?」
「おっと、俺の名前をご存じとは……やはり月神の御令嬢はインテリのようだ。その通り、俺はその十代目です」
「詳しいことは知りませんけれど、まあ知識として」
「世間的にはマイナーな絵師のはずですがねえ……」
肩をすくめながらとうとうと語る石燕だが、その敬語はとても薄っぺらい。
それでも、立場上そういう態度にも慣れている水奈は咎めることなく頷いた。
「ところで本題なのですが……やはり、あの異形たちは妖怪なのですか?」
「答えはイエスです。そしてここまで言えば聡明なお嬢さんにはお察しいただけたでしょうが……俺たちは要するに、対妖怪専門組織のエージェントなんです」
「そういうことでしたか……」
「組織の名前は『皇機関』。天皇陛下の御領分……ってのは、つまりそういうことですな」
石燕の説明に、水奈は再度頷く。
「業務内容は主に、犯罪を行う妖怪……悪党妖怪って呼んでますがね……を取り締まること。……まあ、この辺は実際に見てもらったほうがいいでしょうな」
「実際に、ですか?」
「そう。……晶、準備はいいか?」
「おう。いつでも行ける、けど……」
不意に話を振られた晶は、まだ納得していない様子で小さく眉をひそめた。
しかし石燕はそれについて言及することなく、
「よし。少し遅れたが、作戦を進めるぞ」
そう告げて、バッグから小さなスイッチを取り出した。
彼がそのスイッチを押すと、バイブレーションのような音が響く。妖怪たちがたむろしていた小屋の周辺が、うっすらとした光に包まれたのだ。
結界である。これであの場にいる妖怪たちは、外に出られなくなった。
「……わかったよ、りょーかい」
それを見た晶は、しょうがないと言わんばかりに肩をすくめながらも、指の関節を鳴らして結界の中へ鋭い視線を向けた。
彼女につられる形で、水奈もそちらに目を向ける。……が、すぐに首を傾げた。
「んじゃ、ちょっくら行ってくる」
「おう、気をつけろよ」
「もちろん」
だが水奈の意に介することなく、晶は物陰から堂々と足を踏み出した。そのまま、隠れることなく妖怪たちへと進んでいく。
当たり前だが、そんな彼女の姿を見つけた妖怪たちは一斉に敵意を露わにする。しかし、飛びかかろうと駆け出した一体の小鬼が、結界に阻まれて弾かれ、地面を転がった。
他の妖怪たちはその様子から、置かれている状況をうっすらとだが察したようだ。ほぼ全員が、跳びかかるのをやめて身構えた。
一方晶は、結界を超える直前のところで一旦足を止める。
「憑依降臨!」
そして彼女は、その言葉と共に右手を振りかざした。その中で一つ、伸ばされた人差し指。そこから……いや、腕から。炎が吹き出し火柱となって天へ昇り始める。
それはやがて鳥の形となり、晶の身体へ飲み込まれ……一瞬にして炎の竜巻に包まれた彼女の姿は、弾け消えた炎と共に変化した。
炎と同じ色へと変じた、髪の先端と瞳。不可思議な文様が描かれた両手の甲。羽の代わりに火花を散らす烈火の翼。
本日二度目のその姿に、水奈はやはり目を奪われた。赤々とした炎を背負った晶の姿は猛々しく、しかし美しい。そう、思えた。
「行くぜ!」
そして晶は背中の翼を一つ、ばさりと羽ばたかせると同時に地面を蹴り、結界の中へ。そして、妖怪の群れの真ん中へ一気に飛び込んだ。
それによって、妖怪たちは恐慌状態に突入する。彼らは、否が応にも理解してしまったのだ。彼我の実力差というものを。
「おりゃあーっ!」
「ギイイィィ!!」
炎をまとった晶の回し蹴りが、一気に三体の小鬼を襲う。ろくに防御もできぬまま、彼らは吹き飛ばされた。
魂だけの存在なので、それを妨げるものはない。そうして、吹き飛ばされながらそれらは赤い宝石へと変じて地面に転がった。
「おっと!」
「キャイーン!?」
飛びかかってきた狗賓の攻撃をさらりとかわし、反撃の拳をその腹へと叩き込む。
そこから炎を浴びせられた狗賓は、甲高い悲鳴を上げながら地面へ転がった。魂魄であるにもかかわらずその身を焦がす熱と痛みに悲鳴を上げながら、今しがた殴られた腹を見せて服従の姿勢を取ろうとする。
が、もはや遅い。ほどなくしてその身体は、炎に巻かれてやはり赤い宝石となる。
「まだまだぁっ!」
小屋の陰に隠れようとしていた小鬼に、炎のつぶてを放り投げる。
それはまっすぐに、しかし並みの速球をはるかに超える速度で小鬼に突き刺さった。断末魔の悲鳴が上がり、宝石へと変わる小鬼。
それはまさに、蹂躙だった。群がる妖怪をちぎっては投げ、ちぎっては投げ。そんな一方的な展開が続く。
しかしそんな光景を、首を傾げながら見つめている者がいた。
「……あの、鳥山さん」
「石燕でいいですよ。何か?」
「では、石燕さん……つかぬ事をお伺いするのですが……」
水奈である。彼女は、ただひたすらに困惑をその美しい顔に浮かべたまま、隣の石燕を見上げた。
「……彼女は――誰もいないところで一人、一体何をしているのですか?」
その問いに、石燕は「あっ」とだけ声を出して後ろ頭をかいた。
二人のやりとりに、今まで黙っていた威黒も何か思い出したかのように、こくこくと頷く。
「石燕はん……こらうっかりですなあ。あても失念してましたわ」
「だな。……あー、すいません、大事なことを言い忘れてました……」
「はあ……と言いますと?」
「いや実は、今あそこに大勢妖怪がいるんですけど、そいつら全員魂魄妖怪なんですよ」
「え……え? え?」
石燕の言葉に、水奈はさらに困惑の色を深め、その頭上に大量の疑問符を増産する。
「……妖怪、が……いるんですの?」
そう。彼女には、妖怪が見えていないのだ。
「ええ、そりゃもう大勢。……現在進行形で減ってますがね」
「まあ数だけで、一体一体は大したこたあらしまへんが……」
言われた水奈は、嘘だと言いたい気持ちを押し殺しながら晶へ目を向ける。
その晶が、後ろから飛びかかってきた一匹の狗賓を裏拳で弾き飛ばした。飛び散る炎と共に、それは宝石となって地に落ちる。
彼女の一連の動き。水奈の目には、突然晶が裏拳を放って宝石を生み出したようにしか見えなかった。
「説明しますとね? 魂魄妖怪ってのは肉体を持たない、魂だけの存在なんですよ」
「魂だけ? そんなことがありえますの? というか、魂の存在は実証されていないはずでは……」
「まあまあ、この際細かいことは気にしないでくださいよ。今はあるんだと思って、置いといてもらって」
「はあ……わかりましたわ。それで、その魂だけの存在がどういうことですの?」
「普通のお人には、これがまったく見えへんのですわ。だから水奈はんにとっては、姐さんが一人で何かやらかしてる痛い子に見える、言うわけですな」
「そ、そこまでは思っておりませんけども……」
威黒や石燕の説明に、改めて晶の姿を目で追う水奈。
直後、晶が右拳で小鬼を一体打ちのめした。が、やはりそれを水奈は視認できない。
「……お、お二人には見えているのですか?」
「物心ついた時から見えてましたね。見えなかった時期がないんで、完全に失念してました」
「あても妖怪ですよって……魂魄は生まれた時から見えてましたなぁ」
「な、なるほど? ええと……では見えるようになる方法はありませんの?」
「一応、そういう訓練を積みはった人なら見えますわ。ただ、この科学万能な現代で、そないなことする人は絶滅危惧種ですよって……」
「誰でも常時見えるようになる方法も、研究されてはいるんですがね。まだ仮説の段階なんで、なかなか……」
「こればっかりは、今すぐにどうにかなるもんやあらしまへんからなあ。石燕はん家に戻れば、着けてる間は『見えへんもんも見えるようになる』道具があるんですが、こうなるとは思うてへんかったんで今日は……」
「そう、なのですか……」
無情な現実に、水奈はがっくりと肩を落とした。
元々、妖怪への好奇心でここまで来た彼女だ。それがまったく認識できないなど、まさにお預けを食らった犬の気分であろう。
そんな水奈を尻目に、晶は最後の一体と対峙していた。それは、他より一回り大きい狗賓。その身体は、晶のものとはまた異なる炎が宿っている。
「あれは……どうやら上位に迫った奴が一体だけいたみたいだな」
「ですねえ……もう半月でも遅かったら、位階が上がってここらの危険度も増してたのは明白ですな」
頷きあう二人の傍らで、水奈は無理とわかっていてもなお、状況を把握しようと晶を見続けることにした。
その晶は、飛んできた超速の火球を恐れることなく片手で受け止める。相応の威力があったのか、彼女の身体はそれによって後ろへと少し押し出された。
だが、受け止められた火は、ほとんど抵抗もなく握りつぶされる。
「残念だったな。あたしに炎は効かねーぜ」
にやりと笑う晶。言葉通り、彼女は完全な無傷だった。
それを見て、狗賓がおののきあとずさる。
だが、今さら怖気づいても遅い。晶が翼を羽ばたかせて、あっという間に彼我の距離を詰めた。
「これで! 終わりだあぁーっ!」
「グッパアァーッ!?」
そして繰り出されたアッパーカットが狗賓の顎を粉砕し、直後に狗賓は赤い宝石となった。
「おー、お見事ですわあ」
「いや、っていうよりは今回は相手が弱すぎただけだな……」
最後の一匹を倒した晶に、外野から一人を除いて声が上がる。
それでも彼女は返事をせず、しばらくその場で周辺を警戒していた。
しかし、脅威は既に去ったらしい。ほどなくして彼女は、静かに構えを解いて息をついた。同時に、その身体が元通りになる。
「ふぃー。……おーい、終わったぜー」
「はいな」
「あいよー。……さあ水奈さん、行きましょうや」
「え、あ、はい、わかりましたわ」
威黒と石燕が、晶の声ですぐに茂みから出る。石燕に促されて、半ば呆然としていた水奈もそれに続いた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
オウガーストリートとかに一人で入っちゃう系令嬢。