是害坊天狗 3
天狗の嗤い声が響き渡る。晶は完全に、是害坊を見失っていた。苦し紛れに、全方位へ攻撃をしようと周囲に大量の炎を出現させる。
そこに、水奈の叫び声が割り込んだ。
「晶さん! 上ですわ!」
「!? でりゃああぁぁっ!」
『何ィィーッ!?』
水奈の言葉に、晶が大急ぎで頭上へ拳を突き出した。
すると、何もいないはずの場所から確かな手ごたえが伝わり、直後天狗の笑い声は絶叫へと豹変した。
一度、二度、と何もない空間にノイズが走って、是害坊の姿が一瞬だけ現れる。そこに、大量の炎が襲い掛かり、悲鳴が上がった。
炎が消えた頃には、彼の姿は再び見えなくなっていた。だが彼は、それにも構わず叫んだ。
『小娘貴様ァ!? なぜ儂の術を!?』
その怒声にも近い疑問に、敵のことながら晶も大きく頷く。
すると対する水奈は、晶の仕草に頷いて見せながら、毅然とした態度で言い放つ。
「わかりませんわ!」
『何ィ!?』
「マジかよ!?」
彼女の返答に、是害坊も晶も思わずツッコミの声を上げた。
だが、水奈の答えは嘘だ。彼女は是害坊が透明化を発動させてから今に至るまでの戦いを見ていて、おおよその当たりはつけていた。ただ、敵に情報を与えるほど彼女は間抜けではないだけである。
自身の推測を確認するため、水奈は顔を少し下に向け視線を眼鏡……照妖鑑のレンズから上にずらした状態で再度戦いを始めた二人を見る。そこでは、晶が一人で蹴ったり殴ったり、あるいは吹き飛んだり傷を負ったりしているように見えている。
当然だ。照妖鑑のレンズを介さなければ、水奈は魂魄を視認することができないのだから。
しかし視線を元通りレンズ越しになるようにすると、戦いを繰り広げる晶と是害坊の姿がはっきりと見えるようになった。
(間違いありませんわ……照妖鑑が、是害坊の術を無効化している!)
確信を得た水奈は、声を張り上げる。
「晶さん! 右から妖気の弾丸が!」
「ぅおっ!? とッ、そこか!」
遠距離から放たれた妖気の弾。水奈の助言でそれをかろうじて回避した晶は、崩れた姿勢ながら火球で反撃する。
万全の攻撃ではなかったため、それはあっさり避けられる。しかしそんなことは是害坊にとって問題ではないようで、舌打ちと共に水奈を怒鳴りつけた。
『小娘がふざけおってぇェィ! ならばまずは貴様から始末してくれるわ!』
その怒声と共に、地面を蹴る音が響いた。
「させるかぁっ!」
是害坊に叫び返しながら、晶も水奈の下へ向かう。
当の水奈は、是害坊の姿こそ見えていたが、目で追い切れていなかった。特別な力などないのだから、無理もない。だからこそ彼女は、攻撃に備えて身構えた。せめて痛みを少なくするために。
そんな彼女の背後に、是害坊が手刀を構えて回り込む。そして一撃が、水奈の首筋に叩き込まれる。晶の手が伸びる。
しかし。
『ぐわああぁぁッ!?』
「えっ!?」
「なんだ!?」
水奈が攻撃を受けることはなかった。直前で是害坊の身体を、一条の光が貫いたのだ。それに遅れて空気の振動音が鳴り響き、さらに遅れて是害坊の身体が横に弾き飛ばされた。
あまりに突然の出来事に、三人とも目を丸くして唖然とする。
その衝撃から最初に脱したのは、晶だった。彼女は直前までの勢いそのままに、水奈の身体を抱きすくめて、もろとも地面を転がる。
攻撃を受けることなく晶に身体をさらわれた水奈は、思わず目を閉じていた。だが彼女が感じたのは痛みではなく、全身を包み込む晶の暖かい体温と躍動する心音だけであった。
「っしゃあ、命中! ナイスだ威黒!」
そこに、石燕の明るい声が響いた。全員の視線が、屋上の外へ向けられる。そこにいたのは……。
「いっしー! 威黒!」
「お父様!? どうしてここに!?」
猫又バスとなって夜空を駆ける威黒と、その中に搭乗した石燕、清晴だった。
それを見て愕然とする晶たちの前に、威黒は妖気を放ちながら音もなく着陸する。
と同時に、石燕が中から飛び出した。
「待たせたな!」
そして着地と同時に、キメ顔でそう言った。彼の顔には、水奈と同じく照妖鑑がかけられていた。
後ろでは、清晴を降ろした威黒が元の姿に戻る。戻りながら、彼は清晴を守るようにして前に立った。
「水奈、無事か……!?」
「お父様……ええ、私は大丈夫です……」
一歩をためらいがちに踏み出した清晴――やはり照妖鑑をかけている――の問い。それに水奈は、ややばつが悪そうに答えた。
そこに石燕が割り込む。
「おっと、親子感動の再会はちょっと待ってもらおう! まだ終わってないぜ!」
彼の言葉に、全員がそうだとばかりに意識を是害坊に戻した。
その是害坊は離れた場所で、光線に貫かれた部分を手で押さえながら荒い呼吸をしていた。ダメージが大きいようで、その身体はちらちらと点滅するように現れている。
『誰かと思えば……ッ! 猫又ごときがふざけた真似を……!』
「これでも結構長生きしてますよってからに、そないなこと言わんといておくれやす、是害坊はん。それにしても今回の件、まさかあんさんが出てくるとは思ってもみぃしまへんでしたわ。言うても、負ける気なんてあらしまへんけどな。神妙にお縄につきなはれ」
『そうはいかぬ……誰にも儂の邪魔はさせんんんん!』
威黒の言葉に是害坊が吠える。そしてそれに比例するかのように、その身体の透明化が再度完璧な精度となった。
それを見るや否や、石燕は己がかけていた照妖鑑を威黒へかけさせた。直後、威黒の鋭い猫目が是害坊の動きを正確に追いかけ、同時に周辺を守るように光の刃が放たれる。
そして水奈もまた、石燕を見て動く。同じく照妖鑑を外すと、ほぼ密着した状態のままの晶に一声かけて顔を向けてもらう。
「晶さん、これを。これで相手の姿が見えるようになるはずですわ」
「照妖鑑……そうか、『見えない相手が見えないようになる』わけか!」
「はい。どうか受け取ってくださいまし」
「わかった、ありがたく受け取るぜ」
言いながら、晶はにやりと笑う。
彼女に応じて水奈もにこりと笑いながら、晶に照妖鑑をかけた。
それから二人は、周囲を見渡す。裸眼となった水奈にはもはや威黒しか見えなかったが、照妖鑑越しに見る晶には、風に乗りながら威黒と渡り合う是害坊の姿がはっきりと映っていた。
「……よっしゃあ、これなら行ける!」
それを見るや否や、晶は一気に飛び出す。同時に右腕すべてに火炎をまとわせると、威黒に意識を向けていた是害坊に全力でラリアットをぶちかました。
『ぅぐあッ!?』
「威黒、この勝負預かるぜ!」
「ええ、そうしてくんなまし。どのみちあてやと、殺す以外できまへんからなぁ……」
答えながら、威黒が後ろへ下がる。
だがそんなことを言いながらも、彼は完全には戦いから抜けていなかった。空間の一部に、妖しく輝く光の網を張ったのだ。
そこに、ラリアットの勢いのまま投げ飛ばされた是害坊が、叩きつけられた。もちろん、相応の痛みが彼の全身を駆け巡る。
なんとかそれには耐えた是害坊だったが、追い打ちで晶が飛びかかった。逃げ場はどこにもなく、逃げる余裕もない。そんな状態で視界に飛び込んできた拳に、彼は遂に悲鳴を上げた。
『ああああああぁぁッ!?』
「はあああああっ! たああぁぁーっっ!!」
晶は容赦なく拳の雨を叩きこんだ。炎が尾を引いて、幾重にも是害坊を打ちのめしていく。その姿が、見る見るうちにぼろぼろになっていく。
『が……はッ、ぅがッ、が……あぁぁッ! こんなはずは、こんなはずではッ!』
「オラアァァーっ!」
『ぐわああぁぁぁ!!』
現実逃避気味に叫ぶ是害坊の腹を、下からの重い一撃が突き上げる。それによって、彼は盛大に夜空へと舞い上がった。
と同時に、晶はその軌跡を目で追いながらも、右手にはめられていた縛妖索をつかんでぐるりと半回転、水晶を表側にした。そして、
「縛妖索、最大出力!」
言葉に応じて、晶の身体から炎が水晶へ吸い込まれていく。あっという間に臨界を迎えた水晶の中で、神の炎が煌々と輝き激しく踊り狂う。
準備万端。それを確認して、晶はさらに炎を激しく噴出させながら構えを取った。炎は彼女の全身を覆い、次いで翼をも覆っていく。
やがて炎に完全に包まれた彼女の姿は、もはや火炎の化身であった。しかしその猛々しい見た目に反して、焔色の輝きは暖かく周囲を照らす。
「はあっ!」
そうして晶は、大空へと舞い上がった。一つ、二つと翼が羽ばたくたびに火の粉が千々に散る。
やがて頂点に達した彼女は、スカートの中身が露わになるのも厭わず蹴りの姿勢を取った。瞬間、彼女を覆っていた炎が脚へ集まっていく。
そして、直後――。
「―――せいやああぁぁぁーーっっ!!」
気合一声、晶の身体が是害坊を貫いた。苛烈な輝きが尾を引いて、夜闇に赤々とした一文字が描かれる。
『ぐわああああぁぁぁーーッッ!』
そして、断末魔の悲鳴と盛大な爆発音が轟く。それを背にして、晶は屋上の一角へ華麗に着地した。爆発の余韻を受けながら、静かに立ち上がる。
爆心地では、是害坊だった魂魄が炎に飲み込まれ、今まさに紅珠へと変じたところであった。そして完全にその状態が定着すると、紅珠はゆるやかに降りてくる。
それを、晶はそっと両手で受け止めた。その大きさは、なんとバスケットボールほどもあった。
しばらく手中のそれを見つめていた晶だったが……ほどなくして踵を返して全員に身体を向けた。と同時に、にい、と笑う。
「っしゃあぁっ、よくやった晶!」
「ええ、ええ。お見事どした」
石燕と威黒の言葉に、晶はサムズアップを向けた。そして、駆け足で仲間の下へ。
「晶さん!」
「おう! やったぜ!」
出迎えた水奈に笑いかけてハイタッチを交わす。パン、と小気味いい音が響き渡った。
しかし憑依降臨を解いた直後、晶はふらりと前のめりで倒れ込んだ。
「おい晶!?」
「姐さん危ない!」
「晶さんっ!?」
それを水奈は、咄嗟に受け止めた。
「おいおい、ヘロヘロじゃねえか。どんだけ長いこと憑依降臨してたんだよ?」
「わっり……ちょっと力、使いすぎた……」
「相変わらず無茶しはりますわ……。いや、無茶せんと勝てる相手やなかったんはわかりますけどな?」
「なるほど!? そういうことでしたら、今日はもうゆっくりと休んでくださいな!」
「おう、そうだな……そのほうがいいかもな。……あ、いっしー、その前に……これ」
もはや全身に力がほとんど残っていないのだろう。晶は顔だけを石燕に向けると、持っているのもつらそうに紅珠を差し出した。
「うーむ、さすが乙種の紅珠はでかいな……。わかった、責任を持って預かろう」
それを受け取った石燕は、即座にショルダーバッグへ仕舞い込んだ。
「……大金星だ、よく頑張ったな。お疲れさん。後は俺たちに任せて、水奈の言う通りゆっくり休め」
「ん……わかった、そうさせてもらおっかな……」
苦笑を浮かべる石燕にそっと撫でられた晶は、嬉しそうに頷く。
それから彼女は一度水奈に視線を戻すと、もう一度笑った。笑って、ゆっくりと目を閉じ……あっという間もなく、眠りの底へと沈んでいった。
石燕は晶が眠ったことを確認すると、水奈に代わって晶を引き受けた。
その後ろでは、威黒が既に猫又バスへと変化している。石燕は晶をその中へ運び込むと、座席の一つに彼女をそっと横たえた。
「さーて撤収するか! ……と、その前に……水奈、やるべきことは終わらせておけよ!」
そして石燕は、猫又バスから顔を出して、水奈にそう言った。言いながら、清晴を示す。
だが当の清晴は怒涛の展開についていけず、一切喋ることができないままでいた。
一応、石燕の声で我に返ったが、「この辺りは娘のほうが順応力がある」と、内心でひとりごちた石燕だった。
一方で、水奈もまた石燕の言葉に、今まで極力見ないようにしていた父へと顔を向ける。
「……水奈」
「……はい」
そうしてぎこちなく、親子は再び対面を果たした。だが、しばらく二人の間には沈黙が横たわる。
それを破ったのは、父清晴であった。
「水奈……その、すまなかった」
「いえ……私の方こそ聞き分けのないことを。この仕事、確かに危険でしたわ……」
「……けれど、見させてもらったよ。君の覚悟は。自分の娘ながら大したものだと思う」
「お父様……」
水奈が見つめた清晴の目は、どこか遠かった。今まで娘が見たことのない、父の顔だった。
「……けれど水奈。やはり父親としては、娘にこんな危険なことはさせたくない」
「ええ、そうでしょうとも」
言われた水奈は一瞬険しい顔をして、次いで無表情になった。それから深呼吸と共に目を閉じ、決意の表情を浮かべる。
「ですがお父様……それでも私は」
一度そこで言葉を切る水奈。そして彼女は、威黒の中で眠る晶へ目を向けた。
次いで、是害坊がこの屋上に刻んだ無数の傷跡を見る。一戦が終わったそこは、ほとんど原型を留めていなかった。
それから数瞬の後に清晴へ視線を戻すと、毅然とした態度で宣言する。今まで、口論のようになっても決して言えなかった言葉を。自分の一番強い気持ちを。
「それでも私は、あのような悪党妖怪の被害を出したくないのです! それを友達一人に任せたくないのです!」
その言葉を、清晴はまるで向かい風のようだと思った。
しかしだからこそ、彼はこれを正面から受け止めなければならない、とも思った。これに背を向けるわけにはいかないと。
とはいえ、即答することはできなかった。
「……わかったよ、好きにするといい」
だから清晴が答えたのは、数十秒経ってからだった。
水奈にとっては待ち望んだ答えである。それをやっともらった彼女は、その美しい顔を喜びに綻ばせる。
「だがね、水奈。やるからには中途半端は許さないよ。たとえどんなことであろうと全力で、手は抜かない。それが人間のあるべき姿だ」
「……お父様」
「どうせなら、その皇機関とやらで一番を目指すといい。君ならできるはずだ、水奈」
「……はい、わかりましたわ」
「ああ、それと……もちろん、と言うべきか……言うまでもない、かもしれないが……」
釘を刺されて苦笑する水奈から、清晴はそこで視線を逸らした。彼はそのまま、先ほど娘が見たほうを向く。
そんな彼の顔を、水奈は不思議そうに見た。だが次の瞬間、彼女の頭に清晴の手が伸びる。
「……友達は、大切にするんだぞ。いくら理想を掲げても、そのために友達を切り捨ててしまったら本末転倒だからね」
彼は優しくそう言うと、にこりと笑って見せたのである。
それは対面する娘の水奈とよく似ていた。知性を感じさせる、穏やかで涼しげな笑み。だが彼のそれには、父性がにじみ出ていた。
水奈は一瞬、あっけにとられたようにその笑顔を見る。しかしすぐに父の想いを察すると、再び顔を綻ばせた。今度は先ほどよりも早く、大きく、そしてはっきりと。
「……はいっ、もちろんです!」
そしてそう答えた水奈の顔には、彼女の十五年の人生で一番の笑顔が花開いていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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