出会ったから始まったのか、始まったから出会ったのか 2
里山周辺区域を管轄する警察署。その留置場に、少女――晶はいた。恥じらいはないのか、大の字になって地べたに寝転んでいる。
なお描写していなかったが、彼女はスカートをはいている。短いとまでは言わないが、決して長くもない。
先ほどの大立ち回りの時、幾度となく中身が暴露されていたのだが、それについては彼女の名誉のため伏せておこう。
「あー。あー……『また』だよまったく……」
そのつぶやきから、何度も捕まっていることがうかがえる。だからなのか、そこまで困った様子はない。完全に割り切っているようだ。
ただそのあまりの態度に、檻の外で監視している女性警官は困惑顔である。かける言葉が見つからないようで、留置場は静かな空気に包まれていた。
そんな時間がしばらく続いた頃合い。留置場の扉が開き、スーツ姿の刑事が水奈を連れてやってきた。
晶はその音に身体をはね起こして立ち上がったが、水奈の姿を見て首を傾げる。
「どうしても君に面会したいと、水奈お嬢様が言うのでね……」
晶の仕草に、言いたいことを感じ取ったのだろう。刑事はそう言うと、平手で前へ、と水奈を促した。
彼に応じて、水奈が前へ出る。そうして鉄格子越しに、二人の少女は正面から向かい合った。
どちらも背丈はほとんど変わらない。だが、その雰囲気は正反対だ。
晶がうなじが隠れる程度のショートヘアーなのに対して、水奈は腰にかかりそうなほどのロングヘアー。顔立ちもどことなくボーイッシュな晶に対して、水奈は麗人とも言うべき造形である。
「……お前、さっきあそこにいたよな? なんでここに?」
「ええ、その通りですわ。貴女に色々とお聞きしたいことがあって」
「お、おう……」
水奈の言葉に、晶はうーん、とこめかみに指を当てた。
「……気持ちはわかるんだけどさ……一応、守秘義務? ってのがあるから、関係者以外には詳しいこと話せねーんだよ」
「守秘義務、ですか……」
今度は、水奈がうなる番だった。
それを持ち出されたら、話は終わってしまう。何もわからないまま話を切り上げられるのは避けたい水奈だったが、名案は浮かばなかった。
「おおおい! 先ほどの少女は無事かね!?」
そこに、やけに慌てた様子の男がやってきて会話は途切れた。制服を着こんだ初老の男だ。
彼の姿に、刑事と女性警官はさらに慌てながらも、大急ぎで敬礼する。
「おおおお……あ、晶さん、すいませんねこんな目に合わせてしまって……!」
ところがその男、なんと愛想笑いを浮かべながらへこへこと頭を下げ始めた。彼の様に、刑事たちは唖然として敬礼を下げてしまう。
水奈もまた、どういうことかわからず思わず目を見張った。
「んにゃ、別に気にしてねーって。誰だって間違いはあるしさ」
ただ晶一人だけが、この状況を受け入れていた。その態度は、よくあることだと言っているかのようだ。
「いやいや、やはりできるお方は度量が広いですな……はは、我々も見習いたいものです、ええ……。っと、君、鍵を。ああいや、私が開ける!」
「え、あ、は、はい……」
そして男は、女性警官から鍵を受け取って、留置場の檻を開けた。
「さあどうぞ!」
「うぃー、ありがとうおっちゃん!」
「お、お、おっちゃんって君……! うちの署長だぞ!?」
「いいんだ、彼女はこれでいいんだ! ……すみませんね晶さん、うちのものが……」
「署長さんだったのかよ!? やたら腰低いっすね!? いや、あたしこそめちゃくちゃな言葉遣いですいません……」
「いえいえそんな、顔を上げてくだされ……私など、所詮片田舎の署長どまりの男です」
「いやいや、署長さんってなるの大変なんでしょ? あたし、二時間サスペンス結構見てるんだ、詳しいんです」
「いやあ、そんなそんな……」
実に奇妙な光景であった。
その様子を、水奈含め三人はついていけずに呆然と見つめるだけた。
「えろうすんません、まだですやろかー?」
そこに、ひょこっと一人の男性が顔を出した。糸目の、まだ年若い青年である。どこか飄々とした雰囲気を漂わせ、スーツを着込んでいる。
しかしその声は、先ほど誰もいなくなったあとの里山に姿を見せた猫と同じだった。
「あいや! すいませんでした、ただ今!」
が、当然だがそれを知っているものはこの場にはいない。正確に言えば晶は彼の正体を知っているのだが、言うわけにはいかないので黙っている。
「やーやー、姐さん無事でしたかいな?」
「ん、なんともねーよ。いつもわりーな」
なので、晶は署長たちに背を向けて、青年のほうへと近寄るのである。
「いやいや、これもあての仕事の一つですよって。……ほな、参りまひょか姐さん」
青年は、えへらと笑いながらそれに応じる。
彼らのやり取りを見ていた水奈はヤのつく仕事を想像したが、それも無理からぬことであろう。
「おうさ。……あ、署長さん。今回は迷惑かけてすいませんでした。誰も悪くないと思うんで、何も言わないであげてください」
「……わかりました、ありがとうございます晶さん。その言葉だけで十分ですので……」
「うん、ありがとうございます。……うっし、それじゃあ行くか」
「……あ、ちょ、ちょっと、お待ちくださいまし!」
そのまましれっと帰路につこうとした晶を見て、水奈は我に返った。
慌てて刑事たちにぺこりと頭を下げると、彼女は急いで晶たちの後を追いかける。
「貴女たち、一体何者なんですの?」
警察署を出て開口一番に、水奈は疑問を口にした。それを受けて、晶と青年が振り返る。
二人はそれから顔を近づけると、ひそひそと言葉を交わす。
「威黒、どうするよ? この子、あたしに事情を聞きに来たって言うんだよ……」
「そら……何も言えまへんがな。あてらの仕事は極秘ですに?」
「だよなあ……」
「まあまあ、ここは任せといてください。こういうのはあての本分ですよって」
「わりーな、任せる」
そこまで話したところで、威黒と呼ばれた青年が軽く咳払いをしながら水奈に向き直った。
「あーあー、いとはんはあれでっしゃろ? あの時の現場にいはった……」
「……ええ、まあ。そうですけれど……」
彼の顔に浮かんだ胡散臭い微笑みに、水奈は警戒感を抱かずにはいられなかった。
だが威黒は、気にすることもなく再び口を開く。
「巻き込まれたいとはんにこう言うんは、ちぃっと心苦しいんやけど……あいにくとあてらのことは誰にも言えへん決まりになってるんですわ」
「……わかりました、お二人のことは聞きません。その代わり、あの時あそこで何が起きていたのか、それを教えてくださいまし」
「上手い事言ぃはりますなあ。でもそれに答えてしもたら、あてらのことを言うのと同じですよって……残念ですけど、それも言えまへんわ」
「当事者相手にすらですの? 私はあの場の責任者ですわよ?」
「残念ですけど……」
案の定、彼の対応は取り付く島がなかった。
「これでもですの?」
業を煮やした水奈は、懐から自身の名刺を取り出して眼前に掲げる。
「月神システムズ代表取締役……月神、水奈……と……おはあ、こらまた大きな名前が出て来はったなあ……」
そこに書かれていた文面を読み上げた威黒は、ため息交じりに手で顔を覆った。
だがその仕草はどこか芝居がかっていて、肝心の本音が見えない。
彼の反応に、水奈は内心で舌打ちする。自身の立場を明かしてもなお、こんな反応をされるのは生まれて初めてだった。月神家の名を出せば普通は、良くも悪くもかなり過剰な反応が返ってくるのだが。
「……驚きませんのね」
「そら驚いてますえ? けど、まあ……それだけですな。財閥の神、月神グループ……その御令嬢と言えど、その威光はあてらには意味がないことですからな」
「何が言いたいんですの?」
「おわかりでっしゃろ? これ以上は関わらんといてください、ってことですわ」
ぴしゃりと断言されて、水奈は眉をひそめた。まったく有無を言わせないその調子に、ちろりと怒りの火種が心中に灯ったのを自覚する。
それで我を忘れて相手につっかかるほど彼女は直情家ではないが、それでも頭ごなしの否定は気分を害するには十分すぎた。
しかし、それを見て取った威黒の次の言葉に、水奈は怒りを完全に忘れることになる。
「これ以上は、天皇陛下の御領分なれば。口出しは一切ご無用」
「なっ!? そ、その言葉は……!」
「月神グループのいとはんなら、どこかで聞いたこともありますやろ? 大事になる前に、素直に諦めてもらいたいんですけどなぁ」
「…………」
飄々とした態度を崩すことなくにこりと笑った威黒に、今度は怒りを抱くことなく、水奈はやや愕然とした視線を向ける。
彼の言う通り、先ほどの言葉には聞き覚えがあったのだ。決して忘れられない記憶として、水奈の心に刻まれていたのだから。
(お父様が、言っていた言葉ですわ。あの時お父様は確か、……そうですわ、不可解な事故が現場で起きていて、その原因を調べようとしたら……得体の知れないスーツ姿の男たちが来て……)
その記憶を掘り起こしていく。いつも穏やかで冷静な父、清晴が、憤懣やるかたない様子で声を荒らげていた記憶だ。
彼はその時、確かに言っていた。得体の知れないスーツの男たちに、これ以上は調べるな、関わるなと突き放されたのだと。それはまさに、今の状況と完全に一致する。
だが当時、清晴はそれを容認することなどできなかったという。自分の会社の現場で起きた事故を調査するなと言われたのだから、それも無理からぬことだ。水奈も、どう考えても清晴が正しいと思ったし、今でも思う。
だから相手の言い分を聞かず、調査を続行しようとした清晴に落ち度などないとも思うのだが……そこで彼が言われたのが、水奈も言われた先の言葉だったのだ。
そして、それを過去にも何度か言われたことがあるとこぼして、清晴が机を叩いたのを水奈はよく覚えている。
(……この言葉を出されてもなお退かないのであれば、あらゆる方法で圧力がかかる、んでしたか……)
日本を代表する財閥である月神家。その社会的立場すら些末なことだと言わんばかりの、理不尽な圧力が来るのだと清晴が言っていたのも思い出した水奈。
内容を知っているということは、清晴が一度は逆らったことが窺えたが……。
(説明するお父様の顔があまりにも苦々しいものだったから、詳細を聞くことは躊躇われたのでしたね……そうですか、私もそんな連中と出会ってしまったのですね)
そう思うと、妙な感慨深さすら覚える水奈だった。
だが彼女は同時に、諦める気になど到底なれないとも思った。
天皇の名を持ち出し、理不尽な要求を押し通す謎の存在。そんな相手の正体を暴く絶好のチャンスではないかと思った、というのもある。
だがそれ以上に、水奈はあの時目撃した不可思議な現象の数々がどういうことなのか、それを知りたかった。
未知を既知としたい。今の水奈にとって、それが行動の最大の理由だった。
だからこそ、彼女は大きなため息をつきながら両手を挙げて見せた。
諦めた、ふりである。そう見せておいて、晶たちの後を追うつもりだ。
「……わかりました、わかりましたわ。お父様からそのおおよその意味は聞いております……ここで諦めることにいたしましょう」
「わかっていただけたようで、何よりですわ」
対して威黒は、いけしゃあしゃあと言って笑う。そして踵を返しながら、
「ほな、あてらは失礼しますえ。……姐さん」
「あ、うん……」
晶を促して水奈に完全に背を向けた。
当の晶はと言うと、今の今まで手持無沙汰にあちこち視線を泳がせていた。そして今は後ろめたいのか、威黒を追うのを少し躊躇する。
「ごめんな、色々わけがあって何も言えねーんだよ。でもヘンな気は起こさないでくれよ、危ないからな」
そして申し訳なさそうに手を合わせながら、早口でそう告げてきた。
「そんじゃな!」
「あっ、ま、待ってくださ……!?」
そのまま立ち去ろうとした晶に追いすがろうとして、水奈は言葉を失った。
二人の姿が、周りの景色に溶け込んで消えてしまったのである。同時に周囲から音も消え、二人がいたかどうかすらもわからなくなった。先の妖怪たちの出現と同じくらい、不可思議な現象だった。
追跡対策は何かしらされるだろうとは思っていた水奈も、これには驚くしかない。だが、かといって諦めるつもりにはならなかった。
「……そうだ、もしかしたらこれが使えるかもしれませんわ」
そう言いながら、懐からスマホを取り出す。次いで彼女が画面にタップしたのは……。
「……なるほど、原理はわかりませんが、透明になっているのですね」
カメラアプリであった。それも、サーモグラフィー機能が搭載されたものである。
それによってスマホの画面は、赤い二つの人型が空に浮かび上がり遠ざかっていく様子を切り取っていた。
「……松田!」
アプリをそのままに、水奈は声と手を上げる。するとそれに応じて、少し離れたところに停まっていた黒塗りの高級車が動き出し、水奈のすぐ隣にやってきた。
直後に後部座席のドアが開き、水奈はそこへ乗り込む。運転席に座るのは、いぶし銀の中年、松田だ。
「松田、今からルートを指示します。それに従って進んでくださいまし」
「畏まりました、お嬢様」
松田はそれを止めず、また命令を拒否することもなく、恭しく頭を下げてアクセルを踏み込んだ。
一方水奈は、流れ始める景色にアプリを起動したままのスマホを掲げる。
(さて、これでどこまで行けるでしょうね……)
そして心中でそうつぶやいた彼女の顔は……歳相応の、未知に対する期待の色が輝いていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
タグにもある通り、この世界は並行世界です。
現代日本ではありますが、二十歳未満の未成年が(条件はありますが)普通に働ける世界となっています。
なのでミナが取締役をしていても何もおかしくはないのです。おかしくはないのです。




