彼女たちの日常 2
普段の平日より賑やかな街並みに面したハンバーガーショップ。通りが見渡せる窓際のテーブルで、晶と水奈は値段相応のファストフードで昼食をとっていた。
時間は食事時をやや過ぎた頃合い。店内は賑やかだが、混雑のピークは過ぎつつある。
「本当にこういうところ来るんだなあ……」
フライドポテトをつまみながら、晶は改めて、感慨深げにこぼした。
視線の先、正面では水奈がテリヤキバーガーを手にしている。テーブルにはポテトとジュースという、一般的なセット。それらを注文する様は、完全に常連客だった。
「仕事柄、あちこち現場を見て回っていると、急いで食事を済ませなければならないことも多いので」
「そういや現場主義者って言ってたっけ。……ってゆーか、今日は仕事いいのか? 平日だよな?」
「今日は有給を取っておりますから、大丈夫ですわよ。丸一日オフですわ」
「そ、そっか……大丈夫ならいいんだけどさ……」
ずずず、とまだ溶けきっていないシェイクをやや苦しげに吸って、晶は頷いた。
「ところで、気になっていたんですけれど」
「ん?」
「晶さんって、私生活でもスカートをはくのですね」
「はくよ? なんで?」
「いやその、どちらかというと男勝りと言いますか、お転婆と言いますか……そちらの服とは縁がなさそうに見えていたので……」
「あー、まあ。それはよく言われる」
そう言って頬をかく晶は、確かにスカートである。それもかなり短い。
「いやな、この方が蹴りがしやすいんだよ」
「ええっ?」
「個人的に、一番下半身の動きが邪魔されないのがミニスカートなんだ。ホットパンツとかレギンスもありだけど、もう一声って感じなんだよな」
「はあ……思ってもみなかった回答ですわ……」
想像の斜め上を行く答えに、水奈は呆れにも似たため息をついた。
「よく言われる。……でもさ、ちょっと言葉遣いが荒いだけであたし、普通に女だからな? スカートくらいはくよ。お洒落だってしたい。そっちはこう……仕事柄しづらいってだけで」
「それは、……説得力がないと思いますわよ……?」
「いや、まあ、うん……わかっちゃいるけどさ……」
いささか苦い顔をしながら、やはりずずずと音を立てながらシェイクを飲む晶。
彼女のそんな仕草を見ながら、「とてもお洒落に関心があるようには見えない」と思う水奈だった。
その後も、二人は取り留めのない談笑を続ける。それは二人の配膳が空になってからもしばらく続けられた。
だがさすがに数時間も長居するのはまずいかと、どちらからともなく提案がなされ、二人はそろそろ退店しようかと話し始める。
「……すいません、その前にちょっと、お手洗い」
「おっけー。じゃあ店の前で待ってっから」
「はい、ありがとうございます」
二人分のごみを片づけにかかる晶に背を向けて、水奈はトイレへと向かう。
そして用を足して、手を洗おうと洗面台の前に立ったその時、懐から振動が伝わってきた。それが電話であることを悟った水奈は、スマホ――私用のほう――を取り出す。
しかしその画面に表示された『お父様』の文字に、水奈は遠慮なく顔をしかめた。
「……なんですの、こんな時に?」
つぶやく水奈の脳裏に、ここ最近繰り返されている親子喧嘩が浮かび上がる。
正確には、許可を求める水奈と拒否する清晴の平行線なやり取りなので、喧嘩とは少々違う。最終的にお互い感情が高ぶって言葉をぶつけ合うので、当たらずとも遠からずと言ったところではあるが。
ともかく、そんなやり取りがどうしても脳裏をよぎった水奈は、せっかく有給を取って友人と遊んでいるのを邪魔をされたような気がして……震動し続けるスマホを懐へ戻した。会話拒否である。
(趣向返しとしては少々幼稚ですけどね……)
そんなことを考えながら、手を洗ってトイレを後にしようとする。
しかし、濡れた手をふき終わった瞬間だった。不意に全身から力が抜け、思わず倒れるようにして壁にもたれかかる。
突然のことに目を白黒させる水奈。だが、その状態で身体を見渡してみても、特段おかしなところはなかった。
(立ちくらみ? にしてはタイミングが……)
額に手を当てて、深呼吸を数回。それでも身体に力が戻らず、どうしたものかと天井を仰いだ。
そんな水奈を映す鏡の中。そこで同じように壁にもたれかかり、天井を仰ぐもう一人の彼女の身体を、妖気が覆っていた。それが人に似た形状を取って、彼女の身体を壁に押さえつけている。
妖気の、人間で言えば目に当たる部分には妖しい光。それはちょうど、水奈に視線を合わせているかのようであった。
『フハハハハ……今少しよ……』
不意にそんな、しゃがれた男の声が響く。決して広くはないトイレの中に、不穏な空気が充満する。
しかし、水奈がそれらを認識することはなかった。なぜなら今の彼女は、裸眼だから。
『しかし……いかんいかん。この娘、どうも父親が関わると制御が難しくなるわい……まだ動くには早いというに』
それからすぐに妖気は不定形に散り、水奈の身体の中へと吸い込まれていく。
同時に、彼女の身体に力が戻る。立ち上がって首を傾げながら、周りと自分の身体を見る水奈。けれども、妙な痕跡は何もなかった。
ただ、どことなく倦怠感は残っている。立っていられないほどのものではなく、なんとなくだるい、といった程度のものだが。
(……月のものかしら)
それを水奈は、女であれば誰もが毎月経験するもの、と判断した。
最近両親と話をしている時、自分でも妙に怒りっぽいとは思っていたところである。だから、その判断は正しいだろうと小刻みに頷く。
「……こればかりは仕方ないですわね。念のため、紙ナプキンはつけておきますか……」
その辺りはたしなみとして、常に携帯している。また、外出中に突然来ることも経験がないわけでもない。
よって特にためらうこともとまどうこともなく、ことを済ませて水奈はそこを後にした。
すぐに店を出ると、晶の下に小走りで寄るが……彼女が周囲を警戒している様子を見て、首を傾げた。
「お待たせいたしましたわ……どうかなさいましたか?」
「水奈……いやさ、実はさっき妖気を感じたんだ。一瞬だったけど……殺気があって」
「え、では近くに……」
「かもしんねー。それっぽいやつは見た感じいないけど……いっしーには連絡入れといたほうが良さそうだと思ってさ」
「……では私は、照妖鑑をかけておいた方がいいでしょうか?」
「あ、そーだな。まあこの辺に魂魄妖怪がいる可能性は低いと思うけど……念のため頼む」
「了解ですわ」
スマホを手にした晶の前で、水奈は手荷物からメガネケースを取り出した。中身はもちろん、見えないものを認識できるようになるメガネ、照妖鑑だ。
それから晶が連絡を終えるまでの間、水奈は照妖鑑ごしに周囲を見渡してみた。
平日の昼下がりをすぎた時間帯。昼時に比べて人通りは減っているが、それでも街の中だ。雑踏はなくなっておらず、賑やかさは健在である。
しかし、その中に怪しいものはこれといって見当たらない。
(……何もなければいいのですけれど)
そして水奈は、そう心の中でつぶやいた。未だに少々気怠い身体と併せて、いささか面倒くささを感じながら。
「お待たせ。……水奈? どーかしたか?」
その様子は、隠せていなかったようだ。やるべきことを終えた晶が、水奈の顔を覗き込んでそう言った。
彼女の勘の良さに、これもかんなぎの力の一部なのかと思いながら、水奈は小さく首を振る。
「いえ、その……どうやら月のものが近いようでして。まだ完全には始まっていないみたいですから、大丈夫ですけれども」
「あーなるほど、それはしゃーなしだな。女はあれだけが不便だよな……」
「ええ、本当に……。私は幸いさほど重い症状は出ないのですが、重い方は大変と聞きます」
「おうよ、あれはマジでやべーぞ。最悪身体も起こせねーからな」
「……晶さん、ひょっとして」
「いや普段はそうでもないんだけどさ、一年に一回すんげーのが来るんだよ……」
深いため息が、晶の口をついて出た。そんな彼女が仰いだ空は青く澄み渡っていて、二人の会話とはまるで縁がないとでも言っているかのように爽やかだ。
晶自身もそのようなことを思ったのだろう。水気を飛ばす犬猫のように勢いよく首を振ってから、前に出た。
それから水奈のほうに振り返りつつ、いっそ潔いほどの強引さで話題を変えた。
「で、さ! 悪党妖怪が出たらそん時はそん時だ。とりあえずこれからどーするよ? せっかくフリーなんだ、どっか遊びに行くか?」
水奈もまた、その意図は察した。だから、直前までの生々しい会話は忘れることにして、プランを提案する。
「でしたら私、ゲームセンターに行きたいですわ」
「え、ゲーセン? 水奈ってつくづくお嬢様っぽくないな……」
「うふふ、どうも。いえね、私の会社で造っていたゲームが実際に使われているところを見たいのです。ロケーションテストは拝見させていただきましたが、正式稼働してからは顔を出せなくて」
「あー……そういや月神『システムズ』取締役だっけ。なるほどなあ」
水奈の説明に、晶はうんうんと頷いた。
「この近くでゲーセンっつーと……あそこだな。こっちだぜ」
浮かんだ場所がわかる場所だったので、早速先導を始める晶。
その隣に並びつつ、水奈は微笑む。
「はい、案内よろしくお願いしますわ」
彼女につられて晶も笑う。それから二人は迷うことなく雑踏の中へと溶け込んでいくのであった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回辺りから文量が増えそう・・・。




