彼女たちの休日 1
女郎蜘蛛の退治から約半月が経った。
この短期間で、石燕率いる皇機関辰組の一同は二体の悪党妖怪を捕縛しており、水奈を加えての活動も円滑に進むようになりつつある。
時は春先。三月も中旬に差し掛かり、ようやく寒さも収まる兆しが見えてきた頃合い。三寒四温とはよく言ったもので、ここしばらくは寒さと暖かさが交互に訪れ、否応にも季節の変わり目ということを実感させられる天候が続いていた。
暖かい日差しがかすかに差し込む船月堂にはこの日、石燕や晶はもちろん、威黒も水奈も合わせたメンバーが春の装いで集まっていた。
例のアンティーク調の一室、その中央に置かれたテーブルを挟んで、四人は向かい合っている。テーブルにはタブレット端末と複数の書類が置かれており、主に石燕が中心になって話が進められていた。
内容は、先日の女郎蜘蛛の事案……それも、被害者の事後経過について、である。
「……てなわけで、日由ちゃんは無事回復した。意識もはっきりしている。やはり魂が抜かれた影響で少し身体の動きがぎこちないところもあったみたいだが……今はもう影響は残ってないみたいで、つい先日退院したとのことだ」
そう言って石燕が示した紙には、いくつもの画像が印刷されていた。そこには、病室で穏やかに微笑む日由が写っている。
一通りそれを眺めてから、晶が安堵のため息を深くついた。それからパーカーの袖をまくり、頭の後ろで手を組みながら勢いよく背もたれに身体を預ける。
既に卒業式を終えたので、セーラー服は卒業である。
「あーよかった、マジでよかった。思ってた以上に手間取ったからさ、もしかしてもうちょっと影響残ってるかと思ってたんだよな」
「んだな、俺も気が気じゃなかったよ。もし彼女に万が一のことがあったら、やつを封印した紅珠は永遠の闇に葬ってやろうと思ってたからな!」
「石燕さんは相変わらずですわね……そりゃあ、私も気になっていましたけども」
平常運転の石燕に、水奈は冷たい視線を投げかけた。照妖鑑のレンズが反射する光も、どことなく冷ややかだ。
「ちなみに、壁に叩きつけられた少年のほうは?」
「ああ、そっちはまだ入院中だ。晶が施しておいてくれた白い火のおかげで経過は順調らしいが……もうちょっとかかるみたいだ。……ただ、心のほうがだいぶ参ってるらしい。妖怪に攻撃されたんだから無理もないが」
「そうですか。んん……少し思うところもありますが、彼も被害者です。早く良くなるといいですわね」
「精神的なもんとなると、さすがに機関でもなかなか手出しできまへんからなぁ」
「んだなぁ。仕方ないが、こればっかりはほとんど精神科医の領分だ」
言いながら、石燕は自嘲気味に肩をすくめた。彼に応じるようにして、他の三人もやや暗い表情でため息をついたり、目を細めたりする。
しかしそんな空気を振り払うように、石燕は少し強引に話を戻した。
「あー、あとはだな。そうそう、例の里山の抜け穴は完全に塞ぐことが出来たそうだ。つまり、今後事案が増えることはそうそうない! ……はずだ」
「おー、遂にか!」
石燕がやや芝居がかった調子で言い、晶が嬉しそうに顔を輝かせる。彼女の様子に、水奈は思わず口元を緩めた。
「あと、あの女郎蜘蛛のデータもあそこから出てきた魂魄妖怪の一つと完全に一致したから、あいつの件はこれにて一件落着! ということだな」
「やったー!」
晶が万歳をして、屈託なく笑う。水奈も、そこでようやく肩の力を抜いて息をついた。
それから水奈は照妖鑑を外し、晶は茶を淹れなおしに席を外した。石燕は書類を片づけに席を立ち、威黒は猫らしくのんびりとあくびをする。
やがて晶が持ってきた茶を楽しんでいた水奈に、戻ってきた石燕がそういえば、といった感じで話を振る。
「水奈、親御さんの説得はどうだ?」
その問いに、水奈は湯呑を手にした状態で顔をしかめると、力なく首を振った。
「……駄目ですわ。完全に平行線で、一向に話が進みませんの」
「あー……そりゃ親父さんからしたら心配だろーな……」
相槌を打つ晶は、そのままの流れで「なんとかしろよ」と言いたげに石燕に目を向けた。
一方で、それとは無関係に石燕も顔をしかめており、探偵よろしくあごに手を当ててうなる。
「うーん……一般人からのエージェント登用がここまで難航するとは思ってなかったな。どうしたもんかね……」
「普通ならエージェントはみんな、養成所の卒業生でしたさかいになあ……。そういうメンタルなケアを含めた家族の説得はノウハウが……」
「……石燕さん、機関の上層部に動いてもらうことはできませんの?」
「これが事案の処理だったら、強権でどうにでもなるんだけどな……さすがに家の問題にまで口を出すわけには……」
「そうですか……」
「かくなる上は、成人年齢を十五歳に引き下げるしかおまへんなあ」
「それは無理だろ……仮にできるとしても、何年かかるかわからねえよ」
「それもそうですなあ」
そうやって二人で話を始めた石燕と威黒だが、どうも雲行きはよろしくない。
平行線のまま終わりが見えそうにないので、水奈はとりあえず疑問に思ったことを晶にぶつけることにした。
「……晶さんの時はどうでしたの?」
「あたし? いや、あたしは養護施設出身でさ。そもそもそういう話はあんま出なかったんだよ」
「え、あ……も、申し訳ありません」
「いやいーんだ、気にしてるわけじゃねーし。ただ……なんつーか、だからこそ水奈にはちゃんと両親と話つけてからこっち来てほしいな、って思うなあ」
「晶さん……」
「親とケンカできんのも、親がいるからだもんな。そういうの、記憶にねーんだよなあ」
思いもよらない話が突然出てきて反射的に謝った水奈だったが、そこで言葉を詰まらせた。
けれども、晶の言葉に含まれていたかすかな羨望の色を見抜いた彼女は、それ以上何も言わず素直に受け入れることにした。
「……貴女の言う通りですわね。私、もう少しお父様と色々話してみます」
「うん、それがいいと思うよ。ケンカ別れなんて、悲しいだけだもん」
「…………」
「あ、ごめん、あたしがそうだったわけじゃねーんだけど……って、水奈、そんな顔すんなって。あたしは大丈夫だよ。いっしーいるし、威黒だっているしな」
思わず黙り込んでしまった水奈に、晶がにこりと笑う。水奈の肩を叩きながら白い歯を見せるその姿に、悲壮感は見当たらない。とても無理をしているようには思えない、自然体な笑みだった。
「そう、ですわね……。貴女がそうなら、私も気にしないことにします」
だから、水奈はこの話はこれで切り上げることにした。
そのタイミングで、石燕が威黒との会話を切り上げて戻ってきた。どうやら会話の切れ目を狙っていたようである。
「まあその、なんだ……水奈、すまんがもう少しだけがんばってみてくれ。最悪……本当に最悪だが、威黒の力で色々やることはできるから……」
「仕方ありませんわね……。でも、まあ、わかりましたわ」
「月神家相手に金や権力なんて使えないからな……他に思いつかなくてすまない……と、なんかグダグダだが今日はひとまずこんなところか。午後は各自フリーってことで」
微妙な結論が出たところで、石燕も身体から力を抜いて椅子に寄り掛かった。少し重苦しい空気が、周りに広がる。
しかし石燕はすぐアンティークの柱時計に目を向け、時間を確認するや明るい声を少し強めに張り上げた。
「……んで、昼だけどお前らどうする? 俺はまだいくつか書類作らないといけないから、おにぎりかサンドイッチでも買ってこようと思ってるんだが」
「あ、あてはここで失礼させてください。この後、こないだの論功行賞で臨時の評定がありますのや」
「お前は相変わらず、言い回しがいちいち古いよな」
「古い猫又ですよってな、堪忍しておくれやす」
珍しい石燕のツッコミに、威黒がふふふ、と目を細めた。
そんな二人のやり取りを尻目に、晶と水奈は顔を合わせて相談を始める。
「二人か。どーする? なんならあたし作るけど」
「あまりお手を煩わせるのも……それに、どうせなら……その、どこかに食べに行きたいですわ」
「いいね。どこ行く? ……って言っても、お高い和食とかフランス料理とかは勘弁だぞ?」
「ふふ、もちろんその手のものはなしですわよ」
「そ、そーか? それでもあたし、そこまで金あるわけじゃねーし、その」
「ファストフードでも私は構いませんわよ。こう見えても結構行きますし」
「え、マジで? 水奈みたいなお嬢様でもああいうとこ行くの!?」
「ええ。短時間で済ませられますからね、わりと重宝しておりますわ」
「そ、そーなのかー……」
はあー、と驚嘆の息と共に、晶は呆けたような顔で水奈を見た。
水奈としても、彼女の言わんとしていることはよくわかったので、口元に手を当ててくすくすと笑った。
その所作は、まさしくお嬢様らしいものではあったが、それが余計、晶の中でファストフード店に入る水奈の姿を想像できなくさせる。
しかし日ごろの活動が特殊だからか、晶はすぐに気を取り直した。
「んじゃまあ、何食うよ?」
「そうですわね……」
かくして、二人はこの後の予定を考える。
彼女たちがどこで何を食べるのかを決めて船月堂を後にしようとする頃には、既に石燕も威黒もそれぞれがやるべきことに移っていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
少しだけ日常回が続きます。




