そして彼女にも
「こんな時間まで、どこで何をしていたんだい」
帰宅した水奈を待っていたのは父、清晴だった。
水奈との血の繋がりがよくわかる、どことなく冷たさを併せ持った美貌には、怒りの色がはっきりと出ている。
ただ、今回ばかりは自分が悪いと水奈も承知していた。未成年とはいえ、水奈は立派な社会的立場がある身。途中でおつきである松田から離れて単独行動をしたまま、数時間も消息を断った挙句に、夜も遅くになって帰宅したのだ。怒らない上司はいないし、親もいないだろう。
「……申し訳ありませんでした」
だから水奈は、潔く頭を下げた。下手な言い訳は逆効果だと判断して。
それで即解放されるとは思っていない。何せ、どこで何をしていたのかという問いに答えていないのだから。
皇機関に関することは普通答えられないのだが、今回は例外である。どう答えるか、どこからどこまで話すべきかは帰宅前に石燕と打ち合わせて、既におおよそのところは決めてあった。
何せ水奈は、一般人――魂魄妖怪を裸眼で視認できないレベルの――から採用される初めてのエージェントになる予定だ。昼間に石燕も言った通り彼女はいわばテストケースであり、採用に当たってはまだ明確な基準がないものの、親の許可は取れと言われてしまっている。
このため、ある程度は親に伝えてもいいという許可は出ており、水奈も許される範囲で真実をほぼありのまま話すつもりでいる。
ただ、それでも極力言わないでほしいと言われた情報などもあるため、優先順位を再度脳裏で反復確認する水奈だったが……内心は気が重かった。
「実は、友人と一緒に……妖怪退治をしておりました」
「……はあ?」
なぜなら、そう言われることは目に見えていたから。
水奈とて、いきなりそんなことを言われたら同じリアクションをしただろう。里山での一件以前の彼女なら、間違いなくそうしたはずだ。
だが今は違う。だからこそ、ここで引き下がるわけにはいかなかった。どう言われようと妖怪退治をしていたのは偽りのない真実だし、理不尽な暴力を振るう悪党妖怪と戦う決意を、彼女は既に固めているのだから。
「水奈、聞き間違いかな……妖怪退治と聞こえたんだけれど……」
「いえ、聞き間違いではありませんわ。私は、友人と一緒に妖怪退治をしておりました」
「……水奈、下手な冗談はやめなさい。怒りはしないから、本当のことを……」
「本当のことですわ」
呆れたようにため息をつく清晴に、水奈は毅然と言い放つ。
それから、懐から機関エージェント専用スマホを取り出すと、顕現した女郎蜘蛛と晶が対峙する写真を表示して清晴に突き付けた。
証拠がなければ信じてもらえないだろう、と石燕が持ち出しを許可してくれたものだ。この他にも、威黒に乗って空を駆けた時の動画や写真などもある。彼が巨大化したり、バス形態になるシーンもだ。
そんな妖怪たちの様子を見せられた清晴は、さすがに口をつぐんだ。しかし顔は苦々しい表情が露わで、眉間にはしわが寄っている。
「……これはCGかい? 良くできているけれど……」
案の定、彼はそう言ってきた。
「違いますわ、お父様。すべて、今日私が見てきたものです」
「水奈……いつも非科学的なオカルトなんて一顧だにしない君らしくないぞ。妖怪なんて、オカルトの最たるものじゃあないか」
「私もそう思っていましたわ。けれど、妖怪に関してはそうではなかったのです」
ただ、父の反応は想定内ではあった。だから水奈は、立ち話もなんだからと断りを入れて食堂へ場を移して、様々なことを述べた。
石燕から聞いた妖怪と人類の歴史や、皇機関の大まかな沿革などを、できるだけ噛み砕いて説明する。信じてくれるだろうかと、一抹の不安を覚えながら。
そしてその不安は、次第に大きくなっていく。話を聞いている清晴の態度が、明らかに良くないのだ。もちろん、直接的な姿勢がどうということはない。だが彼の表情は、間違いなく信じていない者のそれだった。
どうして信じてくれないのかと、水奈の心の中で不安が不満へと姿を変える。それが表へ出ようと暴れる。
だが、そうした感情をできる限り抑えて、水奈は切り札を切ることにした。
石燕から、どうしても信じてもらえないのならこれを言え、と教えられた言葉。彼が「できれば使ってほしくない」とも言っていたため使いたくはなかったが、今の水奈にはどうしても清晴の許可が必要だった。
「お父様」
「……なんだい」
「『これよりは、天皇陛下の御領分なれば。口出しは一切無用』」
「ッ!? み……水奈、それは」
「言葉の通りですわ、お父様。けれど、今まで何度か同じ言葉を聞いたことがおありでしょう?」
「…………」
清晴からの返事はなかった。だが、その顔は驚愕の色で染まっている。それはもう、肯定しているも同然だった。
とはいえ、清晴の反応は無理もないと水奈自身も思っている。何せ水奈が知る限り、清晴は何度かこの言葉を言われたことがある。その時彼がこぼしていた愚痴や、見せていた態度も思い出せる。
今の水奈にはわかる。かつて清晴に同じことを言った人間こそ、妖怪事案から一般人の耳目から遠ざけるために派遣された、機関のエージェントなのだと。
「お父様。これ以上は禁則事項ですので、申し上げられませんわ。ですが、真実なのです。この世界には妖怪がいて、人に害をなす悪党妖怪もいて……それに対抗する組織もある。私は、その組織の一員として、戦っていきたいのです」
そして水奈は、臆することなく清晴に宣言する。今まで以上に目に力を込めて、彼の顔を視線で射抜く。
父からの返事はなかった。しばらくその状態で、二人は沈黙する。静寂が、夜の邸宅に満ちる。
「……駄目だ、仮に本当だったとしても、やはり駄目だ」
「なぜですの!?」
だが、沈黙を破った清晴の言葉に、水奈は思わず声を荒らげた。
彼女を手で制して、清晴は言葉を紡ぐ。今までとは違い、真摯な声音には抑揚が少なく、淡々としながらも優しい色合いが含まれていた。
「水奈……どこの世界に、自分から危険に飛び込みたいと言う娘に『わかった』と言う父親がいるんだい」
「……!」
「確かに外に出れば、私と水奈は親子ではなく上司と部下だけれどね……。それでも、家ではわたしだって、父親としての意見くらい言う。月神の長としては……そうだな、例の奇妙な組織と繋がりができることを、喜ぶべきなんだろうけれどね」
「……お父様……」
「これがただの事務職なら、喜んでと言うだろうけれどね。君がしたいのは、実動部隊的なほうなんだろう?」
「……ええ。私は、彼女と……晶さんと一緒に、戦いたいのです」
「つまりは自ら危険に飛び込んでいく部署なわけだ。だとしたら許可はできないな」
「お父様!」
思わず立ち上がり、勢いでテーブルを叩く水奈。だが、それでも清晴の態度は変わらなかった。
にもかかわらず、水奈には清晴の言い分も理解できてしまった。弱冠十五でありながら、社長業ができるほど聡明な彼女にはわかってしまった。だからそれ以上の言葉が出てこなくて、視線を伏せる。
「……水奈、今日はもう遅い。君の言い分は信じる、信じざるを得ない。説教なんてことはしないよ。だから、今日はひとまずもう寝なさい」
「……そう、させていただきますわ……」
結果として、清晴の提案に従うしかなかった。そのまま力なく踵を返すと、食堂を後にする。
悔しさが水奈の胸に去来する。清晴と意見が合わず口論になったことは今までもあったが、言い返せなかったのは初めてだった。言い知れぬ敗北感が、彼女の心を覆っていた。
ほのかな明かりで照らされた廊下を歩きながら、震える手で照妖鑑を外す。ケースに仕舞い込んだところで、ため息を一つが漏れた。
これからどうすべきだろうか。そんなことを考えながら天井を仰ぐが、答えが出るはずもなく。
「お嬢様」
様々な想いが渦巻く胸中をそのままに、しばらくぼんやりと歩いていたところで不意に声をかけられて水奈は硬直した。
しかし、すぐに声の正体に気づいて緊張を解く。
暗がりにいた男は、松田であった。少々位置取りが悪くて不気味に見えるが。
「松田。どうかしましたの?」
「はい。お戻りになられたら、まずはお風呂だろうと思いまして、着替えをお持ちいたしました」
松田はそう答えると、にこりと微笑みながら籠を恭しく差し出してきた。
それを受け取りながら、水奈は彼に苦笑を向ける。
「もう、貴方にはかないませんわね。でも時間も時間ですわ。何も貴方が直接しなくてもよかったですのに」
「いえいえ、だからこそでございます。お嬢様に余計な時間を取らせるわけには参りません」
「……まさかとは思いますけど、松田。貴方、私が戻ってきてからずっとここにいたわけではないでしょうね?」
しかし、松田からの返事はなかった。ただ先ほどよりも深い笑みを浮かべるだけである。
だがその仕草を見て、水奈は長年仕えてもらっているこの執事が肯定していると察した。そして、ため息と共に松田の肩に手を置く。
「……松田、貴方の心意気はとても嬉しいですわ。けれど、貴方ももう若くないのです。先日山に行った時も、居眠りをしていたではありませんか。無理はなさらないでくださいまし」
「お心遣いありがとうございます、お嬢様。ですがその言葉、お嬢様にも当てはまるかと」
「それは」
松田の言葉に、水奈は言葉を詰まらせる。
そんな彼女に松田は再び微笑みかけると、堂に入った仕草で頭を下げた。
「お互い様でございますよ、お嬢様」
「……わかりましたわ」
清晴に抱いた敗北感とは違う、どこか小気味いい敗北感を味わいながら、水奈は苦笑方々ため息を漏らした。
彼女の答えに満足したのか、松田はもう一度だけお辞儀をすると、しずしずと下がっていく。その後ろを見送って、水奈は改めて風呂に向かうのであった。
そうして脱衣場に入り、服を脱ぐ。
途中、昨日までは持っていなかった照妖鑑や専用スマホが服に入ったままになっていることを思い出し、慌てて中身を取り出し着替えの上に置きなおす。
これから妖怪とやりあっていくつもりの水奈にとっては、それらはいわば仕事道具。うっかり服ごと洗濯されてしまっては、元も子もない。
ふう、と息をついて水奈は脱衣を再開する。ほどなくして、蛍光灯の光の下に彼女の白磁のような美しい肌が露わになった。
そのまま浴室に向かう水奈。しかし……。
広々とした月神家の脱衣場。その壁面に設置された大型の鏡に映った水奈の身体からは、妖気が漏れ出ていた。その瞳は実際に妖しい光が湛えられており、なおかつ尾を引く影法師は翼を背負っていた。
だが、水奈はそれに気づかない。気づけない。
現実の彼女にそうした異変が起きていないから、というのもあるにはある。しかし、彼女は本来妖気や魂魄を認識できない。そのための照妖鑑は今、外しているのだ。
何より、水奈が浴室の扉を閉じた頃には、その異変は収まってしまっていた。
やがてシャワーによる水音が、浴室に響き始める。ただただ単調に、もの悲しく。それはどこか涙雨にも似て、空虚な色を帯びていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回からいよいよ佳境です。




