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退魔鑑ナルカミ  作者: ひさなぽぴー/天野緋真


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女郎蜘蛛 4

 とはいえ、晶としてはため込んだエネルギーは不十分だと思っていた。見た目は瀕死に近い女郎蜘蛛ではあるが、晶の第六感は、事ここに至ってもまだ致命傷に達していないと告げている。

 これは演技だ、と。


「さーて、トドメと行こうか。安心しろ、命まで取りゃしねえから」

「い、……い、いやあああ!」


 そしてその直感は正しかった。身構えてすごんだ晶に、女郎蜘蛛はたまらず逃げだした。その速度は、当初とほとんど変わらない。


 しかし晶は、逃走を防ごうとはしなかった。追いかけはするが、その速度は全力ではない。

 なぜなら、既に逃げ切ることは不可能だから。


 威黒が水奈に説明した通り、丁種の範疇を出ない女郎蜘蛛では鑚心釘が生み出す結界は破れない。それは過去から蓄積されてきたデータから導き出された事実であり、もちろん晶も知っている。まして全身を神の炎で焼かれた直後ならば、なおさらだ。

 だからこそ、晶は切り札を切ったのだ。


 しかし、女郎蜘蛛はそれに気づいていない。


「何よ何よ何よッ! ふざけんじゃないわよたかが人間の分際でッ! 人間なんて所詮アタシたちの餌なのニッ! 家畜風情が偉そうにィィイ!!」


 逃げながら、女郎蜘蛛が罵声を張り上げる。追い詰められて出た本音がそれなのだろうが、あまりにも身勝手であった。


 だから、因果応報と言うべきか。全力で逃げる女郎蜘蛛が、突如何もない空間にぶつかって止まった。まるで壁に激突したように。


「な……な、何、なんなのよオォ!?」


 ぶつけた顔をさすりながら叫ぶ女郎蜘蛛。


 そこに、おっとりとした男の声が響き渡った。


「結界どすえ」


 それに合わせて、女郎蜘蛛がぶつかった空間の先に少女と、猫の姿がじわりと浮かび上がる。水奈、そして威黒だ。


「あんたは……猫又ねッ?」

「ご名答。言うても、そちらさんと違て人間の隣人であることを選んだ口ですけどね」

「人間なんかにすり寄って……! 所詮猫は猫ね!」

「なんとでも言っておくれやす。けどええんどすか? もう姐さんが、すぐそこまで来てはりますえ?」

「……っ!」


 結界にびたりと顔をくっつけ威黒にすごむ女郎蜘蛛だったが、結界を破れない彼女に威圧感など微塵もなかった。だからこそ威黒は穏やかに応じるのだし、その隣の水奈も毅然とした態度を取っていられるのだ。


 そして威黒の言葉に、女郎蜘蛛が後ろを振り返った。そこには、炎をまとう晶がすぐそこまでやってきていた。

 女郎蜘蛛がかすかに悲鳴を漏らし、結界を背中伝いに横へ動こうとする。


 だがそこで、今まで無言だった水奈が動いた。


 彼女が懐から取り出したのは、石燕から与えられた雷公鞭。すぐさま起動されたそれは、与えられた機能を滞りなく発揮して電撃をほとばしらせる。

 その状態の雷公鞭を、水奈は振りかぶって投げた。もはや彼女を気にする余裕もない女郎蜘蛛の、大きくて無防備な背中目がけて。

 そしてそれは回転しながらも、ほぼ狙いを外さず女郎蜘蛛の背に突き刺さった。するとたちまち接触部から紫電が吹き出し、女郎蜘蛛の身体にまとわりつく。瞬間、彼女はびくびくと激しく痙攣しながら絶叫した。


「――ひぎぃぃぃぃーっ!?」


 雷公鞭が接触していた時間は、決して長くはない。だが、石燕が対妖怪用と謳った威力はまさに抜群の威力であった。

 からん、とかすかな音を立てて雷公鞭が地面に落ちた時、もはや女郎蜘蛛はほとんど瀕死状態となっていたのだ。攻撃を仕掛けた水奈本人が一番驚いたのも、無理からぬことだろう。


「姐さん、今どすえ!」

「オーケー! 縛妖索、行くぜ!」


 威黒の声を受けて、晶は右腕にはめていた縛妖索をぐるりと半回転させた。手の甲側に向けられた水晶が、晶からほとばしる炎を受けて赤い光を反射する。

 次の瞬間その炎は水晶へと吸い込まれていき、美しくカットされた水晶の中で嬉々として踊り始めた。


 それに合わせて、晶が腰を深く落として身構える。彼女の身体を覆う炎はますます勢いを増し、さらには右の拳に集結していく。

 そしてそれが臨界に達した瞬間、彼女は地面に穴を開けんばかりの勢いで飛び出した。赤い炎と、封印のための白い光が尾を引いて、夜の街を儚く照らし――。


「――せいやあぁぁぁーッ!!」

「ぎゃあああぁぁぁぁぁーーッッ!?」


 一閃。今までのどの攻撃よりも高い威力を込めた渾身の正拳突きが、女郎蜘蛛の胸元を穿ち抜いた。

 瞬間、神の炎が女郎蜘蛛の体内に進入。あっという間もなくその身体を炎上せしめる。やがて彼女から一つ、二つ、三つ……と連続して火柱が吹き出し始めた。


 それを見た晶が大きく後ろへ跳躍し、着地を決めた直後。限界を迎えた炎が、女郎蜘蛛を中から吹き飛ばした。

 爆発の余韻も消えぬうちに、四散した女郎蜘蛛の身体がすべて炎に吸い寄せられていく。それは周囲の炎をも集めて球形を取ると、テニスボール大の赤い宝玉――紅珠となって地面に転がった。


 晶は落ちた紅珠が止まるまで警戒を続けていたが、停止したことを確認してようやく構えを解く。同時に、彼女の身体が元の姿に戻った。


「……ふぃー、やーっと終わったぜー」


 そして息をつきながら紅珠に近づき、拾い上げた。


「お疲れさんどす、姐さん」

「お疲れ様でした」

「おう、二人もお疲れ!」


 近寄りながら労いの言葉をかける二人に、晶はにっと笑うと、同時に空いた手のひらを前に差し出した。そこに威黒が飛び上がって手のひらを合わせる。


 しかし水奈はわからないと言った様子で、首を傾げる。

 それに気づいた晶は、くすりと笑って水奈の手を取った。そして、あっけにとられる水奈の手のひらを己の手のひらにそっと合わせる。


「……ハイタッチ、だぜ。勝った時とかにやるんだ」

「ああなるほど、そういうことでしたのね。人と猫でハイタッチなんて、思ってもみなかったのでわかりませんでしたわ」

「あははは、そりゃそーだ。……んじゃ改めてー」

「……はい」


 水奈は申し訳なさそうに苦笑したが、笑顔と共に差し出された晶の手を見て、にっこりと笑いなおす。

 そうしてにこやかに笑い合った二人は、パン、と小気味いい音を響かせてハイタッチを交わしたのであった。


「……いやー、それにしても結界が間に合って助かったよ。ふがいない話だけど、正直結構やばかったんだ」


 途中で敢行した無茶な突撃で受けた傷は、既に晶の身体から大半が消えつつあった。だが、痛みや疲労まで消えるわけではない。

 それでも苦痛や疲労を見せるそぶりもなく、晶はにかっと白い歯を見せて笑う。


「威黒さんのおかげですわ。空を飛べなければ、もっと時間がかかっていました」

「いやいや、場所の選定をしたのは水奈はんですよって、そう謙遜せんといてください。おかげで大幅に時間を短縮できました」

「へえ、マジか。でもなんでこの辺にしようって思ったんだよ?」

「機関のスマホに入っていた、位置と移動経路を知るアプリを使いまして。それを見ていたら、この周辺を通る回数が極めて多かったのでこれは何かあるな、と思ったのです」

「ああ、そういやそんなアプリあったっけ」

「威黒さんから、機関のスマホにはすべて発信器が入っていると伺いまして、これならと思いました」

「なるほどなぁ。あたし、機関のスマホアプリほとんど触んないから完全に忘れてたよ。……でもこう、敵の罠とは思わなかったのか?」

「思いましたけど……蜘蛛の妖怪が使う罠なんて、巣以外思いつきませんでしたから。そして巣というものは主人にとってテリトリーですけど、同時に袋小路でもあります。虎穴に入らずんば虎児を得ず、ですわ」


 そう言って水奈は、少し困ったように笑った。その様子に、晶が口笛を鳴らす。


「すげー、よくやるなあ。あたしにゃぜってーできねーや」

「いえ、確証があったわけではないので……賭けでしたよ」

「それでもだよ。っつーか、結界が完成したからこそあたしも勝負に出れたんだ。切り札にしようと思って種仕込んでたんだけど、ぶっちゃけ微妙だったし使うタイミングもつかめなくてさ。最後もいいアシストだったぞ。だからありがとな、水奈!」


 そして晶は、満面の笑みを水奈に向ける。

 彼女の裏表のない笑顔に思わず気恥ずかしさを覚えた水奈は、少し赤みの差した頬を隠すように、メガネでもある照妖鑑を手で覆う形でくい、と押し上げた。


 その傍らで、威黒が半目になりながら小さくため息をつく。


「……威黒、何か言いたそーだな?」

「べぇつに、なんもあらしまへん。どうせ今回も、深く考えもせんと敵に突撃かましたろうにどの口がそれを言いますんや……なんて、思っとりまへん」

「思ってんじゃねーか! 悪かったな、どうせあたしはバカだよ!」

「おっとっと、堪忍しとくれやす。乱暴はあきまへんにぃ」

「待てこら! 逃がさねーぞ!」

「お二人とも……」


 いつの間にか、晶と威黒は水奈の周りをぐるぐると回りながら追いかけっこを始める。

 軸にされた水奈は口をはさむタイミングを逃してしまい、ろくに動くことができないままだ。


「おーい!」


 そこに、石燕が小走りにやってきた。

 彼の後ろには、全身黒尽くめの衣装をまとった黒子のような連中が、ぞろぞろと十数人ついてきている。


「合流しようと思って急いで来たんだが、どうやら終わったみたいだな」


 少し上がった息を整えながら言う彼に、晶が動きを止めておう、と頷く。その隙に、威黒がひょいひょいと近場の塀に駆け上がった。


 そんな彼らの隣を、先ほどの黒子たちが無言で通り過ぎていく。


「……あの方たちは一体?」

「ああ、あいつらは我が辰組のエージェントだ。日由ちゃんたちのほうは大体終わったから、大半をこっちに回したんだ。ここまで来たら俺もお役御免さ。あの恰好はまあ、作業着みたいなもんだから気にすんな」

「はあ……随分大勢連れてきたみたいですけれど、彼女たちは大丈夫ですの?」

「おう。日由ちゃんは……さっき晶が敵を退治したから、今頃は意識も戻ってるはずだ。しばらくリハビリは必要かもしれないけどな。少年も命に別状はない。こっちもしばらくは入院だろうがな」


 石燕の報告に、水奈はほっと息をついた。死者は出なかったようで何より、と。


 その様子をちらりと一瞥してから、石燕は説明を再開する。


「それに、終わったからには周辺に出た被害を元通りにしないといけないんだが。どうせ晶のことだから、派手にやっただろ? だからあの人数は必要なのさ」

「なるほど。確かに結界を張っている最中も派手に火が見えましたわね」


 そこで晶に、三人分の視線が注がれた。


「し、しゃーなしだろー!? だってあいつ、あっちこっち逃げ回るんだからさ!」

「ほらやっぱり、深く考えんと派手にやったんやおまへんか。『あたしにゃとてもできねー』なんて、ほんまよう言いますわ」

「いやまあ、いいんだけどな。今回の場合最優先は妖怪退治だし。ただ、連中は今夜徹夜かもな、って思っただけさ……」

「う、うう……」


 石燕の言葉に、晶はしょんぼりと肩を落とした。

 しかしすぐに顔を上げると、黒子たちが去って行った方向に向かって声を張り上げる。


「すいませんでしたーッ!」


 一周回っていっそ潔い謝罪であった。

 それを見て、石燕をはじめ全員がやれやれとばかりにため息をつく。


「……ま、大体いつもこんな感じで締まらねえんだけどな」

「でも……賑やかで楽しそうですわ」

「んん……? まあ……確かに、そうとも言う……のか?」

「ふふふ……そういう石燕さんも、ですわよ」

「え、そうか?」

「ええ、とても」

「……そうか……」


 どこか楽しそうな水奈に答える石燕は、少し呆けたような表情で頬をかく。

 そんな彼ににまにまと笑いながら、威黒が三人の前に降り立った。そしてさながら、皆の間を取り持つようにして言う。


「ま、仲良きことは美しきかな、ですな。……ほんならそろそろ、あてらは撤収しまひょ」


 彼の言葉に、晶も向き直った。


「おう、帰ろうぜ」

「はい」

「んだな」


 そして全員の同意を得た威黒はみるみるうちに大きくなって、猫又バスの姿になる。その胴体部分が、昇降口さながらに開いた。


 晶はそこに躊躇なく乗り込んだが、水奈は恐る恐る様子で乗り込む。そして中の様子を興味深く観察し始める。

 改めてまじまじと細部を確認して得た既視感に、彼女は思わず晶に顔を向けた。


「……あのアニメそのものではありませんこと?」

「毛の色は違うけどな。その気になりゃそっちも揃えられるらしいけど、目立つから」

「それは仕方ありませんわね」


 水奈の言葉に、晶はえへらと笑い返してきた。

 笑顔を向けられた水奈も、くすりと笑い返す。

 それから二人は、思い思いの席へと腰を下ろした。石燕もそこに続く。


 直後、猫又バスの中に威黒のアナウンスが響いた。


「それでは船月堂行き、発車いたしますー」


 いかにも気取った風の喋り方であった。それに思わず、ふっと笑みを漏らす水奈。


 やがて威黒の身体が浮かび上がり、水奈たちは空の人となる。それに気づいた彼女が何気なく窓から外を見てみれば、眼下には大都会東京の夜景が広がっていた。

 深夜と言うには少し早い時間帯の夜景は、行き交う人々の気配と音があふれていて、いかにも世界有数の大都市だと思わせる。それでもこの景色のどこかに妖怪が息づいているのだと思うと、見慣れているはずのその景色が、いつもと違って見える水奈だった。


 しかし、そんな光景を踏みにじる悪党妖怪がいることも目の当たりにした彼女は、決してそれをただ眺めるだけで終わりたくない、とも思った。


(大勢の人が理不尽に殺されているかもしれないと知ってしまったのですもの、黙って見ているなんてできそうにありませんわ。知る立場になった以上、できる限りのことをしなければ)


 流れていく景色にそんなことを考えながら、ちらりと横目に晶たちへ目を向けてみる。


 そこには、石燕から受け取った水をすごい勢いで飲む晶がいた。石燕はそれを見て苦笑しながら、晶の傷の状態を確認している。あれだけの戦いがあった後とは思えない、平和な光景だった。

 そんな彼女たちの姿に、水奈は職場としての皇機関に親近感を覚える。


 きっと、晶たちと共にする仕事は楽しく……そして、やりがいがあるのだろう、と。そう、思えたから。


「晶さん……悪党妖怪を懲らしめる貴女たちのお仕事、ぜひ私にもお手伝いさせてくださいまし」

「ん? なんだよ、急に改まって。……でも、ありがとな」


 そして水奈の言葉に晶は一瞬きょとんとしたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。


 もちろん、水奈もそれに相応しい華やかな笑顔で応じる。


「よろしくお願いいたしますわ、晶さん」

「おう、あたしこそよろしくな!」


 それから二人は、どちらからともなくとりとめのない話を始めた。

 彼女たちを横から眺めながら、石燕も笑っている。ただし彼のそれは、娘を見守る父親のような、優しい笑みであった。

 冬の夜風を切って空を駆けていく猫又バスの顔も、また……。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


承はこれで終わりです。

幕間を挟んで転に入る予定。

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