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回収(清算)

 販売、そしてサービスの基本は、できるだけ喜んでお金を払ってもらうこと、だとあたしは思っている。

 大抵のマーケティングの本に書いてあるように、この日本で売られている商品の市場は飽和状態で、メーカーも商品も、よりどりみどり。オンリーワンなんて、ない。


 その選り取り見取りのなかで、いかに他社との差を明確にし、付加価値を……すくなくとも財布をあける側が付加価値であると思うものを提供、提案するか。

 あたしは営業時代、ただひたすらそれに専念した。


 できること、できないことを、明確にする。

 それで売れたとしても、結局返品になるから、嘘は絶対につかない。

 顧客の要望をひきだし、欲しいものを、望むサービスを、提供する。

 望むかたちで。


 何を売るにしても、その基本は変わらないはず。

 今回は、支払額が少々(一億円なり)でかいことと、相手がこのサービスを受けるのは、一回こっきりのみ。違いはそれだけ。


 じゃぁ、あのターゲットが望むものは、どんなものだろう?

 条件を数え上げて、仮定してみよう。



 人生の最後。

 自分の命のろうそくの灯が、もうすぐ消えていく。揺らいでいるのが見える。

 おくってくれるはずの家族は、もういない。

 さっき保険証書に書かれた名前からネットで調べたし、本人もそう言っている。


 親しい友人はもちろんいるだろうけれど、死を分かちあうほどの相手は、いないと思う。

 いればこんな小さな公園で、ぽつねんと座ってはいないんじゃないだろうか。


 自分で設立した会社をある程度大きくして、ずっと率いてきたのだから、彼は「強い」人なのだろう。最終的はひとりで決断し、指示をだし、結果をうながし、その責任をとって、成功してきた。



 そんな人が、最後に望むものは…………。



「貴方に、穏やかな死を差し上げます」



 あたしはターゲットの―――老人の前にしゃがみ込み、俯く彼に目をしっかり合わせた。

 こげ茶色の、澄んだ眼だった。



「貴方が目をゆっくり閉じ、息をひきとるその瞬間まで。肩の荷をすべて下ろして、自由になるまで。そばにいましょう」



 あたしは出会ったばかりの他人でしかないけれど、手はあったかいから。

 生きているものの温もりを、あげる事ならできるから。



「さびしくないように。ひとりで、孤独に逝かないですむように」



 いま、こうしているように。



「手を握って、見送りましょう」



 そう言って、そっと乾いた手に両手を重ねれば。

 確かに握り返してくる、力を感じた。



 ***



「お預かり」欄、つまりは残高の欄を、二度見した。

 正確にいえば、3回目の二度見を。


 午前11時半。

 利用者が比較的すくないだろう時間をみはからって、わざと家や最寄りの駅からとおい場所まで自転車で来て。

 あたしはおよび腰になる自分を叱咤しながら銀行のATMの前に立った。



「通帳を、お入れください」



 合成音声にうながされ、鞄から通帳をだしてやけにきっちりまっすぐにして、機械に差し込み。

 30年間の人生で一番と言えるほどのろく感じられる時間が過ぎていくのに耐え。

 なんのタメもなく吐き出された通帳をとりあげて。



 1億14万3千78円。

 100,143,078円


 

 そこには、少し角のかけた印字がされていた。



 その数字を確認した瞬間、あたしは勢いよく通帳を閉じそうになった手を押えると、自分では最高にさりげなくその場を離れ、銀行をでた瞬間、競歩選手もかくやとばかりの早足になり、競輪選手にいまなら負けないだろうスピードで、すこし空気の抜けた愛機のペダルを踏み抜くいきおいでこいで、家路を急いだ。


 途中、いくつ信号無視をし、車に轢かれかけたかは覚えていない。

 翌日、太ももとふくらはぎがパンパンに腫れたから、相当だろうけれど。


 その脚の痛みをおしつつ、もう一度、今度は別のATMに行き、お金を―――小心者で非常に嫌なのだけれど、1万円だけ―――おろしてみた。


 1億13万3千78円。

 100,133,078円

 

 昨日印字された欄の下、1万円だけ減った数字が、印字されていた。

 

 家に帰って、猫達が背中に乗ってくるのも構わず、ベッドの上でわたわた転がりながら、ひとり枕に顔をうずめて叫んだのは、死神には内緒にしておきたい。

 でもこれでようやく。

 ようやく、銀行の残高を見詰めて、腹が冷たくなっていくような焦燥感を、しばらく感じずに済むのだ。



 ―――命の洗濯旅にでる前、三行半をたたきつけてやった馬鹿男に貸した金は、まだほとんど返ってきていない。

 いまにして思えば、その当時の自分の横っつらを張り飛ばしたくなるけれど、最後の頃は会うたびに金を貸していた。


 いつも、そしていまですら本当に申し訳なさそうにしている奴に憤りながらも、あたしがこの人を支えなきゃ、なんて悦にひたっていた。それは否定しない。

 まぁあたしも、青かったってこと。


 いまならわかる。

 駄犬はいくらしつけようと、駄犬でしかない。


 奴が、まがりなりにも自分の女に金を借り続けたことを面目ながっていたのは、本当だろう。

 本来ならばあたしが自分で、本や旅行に使えたはずの金を奪っていると、身のおきどころのない、やるせない思いをしていたのも、本当だろう。


 でも。


 それで一刻も早く借金をかえすため、がむしゃらに働き、返し終わるまでは酒もタバコも遊びもやめる。そうはならなかった。


 欲しいゲームがあれば発売日に買い。

 お気に入りの週刊紙、外食、服。

 ほんのたま~にデートの際、もしくはあたしから新たに借金をした直後は、「節約しなきゃな」とかほざいていたものの。

 ふと気がつけば、奴の部屋のごみ箱はコンビニの袋だらけで、読み捨てられた雑誌が床にころがり、ブランドロゴがこれ見よがしについた洋服がクローゼットからはみだしていた。


 そう。あいつは、自分が一番可愛かったってこと。

 あたしと同じように。


 そのことに気づいたのは、実際に別れるよりも随分前だったけれど、馬鹿な男を見極めるための授業料だと思い切れるほど、貸した金はすくなく。いますっぱり別れれば、その金は絶対返ってこないだろう。そう思って踏みとどまった。

 つまり、あの男じゃなくて、あの男に貸したカネに、あたしは未練があったってわけ。


 まぁ実際は、別れをひきのばしたところで事態が好転なんかせず、「実は……」なんて、眉をさげて性懲りもなく馬鹿なことをぬかそうとしたアホ男にそのころ常に持ち歩いていた借用書を叩きつけた。

 そして、その場で金額を確かめさせ、署名捺印(もちろん実印で!)、まずは一回目と、奴の財布から千円残して有り金を(なんと5万5千円も持ち歩いていた!)抜き取り、家からたたき出した。



 ペットは最後まで責任をもって。

 でも、サーヴィスドックくらいにはなるかもと思った犬に食い尽くされそうになったのなら、そんな標語、守る必要なんてない。でしょ?

 そしてあたしはこれで、そんなアホ男からの金を心おきなく待てる時間を、手に入れることができたわけだ。




 報酬が支払われたということは、あの老人が亡くなったということで。

 握り返してきた手でやんわりとあたしの手を押し返して。「ありがとう。でも私は一人で行くことにするよ」と、「そうしないと妻に怒られそうだから」と穏やかに笑ったあの人が、死んだということで。



 その事実に下を向いて膝をかかえることになったのは、あたしもこれでまごうことなき『死神』になったんだと思い知ったのは、浮かれ気分が収まった、だいぶ後のことだった。

誤字脱字修正。続きはストックが切れましたので……一週間に1度更新は頑張ります。

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