あたし
その日あたしは、5通目の不採用通知をマンションの郵便受けの底でみつけた。
デリバリーピザの、やたら赤みがかった写真でうめつくされたちらしや、「これで貴女もスーパーモデル」なんて書かれた、ちっとも綺麗になっているようには見えない女の写真を載せた、美容整形外科のちらしの底に。
一年の休職期間、命の洗濯をへた後の三カ月間の就活の成果が、5通の不採用通知。
5社の、ではない。
面接までこぎつけなかったのなら、その二倍以上あったのだから。
一年と三カ月まで、あたしはばりばり働いていた。
自慢じゃ――はい嘘です。自慢でした。29歳で自分より年上の男女2人をふくむ部下5人を手足のごとく動かし、チーフとよばれていた。
フレックス制ではあったけど、毎日始業時間の朝8時半から終業時間を3時間ほどこえた夜8時過ぎまで。取引先との商談でもあれば午前様。担当エリアが広かったし、本社での会議もあったから、月に4,5回は泊まりがけで出張するという、モーレツサラリーマン。
どのチームよりも数字はあげていたし、直属の上司とはしょっちゅうやり合ってたけど、それより上、社長や常務などのおじさまたちの覚えはよかった。
と思う。
商品知識は他社製品まで誰にも負けないようにしていたし、磨きに磨き上げた営業トークは、あいつが売り場にでれば完売すると言われるまでになり、繁忙期やキャンペーン時期には部下の担当する店舗からもひっぱりだこだった。
正社員で、一番下の役職でも手当はあって、ボーナスもあって。
労働組合が機能している会社だったから、住宅手当や有給なんかの福利厚生も充実してて。
仕事が忙しいから使う暇もなく貯金がたまって。
いま思い返せば、あたしは十分「幸せ」だったのだと思う。
でもね。
ある朝目覚めて。
見慣れぬ天井を見上げ、「あれ、あたしいま何処いるんだっけ?」
酒で前後不覚になるまで酔った翌朝なわけでも、行きずりの恋なんて色っぽい話でもなく、ほんとうに、単純に、出張続きで自分がその日どこに来ていたのか、起きぬけで分からなくなった。それだけ。
それだけで十分だった。
これは、なだめすかして引き留めてくれた上司や、泣いて追いすがった部下をふりきった、報いなのだろうか。
恥をしのんで、古巣に、もうイチナノグラムほどのやる気も情熱も感じられないかつての職場に、戻れという啓示なのか。
いまさらお山の大将が戻る場所などないだろうに。
あたしは不採用通知をぐしゃりと握りつぶし、胃がでてくるほどの深いため息をはいた。
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