ミゼラぶってんじゃねぇ
え~……死者に対する冒涜表現が出てきますが、そういう物語ですので、広い心でお読みいただきますようお願い申し上げます。
「え、マジで? え、ちょっコレ、え?」
死にたての男。というよりたぶんこれ、男の幽霊? もしくは魂と思われるソレは、焦ったようにそう言いながら道に横たわる自分を見下ろしている。
ソレは、横たわる男と瓜二つの外見をしているけれど、3次元にいるのに2次元の様に薄っぺらい。おまけに薄ぼんやりと青白く光っていて、向こう側が透けて見えた。
ソレの口が動くたびに聴こえるその声は、男にしては甲高い気がして、はっきり言って耳触りだけれど、まぁこの状況じゃ仕方ないかもしれない。
なにせ、見下ろしている「自分」は、ナイフを胸からはやして血だまりの真ん中に横たわっているんだから。
「なにこれ。え? マジで何コレ。え?」
あたしもたま~に言っちゃうことあるけど、この「マジで」を連発する人間って、すごく馬鹿っぽく見えるわよね。
「マジっすか? 俺、え? マジで? え、俺、死ぬんスか?」
ついでにいま気付いたけど、この寒いのにこの男、上着、着てないわね。必要ないだろう死神だって黒のダウンコート着ているのに。
どこかの店、例えば男のすぐ後ろにある店の裏口っぽいところから飛び出して来たのかしら?
まぁそこらへんは、警察屋さんが訊きこみとかするか。
馬鹿っぽく「マジで」を連発していた男(の魂)を放置してそんな風に考察していたあたしだけれど。
「マジで、マジ……ぶぇ」
あたしと目が合うといきなりオイオイと泣きだした男に、頭を抱えたくなった。
あぁ~もうっ。
「『死ぬんスか?』じゃなくて、アンタは死んだの。見りゃわかるでしょ。ナイフで胸を刺されて、心肺停止。自立呼吸停止、脈拍なし」
ぼんやりと青く光りながらその場に座り込んで泣く男。それを見下ろす自分の視線がひどく冷たいものになっているのがわかる。
「臓器のすべてが活動を止めて、腐敗していく途中なの。地獄か天国か煉獄か根の国か知らないけど、あちらに行く前にほんのひと時、漂ってる状態」
「マジで、ぅえっ、なん、で……俺、」
泣く男は嫌いだ。
「ちょっとアンタ」
「だって、ぶぇ、な、で、俺が、」
特に自分を憐れんで泣く男なんて、だいっきらいだ。
「アンタには本当にもったいないと思うけど、餞別がわりにあたしの大好きな言葉をあげるわよ」
スカルやクロスなんて言う、いかにもなモチーフのついたごつい指輪をいくつもはめた手で銀髪頭をぐしゃぐしゃとかき回し、幼児のように泣きじゃくる男。
それを睥睨しつつ、あたしは営業時代からお気に入りのコートの裾をこころもち翻し、腰に手をあておごそかに告げた。
「『ミゼラぶってんじゃねぇ』」
「ぶほっ」
言った瞬間、少し離れた位置で壁にもたれかかっていた死神が、噴いた。
「は……?」
言われた本人(本霊?)は、聴こえていなかったのかぽかんとした表情であたしを見上げている。
涙と鼻水で汚れた顔が、実にみすぼらしい。
「ミゼラぶってんじゃねぇって言ったのよ。今更泣こうが喚こうが、無駄なの。アンタはもう完全に、死んでんだから」
「でも、ずっ、なんで俺が」
「死に意味なんてないわよ。死ぬような怪我を負わされたから、出血多量かショックかでアンタは死んだのよ。『なんで俺が』って言ってるけど、痴情のもつれとやらでアンタは刺されたんでしょ?」
高校生がいきなり銃ぶっ放すアメリカに比べればましだろうけど、やっぱり日本も危なくなってるみたいね。かなり幅広の刃物でも、料理用やアウトドア用って銘打てば、スーパーでも買えるんだし。あたしも気をつけなきゃね。
「チジョウの、モツレ……」
「女か男か真ん中か知らないけど、誰かを取り合って争っているうちに、刺されたんでしょ? アンタが取った方か取られた方か知らないけど、相手が悪かったわね。でも引き際をミスッて刺されたのなら、自業自得じゃない?」
ぼんやりと繰り返す男に、どうやら言葉の意味が理解できなかったと判断したあたしは、よりかみ砕いた表現で説明してやった。
後輩にもいたのよね。慣用句や四文字熟語の通じない子が。
特別難しい表現をしているつもりはなかったんだけど、ジェネレーション・ギャップのせいかしら。それともこの男が物を知らないだけ?
多分後者だろうと思いつつ男をみれば、青白く光る自分(魂)の胸と、地べたに横たわる自分(死体)の、ナイフが刺さった胸を交互に見ていた。
「そうだ俺、胸刺され―――くそ、アイツっ」
と思ったら、いきなり飛び起きて走りだした。
「は? ちょっと待ち」
男を止めようととっさに伸ばした手は、するりとその腕をすり抜けた。
向こうが透けて見えるくらいだから実体なんてないのは分かっていたことなのに、それでもなんとなく違和感というか、驚いて。あたしは思わず手を引っ込めてしまった。
その隙に男は数メートル先に走って―――行ったと思ったら、見えない壁の様なものにぶつかって、跳ね返されていた。
「ちょっなんだよこれっ!」
恐らく死神が言っていた、「イソウをずらした」おかげなのだろう。見えない壁の様なものがそこにあるようで、男が叩いたり蹴ったりしているが、摺り抜けることは出来ないようだ。
つまりは、この男をどうにかして死神にそれを戻させない限り、あたしも出ていけないと言うことで。
あたしは大きなため息をひとつついて、「仕事」をすすめることにした。
「そう言うのいいから。落ち着いて。犯人探しもその後の事も、警察に任せときなさい。アンタは他にやるべき事があるでしょ」
「やるべき事ってなんだよっ! 俺殺されたんっ」
後ろから声をかけたあたしに、気色ばんで叫びながら振り返ってから。
「……っていうか。あんた、誰」
不機嫌そうに顔をしかめて、男がそう聞いてきた。
今まで会話していたくせに、ようやくそこに思い至ったらしい。外見や言動から類推できるとおり、生前も今も、あまり頭が回るタイプではないのだろう。
「誰でもいいでしょ。通りすがりのボランティアよ」
「は? ボランティア?」
「そうよ。アンタみたいにふらふらしている魂の、回収のお手伝いをしてあげてんの。で。あっちのスーツの男が本職の回収人だから、」
「魂、回収……リーパーかっ!?」
不毛な会話をさっさと終えるべく、何処から持ってきたのか木箱の上に座り込んでいた死神を手で示せば、男がいきなり大声をあげた。
何故か目を輝かせながら。
「なんでいきなり英語……? まぁそう。死神。大鎌は持ってないし、ぼろぼろのフード姿でもないけどね。だから」
「すっげ! マジすっげ! ちょっ、インスタ……あれ、俺のスマホは?」
さらには興奮したように叫びつつ、ズボンのポケットを探っている。
もう、ため息も出ない。
「ちょっとアンタ、状況分かってる?さっきまで自分の死体見下ろしてオイオイ泣いてたくせに、なにSNSに投稿しようとしてんの?」
「ばっか、お前、こんな機会めったに、ちょ、俺のスマホどこだよ。あんたちょっと鳴らしてくんない?」
助言なんてものは結局、相手がそれを受け取る能力がなければ意味はないんだよ。
昔、先輩営業に言われた愚痴のような言葉がよみがえってくる。あたしは痛み始めた米神をもみながら悟った。
この男は頭が回らないだけではなく、いや、それゆえに現状認識能力もないのだろう。ついでに言えば記憶力も。だから、年末だと浮かれ騒ぐ飲み屋街の裏路地で刺されて死ぬ羽目になったのだろう、と。
「はぁ、もういいわ。ちょっとそこの死神さん。この男、じゃなくてその魂? まぁそれをさっさと回収してくれない?」
話しのまったく通じない相手では、さらに相手に話を聞く気すらなければ、会話は成立しない。続けようとする努力は時間の無駄にしかならない。
そして仕事には期日があり、相手がこんなだからって途中で放り出すほど、あたしのプライドは低くない。
今回は確実にただ働きで終わりそうだとしても。
だから、木箱に座ってスマホを弄っているサボり魔に声をかけたんだけれど。
「ちょっ、あんたなに勝手に話しすすめてんだよ。アイツ捕まえるのが先だろっ」
スマホ探しを中断したらしい男がトンデモ理論を振りかざしてきた。
「はぁ?」
「はぁじゃねぇよ。こう言う場合、俺の恨みを晴らすのがセロリーって奴だろ」
さらには呆れた様な表情でそう続けた男に、こちらこそ思いっきり呆れた表情で訊きかえしてやった。
「はぁ? どこのセオリーよ、それ」
肩をすくめるおまけつきで。
「そりゃ、漫画とか、ドラマとか……あんたも見たことくらいあるだろっ」
「残念ながらないわね。そんな都合のよい話は。見た事があったとしても、やるわけないし」
「はぁあ? なんでだよ」
言葉とともに男が肩を掴んできたが、先ほどと反対に、その手があたしの身体をするっと通り抜けた。
「うわっ!なんだこれっ」
男が何か騒いでいるけど、叫びたいのはこっちよ。感触はないはずなのに、なんかひやっとした。
これ自分にやられても気持ち悪いわ。
「……あたしにアンタの望みを叶えてやる、理由がないから」
「なんでだよっ。あんたボランティアなんだろ!」
摺り抜けられた肩から腕を擦りつつ答えれば、雄たけびが返ってきた。
「ねぇ、いちいち感嘆符つけなきゃしゃべれないの? あたしが今回限りにボランティアするのは、回収作業のお手伝いのみよ。恨み事を晴らすのははいってないわ」
「なんだよそれ……大体こうなったのもアイツが……そうだよあんたっ、俺の代わりにアイツを回収しろよ!」
30年生きてきて、社会人経験もそこそこ積んで。ここまで話の通じない人間にははじめて会った。と思う。ちなみに何事も経験と笑えるほどの胆力はまだない。
「―――一応、参考までに、お聞きしましょうか。どこからそんなトンデモ理論が」
それでも覚悟を決めて超展開した男の話を聞こうとすれば、話しを終える間もなく男はまくしたて始めた。
「俺がせっかく、アリサが迷惑してるって忠告してやったのに、アイツ、いきなり逆ギレして刺しやがった。やっぱみんなの言うとおりだな。アイツ、くずだわ。そんなくずな奴、生きてる価値なんかないだろ? だから俺の代わりに回収すりゃいいじゃん」
こちらが止めないのをいいことに、およそ5分間にわたって垂れ流された男の話しをまとめるとそう言うことらしい。
「……成るほどね」
話しがループしはじめたあたりでそう相槌を打てば、男は煙草のヤニで黄色くなった歯を剥き出しにして、ドヤ顔をしてみせた。
「な? わかるだろ。だから早くあいつを」
「その前に。その『みんな』って、誰よ」
実体がないとはいえ、こんな男に詰め寄られるのは不快以外の何物でもないので。
世界共通の「待て」のサイン、手を身体の前にかざしてそう聞いてやれば、男が虚をつかれた様な表情を浮かべた。
「誰って……みんなは、みんなだろ」
「ふぅん。で、アンタはその『みんな』とやらに頼まれんだ?『あの馬鹿に身の程わからせてやれよ』って?それで逆上されて、刺されて死んじゃったわけだ」
「そう、だよ。俺がせっかく」
「お優しいのねぇ。で、アンタは人気者なわけだ。『みんな』って言うほどお友達がたぁ~くさんいて、しかも代表して言ってくれって頼られてるんだから」
「それ、は」
男の話の中で何度も飛び出す「みんな」という言葉とあいつとやらに対する罵倒を聞き流すうち。あたしの中にたぶんかけらくらいはあった、この男の話を真面目に聞いてやろうか、刺されてお気の毒なんていう同情心は、師走の夜空に消えて行った。
「あら、違うのかしら~?」
色々と思う処はあるけれど、前回の件で懐は十二分にあったまったし、猫たちとのんびりした年末年始を迎えるべく、「大掃除にも気合を入れようかしら」なんて考えながら、炬燵でぬくぬくと過ごしていたのに。
「いや、ホント、すぐすむからさ。ほら、緊急だから、早く」なんて死神に引きずられて、わざわざスーツに着替えて来てみたら、こんな男が待っていた。しかもタダ働き。
「じゃぁその『みんな』ってだぁれ?アンタの脳内仲間? どこかから、例えばネットの中からでも飛んできた指令? 夢でもみた?
んで、お節介にもアンタは、『みんな』がそう言ってるから、僕の言ってることは正しいんですよ~従いなさ~いなんていって、あっさり返り討ちにあったわけだ」
だから少々意地悪な口調になるのも、仕方がないわよね?
「馬鹿じゃない? あぁ馬鹿なのか。じゃぁしょうがないわね。はい死神さん、後はよろしく」
どうやら今まで正面きって馬鹿だと指摘してくれる人が、いなかったようで。しばらくぽかんとした後、怒りか屈辱か、その両方以上の何かで男がわめき始めたけれど、もうあたしの仕事は終わったから。
あたしに男を丸投げして、スマホでゲームまでしていたらしい死神に、仕事を回してあげた。
「いや~、きっついね」
ゲームに集中していたようにしか見えなかったけれど、話しはちゃんと聞いていたらしい。
含み笑いがむかつく。
「なにか意見を言う際『みんな』なんてつける奴は、絶対に信用しない」
鈍い死神にも分かるように、眉間にくっきりしわを寄せてあたしは言う。
「『みんな』をつけさえすれば自分の意見が通ると思っている浅はかさもいやだし、『みんな』言ってるんだから俺が言ってもいいだろう。なんて安易な考えがすけて見えるようで、非常に不快。そんな奴の話を聴く必要もなければ、同情してやる言われもない」
「そりゃご苦労さんでした」
まぁ、こっちがいくら不機嫌になっても、堪えるような死神じゃないのは分かっていたけれど。
「ほら、タダ働きしてやったわよ。さぼってないでさっさと回収しなさいよ」
あとは一刻も早く、猫たちと炬燵の待つ我が家へ帰るべく、死神をせかすあたしだった。
ようやく2人目の回収が終わりました。つぎは閑話をひとつかふたつ挟んで、3人目。