第15話:異変
北の転移門周辺の様子は特に目立った変化はなかった。鈍い赤の雲もここまでは及んでいないようだ。
だが、転移門を離れ、街道へと出たポラジットたちの目に入ったのは得体の知れない現象に怯える人々の姿だった。街道の喧騒は日常の活気に満ち溢れたものではなく、混乱と恐怖の色を帯びていた。
ポラジットたちは人の流れに逆らい、禍々しい空を目指して進んでいった。
すれ違う人の会話をかいつまんで聞くところには、どうやらザラ・ハルス村の公立牧場で襲撃事件があったらしい。
ポラジットの頭の中で、昨晩交わしたハルカとの会話が繰り返された。確か、ハルカたちが請け負った演習任務は――公立牧場が依頼主のものだったはずだ。
ザラの街へ向かう三叉路まで来ると、もう町人の影は見当たらなかった。
ザラ方面への道はザラから派遣された警備軍によって封鎖されている。数名の警備兵が剣と盾を携え、道の中央で立ちはだかっていた。
ポラジットはつかつかと警備兵に歩み寄り、矢継ぎ早に問うた。
「一体何があったのですか? 制圧隊はまだですか?」
小娘に尋ねられたのがよほど気に食わなかったのか、兵は適当にあしらうような態度で答えた。
「あ? 村で襲撃事件だとよ。逃げてきた村人の話だけどな。制圧隊はザラ領主の承認待ちで、待機中だ。嬢ちゃんたちも危ないから、さっさと街に避難しな」
これ以上余計な仕事増やすなよ、と愚痴をこぼす兵。
呑気にぼやく兵に、ポラジットは怒りを露わにした。
「領主の承認など待っていられません。私が行きます」
ポラジットは焦る兵に背を向けた。
「お、おい! 嬢ちゃん! そっちは一般人は立ち入り禁止だ!」
「この非常事態に悠長なことを……。何かあれば、クライアのポラジット・デュロイがその責任を負いましょう。制圧隊の準備が完了次第、兵を出すように、領主に伝えなさい」
自らの名を振りかざして権力を行使する、というのはポラジットの好むところではなかった。が、今は致し方ない。
目の前の小娘が、あの天才召喚士ポラジット・デュロイと知り、動揺する兵をその場に残し、ポラジットたちは村へと急いだ。
(ハルカ……あなたなら私たちが到着するまで持ち堪えてくれる……)
ポラジットは祈ることしかできなかった。
*****
もう少し。
あと少し、というところでポラジットたちの行く手を阻むかのように巨人が立ち塞がった。
「青イ頭、トンガッタ耳、コイツダ……」
「き、教官……」
ポラジットは怯えるシャイナを背に庇い、体の前に手をかざした。
ぽぅと光る手の中に現れたのは一振りの銀杖。先端にある飾りの中央には青い霊石、そのまわりには放射状に広がる金。昼の月と太陽を模したポラジットの愛杖――蒼穹の杖。
「下がりなさい、シャイナ」
相対する巨人は、顔色ひとつ変えず、生臭い息を吐き散らしていた。
身の丈は普通の男性の二倍はあるだろうか。
上半身の盛り上がった筋肉、その肌は褐色で、虚ろな瞳がポラジットたちを見据えていた。
ところどころ抜けた黄色い歯の隙間から涎が滴り落ち、地面を濡らす。獣の皮でできた服はぴったりと体の線を浮き上がらせていた。
両手にはごつごつとした棍棒。その先端には鉄板が打ちつけられている。あれに殴られでもしたら、ひとたまりもないだろう。
おぞましい風貌の巨人はたどたどしく言葉を紡いだ。
「命令、命令。コイツヲ殺ス。魔族ノ女ハ? ドウスル? ……ワカラナイ、マトメテ片ヅケル」
巨人は天を仰ぎながら独りごちた。魔族の女とはおそらくシャイナのことを指しているのだろう。
だが、それ以上に巨人が狙っているのはポラジットだ。コイツダ、と巨人が言っていたのを、ポラジットは聞き逃さなかった。
「カナン!」
「はっ!」
もたもたと足止めなど食らうわけにはいかない。先制あるのみ。
ポラジットはカナンに攻撃を命じた。
カナンは瞬く間に巨人を攻撃の射程距離におさめた。カナンの右手がおぼろに光り、形を変えるーー植物繊維が硬化した、透明で鋭利な細剣へと。
「リーフィ! 足止めを!」
ポラジットは杖を振り、リーフィに指示を与えた。
カナンの胸ポケットから飛び出したリーフィは、背中の羽を広げ、緑の葉の嵐を起こす。細かな葉が巨人の目をかすめ、巨人の視界を奪った。
巨人はぐうぅと鈍い苦悶の声をあげ、ぶんぶんと棍棒を振り回す。だが、がむしゃらに振り回したところで、リーフィの小さな肢体を捉えることはできなかった。
リーフィはいとも簡単に巨人の攻撃を避けると、追い打ちをかけるように棘付きの実の雨を降らせた。
リーフィからの援護を受けたカナンは身を滑らせ、巨人の足元へと到達すると、細剣を一振りした。
「グゥゥッ」
左足の腱を切られ、巨人はがくりと膝をついた。
棍棒を地面に突き立て、巨体を支える。膝をついたままカナンを取り押さえようと、巨人は片手でカナンに掴みかかった。
「遅い!」
身を翻し、巨人の腕の間をすり抜けたカナンは大きく跳躍した。
「リーフィ!」
「キキィ!」
呼び声を聞きつけたリーフィが振りかざしたカナンの細剣の先に、すっと止まる。
するとリーフィはみるみるうちにその姿を変えた。リーフィの髪は蔦となり、身に纏っていたドレスは手のひらほどもある葉へと変貌した。
リーフィが変化を終えた時、カナンの手は青々と茂る蔦や葉に覆われていた。その手に宿っているのは迸る生命力。
カナンとリーフィは一心同体だ。
異世界で朽ちた老木だったカナン。そしてその老木の最後の一葉だったのがリーフィ。
ポラジットは二つにそれぞれの姿と、この世界で召喚獣として生きる運命を与えた。
「お覚悟を!」
カナンが巨人の頭上に右手を叩き込んだ。めりめりと頭頂部に拳が食い込む音が、ポラジットの耳にも届いた。
次の瞬間、巨人の口から、鼻から、目から、勢いよく蔦が伸び、巨人の体を這い回った。それらは互いに絡み合い、縺れ合い……巨人の体の養分を吸収し始めた。
「ギュェエエ!」
道を塞ぐほど大きかった巨人の体は、たちまちしぼみ、小さくなり……終いには骨と皮だけを残すところとなった。
巨人の養分を吸い尽くした蔦はふくふくと膨らみ、蕾をつけると一輪の花を咲かせる。花びらをちぎると血が滴りそうなほど真紅の花を。
「カナン、リーフィ。下がりなさい」
ポラジットは巨人だったものに近寄り、手で触れた。誰の命を受けて自分を狙ってきたのか、その痕跡がないかを調べるためだった。
しかし、手がかりとなるものは何一つ残っていなかった。
ポラジットはふっと息をつき、リーフィに命を下した。
「吸い尽くしてしまいなさい」
リーフィはふるりと葉を震わせると、さらに巨人に蔦を食い込ませた。
養分を吸収され尽くした巨人の体は、ざらりと砂のように崩れ落ちた。そして、握りこぶしほどの石つぶてがその場に残された。
これ以上養分を得ることができないと思ったのか、巨人を覆っていた花は散り、蔦は短く縮み……リーフィは元の愛らしい妖精の姿へと戻っていった。
ポラジットは石つぶてを手に取り、繁々と眺めた。すると、それは光を纏い、ふわりと宙へと溶けていったのだ。
(やはり、召喚獣でしたか……)
胸中に広がるもやを、ポラジットは無理矢理払いのけた。今はそれ以上にすべきことがあるのだ。
「先を急ぎます、シャイナ。嫌な予感がします……」
「あ、は、はいっ! 教官!」
ざわざわした胸騒ぎがおさまらず、ポラジットは胸を押さえた。右足と左足を交互に出すことさえ億劫に感じるほどの焦燥感。リーフィのように空を飛んでいけたらいいのに。
ポラジットはローブの裾に泥が跳ねるのも厭わず、駆け出していた。




