第13話:終焉
「グギギギ……イタイ……イタィイ!」
鳥人は左手で、斬られた翼の付け根を押さえた。その指の間から、ドクドクと赤黒い血液が溢れ出す。
「バハムート……キサマァ!」
その刹那、鳥人の瞳が憤怒で赤くなる。見開かれた目から真っ赤な血の涙が零れた。
鳥人は片翼で、風を起こす。轟音とともに、ハルカの体に風が吹きつけた。
「く……!」
あまりの突風に、ハルカの体は屋根の端まで軽々と吹き飛ばされる。危うく屋根から落ちるところだったが、屋根に白剣を突き立て、なんとか持ちこたえた。
鳥人が起こした上昇気流に乗り、窟鳥が空で渦を作る。
鳥人は金属をこすり合わせたような雄叫びをあげた。その音は高くなり、低くなり――ある種の曲を奏でる。
この雄叫びで窟鳥を操っているのだろうか。
人間には不快なメロディーだが、窟鳥には心地よく感じるのか、悠々と大空を舞っている。窟鳥が群れて飛ぶ様は、まるで波のようだ。大空を寄せてはかえす。
「兄弟タチヨ、食ラエ! 肉モ骨モ残サズ食ライツクセ!」
窟鳥の群れが鬨の声をあげた。
黒剣はおそらく屋根の下に落ちてしまったのか、どこにも見当たらなかった。ハルカの右手の白剣がわずかな日の光を反射する。この群れを剣一本で迎え撃たなければいけない。
バササ、と窟鳥の群れが高度を落とす。
「無刃……一閃っ!」
風に押し負けないよう、強く屋根を蹴る。ハルカはより大きく剣を振り切った。真空の刃が群れの中へと吸い込まれ、窟鳥の鮮血が空を染めた。
ハルカは体に迫りくる窟鳥を避け、打ち払う。
「サクラ! 頼む!」
「分かってる! 炎之矢!」
サクラの火矢が窟鳥を焼き払う。火にたじろいだのか、窟鳥の猛攻に一瞬の隙ができた。鳥人に近づくのは今しかない。
後方からはサクラの火矢、前方からは鳥人の羽。
ハルカと鳥人との距離が狭まる。
「サセナイ!」
鳥人の翼から一際大きな羽が一枚、ハルカめがけて放たれた。
「うっ!」
それはハルカの右肩に深く刺さった。剣を取り落としそうになるが、痛みに耐え、さらにきつく柄を握る。
(身を裂かれても構わない。窟鳥を、羽を……叩き斬る!)
「何度も同じ手は通用しねえんだよっ!」
ハルカはさらにスピードを上げて、屋根を駆けた。一歩の幅がぐんと広がる。
鳥人は明らかに狼狽えていた。以前よりも飛んでくる羽の軌道が甘い。片翼を失ったこともあるだろうが、それ以上に怯えが見えた。食ってやる、と息巻いていた鳥人はもうどこにもいない。
司令塔が鈍ると、自然と周りの動きも覚束なくなる。統制が取れていたはずの窟鳥たちだったが、思い思いの方向に逃げ始めていた。ハルカは一気に鳥人の懐に飛び込む。
「クタバルノハ、オ前ノ方ダ!」
間合いに詰め寄ったハルカを、鳥人は両腕で掴み、持ち上げた。ハルカの腰のあたりを目一杯締めつける。
ミシミシと骨が軋む音がした。ハルカは逃れようと懸命に手を振り回すが、鳥人の腕は一向に緩まない。ばたつく足が、虚しく宙をかく。
「コノママ締メ殺シテヤル……!」
鳥人のぎらつく瞳がハルカを見据えた。ハルカは痛みに歯を食いしばる。
「だから……これでも俺は最強の召喚獣なんだって……言ってるだろ!」
ハルカは右肩に刺さった羽を力一杯引き抜いた。ブチッ、と肉が裂ける音。ハルカは羽を掴んだ左手を大きく振りかぶった。
そして、その羽を、鳥人の影に狙い撃った。
「ギヒャ!」
真っ直ぐな軌跡を描いた羽は、鳥人の影に突き刺さった。鳥人の片翼から血が吹き出る。
ハルカを締めつけていた腕がほんの少し力を失った。
(……今だ!)
ハルカは両足で鳥人の腹を蹴りつけた。それでも鳥人はハルカを離さない。
足を踏ん張り、そのままの体勢で、ハルカは剣を逆手に持つ。両手で柄を握り、鳥人の頭上に剣を振り上げた。
「これで……終わりだ!」
振り下ろした剣は鳥人の眉間にズブリと沈み込む。
「ヒッ……!」
鳥人がその目を見開いた瞬間――鳥人の体は無数の白い羽に姿を変えた。
ハルカの体を支えていた力がふっと消える。
重力に引き寄せられるまま、屋根に着地したハルカは、それらを見つめながら呆然と立ち尽くしていた。空を埋め尽くすほど飛び交っていた窟鳥は散り散りになり、空を覆い尽くしていた群れの影は薄らいでいく。
西に傾きかけた太陽が青空を照らす。白い羽は西日で金色に見えた。
「黒い羽?」
ひらひらと一枚の黒い羽がハルカの手の平に落ちる。アゲハ蝶のように優雅に。
この羽が鳥人の本体なのかもしれない。ハルカと同じように、どこかの世界からやって来て、闘うために魂と姿を与えられた哀れな羽。
もしも主人が違えば、もしかしたら違う生き方ができたかもしれないのに。
ハルカは優しく黒羽に語りかけた。
「好きなところに行けよ。お前はもう自由だ」
ふっと手の平に息を吹きかけると、黒い羽は空へ舞い上がった。そしてぽうっと光に包まれ……霧散した。
(いつか俺もこんな風に、この世界から消えるんだろうか)
そんなことを思いながら、ハルカは空を見上げた。
*****
「応急処置」
貧血気味で千鳥足になりながら、なんとか屋根から下りたハルカを待っていたのは……ルイズの説教だった。
「俺だって一人で窟鳥とやりあって疲れてるっての。てめえは余計な仕事増やすんじゃねえよ。大体、考えなしに突っ込みすぎなんだよ。なんだ、この生傷の数はよ!」
唯一魔法を使うことができるルイズがハルカの傷の治療にあたる。
「ルイズ、私が悪い。援護不足だった」
「だあああ! サクラはこいつに甘いんだよ! 肉を切らせて骨を断つってのは最後の手段だ。最初から飛ばしまくってどうすんだよ!」
(まあ……俺が考えなしだってのは全面的に同意する、かな)
ハルカはそんなことを思い、明後日の方角に視線をやり、ぽりぽりと頬をかいた。
愚痴をこぼしながらもルイズはハルカの傷に手をかざし、手際よくそれを塞いでいく。血はすっかり止まり、痛みもほとんどなくなっていった。
「サンキュ。悪かったよ」
「……ほんとに分かってんのかよ。とにかく、俺がしたのは応急的な手当てだけだ。すぐ学園に戻って、医務室で治療してもらえ」
管理所の戸口で座り込んでいたハルカたちは、ルイズの一言で立ち上がった。そして振り返る。
ぼろぼろの木の扉……この先にいるはずのルドルフト。
自分たちはこの目で確かめなければならないのだ。たとえほとんど希望が残っていなくても。
ハルカは二人を制し、扉の前に立った。
「確かめてくる」
出入り口に二人を待たせ、ハルカは軽く扉を押す。ぎいと軋みながら、扉は開いた。
ハルカは部屋の中を真っ直ぐ進み、机の前に立つ。薄暗い室内の奥にいたのは、変わり果てたルドルフトの姿だった。
ハルカたちと最後に別れた時と変わらず、ルドルフトは椅子に背をもたせかけていた。ただし、絶えず食べ物を貪っていたルドルフトはどこにもいない。
手は力なく垂れ、瞼は固く閉ざされていた。腹部には黒くなった血の跡。
苦しかっただろうか。それとも苦しまずに逝けただろうか。苦痛を感じずに逝けたと思いたかった。
「助けられなくて……すまなかった」
ハルカはルドルフトの亡骸を前に目を瞑り、祈った。もっと強くならないといけない。誰も傷つかないように。
二人のところへ戻ろう。そして今度こそ学園に帰ろう。
ハルカは立ち上がり、ルドルフトに別れを告げ、踵を返した。ゴミのない小道をたどって歩く。開きっぱなしの扉の向こうにはサクラとルイズが神妙な面持ちで立ち尽くしていた。
その時……ハルカの背後から地を這うような声がした。
「これだから若造は。詰めが甘いんだよ」
――それはまるで、最後通告。
首を返した先には、椅子で反り返ったまま銃を構える、ルドルフト。
「ルド……」
「第五元素銃よ……世界を乱すものに裁きを」
銃口から黒い光が放たれた。




