第12話:同類
走る、走る、走る――。
ハルカたちはひたすら走った。
ルイズに操られている窟鳥は全体の半分だったはずだが、今では敵側の数が上回っていた。
どこからか窟鳥が新たに飛んできている。群れをなしていない窟鳥が点々と空にシミを作っていた。今、ハルカたちはその窟鳥を辿っているところだ。
右へ左へと、村の入り組んだ路地を抜け、ルドルフトのいる牧場管理所の前に辿り着いた。
「そんな……」
管理所の屋根や壁全体に窟鳥がひしめき合っていた。ここが新たな自分たちの巣だと言わんばかりだ。
窟鳥たちが嗤う。ガバッと口が裂け、喉にある目がニヤリと三日月をかたどった。ゾロリと不揃いに並んだ歯には脂ぎった肉片がこびりついている。それはまだ新鮮な血を滴らせ、口元をてらてらと濡らしていた。
「ハルカ、もしかしてルドルフトは……」
サクラが言ったことと、同じことをちょうどハルカも思っていた。それは一番考えたくないことだった。
(遅かったのか? ルドルフトはもう食われてしまったのか?)
動けないルドルフトは格好の餌だったに違いない。それにあの巨体だ。一体何匹の飢えた窟鳥の腹を満たしたのだろうか。
ハルカは唇を噛み、そこから血がにじんだ。ハルカの口の中に血の味が広がる。
(……俺たちは牧場も村も、依頼人さえ守れなかったのか?)
その時、一羽の大きな魔物が屋根の上に降り立った。
正確には鳥ではない。翼の生えた……人だ。
「窟鳥を操っているのは……お前か!?」
ハルカは鳥人に問いかけた。鳥人はクルリと声のした方に向き直ると、右左と首を傾げた。
灰を被ったみたいなくすんだ髪、目は白目と黒目が逆転している。
白蝋のような、病的な顔に張りついている薄気味悪い笑み。
口元にはついさっきまで食事をしていたのか、真っ赤な血がついている。凶悪な風貌と裏腹に、羽の色は純白。身に纏っているのはぼろ切れの腰布一枚だ。
骨ばかりのひょろりとした体に巻きついたそれは、風にあおられ、はためいている。
「腹ガ減ッタ。腹ガ減ッタ。兄弟モ腹ペコ」
キシシ、と笑いながら、鳥人は片言の人語を喋ると、腕でぐいっと口の周りを拭った。
問いかけを理解しているのかどうかは定かではない。ただ、牧場の牛やルドルフトを襲ったやつだ、ということだけはハルカにも分かった。
こいつを倒さなければ終わらない……ハルカとサクラは身構えた。
「マダマダ足リナイ。腹イッパイ、ナラナイ」
「そうか、安心しろ……」
ハルカは両手の剣をきつく握りしめた。後ろのサクラが矢をつがえる。
「じきに飢えも渇きも感じないようにさせてやるからな!」
ハルカは全速力で小屋まで走り寄り、扉側にある台車に飛び乗る。
ハルカの動きに合わせ、サクラが扉の上にある大きな看板めがけて矢を放った。狙いは……看板をつるしている金具だ。
錆びた金具に矢が命中すると、支えを失った看板が加速しながら真っ逆さまに落ちてきた。
ガンッ、と看板が台車の手すりにぶち当たる。反動で、ハルカの足元の板が跳ね上がった。
その勢いで、ハルカの体は一気に宙へと放り出される。
「餌、見ツケタ!」
鳥人が背中の翼をぶわっと煽る。何枚もの白い羽が、翼から放たれた。
ハルカの身を貫かんばかりの勢いで、羽が迫り来る。ハルカは剣で羽を打ち落としていった。
地上からは、サクラが援護した。サクラの矢が、ハルカが落とし損ねた羽を射抜いた。軌道を変えられた羽は鈍い音とともに屋根に突き刺さる。
その時、避けきれなかった羽が、ハルカの頬を裂いた。鋭い刃と化した羽は容赦がない。ハルカの頬から一筋の赤が伝い落ちた。
ハルカは羽の雨をかわしながら、屋根に着地し、鳥人と対峙した。近くで見ると、ますますその容貌は不気味だ。
異様に背が高く、鳥人はハルカを見下ろしながら舌なめずりをした。
「旨ソウナ血ノ臭イ!」
「行く!」
ハルカは一息で鳥人との間を詰める。鳥人は翼を広げ、大きく後ろに飛びのいた。
「モット、モット、血ト肉ヲ!」
鳥人の叫びに応じて、またもや羽の雨が降る。
「そんなに欲しいなら、自分で取りに来い!」
ハルカは鳥人の攻撃に、真正面から突っ込む。剣を振り、羽を打ち払いながら鳥人に近づいた。放たれた羽が体を切り刻む。髪も、服も、皮膚も引き裂かれた。
(だけど、これくらいなんてことない……!)
「はあぁぁぁっ!」
剣の間合いまであと一歩――鳥人が顔をしかめた。
だが次の瞬間、鳥人は口の端を歪め、キシシとおぞましい声で呟いた。
「影縫イ」
「く……ぁ!?」
ハルカの体は急に金縛りにあったかのように動かなくなった。
つんと後ろから髪の毛を引っ張られる感じに似ている。前へ進みたいのに進まない。足が地面に張りついて動けないのだ。
かろうじて動くのは首だけだ。ハルカは斜め下――足元を見る。そこに刺さっているのは、真っ白な羽。羽がハルカの影の輪郭を地面に縫いつけていた。
「……離……せ……!」
いつの間にか鳥人はハルカの眼前に詰め寄っていた。そしてハルカの耳元でそっと囁く。
「キシシ……キミハ最弱ノ召喚獣ジャナイカ。バハムートハ最強ジャナクチャイケナインダヨ」
ゾクリとした。
ハルカの腕に鳥肌が立つ。鳥人は自分と同じ臭いがしたのだ。
(こいつ……同類だ)
「お前……召喚獣か」
「バハムートヲ食ラエバ、コノ飢エモ渇キモ満タサレル……キシシ」
どんなに巧妙に隠しても、召喚獣の気配だけは隠せない。アーチェと一体化したあの時から、それが分かるようになっていた。
この世界にある元素の組成とは異なる物質からなる生物――召喚獣。
そして、アーチェから教わった「元素を断つ力」を得るにつれ、召喚獣の存在の異質さを感じ取れるようになっていた。
鳥人が背の羽を一枚もぎ取り、ダーツのように放り投げた。それはハルカの脇をかすめ、影の左手に突き刺さる。
影に刺さったはずなのに……ハルカの左手に耐えがたい痛みが走った。
「うあああああ……っ!」
屋根板の一枚がハルカの血で真っ赤に染まった。体は動かないが、左手の感覚が痺れ、次第に遠のいていく。ハルカの手から黒剣がすり抜け、カランと落下した。
「左手が……」
「君ヲ傷ツケレバ影モ傷ツク。影ヲ傷ツケレバ君モ傷ツク……」
そう言うと、鳥人はさらに羽をハルカの影に突き立てた。
右の上腕、右の太腿、左の足首。
影を傷つけることでハルカの傷も増えていく。立っていられないほど痛みにも関わらず、体が動かず、膝をつくことができない。それがより一層、ハルカに痛みを感じさせた。
鳥人がハルカの髪を引っ張った。首が反りかえり、無防備な喉元が露わになる。
鳥人がジュルリと音を立て、ハルカの首を舐めた。ザラザラとした感触にハルカは身震いした。
「大丈夫。残サズ皆デ食ベルカラネ……!」
耳まで裂けたのかと思うくらいに、鳥人はあんぐりと口を開けた。その奥には窟鳥を思わせる目。真っ赤な目と、視線が交わった。
「させない!」
その時、サクラの矢が鳥人の腕に突き刺さった。瞬間、鳥人の動きがとまる。
「ハルカを、離して!」
屋根の下からサクラが次の矢をつがえ、鳥人に狙いを定める。
「邪魔ヲスルナ! 獣人ガ!」
鳥人が左右いっぱいに翼を広げた。
(このままじゃ、サクラが羽で切り刻まれちまう!)
「ふ……ざけんなっ!」
唯一動く首。
ハルカは首を勢いよく振り、鳥人に頭突きした。
ヒッと短い叫び声をあげて、鳥人は二、三歩ふらふらと退いた。
「樹之矢!」
ハルカの影にサクラの矢が刺さる。
サクラの声と同時に、矢から蔦が生え、影を縫い留めていた羽を抜く。
ようやく自由になれたものの、負った傷は浅くはない。ハルカは立っているのがやっとだった。
前へ進もうと足を踏み出すも、体中を突き抜けるような痛みで顔が歪む。
バハムートハ最強ジャナクチャイケナインダヨ。
鳥人の言葉がハルカの耳に焼きついて離れない。
(そう、俺は最強の召喚獣、バハムートとして召喚された――)
痛みは消えないが、足を前に出せば体は動いた。
左手の痺れは取れないが、右手なら剣を握れる。
(俺はまだ前へ進める……!)
「俺はなぁ、これでも最強の召喚獣なんだよ!」
ハルカは再び剣をとる。
よろめく鳥人に飛びかかり……右手の白剣を振り下ろした。
「キィアアアァァァァァ!」
ぼとりと落ちたのは白。
あたりに純白の羽が飛び散った。雪のように降り注ぐそれは幻想的にも見えた。
ハルカは鳥人の片翼を、切り落としたのだ。




