第9話:掃討依頼(中編)
ゴミ、ガラクタまみれの床には一切ゴミが落ちていない場所もあった。それは獣道のようで、こんなところにもやって来る客がいるのだということを物語っていた。
散らかった室内とは対照的に、机の上は意外と整然としている。印鑑やら羽根ペンやら、事務作業に必要なものは一式揃っているようだ。
机の向こうのゴミ山――依頼人の格好はひどいものだった。
上半身は素っ裸で、これでもかというくらいに厚い肉の層がその身を覆っている。下半身に身につけているのは薄汚れた下着のみ。
弛んだ肉のせいで、一見すると下着すら履いていないのではないかと錯覚してしまうハルカだった。
腰のあたりにある細い下着の紐が見えなければ、ハルカは完全に裸だと勘違いしてしまっていただろう。
「悪いな、ここまで入ってもらって。初めて来たやつはちょっとばかり臭いが気になるみたいだけど」
依頼人は腹の肉を波打たせ、言葉を続けた。
「俺はちっとも気にならないんだけどよ。これでもさ、客は来るんだ。一応、公立の管理所だからね。許可をくれだの、サインをくれだの。まあ、仕事関係のやつらばかりだがな」
ハルカの目には依頼主は笑っている、ように見えた。が、本当に笑っているのか、確信は持てなかった。
笑い方がまた微妙なのだ。薄暗い室内と濃い前髪と髭のせいで表情は判別できない。だが、ヒィヒィと空気が漏れているような声を発しながら、肩が不規則に揺れていた。
獣人族であるにも関わらず、依頼人はこの部屋の環境に馴染んでしまっているようだった。ここでの長い生活のせいで、獣人族としての野性がすっかり鈍っているのかもしれない。
ハルカは依頼内容が書かれた書類をポケットから取り出した。
「あの、これにサイン、いただけますか」
「いいとも。机の上に公立牧場の印鑑があるんだ。それでもよければ勝手に押していってくれよ」
依頼人は机の上にある、一際大きな判子を指差した。ハルカは失礼しますと一言断り、書類に判を押した。
「今回の依頼内容は窟鳥の駆除ということですが。依頼人のあなたに……」
「ルドルフト・ルドルだ。好きに呼んでくれ」
「ではルドルフトさん。具体的にどのような被害があったのか教えていただけませんか?」
鼻の詰まった声でハルカは問いかけた。臭いを吸い込まないように口呼吸をしているのだが――それもあまり効果はなかった。
「村はずれにある牛舎でな、最近牛が襲われるんだな。夜の間に飛んできて、牛の血を吸っていきやがる。いっぺん見張りを雇ったんだが、なんせ窟鳥の数が多い上に、窟鳥の繁殖期だろ? 結局手出しできんで、また牛がやられちまった」
ルドルフトは腹の上に紙袋を置いた。話の合間にもかかわらず、袋に手を突っ込み、中から蒸しケーキを取り出した。
「どうも話すだけでも体力を使うもんでな。食べなきゃやってられんのだわ。
そうそう、その見張りのやつだけどな、窟鳥の撃退には失敗したんだが、やつらの寝ぐらを見つけたんだってよ。牛舎を東に行ったところにある森の洞穴によ、巣を作ってやがった。
とにかくこれ以上牛がやられると、乳の出荷に支障が出るからな。お前さんらになんとかして欲しいわけだ」
ぺろりと蒸しケーキを平らげたルドルフトは、空になった紙袋をクシャクシャに丸め、ぽんと床に放り投げた。
事情を聞いてしまえば、もうここには用はない。ハルカは自然と早口になる自分を抑えることができなかった。一刻も早くここを立ち去らなければ、身が持たない。
「分かりました。こちらが依頼を完遂できましたら、依頼報酬は学園からお聞きいただいている指定金庫に振り込んでください。では失礼します」
ハルカは一息でこの長台詞を言い切ってのけた。ハルカの今までの人生――といってもほんの十八年だが――で一番の早口だった言っても過言ではない。舌を噛まずに言い終えたことにハルカはささやかな満足感を感じていた。
兎にも角にも、これで事務的な手続きは完了したのだ。ハルカはくるりと踵を返し、足早に管理所を後にしようとした。
「そうだ、お前さん。ちょっと待ってくれ」
「何か?」
つい突き放したような言い方をしてしまうハルカを、ルドルフトは気にすることもない。
……いや、ただ単にハルカの態度に気づいていないだけかもしれないが。
「まだお前さんの名を聞いてなかったよな?」
名前。ハルカはしばし躊躇った。だが、名乗らないわけにもいかない。ハルカはゆっくりと重い口を開いた。
「ハルカ・ユウキです。さっきの竜騎族がルイズ・マードゥック、獣人族がサクラ・フェイ」
「ハルカってどこかで聞いたこと……あぁ、あの出来損ないの召喚獣。君がそうなのか」
生え放題の眉の奥、今まで好意的だったルドルフトの瞳が一瞬で軽蔑の色を帯びた。
「ちゃんと仕事、やってくれるんだろうね。少しでも窟鳥が残っていたら報酬はないよ」
「分かっています。では失礼します」
ハルカはは奥歯をぐっと噛み締め、管理所を飛び出した。
あんな目は慣れっこだった。だいぶ少なくなってきたものの、この世界に来てから、ハルカをそういう目で見る人もいた。
さっきまで優しかった人が、ハルカの正体を知った瞬間に冷たくなる……それは往々にしてあることだった。
「大丈夫か」
「……ルイズ、サクラ」
腐りかけた木の戸口の側で、ハルカは唐突に声をかけられた。そこには、腕を組んで立っているルイズと心配そうにハルカを見つめるサクラの姿があった。
「ハルカ、嫌なこと言われてた」
ハルカはふっと笑みをこぼすと、ぽんぽんとサクラの頭を撫でた。
「大丈夫だよ。嫌味ならルイズから言われ慣れてる。気にしてねえよ」
「俺を引き合いにだすんじゃねえ! そうじゃなくてだなあ……」
ルイズはもごもごと何か言い淀む。
「なんだよ、はっきり言えよ、気色悪いな」
「俺様ほど優秀なら人に文句言ったって構わねえんだよ! ただなぁ……さっきの依頼人みたいなやつに言いたい放題言われるのは気に食わねえんだ」
思いがけないルイズの一言。ハルカは目をまん丸に見開いた。
「くっ……くくく」
笑っちゃいけない、笑っちゃいけない。ハルカは懸命に笑いをこらえた。
だが、あまりにもルイズらしくない。まさかルイズが自分にそんな風に言ってくれると思わなかったのだ。ハルカの中で可笑しいと思う気持ちと嬉しいという気持ちが綯い交ぜになる。
「なんだよ、笑ってんじゃねえ!」
ルイズがハルカの肩を小突いた。結構な力だ。ハルカはふらりとよろめき、転んでしまいそうになった。
それでもハルカの笑いは止まらなかった。
*****
太陽がやや西に傾きかけた十五の刻。
村で昼飯を食って腹ごしらえを済ませたハルカたちは、ルドルフトが言っていた窟鳥の巣の前にやって来た。
窟鳥は夜行性だ。まだ日が高いうちに奇襲をかけるのが得策だというのがルイズの意見だった。
薄暗い針葉樹の森の奥、剥き出しの岩肌にぽっかり黒い穴があいている。周りには生き物の気配はない。おおかた、小鳥や小動物は窟鳥の餌食になってしまったのだろう。
「おい、ここでいいのか」
「ああ。間違いない」
ルイズが右手を宙にかざす。柔らかな光とともにルイズ愛用の竪琴が現れた。白金のそれは音もなくルイズの手におさまる。
「日の入りは十八の刻。それまでに片付ける」
サクラが天を見上げ、呟いた。
そして襷がけにしていた革ベルトを外す。ベルトにつけていた弓を手に取り、弦音を確かめていた。
サクラは音を確かめ、うん、と小さく頷く。腰には木を削っただけの矢筒がぶら下がっていて、中にはぎっしり矢が詰まっていた。
ハルカは腰元の二本の剣を引き抜いた。
右手には白の、左手には黒の剣。刀身はハルカの上腕ほどの長さ。
双剣《陰陽》。
無刃流を一通り習得し終えた時、ハルカが師匠アーチェ・アメルから受け取ったものだ。
「準備はいいか。行くぞ」
リーダーのルイズの一声。
ハルカたちは洞窟へ足を踏み入れた。




