第7話:成績表
ルイズは自分の目を疑った。
(あれだけ俺にパーティーに留まるように説得した挙句、強引にリーダーに仕立て上げたくせに……!)
「どうして誰もいねえんだよ!」
ルイズは堪らず大声で叫んだ。
学園の中庭、ルードの花が咲く花壇の前で放課後、例の二人と落ち合うことになっていたのだ。
一人むなしく花壇の前に腰を下ろすルイズを嘲るかのように、黄色い花が揺れた。
中庭で待ち合わせをしているパーティーは多い。ルイズの目の前で次々と人が入れ替わっていく。待ちぼうけを食らっているのはルイズだけだった。
「時間! 厳守しろよ!」
大空に向かって叫ぶ。
ほとんどのパーティが去った後、ようやく不本意ながら仲間となってしまった少年が近づいてきた。
「ルイズ、悪い! 待たせた!」
顔面で手を合わせながら、ハルカはルイズの前で謝罪した。日の光を反射して、ハルカの黒髪が艶めく。そんなところもいけすかない。
「遅くなった。レポート一つ提出し忘れててさ」
「ふん、そのまま忘れて落第すればよかったんだ」
「ルイズ、お前なぁ!」
冗談抜きで落第してしまえばいいのに。ルイズは心の中で呟いた。
「おい、サクラはどこだ? いつもお前の後ろで金魚の糞みたいにくっついてるやつなのに」
「あ、サクラ、遅れるってよ。ルイズに謝っといてくれって」
「……ちっ」
舌打ちだってしたくなる。無駄は少しでも省きたかった。
それから無言でルイズはハルカに手を差し出した。ハルカはその手をぎゅっと握り返した……。
「って! 違えよ!」
「え、手ぇ出すもんだからてっきり……」
(こいつ、俺から嫌われてるってちゃんと分かってんのか!? 異世界人ってのは、アイルディアの人間と精神構造から違うんじゃねえの!?)
ルイズはあきれてものも言えなかった。ため息をつくルイズをよそに、ハルカは冗談の通じないやつだなあと独りごちている。その手の冗談は、ルイズが最も苦手とするものだった。
ルイズが手を差し出したのは、ハルカの手を握りたかったわけではない。
今日この場に集まったのは、成績表を持ち寄り、互いの得手不得手を把握するという目的だった。パーティー戦闘でまず重要なのは、それぞれの能力を活かした役割分担だ。
「成績表、持ってきてんだろ」
「ああ、成績表か。もちろん」
ハルカは胸ポケットから赤茶の革張りの学生手帳を取り出した。ルイズはそれを受け取り、手帳の巻末にある成績欄を開いた。初級、中級、上級……三年間の成績が書き記されている。
「……って、これは……」
よくこれで進級できたな……ルイズはごくりと息を呑んだ。どの科目も五段階評価の二。ハルカの成績がここまで悪いとは、ルイズはまったく思っていなかった。
「ん? 剣術だけ五なのか」
「ああ、それだけはな。ポラジット……じゃなくてデュロイ教官の知り合いから剣の指南受けたことがあって。……そのおかげ」
ルイズはハルカの得意科目が剣術だということは知っていた。だが、最高評価をもらうのはそう簡単なことではない。
「お前に向いてる、っていうよりはお前は無刃流しか扱えないってことだろうな」
この世界で、あらゆる物事を構成するのはは四つの元素――天、地、光、闇――だ。魔法も四元素の組み合わせから生まれる。
そして剣術には五つの流派がある。それぞれの元素を活かした四つの流派が主流だが……無刃流は五つ目の流派、元素を使わない流派だ。
「無刃流って、元素関係ないからさ。俺でもなんとかなった」
「そうか、じゃあ剣術メインでお前は前衛確定だな。そしてさっさと魔物に食われてしまえ」
「うるせえなあ……そういうお前はどうなんだよ!」
ハルカが強引にルイズの胸ポケットに手を突っ込んだ。やめろこのバカ、と身をよじるルイズから学生手帳を奪うと、すぐさま成績のページを探す。
「この俺様に無断で触れ、さらには俺のものを勝手に取るなんて……この野蛮人っ!」
手帳を取り上げたハルカは食い入るようにルイズの成績を見ていた。
そして次の瞬間……ルイズが予想もしなかった反応が返ってきた。
「お前、すげえな! ほとんど四じゃねえか!」
「え……ま、まあな」
それはルイズが思い描いていたものとはまったく違う反応だった。
ハルカは心底ルイズを「すごい」と思っているようだった。その証拠に目の輝きがいやに増している。本気で尊敬の眼差しを向けられたルイズは、かえって戸惑うばかりだった。
「いや、お前は俺が今まで会った人間の中で一番嫌なやつだけどさ。これはすげえよ!」
褒められてる気がしない……が、ルイズは不思議と悪い気はしなかった。
「なあ、援護術だけ五だな」
「ああ、それか。別に援護全般が得意なわけじゃないけど……奏争術が評価されたんじゃねえのかな」
「そうそうじゅつ?」
「お前、本当に剣術以外に興味ねえんだな」
ルイズはため息をついて、花壇側のベンチに腰掛けた。
「それより、あいつまだかよ! サクラのやつは!」
「呼んだ?」
「うあっ!」
我慢の限界を迎えつつあったルイズの背後からサクラがにゅっと現れた。あまりの唐突さに、ルイズの心拍数が急激に跳ね上がる。
「遅くなってごめん、ルイズ」
「本当に申し訳ないって思ってるのかよ」
表情一つ変えないサクラにルイズは再度舌打ち。サクラはサクラなりに、精一杯謝罪したつもりなのだが、ここでも誤解を招きやすい性格のせいか、あまり伝わっていなかったようだ。
「お前も。早く成績見せろよ」
「分かった」
サクラがおずおずと学生手帳をルイズに差し出す。ルイズはさっとそれに目を通した。
そんなに成績自体は悪くない。狩猟民族だからか、弓術や銃器術といった遠距離系の術は高成績をおさめていた。
一般教養も申し分ない。むしろ優秀だ。
それでもサクラの総合成績が伸び悩んでいるのは、ひとえに魔術のせいだった。しかし、それは魔法を使えないサクラにはどうしようもないことでもあった。
獣人族は、魔術回路を組み込んだ器具で擬似的に魔法の訓練をするものの、やはりそれでも魔法を使うのは困難であるらしい。
ルイズはパタンと手帳を閉じ、踏ん反り返って二人に指示した。
「とりあえず、前衛はハルカで、俺とサクラは後衛だな。問題は魔法なしで戦術を組み立てなきゃいけねえってことだ」
「ルイズは魔法使えるんだろ? お前一人に任せるのは悪いけど、魔法はお前に頼るしかねえんじゃないのか?」
ルイズは眉間に皺を寄せ、肩をすくめた。
「俺が奏争術を使っている間は魔法は使えない。気が散れば術は失敗だ」
「そうか……。ゴリ押ししかねえかな」
前衛のハルカがどれだけ敵を引きつけられるかに、このパーティーの存亡はかかっている……ルイズの頭の中は、いかに効率よく敵を倒せるかということでいっぱいだった。
「これ」
またしても唐突にサクラが口を挟んだ。ルイズとハルカが話し込んでいる間を割って、サクラがずいっと一枚の紙を突き出す。
「何だ?」
「掃討依頼……?」
「そう。教務課から受けてきた。実践試験の訓練用依頼」
依頼書に書かれている内容――「牧場ヲ荒ラス窟鳥ノ掃討」とあった。
ルイズは束の間、フリーズした。これはどういうことなのか。
「……って俺に一言も相談なしに勝手に依頼受けてくるんじゃねえよ! 依頼ってのはある程度、完成したパーティーが受けるんだよ! 俺たちはまだ準備段階だっての! 今すぐ取り下げてこい!」
「嫌」
「嫌だじゃねえ!」
「いいじゃん、荒療治ってやつ?」
「お前もサクラを止めろ!」
早くもルイズは頭を抱えた。
(誰かこいつらを止めてくれ!)
すっかり乗り気になっている二人だ。ルイズが何を言っても……聞く耳持たないに違いない。
「ルイズ、大丈夫。魔法を使えないからといって指をくわえていたわけじゃない。今回、こんな依頼を受けたのは試したいことがあるから」
「試したいこと、って何だよ」
「それは、内緒」
「内緒ってなあ! そういうの困るんだよ!」
サクラの協調性のなさにルイズはすべてを投げ出したくなった。敵の手の内どころか味方のことも分からず、どう戦えって言うんだ。
「ルイズ、きっとびっくりする」
次の瞬間、ルイズは世にも恐ろしいものを見た。
(サクラが……笑っている……!)
それは可憐な笑顔などではない。口の端を吊り上げ、ニヤリとする、サクラは妙に迫力があった。
ルイズの背筋に怖気が走った。普段無表情な人の笑顔というのはこんなにもおぞましいものなのか、と。もっともこれを笑顔と呼んでいいのかどうか怪しいところではあったが。
「お、サクラが笑うなんて! 相当自信あるんだな!」
ハルカはサクラの笑顔を見ても怯む様子もない。それどころか満面の笑みを浮かべ、なぜか満足げだ。
「まあ、窟鳥くらいなら下級の魔物だしな……最悪、魔法使わなくても片付けられるか……。今回はこの依頼、受けてやるけど、今度からお前ら、勝手に行動すんなよ」
「分かった」
「了解」
ルイズは依頼書にもう一度目を通した。依頼場所はザラの街北東にある、廃村だ。
受けた依頼はなるべく早く片付けるほど、報酬が上乗せされる仕組みになっていた。ちょうどいいことに、明日は安息日だ。サクラの「奥の手」とやらもルイズは気になった。
「明日、十の刻。ザラの転移門に集合。制服で来いよ」
ハルカとサクラは妙に気合の入った様子で頷いた。
前途多難とはこのことだ。初依頼で浮ついている二人を尻目に、ルイズは肩を落とした。




