第1話:三年後(前編)
三〇五七年 五月
「連合軍総司令官、ダヤン・サイオスは究極召喚に失敗し、われわれ連合軍は帝国軍に敗れることとなったのです。帝国軍部は国際会議で講和に際し、三つの条件を提示しました。三億ゴルドを毎年、五月に支払うこと。北方大陸における帝国支配を認めること。そして、当時の連合国総統コーデリアス・マギウスの身柄を帝国に差し出すこと……」
大きな窓から差し込む日の光が、室内を照らしていた。部屋中に漂う埃が光を反射し、キラキラと揺蕩っている。
教壇にはうず高く分厚い歴史書が積まれ、その本の山の奥から鈴の音のような愛らしい声が聞こえていた。しかし、その声が紡ぐ単語は可愛らしいものとは程遠く、血なまぐさい戦争の一部始終だった。
窓際の少年が、授業の内容を右から左へ聞き流し、ため息をついた。少年は窓の外を見やり、流れる雲を見つめた。この席から見える外の景色に初めは戸惑ったものの、もうすっかり彼にとっては馴染みの景色だ。この授業内容は世界大戦終盤の世界情勢について。
(ここにいる誰よりも……その瞬間のことは、俺が一番よく知っている話だ……)
窓の外に広がっている空を眺めながら、少年の頭の中に浮かんだのは、あの日――敗戦の日のことだ。
彼がアイルディアに召喚されて、三年の月日が流れた。当時、百五十一センチしかなかった身長もだいぶ伸びた。それでも自分の兄には頭一つ分ほど届かないが。
「……聞いているのですか、立ちなさい。ハルカ・ユウキ」
「いてっ」
ハルカの眉間に、棘まみれの小さな木の実が投げつけられた。そのチクリとした感触に、ハルカは顔をしかめる。
「キキキーッ!」
「リーフィ……お前なあ……」
歴史資料室の中を、光の球が舞った。その光は最後列の席にいるハルカの側までやってくると、ぽん、と弾け人の形をとった。
ハルカに棘まみれの小さな実をぶつけたのはポラジットの召喚獣、リーフィだ。
若葉色のおかっぱ頭、ツンと尖った耳、葉っぱ模様のワンピース、透き通った四枚の翅、猫のように吊り上がった目、そして悪戯っぽく笑う口元には……憎たらしい八重歯。
ハルカは赤くなった眉間をさすりながら起立した。本の山の中から、薄青の少女がひょいと顔を覗かせる。読み上げていた歴史書から視線を外し、ハルカの目を睨み据えた。
「ほうけるのは休み時間にしなさい。今は歴史の授業中ですよ」
「……すみません、デュロイ教官」
ポラジットはハルカが通うクライア学園――リーバルト連合国傘下にあるユリーアス共和国で最も栄誉ある学園のひとつ――で、歴史と召喚術の教官として教鞭を振るっていた。ポラジットの家で厄介になっているハルカとしては……正直とてもやりづらいのだが。
ハルカがガシガシと頭を掻きながら不貞腐れていると、授業の終わりを告げる鐘が三つ鳴った。
「鐘が鳴ってしまいましたね。では今日の授業はここまでにしましょう。ハルカ、後で教官室まで来るように」
「はい」
ポラジットは歴史書をパタンと閉じ、授業の終わりを告げた。埃っぽい部屋から続々と生徒が退室する。
リーフィは甲高い声でさらに一声鳴き、ハルカに向かってあっかんべぇと舌を出す。リーフィを捕まえてやろうとハルカは右手を伸ばしたが、リーフィはいともたやすくその手をすり抜け、ポラジットの元へと飛び去ってしまった。
ハルカはチッと舌打ちし、教科書と羽ペンを無理矢理白い布鞄に突っ込んだ。歴史資料室を後にし、中庭へと向かう。噴水側に空いているベンチを見つけると、ハルカはどっかと腰かけた。
「くっそ、リーフィのやつ……帰ったらただじゃおかねぇ」
「自業自得。……授業をちゃんと聞かないから」
「サクラ、お前、いつの間に俺の後ろに……」
ハルカの同級生で獣人族の少女、サクラ・フェイの姿がそこにはあった。
サクラは頭の上からちょこんとのぞいた耳をひくひくと動かし、無表情でハルカを見つめていた。耳と言っても人間のそれではなく、オオカミのものだ。顎のラインで切り揃えられた黒い髪がさらりとなびく。
感情をなかなか表に現さないサクラの感情を読み取ることができるのはハルカくらいだった。
喜怒哀楽……感情によって耳の動きが違うのだ。無表情で誤解されやすい性格……ハルカはサクラに夏野を重ねていた。
「サクラ……。仕方ねぇだろ、俺はあの時、あの場にいたんだから」
「授業は授業。ハルカがあの場にいたかどうかなんて関係ない」
「そうだけどよ……」
サクラはハルカの隣の席に座ると、革の肩掛け鞄から小ぶりな赤い実を取り出し、シャクリ、とかぶりついた。
ハルカも足元に置いてあった鞄から、いそいそと昼食のサンドイッチが入った紙袋を取り出した。ハムが挟まれたサンドイッチを見て、サクラがあからさまにしかめっ面をする。
「……肉が入ってる……」
「お前が食べるわけじゃないし、いいだろ」
肉を見て、一気に不機嫌になったサクラにお構いなしで、ハルカはサンドイッチを口にした。
オオカミと人間のハーフのような外観ではあるが、サクラはまったく肉を食べることができないのだ。
ハムを食べるハルカに見向きもせず、サクラはさらに果実に手を伸ばす。
「午後、卒業試験の説明会だって。――ハルカ、勉強、ちゃんとしてる?」
ハルカはひくりと口元をひきつらせた。
(勉強勉強って……サクラまでポラジットに似てきたんじゃねぇの)
「してねえよ。まだ間に合うだろ、これから勉強するって」
「ハルカ、あまり勉強しないから心配。ちゃんとやらなきゃ、だめ」
ボソボソとサクラはハルカをたしなめた。
これから勉強すると言ったハルカの言葉を信用していないのか、サクラの目つきは疑わしげだ。ハルカは拳を握りしめ心の中で盛大に反論した。
(最低限のことしかしてないだけだ! いつだって赤点は回避してるっ!)
そもそもこの世界で暮らしている住人と違い、ハルカにとっては一から学ばなければいけないことだらけなのだ。他人には常識でも、ハルカにとっては初耳だということも未だに多かった。
「勉強しなくても卒業試験なんか余裕ってか。あ、なんたって最強の召喚獣サマだもんな。授業なんて聞く必要ないか?」
粘着質でまとわりつくような声。
(……出たな……)
ハルカは声のした方、ハルカの斜め前方から歩み寄ってくる、赤毛の青年を睨みつけた。




