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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第3章:黒蝶の鎮魂歌
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プロローグ:蝶と女

 三〇五七年


 一羽の黒蝶が闇夜を舞った。暗い夜空に、赤と青の二つの月が、ぽっかりと切り取られたように浮かんでいた。

 黒蝶は山を、平野を、川を渡り、とある小さな街のはずれにある尖塔を目指す。


 夜に包まれた街には物音一つしない。昼間は賑わうこの街も、静寂や眠りには勝てないのだ。

 黒蝶にとっては月明かりだけが道標だ。赤煉瓦やくすんだ灰色の石壁は、夜の冷気をその身に孕み、より一層寒々しさを感じさせた。


 わずかな明かりを頼りに、黒蝶は塔を目指す。黒鉄の鱗粉を散らし、《主》の命を果たすために。


 *****


 塔の最上部の一室。簡素な丸テーブルと一脚の椅子、銀の燭台、そして一組のティーセットといった、必要最低限の調度品しか置かれていない窮屈な部屋で、女は一人佇んでいた。今から大切な客人が来るのだ。


「来たのね、やっと」


 そう呟くと、人の顔がやっとのぞく程度の小窓から、女は外を見やった。

 頭からすっぽりと黒いフード付きの外套を身に纏っているせいで、女の表情は定かではない。だが、窓際を照らす蝋燭の火が、辛うじて女の歪んだ口の端を照らしていた。


 くつくつと笑う女は、小窓から静かに、外へ手を伸ばした。その手にとまったのは一羽の黒蝶だ。

 手に蝶がとまったのを確認すると、女は蝶を自らの眼前に引き寄せ、二本の長い触角に優しく口付けた。


「いらっしゃい。今日はどんなお話なのかしら?」


 女は部屋の中央にあるテーブルに黒蝶を下ろした。そして、自らは側にある椅子に腰を下ろす。蝋燭の焼けた臭いが、部屋中を満たしていた。


「そうね、はるばるやって来てくれたのにいきなりお仕事の話というのも無粋ね。まずはこれでも召し上がって。話はそれからだわ」


 女は机上のティーソーサーに水を注ぎ、角砂糖を一つ溶かした。

 砂糖水を黒蝶の前に置くと、女は再び黒蝶に向き直り、頬に両手を添えた。


「《(おさ)》はついに私にお役目を下さるのね。光栄だわ……この日をどれだけ待ったことか」


 砂糖水を啜る黒蝶に、女は蕩けきった声で語りかけた。


「《長》はどんなお気持ちでこの月を見ていらっしゃるのかしら。ねぇ、お前、《長》はなんとおっしゃっていたの?」


 お前、と呼びかけられ、黒蝶は皿から口を離した。女に何か伝えようと、両の複眼で女をじっと見つめる。

 それを見て、女は満足そうに笑った。


「ふふふ……そう……《長》はそんな風におっしゃっていたの。そんな風に……」


 黒蝶の言葉を理解したのか、女は大仰に頷き、黒蝶にゆっくりと手を差し伸べた。


「これが長の(めい)なのね」


 すると、女は先程までの優しい手つきとは違い、荒々しく黒蝶を掴んだ。ふいのことに黒蝶は抵抗し、翅を震わせるが、女は手を開こうとはしない。


 そして――女は黒蝶を喰らった。

 口元をてらてらと黒蝶の体液が濡らす。女はぬちゃり、と粘着質な音を立てながら、その小さな虫の体を噛み締めた。


 極上のメインディッシュを味わうごとく、女は口内で黒蝶の味を、感触を、温度を確かめた。極限まで咀嚼した後、女はごくりとそれを嚥下する。さらに、口の周りについた体液や鱗粉を指ですくい、丹念に舐めとった。


 黒蝶を跡形もなく喰らい尽くすと、女は丁寧に食後の紅茶を入れ、茶葉の香りを楽しんだ。


「紅茶にもよく合う……」


 ほう、と息をつき、女は小窓の外の月を眺めた。


「《長》の力を分け与えたこの黒蝶を喰らい、究極召喚獣(バハムート)と、若く美しき召喚士を討て……と」


 女は紅茶を飲み干し、目を閉じた。


「《長》の、仰せのままに」

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