第2話:リーフィの日常
リーフィの朝は遅い。
デュロイ邸の住人たちが学園へと出払ってしまった後、ようやくもぞもぞと動き出す。
彼女の寝床は、屋根裏部屋にある、籐の果物かごだ。そこに、ふかふかの真綿を詰め、赤いギンガムチェックのランチョンマットを敷いてある。いらなくなった毛布をリーフィの体のサイズに切ったものには、小さな花のモチーフ。カナンが手作りしてくれた一点物で、リーフィの一番のお気に入りだ。
毎日同じ生活をしているせいか、リーフィには曜日感覚がない。日々が安息日で、遊んで暮らすのが彼女の日課だった。母親代わりであるカナンが、家事に来客への応対に、と忙しなく働いているのを横目に、リーフィは外へと飛び出した。
まずは何をしようか。山で鳥たちと空中散歩、湖で魚たちの背にまたがってサーカスの真似事でもしようか。いや、庭に咲いた花たちに蜜をわけてもらうのもいい。
リーフィの思考は、大抵楽しいことと美味しいことに集約されていた。
なんだか遠出をする気分にもなれず、リーフィはまず庭へと向かった。キキィ、と笑いながら、薄い翅を羽ばたかせ、デュロイ邸の菜園へと向かった。――が、菜園の隅にいる人影に気づき、近くの木の葉の陰に身を潜めた。
菜園には休息用に、丸いガラスのガーデンテーブルと白い椅子が置いてある。普段、安息日の午後には、主人はそこで読書をするのが習慣だった。午前中、そこに人が座っていることは珍しい。少なくとも、カナンは主人の物を無断で使ったりするようなことはない。
リーフィは大きなつり目を細め、その椅子に座っている人影を凝視する。それは彼女の主人ではなく、この屋敷に最近やってきた居候の少年――ハルカだった。
主人もカナンも来客の応対に出てしまっているからか、彼も退屈してしまっているのだろう。ハルカはぼんやりと庭を眺めながら、うつらうつらと舟を漕ぎ始めた。
リーフィの心にポッと悪戯心が芽生える。
あいつをどうやって驚かせてやろうか――それを考えるだけで楽しかった。
ハルカがこの屋敷にやって来てから、とにかくリーフィには楽しみが増えた。
元々、悪戯好きの性格だったのだが、不幸にも、この屋敷にはそれを冗談と捉えてくれる人がいなかったのである。
主人に悪戯を仕掛けてみても、反応は今ひとつだった。……というよりも、ずば抜けた戦闘センスのせいで、主人は彼女の罠をことごとく避けていくのだ。
大概、残ったままの罠にかかるのはカナンの方で、仕事を邪魔したことについて、こっぴどく叱られることになった。
さらにその後、それが主人に対して仕掛けたものだとバレた時のカナンの怒り様と言ったら……。リーフィは思い出したくない、とでも言いたげに、フルフルと頭を振った。
そんな中、突然、少年は現れた。
究極召喚獣であるというのに、なんてみすぼらしい。リーフィは初めて見た時、そう思った。
召喚獣の王たる威厳もなく、それに見合った風格もない。パッとしない、どこにでもいそうな、ただの少年。
それがかえって、リーフィには嬉しかった。
ここではいい子でいなければならなかった。そんなことを誰も求めていないのは分かっていたけれど。
もちろん、《主》には感謝しているし、何よりも大切な存在であるというのは間違いない。彼女がいなければ、自分という存在もまたあり得ず、心から彼女に忠誠を誓っていた。
カナンに対しての感情も同様で、カナンと共に主人を支え、この屋敷の平穏を守っていきたいと、そう思っていた。
けれども、毎日毎日、そればかりでは息がつまる。リーフィに偽りはなかったが、生真面目ばかりというのは、どうも性に合わないのだ。
少年に対する感情は、忠誠とはまた違っていた。
能力も使いこなせないし、戦闘だって、ようやく最近様になってきたという程度。
悪戯してやろうと、木の実を投げつけても、うまく避けることもできず、顔を真っ赤にして怒っている始末。
この前なんて、頭の上から白鬼灯の水風船を落としてやったら、びしょ濡れのまま追いかけてきたっけ。
そう、いつだって彼は全力だった。
そして、悪戯ばかり仕掛けるような自分でも嫌わないでいてくれた。
本気で怒って、本気で喧嘩して、最後には本気で笑ってくれた。
だから、リーフィはハルカのことを、すぐに、本当に好きになった。
こくりこくりと頭を揺らす少年を見て、リーフィはピンと思い付く。
そういえば、ラッパ草の花が咲く季節だ。ラッパ草の花の根元は少し膨らんでいて、そこを強く叩くと破裂し、大きな音がするのだ。それがラッパの音に似ているから、ラッパ草。
少年を驚かせるのに、これ以上ピッタリのものがあるだろうか。
リーフィは庭の隅で咲いていたラッパ草の花をそっと摘み取ると、ぐるりと庭を半周し、ハルカの背後に回り込んだ。少年はリーフィに気づいていないのか、変わらずにうたた寝を続けている。
リーフィはくくく、と笑いを噛み殺しながら、花を叩こうと大きく手を広げた。
が、その時。
「キキキィィィィ!?」
リーフィの顔面に、冷たい水がかかった。
まさにそれは不意打ち。リーフィはフラフラと空中で後退し、顔の水を手で拭った。その時、花を地面に落としてしまったのか、足元でパァン! と爆ぜる音もする。
「キィィッッ!?」
自分が仕掛けたものであるにもかかわらず、リーフィはその破裂音に驚き、ポタリと地面に落下した。傍らには、膨らみのしぼんだラッパ草の花。
そうだ、アイツはどうなった? と思い至り、空を見上げると、そこにはにやけ顔でリーフィを見下ろすハルカがいた。
「へへっ、引っかかったな、リーフィ。いつだって俺がやられっぱなしだと思うなよ〜!」
少年の手の中には小さな白い鬼灯の水風船。
それは以前、リーフィが少年を驚かせるのに使ったものと同じものだった。
「この前、帰り道、見つけたんだ。そういえば、リーフィがこれで水風船作ってたよなって思い出してさ」
ハルカがしていたのは、寝たふり。
自分のために考えてくれた悪ふざけ。
それでこそ、遊び甲斐があるというもの。
リーフィはニヤリと笑い、翅を広げて飛び立った。
「キキィッ!」
リーフィはキラキラと鱗粉を振りまきながら、ハルカの頭上を旋回した。
その幻想的な金に、ハルカは眩しそうに目を細める。
次の悪戯は何にしよう。
うんとハルカを驚かせてやろう。それこそ、大声で笑ってしまうくらいに。
青空の向こう、そこにはリーフィの新しい日々が広がっていた。




