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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第2章:双つ剣の交わる刻
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エピローグ:雪解けの跡

 乳白色のカーテンが揺れた。

 世間の学生は夏期休暇に入ったというのに、シャイナは未だ、軍の療養施設の中にいた。古い木の病棟、その特別室、彼女はベッドでぼんやりと座っていた。

 サクラとルイズも同じ施設で治療を受けていたそうだが、二人は一足先に退院した。シャイナ自身も大した傷を負っているわけではなかったが、この施設に留まるよう言い渡されている。理由は――言われなくても明白だった。


(《長》と接触した人物の一人だから、って)


 この数日、決まった時間に軍のお偉方がやって来てはシャイナに質問を投げかけた。束の間の接触で、一体相手の何が分かるというのだろう。シャイナの答えは「よく覚えていない」の一点張りだった。


(ううん、覚えている。こんなにもはっきりと。ただ……何故か語る気になれないだけで)


 ふわりと風が流れ込む。

 暑いことは暑いのだが、今はこの自然の風が心地いい。一言「暑い」と呟けば、室内の魔術回路が作動し、気温を調整してくれることは知っていた。

 

「騒がしいわね」


 なんだか病室の外が騒がしい。不穏な気配といった物騒なものではない。ただただ、やかましい・・・・・のだ。


「……から、お前も……」

「んで……俺様……」

「……ズ、……さい」


 はぁ、とシャイナは嘆息した。シリアスなムードもこれでは台無しだ、と苦笑いする。

 すると、コンコン、と扉をノックする音と、控えめな女性の声がした。シャイナは「どうぞ」と闖入者たち・・・・・に声をかけ、髪と衣服の乱れを整えた。


「シャイナ! 大丈夫か~!」

「俺様は見舞いに行くだなんて一言も言ってねぇよ!」

「本、借りてきた。退屈だろうと思って」

「シャイナ、具合はいかがですか?」


 やって来たのは予想通り、ハルカ、ルイズ、サクラだった。淑やかなポラジットがいなければ、まったく収拾がつかない集まり。そして、まったく滅茶苦茶な会話内容もちっとも変わっていない、とほっとする。


「あのね~、お見舞いに来たのならもっと気を遣いなさいな。デュロイ教官、お気遣い痛み入ります。具合はいいのですが、なにぶん、主治医から安静の指示が……」

「なぁ、シャイナ、聞いてくれよ。ルイズのやつさ、入院中見舞いに来たのは俺とポラジットだけだったんだってよ! いつもの取り巻きはどうしたんだよって」

「うるせぇな、お前が勝手に押しかけてきたんだろうが!」

「シャイナ、地理史の本、あと、魔法陣分類」

「あなたたち、傷に障るんですから、あまり騒いではいけませんよ」


 ポラジットが必死で諫めるも、久しぶりの再会に、ハルカたちの気分は高揚しっぱなしだ。ぎゃいぎゃいと騒ぐ三人に呆れながら、シャイナはベッドサイドに立つポラジットを横目で盗み見た。


 憧れの青い召喚士。遠いあの日・・・、自分を救ってくれた、自分とさほど年の変わらない少女。

 シャイナは堪らず口を開いた。心の迷いを断ち切りたかった。青い少女は昔も今も変わらず、冷静沈着完全無欠の強い存在であって欲しかった。


「デュロイ教官……教官は、どうして私たちを助けにきてくださったのですか」


 どんな答えを望んでいたのか、それは分からない。


「ハルカが……彼が行こうと言ってくれたんですよ。私の背中を押してくれたんです」


 そう告げたポラジットの顔が晴れやかで――その瞬間、何かが瓦解した。


(ハルカが……デュロイ教官を、変えてしまった・・・・・・・


 友とじゃれ合うを見て、シャイナはこっそりと、一滴だけ、涙を流した。


 *****


 空になった鳥籠の扉を、ユージーンは人差し指で閉じた。かつてそこにいた極彩色の鸚鵡はもういない。自分がこの手で元の世界に還し、別れを告げた。

 アリア自身に特別な力はなかった。が、一方で幻という名の夢を見せる力は他のどの召喚獣よりも勝っていた。


 悪夢の夜を、いくつアリアと越えてきただろうか。

 獣人族と言うだけで冷たい扱いを受け、苦しんだ彼に、アリアだけはその力で夢を見せてくれた。

 それは全ての民が等しく在る、理想の世界。

 

 ポラジット・デュロイに《幻視》の檻を破られたアリアは、その余波をまともに食らってしまった。両目は潰れ、苦痛に泣き叫ぶアリア――そんな姿は見ていられなかった。


 だから、無理矢理、還したのだ。それも、無慈悲な言葉とともに。

 アイルディアで、自分と過ごしたひとときを、幸福なものだったと錯覚せぬよう。二度と異世界という幻想を抱かぬよう。

 アイルディアでのことは、アリアにとっても単なる夢であって欲しいとそう願った。こんな不条理な世界を、理想などと信じてはいけない。


「ありがとう、アリア」


 言えなかった言葉を、今さら紡ぐ。

 あの時、言ってやればよかったとも思うが、これでよかったのだとも思う。


 アリアと体を丸め、暖をとっていた頃が懐かしい。季節はすっかり夏になり、暖炉も襤褸毛布も必要なくなっていた。

 自分にはまだやらねばならぬことが山積みなのだ。ほんの少しの空虚さを塞ぐように、自らを奮い立たせる。


(帝国が真の力を手に入れるまで、この国の人間を扇動し、国内の情勢を不安定にすること……)


 大義の前では犠牲が出るのも致し方ない。そして、とユージーンは口の端を歪める。


(帝国の脅威となる分子を排除すること……それが、僕のやるべきこと)


 なんとも単純で、明快な目的。ならば、もう前に進むしかない。

 そうしてユージーンは軽くなってしまった鳥籠を部屋に残し、古い安宿を後にした。 


 *****


 兄ならば、同じ決断をしたであろうか、とアルフは思案した。

 温厚な仮面の下に、誰よりも冷静で、明確な目的のために動くダヤン――それがアルフの知る兄の姿だった。

 全ては連合の利益のために、自国の繁栄のために。ダヤンをよく知らぬ人は、その飄々とした態度に騙されがちだが、それほど甘い人間でもなかった、と思う。


 コンコン、と誰かが学長室の戸を叩いた。報告にやって来たポラジットだろうか、と目星をつける。


「失礼いたします」


 アルフの予想通り、涼やかな少女の声がした。入室を許可すると、ポラジットは執務机の前に立ち、すっと背筋を伸ばした。


「本日、シャイナ・フレイヤが軍療養施設より退院する運びとなりました。フィル国民農園の被害箇所も修復が進んでおり、通常の営業を再開するとのことです」

「そうか」


 ポラジットは相変わらずダヤンによく似ていた。融通の利かないところが難点ではあるが、弟である自分以上に兄の考え方を受け継いでいる。

 アルフは事前に提出されていた報告書と、今の会話内容を照らし合わせ、首肯した。

 これ以上の報告はないはず……なのだが、ポラジットはその場を離れようとはしない。疑問に思ったアルフは、ポラジットに問いかけた。


「何かまだ報告が残っているのかね、ポラジット・デュロイ三級召喚士」

「アルフ・サイオス学園長。今回の学園長の指示は、アルフ様らしからぬものだったと、私はそう思います」

「……と言うと。どういうことかね」


 アルフは一瞬、ムッとしかけた自分を押しとどめた。

 兄であればきっとこうした。バハムートを餌にしつつ、ポラジットをサポートとして投入する――多少の犠牲はあれども、相手陣営の尻尾をつかめたらそれでいい。


「今回の件は、リスクの高い賭けであったことは言うまでもありません。それは……アルフ様の考え方ではなく、我が師ダヤン・サイオスの考え方です」

「……」

「農園に赴く前、私は老師の夢を見ました。老師がアルフ様のお人柄についてお話ししていた、昔を思い出す夢を」

「夢が一体どうしたというのだ」

「弟は誰よりも真面目で誠実で、そして誰よりも……儂に囚われておる。そうおっしゃっていました」

「……っ!」

「老師の代わりはおりません。世界中を探しても。ですから、アルフ様はアルフ様のしたいようになさって下さい。アルフ様が兄上であるダヤン様に成り代わる必要など……どこにもありません」


 海底色の瞳がアルフに懇願する。

 私たちはあなたの指示について行くのだと。だから、あなたが考えたように指揮をとって欲しい、と。


「私たちは軍人です。上官の指示には従いますし、それがどんなに愚かな策であろうと死力を尽くすつもりです。ですが……迷いのある指示には、心から従いかねます」

「ポラジット……」


 年端もいかぬ少女に、見透かされていた。

 本当は農園見学そのものを中止したかった。犠牲を払って得たものに、どれほどの価値があるのだろうか。それも――若い芽を摘むようなことを。

 だから、自分は帝国との講和会議の時も、何もできなかった。敵地に赴く青年総統の背を見送ることしかできなかった。彼を守るために打って出たところで、新たな犠牲を増やすことしかできなかっただろう。

 兄ならばどうにかしてくれたはずだ、マギウス元総統を救い、かつ無辜の民をも救ってくれたはずだ、という勝手な思い込みが――理想のダヤン像を作っていた。


「申し訳ありません、上官へ刃向かうなど……処分を受ける覚悟はできております」

「いや、よい。よいのだ、ポラジット」


 ダヤンが何故、数多の優秀な召喚士の卵ではなく、この少女を大切に育てたのか、理解できた気がした。

 おそらく、兄もこのように彼女から諫められていたのだろう。天下の大召喚士に逆らえる者など、彼女をおいて他にはいない。

 それがどれほど希有なことか。位が高くなるにつれ、面と向かって進言をしてくれる者は少なくなっていくものだ。


「ポラジットよ。兄ならば、どうしたと思う」


 ポラジットは伏し目がちに考え込み、不意に顔を上げた。


「老師であれば、ハルカではなく、ご自身を餌にされたでしょう。お一人ではいけません、と皆が止めるのも聞かずに。儂ゃ、賭け事は得意なんじゃ、などと言いながら」


 あまりにも的を射た回答に、アルフは思わず破顔した。きょとんと目を丸くするポラジットを前に、笑いが止まらない。

 

 本当に、これほど笑ったのは久しぶりだった。


 *****


 いつの間にか、山の中にいた。

 彼女自身は動いていないのに、景色はひとりでに流れていく。そして、彼女は、手も足も、肉体も失ってしまったことに気がついた。


「本当に、終わったんだ」


 声の主が、彼女を持つ手は血濡れている。あぁ、この人間が今の自分の使い手なのだ、と悟った。

 使い手たる男は満身創痍で、彼女を杖にしながら山道を登っていく。開けた山頂に到達し、使い手は崖縁までよろめきながら進んだ。


 どうやら自分は長い夢を見ていたらしい。彼女は頂から見える眺望を前に、何かを思い出そうとしていた。

 その世界では人の体を与えられ、数多の出会いと別れがあった。いつかまた別の世で、と願った家族がいた。


「戦いは終わった」


 男はそう言い、彼女を天高く掲げた。


「もう争いが起きぬよう。二度とお前・・が人を斬らずに済むよう」


 そうして、男は彼女を崖下に放り投げた。

 白く美しい彼女()はそっと視界を閉じ、風に身を委ねる。落下していく瞬間、壮年の紳士と、金の髪の愛しい女性の姿がよぎった。


(次の世で、もしも会えるなら……)


 キィィーーーン、と音が響く。


(今度こそ共に生きとうございます。ユグノー様、エリーチカ様)


 岩に打ちつけられた彼女の体は真っ二つに折れ、それきり意識は遠のいていった。



 *****


 ――アーチェ、アーチェ。初摘みのチェリーバームよ。とってもいい香り。ユグノー様もきっとお気に召されるわ。


 ――エリーチカ様、それでは三人でお茶にいたしましょう。日の当たる東屋で、焼き菓子と一緒に……。




「第2章:ふたつ剣の交わる刻」、完結です。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

引き続き、第3章もよろしくお願いいたします。

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