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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第2章:双つ剣の交わる刻
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第40話:消える黒

 ふたつの閃きは中空で加速し、まっすぐ哀れな女の元へと駆けていく。

 剣の切っ先は元素の繋がりを断ち、次々と連鎖していく。解け、砕けた接点から、物質が消え、真空の刃と化す。

 まさにそれは《無の刃》。その刃を構成しているものは何もないのだ。四つの元素――天も地も、光も闇も、ハルカの放った連撃に干渉することは叶わない。


 エリーチカは氷の壁を展開する。強固なそれは、戦いの場にはそぐわないほど、透明で汚れがない。

 彼女の呟きが、真意だったのかは分からない。殺して、と言いながら、エリーチカは持てる全ての力を費やして、決して破れぬ盾を生み出した。だが――それは無刃の力の前には紙切れほどの威力も持たない。


(もう見ていられない)


 ハルカは思う。

 死にたいと叫びながら、体はそうさせてはくれない。それなのに、体はすでに死んでいる・・・・・という矛盾。

 世界の理から外れている存在なのに、確かに存在しているという葛藤。


(俺たちとエリーチカは似ているんだ)


 ハルカは目を細めた。視界が滲み、世界の輪郭がゆがむ。

 

 ――パリン


 ひび割れた音もまた透明で。

 双迅は分厚い氷を十字に断ち切り――まっすぐエリーチカの胸に巣くう第五元素の黒点へと達する。


 どぅっ、と音を立てて細いエリーチカの体が吹き飛ぶ。

 金の髪がさらりと広がり、優しかった彼女の顔を隠す。

 その表情をはっきりと見ることはできなかったが、僅かな隙間から見えた口元は、確かに微笑んでいるような気がした。


 涙が止まらなかった。

 

 ここにポラジットがいなくてよかった、と心から思う。

 こういった形でしかエリーチカを救えなかったこと、そして涙で濡れた自分の顔を見られなくてよかったと。


 倒れていくエリーチカの指先が、ぼろぼろと土に還っていく。金の髪はハラハラと散り、赤い瞳からは光がこぼれ落ちていく。五十年前に血を失っていたはずの肉体が、ようやく本来の場所へと戻っていく。

 エリーチカが生み出した氷は、まるで春の雪解けを迎えたかのように穏やかに融解し、地面へと染みこんでいった。朝の日に照らされた水滴は、キラキラと世界を映し、大地の一滴となって還元されていく。


 同時に、胸の奥で凝っていたアーチェの哀しみが消えていくのが分かった。

 アーチェの力を取り込み、白く長くなっていたハルカの髪も元に戻り、瞳の色も生来の焦茶へと変化していく。それは、アーチェがこの世界アイルディアで成すべきことを成し遂げたことを意味していた。


(なぁ、アーチェ)


 ハルカの手から力が抜け、足下に双剣が落ちていく。カシャン、と高い音を立て、二本の剣は地面で交差した。


(師匠と呼べと言うておろうが)


 頭の中で響く声はどこか楽しげで、伸びやかで、使命を果した者の清々しさに満ちていた。


(エリーチカ様は我が《マスター》の元へお戻りになった……。妾もまた、真に還るべき時が来たようじゃ。もうこの世界に留まる理由は、一つもない)

(あぁ、分かってる。ただ少し……)


 寂しい気もする、とは言えなかった。が、きっと、体を共有している故に伝わったのだと思うことにする。


(召喚獣はこの世界の存在ではない。妾たちには在るべき場所があるのだと、よう覚えておけ)


 体から、どんどんアーチェの気配が消えていく。目の前のエリーチカの亡骸も、どんどん土に成っていく。


(ハルカよ、お前はまだまだ未熟じゃが……いつか、妾たちの真の王になれると、そう信じておる)


 アーチェの声はそれきり――ハルカに語りかけてくることはなかった。


 *****


「あなた……召喚獣に、なんてことを……」


 さよなら、アリア、と《長》が告げた刹那、アリアの姿は跡形もなく消え去っていた。尾を引く叫びが消え失せ、洞穴内を静寂が満たす。


(この男にとっては、何もかもが駒に過ぎないの!?)


 《長》はカツン、と一歩前に進み出た。ポラジットは背後のシャイナたちを庇い、両手を広げる。

 得体の知れぬ男とのにらみ合いが数秒続き、先に目をそらしたのは《長》の方だった。

 背筋に伝う汗に不快感を感じながら、ポラジットはほんの少し安堵する。このままにらみ合いが続けば、先に視線を外していたのは自分のほうだったかもしれない。それほどの――緊張感。


「ふっ……まぁいいか。今日はこちらの負けだ。こちらとしてはポラジット……君を連れて行きたいところだったんだけれどね。どうやら、そう簡単にはさせてくれなさそうだ」

「当たり前でしょう。そう簡単にあなたの軍門に降るわけには……」

「そうじゃない、そうじゃないよ、ポラジット。君には朗報だろうが、こちらには凶報だ」

「な……」


 なにを、と言いかけて、ポラジットは口をつぐんだ。


(元素の密度が、変わった……?)


 その瞬間、異常だった元素の流れが正常に戻りつつあった。むせかえるほどの魔力の奔流が、正しい在り方に変わっていく。

 それだけで、何が起こったのか、ポラジットには察しがついた。ハッと後ろを振り返ると、シャイナたちを捕らえていた結界が跡形もなく消え去っていた。

 そして、氷塊に封じられていたサクラとルイズもまた、その縛りを解かれ、地面に倒れ伏していた。二人の胸は穏やかに上下し、呼吸していることがうかがえる。どうやら気絶しているだけで、命に別状はなさそうだ。


 《長》は愉悦の表情を浮かべていた。こうでなければ面白くない、とでも言いたげに。


「不本意ではあるけれど、まだに至れるほど、この研究は確立できていないということが分かっただけでも成果さ。敗者は敗者らしく、この場を去るとしよう」

「待ちなさい、まだ話は……!」

「いつか君を必ず攫いに来よう、ポラジット・デュロイ。我が《虚無なる鴉ホロウ・クロウ》の悲願のために……!」

「……っ!」


 ゴオオオッと風が巻き上がる。

 ポラジットは翻るローブを押さえながら、必死で顔を覆った。坑道内の小さな石片が体中を打ち、それだけで凶器になる。

 風がやみ、ポラジットが顔を上げた時にはすでに、《長》と名乗る青年の姿は消えていた。

 風圧で、カタカタと坑道の梁が揺れる。青年が立っていたところに、ここではおよそ掘り出すことなどできぬような、上質の石英が落ちていた。

 ポラジットはそれを拾い上げ、手の平でコロコロと転がす。


(魔術回路が刻まれている……転移装置の一種……)


「ポラジット!」


 坑道の入り口から駆け寄ってくる少年の声に、ポラジットは一瞬考えることをやめた。エリーチカとの戦いを終えたであろうハルカを見やる。見慣れた茶色のくせっ毛と焦茶の双眸。

 ハルカはポラジットの側で息を切らせて立ち止まる。


「はぁっ……はぁっ……シャイナ、たちは?」

「彼女たちを縛っていた結界は解けました。敵は……」

「バカ、敵よりあいつらだろ!」


 ハルカはポラジットの手を強引に引っ張った。


「……っ!」


 フェンリルに噛まれた傷が痛む。ポラジットは顔をしかめ、咄嗟に腕を引き戻した。

 痛みもあった。が、敵のことばかりを考え、ここまでやってきた目的を一瞬でも失念していた自分が恥ずかしかった。

 なんとなくシャイナたちに合わせる顔がなく、傷を理由にこの場に留まりたいとすら思ってしまう。本当の意味で、人質となった三人を助けに来たのはハルカだけだった――。


「お前、怪我……」

「いいんです、これくらい、大したことはありません。私はいいですから……それより、シャイナたちを」


 ハルカは腕を掴んでいた手を離し、傷ついていない方の腕をとった。


「大したことないなんて言うなよ、治療の魔法も何も使えねぇけど。一緒にシャイナたちを助けに行こうって言って出てきたんだ。だから、最後まで一緒に助けるんだ」


 ぐいと少年は力強くポラジットを引っ張った。

 なかばよろめくように、ポラジットはハルカの後に続く。


「助ける資格なんて、ここまで来ただけで十分だろ」


 小さく振り返り、ハルカははっきりと告げた。


(あぁ。この人には、今私が考えていたことなんて……)


 お見通しだったのだ、とポラジットは思う。

 ハルカの一言を気にしていたことも、それ故に後ろめたく思っていたことも。

 

 だからポラジットも答えを口にする代わりに、早く前へ進めるようにと歩幅を広げた。

 すぐ先で助けを待っている三人を救うために――。

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