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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第2章:双つ剣の交わる刻
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第38話:砕ける青

 落ちる、落ちる、おちる、オチル。

 果てのない空に落下する――。


 ポラジットは必死で自分の半身フェンリルにしがみついた。

 黒い狼は《マスター》を救おうと、がむしゃらに紫雷を放つ。が、強力な雷球も無限の前には為すすべもない。耳をすませても、攻撃が当たる音は聞こえず、バリバリという雷の音が遠ざかるだけだった。


 途端、今まで感じたことのない恐怖がポラジットを襲った。

 対峙するべき対象が見当たらない恐怖。討ち果たすべき敵も、この空の檻から逃げる手立ても見つからない。

 挙句、ただ落下していくという感覚だけは鮮明なのだ。地に足をつけて耐え忍ぶことさえできないのだ。


 ――何なの、これ……。


 召喚獣の攻撃も無効化され、彼女は困惑した。神経を研ぎ澄まし、魔力の盲点を探そうとするも見つからない。――というよりも、この異常な状況に、神経を研ぎ澄ませることができているかも定かではない。


『結局、君は自分の足で立って歩いたことなんてなかったんだよ』


 四方から男の声が響いた。音を反響させるものなど何もないはずの空間で、男の声は確かに響き渡っていた。


『どうだい? しがみつくもののない空間は。頼れるものなど何一つない空間は』

「誰……?」


 知っているはずの声なのに、誰の声か分からない。その誰かの声は恐ろしいほど心に染み入り、ポラジットの思考を侵食する。


 ――そういえば、私、何故こんなところにいるの?


『君もこの柔らかな青に溶けてしまえばいい。落ちて落ちて、落ち続けたらいい』

「やめ……」

『君が守りたかったものは、君じゃない誰かが守ろうとしたものだ。本当に君が守りたいと思っていたわけじゃない』


 ――守りたかった、もの……?


 ポラジットは目をつぶった。瞼の裏に、ぼんやりと輪郭が浮かび上がる。

 くせ毛の茶髪、それよりも色濃い茶色の瞳。自分より少し背の高い――彼。


 ――違う。


 最初はそうだった。師の遺志を継ぐために、この世界に再び秩序をもたらすために。

 でも、今は違う。


 ――柔らかな青、ですって?


 青の召喚士という二つ名の由来は、そんな可愛らしいものではなかった。

 どんな戦局においても、冷静に、冷酷に、怜悧に。青の召喚士は揺るがない。自分の任務を完遂するためには、どんな迷いも見せない。だから、凍てつく氷のような青の名を冠された。

 優しくないのだ、青は。少なくとも、彼女にとって、青は安らぎの色ではない。


 ――目を覚ましなさい、私。


 ポラジットは思考を巡らせた。

 落下点のない世界なんて、あり得ない・・・・・。彼女の知る限り、このアイルディアのどこにもそんな空間はない。

 空があり、海があり、大陸があり、生命がうごめく。それが、このアイルディアの理だ。


 ならば。


 この空間は虚像だ。結論づければ、そのカラクリはなんということはなかった。異世界から召喚獣を呼び出すことができても、この世界の人間が異世界に渡ることは、未だかつて聞いたことがない。空間を捻じ曲げ、未知の空間に繋がることはあり得ない。

 転移魔法にだって終点はある。果てのない転移は起こり得ない。


 仮に空間を捻じ曲げたとして、ポラジットと黒雷狼フェンリルだけがこの場にいるのも妙な話だった。

 それほどまで世界に負荷をかける術であるならば、他に巻き込まれた者がいてもおかしくない。どんなに小規模に収まったとしても、あの場にいた人間くらいはここに落とされるに違いない。

 召喚士と召喚獣は繋がっている――。だからこそ、この場に巻き込まれたのはフェンリルだけ・・なのだ。

 攻撃されているのは自身の心。敵はポラジットの心を封じて、肉体の自由を奪うつもりでいるのだ。


 ――幻に、囚われてはいけない!


 ポラジットはローブの袖の端を噛み、ぐいと捲り上げた。傷ひとつない真っ白な腕が現れ――彼女は思い切り歯を立てた。

 ガリ、と皮膚と肉が切れる音。そして、血の味。

 力一杯噛みついたつもりだったが、幻は冷めない。血の球が空に散り、天上へと舞い上がった。

 まだ足りないのか、とポラジットは眉をひそめる。


 ――この程度の痛み!


 その身を人ならぬ者に変えられ、永遠を彷徨うエリーチカに比べれば。

 大切な人に刃を向け、それでも己の意思を貫かねばならぬアーチェに比べれば。

 そして、この世界の身勝手さに巻き込まれて、還るべき場所に戻れなくなったハルカに比べれば。


「フェンリル! 私の腕を噛みなさい!」


 忠実な狼は《主》を傷つけなければならない命に戸惑った。黒い耳は力なくへたり、くぅんと小さく異を唱える。


「早く! この腕が千切れたって構わない……。私は、ここを出なければならないの!」


 ポラジットの強い力に抗えず、フェンリルは大きく口を開けた。ぬらりと肉切り歯が唾液で光り、ポラジットはぐっと歯をくいしばる。


 フェンリルの吐息を感じる左腕に、直後、鋭い痛みが襲った。


「ふぅっ…………っっっ!」


 牙が食い込み、筋肉が千切れ、神経がスパークする。

 と同時にポラジットを捕らえていた青い空に亀裂が走り、パァンと砕け散った。

 ポラジットとフェンリルはもつれ合ったまま、元いた坑道の地面に尻もちをつく。


「ギィエエエエエエエエエエエエッッッッ!」


 暗転した視界の先、その異様な叫び声は高く、長くこだました。

 ポラジットは激痛走る左腕を押さえながら、身を起こす。吹き出す血が白いローブを汚すことも厭わず、次の攻撃に備えて体勢を整える。


「あ……あれは」


 視界に飛び込んできたのは、鮮烈な赤と、どす黒い赤。

 捕虜の前に立ちはだかっていた赤の鸚鵡の両目から、澱んだ色の血が吹き出ていたのだ。


「目、目、目ガアアァァァァ!」

「なに、君が気に病むことはない、ポラジット・デュロイ。全てはアリアの力不足さ」


 背後にいた仮面の青年がフッと口元を緩める。


「彼の能力《幻視》――。あの出血は術を破られた代償ってやつさ。やっぱり青の召喚士に小細工は通じないね」

「代償って……。あなた、あなたの召喚獣でしょ!? 助けないの!?」

「助けてどうするのさ。また戦おうって言うのかい?」

「そういうわけじゃ……」


 青年はパチン、と指を鳴らした。

 アリアの足元に、緑の魔法陣が現れる。魔法陣の放つ光が強まるとともに、アリアの輪郭は薄れ、徐々に解けていく。


「《マスター》……? マ、ス……タ……!」

「能力を見破られてしまえば、お前に使い道なんてないじゃないか。まぁ、少しは楽しめたかな、アリア」

「マス……マスタアアアァァァァァッ!」


「さよなら、ありがとう、アリア。君のことは忘れないよ」

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