第37話:のばしたその手で
東の空から完全に姿を現した朝日が、ポラジットの背を照らした。
彼の目覚めはいつも光と共にあった。
初めて彼の覚醒を目の当たりにした時は、暗い夜空を切り裂く銀の光とともに。そして、新たな目覚めは真白き暁と共に――。
空気が、振動している。
その強烈な衝撃に圧倒され、ポラジットは身をすくめた。魔力を感知する能力がなかったとしても、この膨大な元素のうねりを感じない者はいないだろう。それほど凄まじいものだった。
光が薄らぎ、魔方陣の中心に佇むシルエットをようやく認めたポラジットは、ハッと息をのんだ。
白く長い髪がなびく。それはこの世界から姿を消そうとしていた、アーチェのものに見えた。
が、体格は彼女のものではない。アーチェよりも随分と背が高く、肩幅も広い。そして、身に纏っている衣服はアーチェの紫の長衣ではなく、クライア学園指定の制服だった。
両手にはアーチェの白剣《陽》と、ハルカが託された黒剣《陰》。
「ハルカ……?」
ポラジットに呼ばれたそれはゆっくりと振り向く。
焦げ茶の双眸は菫色。それもアーチェを思わせた。
しかし、顔立ちはハルカ・ユウキそのもの。細部は違えど、その肉体はハルカなのだとポラジットは一瞬で悟った。
「アーチェは……アーチェはここにいる」
そう言って、ハルカは自分の胸に右手をやった。手の内の《陽》がキン、と共鳴する。
すぐさまハルカはエリーチカに向き直り、睨み据えた。
「アハハハハ! スゴイ、スゴイヨ! バハムート! ソレガ《絶対服従》ノ真ノ力!」
緊迫する空気の中、アリアだけがその場に似つかわしくない声をあげていた。興奮のあまり、体を不気味に揺らしながら、ゲタゲタと笑い転げる。
「召喚獣ノ王! 召喚獣ノ意志ダケジャナク、ソノ身ヤ《能力》マデモ、ネジ伏セテ屈服サセルナンテ!」
ハルカは自分の両手を見下ろした。
他の召喚獣そのものを呑み込み、自我に還元する力。落ちてきた白い髪は確かにアーチェのもの。そして、アーチェの半身であった《陰陽》はかつてないほどハルカの身に馴染んでいた。
アーチェではないが、アーチェに違いない使い手に応え、白と黒の刀身は微かに唸る。
「違う……ねじ伏せたんじゃない。アーチェは応えてくれたんだ……!」
そう叫び、ハルカは地を蹴った。疾風の如く飛んだ体は、真っ直ぐ真っ直ぐ極彩色の鸚鵡を目指す。
「理をねじ伏せて、心をねじ伏せたのは――」
鸚鵡は身動ぎせず、ハルカを見据える。
「お前の方だ!」
ガキン、と音を立てて刃が噛み合う。
アリアとハルカの間に割り込み、振り下ろした《陰陽》を受け止めたのは、エリーチカだった。
硬質な氷の刃がハルカの攻撃を食い止めた。だが、あらゆる熱量に打ち勝って来た氷の刃も、完全な力を得た《陰陽》に競り負けていく。双剣が氷を侵食し、触れ合った部分から次第に溶けていった。
「エリーチカ、ヨクヤッタ。……《主》ガ呼ンデイル。僕ハモウ行クヨ。人質ヲ回収シナキャネ」
「くっ……!」
アリアはそう吐き捨てるように言うと、エリーチカの背後で羽を広げた。二人の頭上でぐるりと旋回し、洞穴へと消えて行く。
「待て……!」
「させません!」
刹那、ハルカとエリーチカの脇を黒い影がよぎった。
柔らかい残り香と馴染んだ獣のにおい。
漆黒の狼にまたがったポラジットが怒りを露わに叫んだ。
「ポラジット! フェンリル!」
「不条理を通すなど……私がさせません! ハルカ、あなたはアーチェ様の望みを!」
二人の思いは同じだった。
だからこそ、打破しなければならない。
ハルカは目の前のエリーチカに集中し、グッと剣を握る手に力を込めた。
少年に気圧されたエリーチカは、無理矢理感を振り払う。足をもたつかせながら、後退し、手の内から氷塊を放った。
両の剣で礫を斬り伏せ、打ち払う。
彼女なら大丈夫だ、と信じる心が、少年にさらなる力を与えた。
*****
ひんやりとした空気が纏わりつく。
ポラジットはフェンリルの背に乗り、洞穴を進んだ。
鮮やかな鸚鵡の後ろ姿が遠くに見える。ゴツゴツとした足場を物ともせず、フェンリルはひたすら駆けた。
「ここまでです!」
不意に鸚鵡が止まる。
薄暗い空間に目が慣れ、ポラジットは鸚鵡の背後にうずくまる影を認めた。
影は堅い氷に封じられ、生命の有無を確かめることもできない。が、彼女はその影をよく見知っていた。
「サクラ、ルイズ……!」
氷の塊の下に蹲った影が動く。体を丸め、顔を膝に埋めていた少女は虚ろな目でポラジットを見つめた。
「教、官……?」
「シャイナ・フレイヤ!」
肉体的な傷は見られない。しかし、シャイナはポラジットの想像以上に憔悴していた。目元は翳り、意思が薄らいでいるのが分かる。
「大丈夫サ、彼ラニハ何モシテイナイ。僕ハ、ネ」
揶揄するような口ぶりで、鸚鵡は告げる。
シャイナ達の前に立ちはだかる取るに足りない鳥の姿。それがどうしようもなく腹立たしい。
その鸚鵡が、突如歓喜の声を上げた。
キィィィ、ともピィィィ、ともつかない鳴き声。身構えたポラジットの背後から中世的な男の声がした。
「ようこそ、青の召喚士」
――挟まれた……!?
気配など微塵も感じなかった。
それはフェンリルも同じであったようで、予期せぬ闖入者から主人を守るように牙を剥く。
「ガルルルル……」
「あぁ、青の召喚士の忠犬、フェンリルとは君のことか」
声の主――濃紺の髪の獣人族は仮面の下で不敵に笑む。
「私は《長》。《虚無なる鴉》の頭目。そして、そこの召喚獣、アリアの《主》」
「そんなことは聞いていません。彼らを今すぐ解放し、投降しなさい。さもなくば――制裁を加えるのみ」
蒼穹の杖が仄かに光る。
《長》が妙な動きを見せれば、すぐさま魔法を発動させる気だった。
「人質はあくまで餌さ、ポラジット・デュロイ」
「何ですって?」
「本当に欲しかったのは――君なんだから」
「……っ!?」
命令の言葉は必要なかった。《長》の心を読み取った鸚鵡の目が光る。
と、同時にポラジットの足元の地面がパックリと割れた。その先に広がっているのは――真っ青な空。
――落ちる……!
「フェン……!!」
落下するポラジットは咄嗟にフェンリルに手を伸ばした。フェンリルは躊躇うことなく底のない空に飛び込み、ポラジットのローブの端に噛み付く。
「くぅっ……!」
顔を打つ風が痛い。空気の圧で、呼吸もままならない。
見下ろしても地面は見えず、ただ果てしない青が広がる。
『これがアリアの能力。君をどこまでも広がる青に封じよう』
どこからともなく声が聞こえる。
――この声は、一体誰の声だったかしら?
無限の檻がポラジットの思考を麻痺させ、閉じ込めていく。
ポラジットは傍らに寄り添う狼の首に腕を巻きつけ、ぎゅっと温かな黒毛に顔を埋めた。




